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2022年5月25日水曜日

2022.05.25 東京散歩:早稲田~神楽坂~門前仲町~銀座

メトロ24時間券
● 23日から28日まで5泊6日で川崎に来ている。もちろん,予定があって来ているのではない。やるべきことなど何もない。家にいるときもそうなんだけどさ。
 この状態が精神不安定の元になる人もいるやに聞くのだが,ぼくは生来の怠け者なのだろう,こんないい状態を手放してたまるかと思っている。

● ともあれ。せっかく川崎に泊まっているのに,東京くんだりまでやって来た。メトロ東西線上を移動しようと思う。
 まず,早稲田に。戸山公園の箱根山登頂(?)に挑もうと思う。東京特別区内では最高峰らしいので。めでたく最高峰の登頂に成功した。
 ただし,箱根山は人工的な築山であるらしい。自然の山では港区の愛宕山が最高峰。こちらは去年,登頂したんだけど,愛宕山の方が登り甲斐がある。麓の標高の違いでしょうな。

● でも,戸山公園,けっこうワイルド。新宿区にもこういう場所があるんだねぇ。ちなみに,新宿御苑には行ったことがない。
 日本って基本的に高温多雨だもんね。放っておけば雑草がはびこり,さらに放っておけば灌木が生えてきて,そのままにしておけば雑木林になるんでしょ。豊かな土地といえる。その恩恵をぼくらは受けているのだが,こうした庭園や公園は手入れが大変だ。欧州の幾何学的な構成の公園を真似てみても,基本,どうもうまくいかない。汚くなってしまう。手入れが追いつかないからだが,直線を持ち込むのは,日本の場合はそもそもが無理なのではないか。

● 東西線でひと駅,神楽坂。ここに来るのは二度目。早稲田には学生街の空気が戻って来ているが,神楽坂は対照的に年寄りの聖地。
 ということもなく,まぁ普通でした。どこに行っても年寄りが多いのは現代日本の特徴だから。

● 昼時で行列ができている店が1つあった。「龍朋」という中華屋。
 ひとつ脇に入るとお屋敷街。が,お屋敷を見てもさほどに面白いものでもない。

● 赤城神社。長い時間,手を合わせている女性がいた。マサカという坂に出逢ってしまったのか,業を深くせざるを得ない何かがあったのか。単純に信心深い人なのか。
 神社内神社の螢雪天神もあって,こちらは自ら受験生に訴求している。食事や喫茶ができる施設もある。

● 赤城神社の隣に「小諸そば」があって,繁盛してた。宜なるかな。
 先に見た「龍朋」は,どちらかといえばよそから来た人たちが並んでいるふうだったのに対して,とこの「小諸そば」はここで働いている勤め人が食べに来ている。勤め人が昼食に求めるものは,安くて早いことだ。味は不味いのは困るが,そこそこ旨けりゃいい。そうそう旨さの追求ばかりしているわけにはいかないのだ。

● 続いて,門前仲町。古石場文化センターに小津安二郎を紹介しているコーナーがあると聞いたので。少し迷いながら到着。
 深川には何度も来ている。深川不動尊だったり,江戸資料館だったり,伊能忠敬だったり,松尾芭蕉だったりしたわけだが,小津安二郎も深川ゆかりでしたか。
 小津映画は,最近もDVDを8本見た。どれが1本ということになれば「東京物語」になるのだろうが,ぼくは「晩春」が好きだ。

● 小津家って深川の大地主だったんですねぇ。小津橋まである。橋の名前になっているのは,小津安二郎が世界に認められる前かららしいのだ。
 でも,わかる気がする。新興文化は富裕層から才能が出るというのは,普通のことかな,と。

● 右の写真は小津が子供の頃に遊んだ公園らしいのだが,当然,そんな面影は
残っていない。ここは住むとこじゃないんだよ,というノーティスもある。ここに住んでる方がいらっしゃるのかもしれない。
● 清澄通りに架かる歩道橋のたもとに小津安二郎生誕の地の標識板がある。
 深川が今の深川になったのはそんなに古いことではなく,明治の頃は風光明媚な別荘地だったらしい。その趣を湛えていた頃に小津は生まれたんでしょう。

● なんでもないことは流行に従う
  重大なことは道徳に従う
  芸術のことは自分に従う

 カッコ良すぎでしょうよ,こんなの。
 小津は60歳で亡くなっている。ぼくなんかその年齢をいくつか越えてしまっているのに,この体たらくだからねぇ。ションボリしちゃいますね。そうでしょ,ご同輩。

 小津安二郎生誕の地からちょっと歩くと,芭蕉の採荼庵跡が。こんなところだったのかという驚き。数ヶ月前に両国からここまで歩いたことがあるのだ。まさにこれを見ようと思って。
 探すのに苦労した記憶があってね。こんなわかりやすいところにあったのか,っていうね。
 ちなみに,採荼庵跡の裏側はこんな感じ。もうちょっと何とかならなかったのか。ならなかったんでしょうな。

● 日本橋で銀座線に乗り換えた。で,銀座で下車。G-SIXの蔦屋書店で「暮らしに寄りそう仏たち」を開催中。国宝級の著名仏のミニチュアと,ハッキリ女性の仏の仏画。
 これなんか,ゾクッとするほどの色気があって。とんでもありませんよ。オッパイがなくても色気や艶は醸せるという虚構の世界。いや,これ,虚構じゃないよね。

● 新橋駅前SL広場の小諸そば。2枚盛りイカ天付き,500円。
 神楽坂の小諸そばは昼食時で満席だったが,日がだいぶ西に傾く時刻だと入りやすくなる。やっぱ,ぼくにはこういうのが合ってるわい。

2021年1月30日土曜日

2021.01.30 赤塚~光が丘~渋谷~新橋

● 今週末も2日間とも東京に出かける予定。今日は用あって練馬の光が丘に行く。
 宇都宮線の車中。車内の広告で一番多いのは脱毛のやつ。色々ある。男性宛てのもある。どういうこと? 流行っているのか,流行っていたのにこのコロナ禍でカモが激減しちゃってるのか。
 週刊誌の中吊りなんて,まったく見かけない。中吊りを見れば読む必要なし,と言われた時代は遠くへ去った(念のために申さば,完全に消えたわけではない。残っているものもある)。









● 自治医大駅で下車して,「休日おでかけパス」を購入。明日の分も買った。今日よりも明日の方が,休日パスが活きるはずだけども,JRで首都圏を移動するにはこれは便利。自治医大駅で降りるんだから1本遅れるわけだけど,これはそうしてでも買っておいた方がいいでしょう。
 自治医大駅のホームから冬の空を眺めてみる。寒いけど,確実に春を孕み始めている。

● 湘南新宿ラインで池袋。ここからメトロ副都心線に乗り換えて,地下鉄赤塚駅で降りる。板橋区と練馬区の区境にある。東京都下でもいたって地味なエリアと言ってよろしかろう。
 光が丘の最寄駅は都営大江戸線なのだが(光が丘駅は大江戸線の終着駅),今回は赤塚から約2キロを歩いてみようと思う。

● 赤塚駅を上がって地上に出ると,川越街道。そこを渡って次の細い道を東に向かう。と,いたってスムーズに動けたように書いているけれども,これは後から地図を見ているわけで,現地では行きつ戻りつがあったのは言うまでもない。ぼくは方向音痴を辞任している。現地でどっちが東かなんてのはわからない。
 とにかく東に行くと,“ゆりの木” という団地群が現れる。ゆりの木商店街があり,ゆりの木児童館があり,ゆりの木保育園がある。小さい子を連れた母親がゆっくり歩いていたりする。

● が,商店街(道の両側に商店が並んでいるのではないのだが)にさほどの活気は感じなかった。20年後,30年後にはこのあたりはどうなっているだろう。高島平や多摩ニュータウンを見るにつけ,人工的に拵えた住宅街はあまり長い寿命を持たないものであることがわかる。
 いや,奈良の飛鳥をはじめ,かつて栄華を誇ったであろうところが,今は何もないただの田舎になっている例はさほどに珍しいものではない。栄枯は移るのであるけれども,人工度が高いところは短期間で移り変わる。

● ということをツラツラ思いながら,歩いていると,光が丘公園に至る。景観も都会成分が濃くなってくる。何より,一気に人が増える。
 代々木公園には及ばないけれども,かなり広い公園だ。公園内に野球場もテニスコートも陸上競技場もある。
 老若男女が思い思いに繰りだしている。コロナの緊急事態宣言が出ていることを忘れさせる。
 銀座や日本橋は,そこに住んでいる人はそんなに多くはなく,よそからやって来た人たちが賑わいを作りだす。したがって,緊急事態宣言が出ると,その賑わいが面白いように消失する。
 が,ここはそうではない。ここに住んでいる人たちが集まっているのだ。緊急事態宣言が出ようがどうしようが,他に行くところはない。ここに来るしかない。でなければ,本当に家の中から出ないでいるほかはない。

● 光が丘公園を横断というのか縦断というのか,要するに横切って南に出ると,そこが光が丘の中心部。都営大江戸線の光が丘駅があり,大きな病院があり,ショッピングモール(光が丘IMA)がある。高層住宅の建物がニョキニョキと生えている。
 そのショッピングモールにも人が多い。食堂やレストラン,ファストフード店にも行列ができていたりする。銀座や日本橋とはやはり様相を異にする。

● 大江戸線に乗って東中野でJR線に乗り換えた。大江戸線は新宿まで行くので,新宿で乗り換えればいいようなものだが,新宿で乗り換えるのは億劫だ。
 新宿から山手線に乗り継いで渋谷に行って見ようと思っているので,どっちにしたって新宿で乗り換えるんだけども,JR駅の中ですむのと,地下鉄の新宿駅からJRの新宿駅まで動くのとでは,田舎者にしたらかなり違うのだ。

● なぜ渋谷に行こうと思ったかというと,渋谷LoFtを覗いてみたくなったからだ。渋谷LoFtには過去に二度来ているし,それ以外でも渋谷には何度も訪れている。いくらぼくでも,さすがに。
 しかし,東京で最も苦手な場所は渋谷だ(新宿には慣れてきた)。とにかく人が多い。今日も普段よりは少ないのだろうけど,それでも人酔いする。
 もうひとつ,地理が飲みこめない。道玄坂とセンター街と文化村通り。そりゃ,地図で見ればなるほどこっちが道玄坂でここがセンター街かとわかるけれど,現地にその地図をあてはめるのに難渋する。だから渋谷という。

● ハチ公口を出て,ニッチもサッチも行かなくなるのだ。たとえば,ここから渋谷LoFtはわずかの距離だ。それでも,行くときは最短距離で行けたのに,帰りに迷ってとんでもなく遠回りを強いられたことがある。
 そういう思いをしたのだから,次からはパッと行けるかというと,そういうふうにならない。

● ハチ公前で,マスクはするなと街頭演説をやってるグループがいた。しかも,若い人たち。
 歳を取るとバカが先鋭化するから,ジジイやババアがやってるならまだわかるんだけどね。
 若いんだから,人のことなんか構ってないで,自分の人生に集中しなよ,と思ったことであったよ。

● どうしてそんな余計なことをするのかといえば,暇だからだよねぇ。小人閑居して不善を為す,の類なんだよね。
 バカには忙しくさせといた方がいいんだよ。暇なんて贅沢なものを与えちゃいけないんだわ。・・・・・・あぁ,忙しい,忙しい!!

● 渋谷から山手線に乗って,品川まで来るとホッとする。池袋~新宿~渋谷の湘南新宿ライン文化圏から上野東京ライン文化圏に出たからだ。
 「ふるさとの訛なつかし停車場」の趣を湛えているのは上野東京ラインの方だ。宇都宮からJRで東京に出る場合,ついこの間までは必ず上野で乗り換えることになっていた。東北や北関東から上京するときは,上野がターミナル駅だった。「くじけちゃいけない,人生は」と励ましてくれる「おいらの心の駅」であり続けたのだ。湘南新宿ラインはアウェイなのだ。

● 上野東京ラインの開通以来,それまで上野駅が持っていたターミナル機能は新橋駅にそのまま移行された。ぼくの場合は,だけど。
 東京駅のように大きすぎない。銀座にも近い。メトロ銀座線に乗り換えられるのだから,ここからどこに向かうにしてもまずもって不便はない。港区の下町は田舎者にも居心地がいい。
 その新橋駅構内の「かのや」。天丼セット,700円。今日初めての食事。中国人(たぶん)のお姉さん,今日は元気に働いていた。この人がいるとなんかホッとする。この店の看板娘だよね,もう。

2020年12月30日水曜日

2020.12.30 明治神宮に初めて行ってみた

● 川崎のホテルに逗留(?)しているのだが,今日は原宿に来てみた。正午過ぎの原宿。人波にもみくちゃにされるのはヤダなぁと思ってたのだけど,閑散としている。
 コロナ感染者が急増しているのが影響してるんでしょうねぇ。それとも,この時期の原宿はこんなものなんですか。
 ともあれ。朝は雨だったのだが,11時前に上がってくれた。ラッキーだよ。

● 去年の年末には代々木公園に初めて来た。今年は明治神宮に行ってみようと思う。もちろん,初めてだ。初詣客が全国1位。だから何? って話ではあるんだけども,一度はどんなところなのか見ておかないとと思って来てみた。
 駅前の最初の鳥居をくぐれば,神宮の杜。元々の林に相当な手を加えたようなのだが,
原生林と見紛うような圧巻の杜が出来上がったのだね。素人目にも,これは凄いわ,と思わせる。
 この第一印象が最後まで持続する。しかも,この圧巻の杜が渋谷にあることに呆然とさせられる。

● 明治神宮ミュージアムも拝観。静かでござった。入館料は1,000円。自動券売機に紙幣を入れると,レシートが吐きだされ,それを係員に見せて入館する。
 明治神宮とはその名のとおり,明治天皇と昭憲皇太后をお祭りするお社だから,ミュージアムも天皇や皇太后の御物を展示する施設ということになる。

● 企画展は「宮廷文化の優美」。どんなものが展示されているかは,写真のとおり。正直に申さば,ピンと来ない。まったくピンと来ない。
 つまり,自分の生活や自分の日常とは隔絶したものだからで,なるほどこういう世界があったのかと思うほかはない。いや,今でもあるのかもしれないのだが。

● しかし,最も印象に残るのは,宝物展示室にある六頭曳儀装車だ。屋根に鳳凰の像が載っている。じっと見入ってしまうが,イギリスで作られたもの。国産化にはもう少し時を待たなければならなかったようだ。
 明治天皇が使っていた御常用御机もある。
値段がつかないほどにいいものなのだろうけど,決して華美ではない。経年変化もあるのだろうが,使い込まれているという印象を受ける。
 机上には天皇が実際に使っていたのであろう鉛筆も置かれている。御自身でナイフを使って削ったのだろうか。だいぶ短くなっている。これ以上は補助軸を付けないと使えないだろう。当時,そんなものがあったのかどうかは知らないけれど。

● ミュージアムを出て,神宮の杜をズンズン進んで行く。これだけの建物をよく造ったなと思うんだけれども,やはり肝心は杜の方であって,神宮は杜を守るためのアイコンと捉えるのがわかりやすい。
 トトロの森に連想が及んでしまうのだが,あまり放埒な飛躍は慎まなければならないだろう。

● 杜を歩いていると,ぼくらはアニミズムの民だなと思えてくる。木にも石にも人格があると考えるアニミズムが染み込んでいるような気がしてくる。原始の気性を残しているということだろうか。
 抽象的な教義は弾いてしまうよね,ぼくらは。感性が大切と言われることがあるけれども,ぼくらは古来から理屈より感性で生きてきたのかもしれないね。逆に,きっちりと理屈を通すことを学んだ方がいいのかもしれないよね。

● 帰りは代々木公園を横断して原宿駅へ。この公園を自在に使えれば,QOLを相当に上げることができるでしょうね。
 定年退職したら地方に引越して晴耕雨読などと言ってる輩は,何もわかっていない。豚に喰われた方がいいかもな。東京の恩恵は高齢者にも大きいぞ。地方在住者はそう思う。

● 明治神宮と代々木公園を併せ持つ代々木というところは,何でしょうねえ。駒場の空気を思いださせるところがあるんですけどねぇ。今は遠く霞んでしまった武蔵野の空気でしょうかね。いや,それとも違うような気がするな。
 ま,勝手に感じている,あるいは感じたがっているに過ぎないんですけどね。別にたいした意味があるわけではない。神宮の杜にあてられただけかと思う。

2020年12月6日日曜日

2020.12.06 隅田川散歩

● 日本橋蛎殻町のホテルに泊まっている。すぐそこが隅田川大橋だ。ので,隅田川沿いを歩いてみようと思う。
 先月15日に勝鬨橋から隅田川大橋まで歩いている。今日は中央大橋まで行ってみよう。行ってみるというほどの距離ではない。近すぎるかも。

● 隅田川大橋から下流へ。すぐに隅田川と日本橋川の合流点に至る。写真の手前が日本橋川。その日本橋川の最下流に架かるのが豊海橋。
 コロナ以前は蛎殻町のホテルを東京の定宿にしていたので,この光景には何度も接しているのだが,2つの川が合流するところって,それだけで惹かれるものがある。別の場所を流れていた水がここで1つになる。1つになってまた別のところから流れてきた水と一緒になる。

● 永代橋の先で隅田川は2つに分かれる。
合流して1つになったものが,また2つに分かれる。すぐに東京湾に注ぐわけだけど。
 写真右が本川(中央大橋)で左が派川(相生橋)。派川は晴海運河と言った方が通りがいいと思うが,分岐点から晴海運河になるわけではないらしい。ややこしい。
 中洲のタワマン群があるところは佃島。タワマンの需給もこのコロナでどう変わってくるのか。一気に過剰感が増すととりあえずは考えるわけだが。

● コロナはいろんなものを過剰にした。飲食店や宿泊施設や観光資源はその最たるものだが,オフィスビルもそうだし,都心のマンションもそうだ。自動車だって過剰になったかもしれない。自動車が過剰になったのなら,たぶん道路も過剰なのだ。船や飛行機も空港も過剰だ。なにせ,人が動かなくなったのだから。
 人は家の中に “快適” を作ろうとするようになったんだろうか。今までは快適さをアウトソーシングしてもよかったが,動かない以上は家の中に “快適” を集中させなければならない。

中央大橋
● いずれはワクチンが行き渡って,コロナの軛から解放される。が,そうなってもコロナ以前の生活に完全に戻れるのか。
 テレワークを捨てて,毎日会社に出勤するようになるか。満員電車から解放された快感を捨てられるか。顔も見たくない上司に毎日会わなければならない生活に戻れるか。
 会社だってオフィス賃貸料と社員に支払う通勤手当を減額できたのに,もう一度,そのコストを負担することを良しとするか。
メッセンジャー像
 コロナは世界に大きな害悪と混乱をもたらしたけれども,IT化の果実をググっと個々人に引き寄せる効果もあった。その果実を手放すことになるとは考えにくい。

● 中央大橋には見とれてしまう。文化財的な価値としては,勝鬨橋や永代橋,清洲橋になるのだろうけど,この斜張が作りだす空間はちょっとしためまい感を与えてくれて,なかなかいいものだ。歩道が広いのもいい。細長い広場が続いている。
 「メッセンジャー」像を正面から見るには水上バスに乗るしかないねぇ。後姿は好きなだけ見られるんだけどね。

● 中央大橋を渡った先はタワマン群の佃島。小公園があって,パリ広場と命名されている。姉妹河川のセーヌ川に形だけ敬意を表したってところですか。
 そのパリ広場の隅っこにこんなのがありましてね。アッハハハ,これ・・・・・・偶然じゃないよねぇ。

● 邪魔だと思うくらいに多いのはジョギングする人だ。1人で走っている。カップルとかグループで走っている人はいない。孤高のランナーだな。年齢はけっこう高めだ。言っちゃ何だが,女性に美人は少なく,男性にイケメンはあまりいない。“あまり” は余計だったな。いない。
パリ広場
 ゆっくりと散歩中の人もいる。こちらは小さな子供を連れた若い夫婦が目立つ。近くに住んでいるんだろうか。ひょっとしてすぐそこのタワマンに住んでるんだろうか。羨ましいとまでは思わないが,こういうところに住むってどんなものなんだろうかなとは思ってみた。

2020年11月28日土曜日

2020.11.28 池波正太郎記念文庫

● 2,340円で泊まったビジネスホテルをチェックアウトして,日比谷線で小伝馬町から入谷まで移動。入谷で降りるのは初めてかもしれない。三ノ輪なら何度か降りたことがあるのだが。
 言問通りをスカイツリーに向かって進むこと,しばし。台東区生涯学習センターに着いた。図書館を中心にした複合施設だ。宇都宮でいえば,市立南図書館を大きくしたようなものだと考えていいだろう。


● その中に池波正太郎記念文庫がある。その池波正太郎記念文庫を拝観に来た。地元の人はあまり来ないのかもしれない。この時間帯,拝観者はぼくひとりだった。
 池波正太郎の時代小説はひとつも読んでいないのだが(これから読もうと思っている。老後の楽しみに残しておいたのだが,もうその老後にさしかかっている。ウカウカしていると,老後の楽しみを果たさないままあの世に行くことになってしまう。そろそろ,そういうことを真剣に思わないといけない時期になってきた),エッセイは若い頃にけっこう読んだ。

● 食,映画,芝居,銀座などを話材にしたものが多かったと思うが,何を話材にしたところで,結局は自身を語ることになるのがエッセイだ。自分の来し方,価値観,育ち方。そういったものを食や映画や銀座に事寄せて語る。そういうものだと思う。
 それを熱心に読んでいた記憶がある。自分には縁のない都会的なるものを求めていたんだろうか。
 で,それに影響を受けたかというと,たぶん,それはない。影響を受けられるだけの水準に,当時の自分は達していなかった(今も達していないと思うが)。単純に読むだけの読者であって,それ以上ではあり得なかった。


● 自筆原稿も展示されているが,こういう施設で最も惹きつけられるのは書斎だ。仕事場。ここで書いていたのかという,その現場。
 それをわかっているから,漱石山房記念館もそうだったけれども,書斎はそのままの状態で復元されることが多い。
 圧倒されるのは辞書。狭義の辞書ではなく,いわゆるレファレンスブックだ。調べ抜いて書いていたのだな,という。今ならネットで検索することになるのだろうか。レファレンスブックは不要になっているんだろうかな。

● しかし,こういうものは残らなくなるだろう。愛用の万年筆も自筆の原稿も,今の作家は残すことがない。パソコンで書いているだろうから(自筆派もまだ生存しているようだが)。
 ファミレスやカフェを仕事場代わりにしている人もいるかもしれない。であるなら,決まった仕事場は存在しないことになる。

● 台東区生涯学習センターの隣にあるのが金竜公園。普通の公園なのだが,土地単価が高い分,貴重だよ。
 合羽橋道具街はここから始まる。