2014年10月31日金曜日

2014.10.31 カフェで見かけたカッコいい女の人

● 某日,宇都宮駅ビルのカフェでノート(小型版ではなかった)を開いて,何やら書きこんでいる女の人を見かけた。40歳を少し過ぎたくらいか。
 学校の教師にしては垢抜けているし,保険の外交員でもなさそうだったし,もちろん専業主婦のはずはないし,いったい何をしている人なんだろ。

● その姿がカッコよくて,ちょっと見とれてしまった。カフェやファミレスで,パソコンやタブレットを使っている人は,今どき珍しくもないし,ノートに何か書いている人もけっこう見かける。かく申すぼくもその一人だ。
 が,姿の良さはそれぞれに違う。良い姿の人はあまりいない。

● 姿の良さって,何が作るんだろうかねぇ。顔かたちや体型じゃないのは当然として,服装は多少関係あるかなぁ。あんまりゆったりした恰好だとね。
 ゆったりした恰好が良くないとすれば,姿の良さの構成要素のひとつは緊張感ってことなんでしょうね。かといって,過ぎるとダメだね。
 見られている意識と言い換えてもいいんだと思う。緊張感って一人でポツンといるときにはなかなか持てないから。自分と周囲との関係性でしょうね。周囲との関係をどこまで意識するか。

● とすると,ぼくの姿は良くないはずだ。まるでダメだろう。まったく意識してないもんね。

2014年10月30日木曜日

2014.10.30 おにぎりの不思議

● 近くに,手作りおにぎりを商っているお店があってね。もちろん,おにぎりしかないわけじゃなくて,数あるメニューの中におにぎりもあるわけなんですけどね。
 頼んでから作ってくれる。1個百円。コンビニより安いし,作りたてなんだからコンビニより旨い。

● 昆布とかおかかとか鮭とか,ごく普通のおにぎり。中に入っている昆布は普通にスーパーで売っている佃煮だし,鮭は瓶詰めの鮭フレークなんだと思うんですよ。要するに,具材はごくありきたりなもの。
 これ,茶碗にご飯をよそって,昆布の佃煮を載せて食べたって,さほどに旨くはないと思うんだよねぇ。それ以前に,オカズ,これだけかよ,って言っちゃいそうだ。

● ところが,おにぎりにすると旨い。海苔でくるむからじゃないよね。海苔なくても旨いもん。海苔があった方が持ちやすいから,海苔でくるんでもらった方がありがたいけどね。
 なんでかねぇ。にぎるという手間を加えるだけで,どうしてこんなに違ってくるんだろう。にぎることによって,何かが入るんだよね。愛情とか訳のわからないものじゃなくて,何かが入るんだと思う。

● 茶碗によそったご飯を昆布の佃煮で食べるのも嫌いじゃないけど,これはどことなく貧乏くさい。でも,おにぎりにすると,ひとつのご馳走になる。これすなわち,おにぎりの不思議。大げさですか。

2014年10月29日水曜日

2014.10.29 回遊性と賑わい-都市の魅力

● ぼくは栃木の片田舎に居を構える者だけれども,週に一度は宇都宮に出かけている。用があって行くことはあまりない。行かなくてもいいんだけど,行っている。これ,何でなんだろうと思う。
 何でなんだろうって,リフレッシュなんでしょうね。田舎の人がたまに都市にでかけてリフレッシュするという,昔からあったことをぼくもやっているんだろう。

● もっと近くに,本屋やカフェがまとまって存在しているエリアがある。文具も扱っている本屋で,品揃えは宇都宮の本屋や文具店に劣るわけではない。
 購入だけが目的なら,そこですむ。ゆっくりとコーヒーを飲むことだってできる。ではそこで半日を過ごしてリフレッシュできるかといえば,どうもちょっと難しそうだ。

● けれども,宇都宮のベルモール(ショッピングモール)でなら,半日過ごせると思う。すべての店を片っ端から見ていくなんてするわけがない。ぼくが覗くお店は,ごく限られたものだ。それでも,何だかんだと半日はいられる。

● その違いを作る要因って何なのだろうね。ひとつは,回遊性なんでしょうね。経巡ることができること。
 本屋から文具店へ,文具店から洋服屋へ,洋服屋からケータイショップへ,ケータイショップから雑貨屋へ,と回遊できること。その合間に食事をしたり,お茶を飲むことができること。
 だから,ある程度の商業施設の集積があることは必須でしょうね。

● いくら品揃えのいい店であっても,その店しかないというのでは,なかなか厳しい。充分に用は足せますよとなっても,それだけではエンタテインメントが生まれない。
 回遊するついでに,買いものもするのであって,単純純粋にそのモノが欲しくて買いに行くって,そんなにないように思う。

● ま,ベルモールで半日過ごすってのは,実際にはあまりなくて,JR駅周辺(駅ビルとララスクエア)がぼくの出没エリアなんだけど,滞在時間はせいぜい3時間程度のものだと思うんですよ。
 その程度だったら近場で代用できないか。おそらくね,ダメなんですよね。リフレッシュできる度合いが違うんでしょう。

● その度合いを決めるものが,いわゆる賑わいってやつなんでしょうね。ある程度の人出があること。人の流れがあること。回遊性と賑わい。
 これが東京まで出て行くと,リフレッシュできすぎて疲れてしまうんだけどね。ちょうど程度のいい回遊性と賑わいがあると,ついつい引き寄せられてしまう。
 こういうのにも慣れがあって,だんだん宇都宮程度では物足りなくなるのかもしれないけどね。

● いつもその中に身を置いている人は,週末は田舎や自然の中で過ごしたくなるのだろう。行住坐臥を田舎で営んでいるぼくのような者は,その反対。

2014年10月28日火曜日

2014.10.28 駅の立喰いそばを食べなくなった件

● 昔は好きだったんですよ,駅の立喰いそば。上野から青森まで各駅のそばを食べ比べてみようかと思ったほど。
 とりわけ,宇都宮駅のそばは旨いと思っていた。駅そばを食べるために宇都宮に行くってこともあったり。

● アナウンスや電車が発着するときにはきだす音を聞きながら,そばを食べるのは,かすかな非日常感もあって,なかなかいいものだと思っていた。
 そば粉がほとんど入っていないそばなんだけど,これでいいよなぁ,と。

● それがすっかり遠のいたのはなぜか。前回食べたのがいつだったか思いだせないくらいだ。
 駅ビルの中に吉野家ができたことか。駅そばより安い値段で牛丼が食べられる。丸亀製麺ができたせいか。同じ値段で揚げ玉とネギを好きなだけ載せて,うどんを喰える。
 でも,そうじゃないと思うんですよねぇ。

● こちらの舌が肥えた? そんなことはあり得ない。
 いつの頃か,食券制になった。これはいい。事前に自動販売機で食券を買ってもらうようにすれば,スタッフの負担が減る。機械にやってもらえることは,機械にやってもらえばいい。ときたまあるだろう食い逃げも防止できる。

● メニューが増えた。昔は,かけと天ぷらと月見くらいしかなかったと思うんだけど,きつねだのコロッケそばだの,選択肢が増えてしまった。夏には冷たいそばも出すようになった。
 さらに,大盛りも売るようになった。これが良くない。ぼくなんかはつい大盛りにしてしまうんだけど,駅そばはたくさん食べるもんじゃない。高校生じゃないんだから。
 何だか,そのあたりから不味くなったような気がしててね。

● 宇都宮駅でも駅そばを商うスタンドはひとつになってしまった。お客さんが減っているんだろう。ぼくもだいたい素通りしている。
 フラッと寄ることがなくなった。事前に,よし,今日は駅そばを食べるぞ,と決めておかないと,向かえない場所になった。