ラベル クリスマス の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル クリスマス の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2021年12月3日金曜日

2021.12.03 クリスマスケーキの将来

● 右はセブンイレブンのクリスマスフードのカタログ。お家時間が増えて,こういうものには追風が吹いているんだろうか。
 でも,友だち,彼氏彼女,家族のいずれであれ,クリスマスケーキを買う人は,クリスマスイブを1人では過ごさない人だよね。

● 1人暮らしの人が増えているんじゃなかったっけ。その割合は増加傾向じゃないですかね。クリスマスイブを1人で過ごす人もたくさんいるよね。
 同じセブンイレブンでも,小さいショートケーキを1個,買って帰る。それがむしろ普通になる。あるいは,すでになっている?
 昔,それを揶揄して,お一人様ケーキなんて言われたものだけど,今はお一人様ケーキという言葉が市民権を得ているようにも見える。

● なんかね,クリスマスイブを1人で過ごすことがネガティブではなくなったっていうかね。それって社会が成熟したってことだよね。
 その成熟をもたらしたものは何かといえば,第1にはインターネットでしょうねぇ。インターネットは孤独の味方だ。苦もなくひとり遊びができるようにしてくれる。

● とすると,長期的な傾向としては,複数人で過ごすことを前提にしたクリスマスケーキは売れなくなるんですかねぇ。

2018年12月24日月曜日

2018.12.24 イブは静かに飲むべかりけり

● 夜は相方が作ってくれた大根と油揚げの煮物&ツナポテトサラダで,極安ウィスキーのハイボールを2杯半。充分なクリスマス・イブ。イブは静かに飲むべかりけり,ってか。

● バカ騒ぎは若い衆に任せておけ。今は若い衆も静かなものか。私生活のネット化というのが,特に若い世代では静かに深く進行中かもしれない。群れる必要は基本的にないのだ。ネットで自分の時間を過ごすことができる。
 が,それではネット対個人だから,たまには生身の人とつるみたくなるだろう。それがハロウィンの渋谷に代表されるバカ騒ぎになるのかもしれない。ハロウィンという場ができてよかったね,というわけだ。

● が,このエネルギーも1年間溜めに溜めた結果だろうから,発散の場がしばしばあると,発散の度合いが下がってしまう。地震や火山の噴火と同じだ。
 どうせやるなら,溜めに溜めてやってもらいたい。発散の場はハロウィンだけでたくさんだ。

● 田舎の若者がこういうバカ騒ぎに行かないですんでいるのは,夏祭りだの秋祭りがあるからだろうね。それで発散できる。いわゆるお祭りというのは,習俗行事であると同時に,そうしたガス抜き効果も兼ねているのだろう。存分に若者に暴れてもらえばいいのだ。
 その若者が少なくなってしまっていることが,お祭りの現場が抱える問題の最たるものになっている。これはつまり,バカ騒ぎにも効用があって,それが発生する可能性が皆無になってしまった地域は,地域として臨終間近だということだ。

● ともあれ。今日が商売のかきいれ時だって人もたくさんいるでしょ。お疲れ様です。
 ぼくは,そういうわけで,家で静かに飲んでおりますよ。これっていつもやっていることだから,聖夜もいつもと変わらなかったということ。日本国民の7~8割はそうじゃないかと思う。
 だから,ご同輩。クリスマスだ,イブだと騒いでいるのはごく一部に過ぎないことに思いを致して,取り残された感に沈むことのないように,くれぐれもご自愛のほど,お願い申しあげ奉る。

2018年12月23日日曜日

2018.12.23 クリスマスケーキはいつまであるのか?

● 宇都宮駅コンコースの一画で,洋菓子店やモスバーガー,ロッテリアといったところが,ワゴンを並べて,ケーキや鶏のから揚げを商っている。お客を呼びとめようと声をからす(ほどではないが)様子は,この時期の風物詩という言葉がピッタリだ。
 要するに,お祭りだ。各店が同じ場所でワゴンを並べているのは,相乗効果を期待してのことだろう。

● どれくらい売れるものなのだろう。ケーキはクリスマスに関係なくいつでも食べるという人が普通だろう。ケーキはハレからケに移行した食品といえるだろう。
 クリスマス・イブに売れる度合いも,昔に比べれば下がっているのではないか。

● わが家でもケーキは買わない。相方は食べたいときに買って食べてるし,ぼくがケーキを好まないのは知っているから,クリスマスだからケーキを買おうかという話にもならない。
 特に普段と変わったところはない。わが家だけではなく,たいていのご家庭ではそうではないかと思う。

● ハレの場もあまり増えすぎると,ひとつひとつは盛りあがらなくなる。1年なら1年の間,人がハレの場に注げるエネルギーとお金と時間の総量は一定なのだと思う。
 だから,ハロウィンができると,その分,クリスマスに割けるエネルギーは減少する。ハロウィンは(今のところは)若者の祭典だから,若者がクリスマス・イブにはしゃぐ度合いはだいぶ下がっているのでないか。

● 一流ホテルを予約して,彼女とひと晩を過ごすなんて風習(?)はとっくに昔のものになっているのだろう(よくは知らないが)。
 というより,今どきの若者にとっては,Hじたいが特別なものではなくなっているんだろう。Hもまた節目節目の通過儀礼的なものではなく,ケ的なものになっているのでは。

● それやこれやで,クリスマス・イブはもはや特別な夜ではない。いつもと同じ。
 それでよいのだ。むしろ,その方が聖夜らしいではないか。

2017年12月24日日曜日

2017.12.24 クリスマス・イブも普段と同じ

● 日本人は神前で結婚式を挙げ,クリスマスを祝い,お寺で死ぬ,という言われ方をするわけだけども,この言い方には気をつけなければいけないところがある。
 そのひとつは,人によって濃淡があるということだ。日本人と一括りにすること自体に,かなり以上の無理がある。

● たとえば,今夜,クリスマス的な(=いつもと違う)過ごし方をする人はどのくらいいるんだろうか。
わが家ではまったく普段と同じだ。ケーキも食べないし,七面鳥も食べない。ツリーも飾っていない。
 おそらく,うちも同じだという人たちが多数派ではないだろうか。つまり,クリスマスを祝う日本人は少数だ。

● クリスマスというのは商戦に利用されるものであって(したがって,それに乗る人も一定数はいる),大方の日本人の生活にはクリスマスは入り込んでいない。
 だから,クリスマスだからといって,浮足立つ必要はないよね。

● もっとも,クリスマスに限らず,大晦日も年越しそばを食べてるどころじゃないとか,正月も仕事で休めないという人もいるだろう(最近,やっと揺り戻す動きが出てきたようだけど)。社会が習俗行事を殺しているという部分もある。

● 一方にイブを楽しむ人がいるなら,楽しませる側の人が必ず他方にいる。
 クリスマス商戦に参戦する人たちは,今日はかき入れ時だ。休んでいる場合じゃない。夕方,宇都宮駅に行ったら,改札口の近くに,コージーコーナーやモスバーガーのスタッフが出店をだして,懸命に声を出していた。そういう人たちはもちろんのこと,デパートやスーパーだって消費増に期待をかけるだろう。
 電車やバスは通常どおり,夜明け前から夜更けまで運転されている。ホテルがクリスマス・イブは営業しないなんて聞いたことがない。そうした人たちが楽しむ人たちを支えている。

● 要するに,クリスマスだからといって,浮き足立てる人は少ないように思える。少ないから目立つのかな。
 駅にしばらくたたずんでいたんだけど,いつもと同じように感じた。クリスマス・イブって何のこと? と思ってしまうような。

● ちなみに,ぼくは,今までの人生で年越しそばを食べたのは数えるほどしかないし,雑煮を食べないまま3ヶ日を過ごすこともさほどに珍しいことじゃない。
 自分は特別なのだとは思わない方がいい。自分がそうだということは,それが普通なのだ。案外,昔から盆も正月もないというのが実態だったのかもしれないよね。

2017年12月4日月曜日

2017.12.04 安室奈美恵から考えた

● セブンイレブンって強いんだろうねぇ。こういうところでキッチリと今をときめく安室奈美恵を引っぱってこれるってのがねぇ。

● 嫌な顔をされるのを覚悟で申しあげますが,クリスマスにケーキを食べるなんて,大衆そのものですよねぇ。
 大衆の定義は“カモにされる側の人間”ってこと。

● ぼくらはしょせん大衆であるしかないのかもしれない。けれども,大衆性の一つひとつを点検して,それを外す努力はしなければいけないものだと思いますよ。
 たとえば,新品にこだわってしまうとか(新車,新築),有機栽培の農産物にウカウカと惹かれてしまうとか,黄金週間にはどこかに出かけるものと思いこむとか,マスコミ情報をそのまま自分の意見にしてしまうとか,“世界=職場”になっているとか。
 そういうものを一つひとつ外していく努力をすること。

● その努力ってのは,愚かさを一枚ずつ剥がしていく努力になる。そのためには,情報(ネットに普通に溢れている情報から一段掘り下げたもの)も集めなければならないだろうし,勉強もしなければならない。
 大衆でいることはカンファタブルだ。そのカンファタブルを壊していく努力でもある。

● というわけで,なかなかシンドい作業になる。早い話が,自分の周りは大衆ばかりなんだから,周囲から一歩浮いてしまうことになりかねない。しかも,そのシンドさが報われる保証はない。
 であっても,それをやらないまま一生を終えてしまうのは,いかにも残念だ。

● ちなみに,その大衆性が最も充満している世界は,今のところ,Facebookだろう。およそどうでもいいことを開陳して,お互いに「いいね!」をしあって,その状態で完結している。「いいね!」を求めてしまうと,大衆に墜ちざるを得なくなる。論理必然的にそうなる。
 そこから脱するには,いったんは「いいね!」を忘れて,自分の投稿の質を上げる努力をしないといけないのだろう。それは大衆性を外していく努力とパラレルになる。そうこうしていると,「友だち」が入れ替わっているかもしれない。

2017年11月25日土曜日

2017.11.25 ベルモールはどこもかしこもクリスマス

● 宇都宮のベルモール。店内のそちこちにクリスマスの飾りつけがある。商品自体,クリスマス色のものが増えている。外の街路にもクリスマスツリーのイルミネーション。
 というわけで,どこもかしこもクリスマスなのだった。

● このムードと自分が置かれた境遇は違いすぎる,と感じる人がいるかもしれない。
 じつは,ほぼすべての人がそう思っているのだ。そこに思いが至らず,自分だけと思いこんでしまって,妙な疎外感を感じてしまう人がいやしないかと,少々危惧する。大きなお世話か。

● クリスマスケーキもご予約承り中。子供が小さかった頃はツリーを飾って,ケーキを買っていた。たいてい,サーティーワンで。でも,今はツリーもケーキもなし。
 外に出ればクリスマスの飾りはいたるところにあるんだから,それで充分。ぼくが子供の頃の農村にはクリスマスという習俗はなかった。いつからだろう? こんなものができたのは。

● クリスマス後の正月商戦も始まっている。イトーヨーカドーでもおせち料理のご予約承り中。
 大衆的なスーパーでも3万円とか4万円のおせちがオファーされてるのがなんか不思議でね。こういうのを買う人ってどういう人なんだろう。ぼくの想像を超える。
 先日,シェラトン都ホテルでは10万円のおせち料理のチラシがあったけど。

● わが家ではおせちを食べる習慣じたいがない。相方もぼくも,それぞれの実家に行けばおせちが出るんだけど,相方が自分でおせちを作ったことは一度もないはずだ。
 おせちって,正月くらいは主婦を休ませるための工夫だと聞いたことがある。が,自分の遠い記憶をたぐってみると,かえって主婦の(つまり,母親の)負担を増やしていたような気がする。
 冷蔵庫が普及し,正月もコンビニが営業しているこのご時世に,おせちでもあるまいと思っている。

2017年11月12日日曜日

2017.11.12 街はすっかりクリスマス

● 宇都宮駅前のペデストリアンデッキもすっかりクリスマス。
 ぼくは,商業主義にはおおむね好意的なんだけど(広告が一切ない世界を想像してみるがいい),こういうのに疎外感を覚える人もいるだろうねぇ。

● こうしたクリスマスを煽る飾りつけが自殺者を増やしてしまうことはないのかと,余計な心配をしてみる。

● クリスマスを煽るというより,“クリスマス→家族団欒,カップルで食事,友だちと騒ぐ”と短絡する傾向を煽っているところがね。
 あたかも,クリスマスにはカップルで食事に行ったり,友だちと騒ぐものだよ,みんなそうしているよ,と言っているような。

● 家族や彼女(彼氏)や友だちがいないなんて,べつに何でもないことだ。
 だけど,そういうものが規範になってしまっている風潮がどうもあるようで,そこが面白くない。

● 家族から離れて一人で暮らしている人,彼女(彼氏)がいない人,友だちがいない人。いずれもかなりの数,いるだろうからね。
 気がかりなのは,その3つともいない人だ。それだってけっこうな数,いそうだよね。それ以前に,クリスマスどころではない人もいるはずだ。

● 標準から外れている自分はダメ人間,とこれまた短絡してしまう人もいそうだ。
 短絡するのが悪いと言ってしまえば,それはそのとおりなんだろうけど,大方の人たちはいくつもの短絡で生きているわけで。
 短絡で生きてるのが大衆というものだ。まったく短絡を排しきれている人なんているのかね。

● クリスマス一色になってしまうのがよくない。別の色も残しておかないと。
 クリスマスなんて関係ない人もたくさんいるんだよ,っていう告知をする電飾はないものか。

2016年12月24日土曜日

2016.12.24 クリスマス・イヴの街場で

● 今夜はレストランや酒場は賑わっているんだろう。ケーキ屋さんはまさしくかき入れ時。まだクリスマス・イヴをホテルで過ごす男女がいたりするんだろうか。
 そうした様々なクリスマス・イヴの楽しみ方があるってことは,サービスを提供する側が存在すればこそだ。ストランや酒場やホテルのスタッフ,ケーキ屋の販売員。

● ひょっとすると,そちら側の人の方が多いかもしれないよね。自分にはクリスマスなんて関係ないっていう人が多数派でしょ。
 にもかかわらず,まだ秋の頃からクリスマスのイルミネーションや飾り付けがされるんだよなぁ。こういうのって多数派に疎外感を与えたりはしないのかね。
 っていうか,そういうことをするのも,その多数派なんだけどね。売る側の人ね。

● クリスマスの華やぎを支えている側,サービスを提供する側に焦点をあてた報道とかがあってもいいと思うなぁ。そういう人たちって,クリスマス・イヴにはどんなささやかな楽しみを得ているのか,それすらないのか。
 そういう人たちにも家族がいるだろう。クリスマスを楽しみにしている幼子がいたりもするだろう。

● クリスマスに限らない。忘年会,初詣,新年会と続くけれども,初詣だって電車やバスを普段どおりに動かす人たちがいるから成り立つわけだから。
 そういう人たちを取材して記事にしてくれないかな。たださ,報道する人間もまた,クリスマスや正月は関係ない多数派に属しているわけだよねぇ。