● 都内某所。週刊誌各種といくつかの雑誌が置いてある。
新潮と文春は手に取る気にもならないので,現代とポストを読んでみた。週刊誌と書いてダメダメシと読むんだろう。昔からそうだったのだろうが,最近は民度が上がったためか(エッと思う人もいるかなぁ。昔に比べると確実に上がっていると思うんだけどねぇ),ダメなもののダメ度が目立つようになった。
● とはいっても,全部ダメではないんだよねぇ。ポストには井沢元彦さんの連載が,文春には出口治明さん,伊集院静さんの連載がある。かつては,山口瞳の「男性自身」を読むためだけに新潮を買う人もいただろう。
要は,時事ネタがなぁ。ヨタ度を減らせないか。高齢者大衆に媚びてるのか。商売だからか。
● たとえば,右は週刊ポスト8/17・24号に掲載されている秋野太作の演劇論。一読して面白い(だけども,裏読みしたくなるようなところもあり)。
週刊誌を侮っちゃいけないよと思うんだよね。井上ひさしの「むずかしいことをやさしく,やさしいことをふかく,ふかいことをおもしろく,おもしろいことをまじめに,まじめなことをゆかいに,そしてゆかいなことはあくまでゆかいに」を最も体現しているのじゃないかと思えるページも週刊誌の中にはあるような。
● でも,そうじゃないページが大半だ。だから,週刊誌を読まなくなった。ほぼまったく読まなくなった。
井沢さんも出口さんも伊集院さんも,連載分がある程度溜まれば単行本になるのはわかりきっているんだから,単行本で読めばいいや,と。単行本になるのを待てないということはなくなっているんだよね。
● 週刊誌はタメになる雑誌ではない。読み捨てるものだ。その前提で見ても,ダメなページが大半で,そのダメ度がクッキリしてしまっている。読みたい連載があっても,付着してくるゴミの多さに耐えられない。
つまるところは,コストパフォーマンスが悪すぎるものになった。
● ぼくの見るところでは(つまり,何の根拠もなくいうわけだが),民度の高さは年齢に反比例する。現存する日本人の中で最も民度が低いのは団塊世代で,若くなるほど民度は高くなる。マナーはいいし,ものを知っているし,社交も上手い。
週刊誌って低民度の団塊世代しか読んでいないんじゃないか。それに合わせてしまっていないか(秋野太作に反応するのも団塊だけかもしれない)。とすれば,民度の高い若い世代に見向きもされないのは当然だ。
● おそらくは若い世代の週刊誌離れが先にあって,それに対応した結果が現在の姿だと思うんだけどね。
その辺の事情はどうあれ,週刊誌を買って読むことはもうないと思う。
2018年8月6日月曜日
2018年4月21日土曜日
2018.04.21 週刊誌を読んでみた
● 久しぶりに週刊現代と週刊ポストの今週号を読んでみた。で,感じたこと。
この両雑誌の読者層は相当に高齢化しているのか。ジジイ御用達の雑誌になってしまったのか。
● なぜそう思ったかというと,高齢者向けの記事が多いのだ。60代や70代になってもHの現役でいるためには,とかね。
昔は20代の男性にも読者がいたと思うのだが,既存の読者が歳を取るにつれて,読者層が高齢化してきたのだろうか。つまり,読者の新規参入がないようなのだ。
● となると,ジジイが死に絶えれば両雑誌の命運も尽きる。週刊新潮や週刊文春もおそらく同じだろう。
しかもだ。ジジイになってなおこんなものを読んでいるんだから,読者層の知的水準にも疑問を呈したくなる(→おまえが言うな)。
紙の男性週刊誌はもう半ば終わっているという印象を受けた。今更の感想かもしれないけれど。
● 総合月刊誌と呼ばれるものはとっくに終わっている。各出版社の顔だったものだから,今でも残っているものもあるんだけれども,かろうじて残っているだけで,世間や社会に爪痕を残すだけの力は失っている(いや,そんな力を持ったことなんて過去にもあったろうか)。図書館が購入をやめたら,即,引退に追い込まれるのではないか。
週刊誌もそれに続いてしまうんだろう。これ,そっくりネットに移してもダメだと思う。たぶん,読まれない。ネットに移って無料で読めるようになっても,たぶん読まないと思う。そう考える根拠は,自分が読まなくなったことだ。
● 楽天やdocomoが,月額400円とか500円で雑誌読み放題というサービスを提供しているけれども,これだっていつまで存続できるか怪しいものだ。
じつは,このサービスに食指が動いたことがあった。でも,雑誌を読むだけで1日が終わってしまいそうだと思ってやめたのだ。
実際はどうだったろう。読むことはなかったかなと思う。
この両雑誌の読者層は相当に高齢化しているのか。ジジイ御用達の雑誌になってしまったのか。
● なぜそう思ったかというと,高齢者向けの記事が多いのだ。60代や70代になってもHの現役でいるためには,とかね。
昔は20代の男性にも読者がいたと思うのだが,既存の読者が歳を取るにつれて,読者層が高齢化してきたのだろうか。つまり,読者の新規参入がないようなのだ。
● となると,ジジイが死に絶えれば両雑誌の命運も尽きる。週刊新潮や週刊文春もおそらく同じだろう。
しかもだ。ジジイになってなおこんなものを読んでいるんだから,読者層の知的水準にも疑問を呈したくなる(→おまえが言うな)。
紙の男性週刊誌はもう半ば終わっているという印象を受けた。今更の感想かもしれないけれど。
● 総合月刊誌と呼ばれるものはとっくに終わっている。各出版社の顔だったものだから,今でも残っているものもあるんだけれども,かろうじて残っているだけで,世間や社会に爪痕を残すだけの力は失っている(いや,そんな力を持ったことなんて過去にもあったろうか)。図書館が購入をやめたら,即,引退に追い込まれるのではないか。
週刊誌もそれに続いてしまうんだろう。これ,そっくりネットに移してもダメだと思う。たぶん,読まれない。ネットに移って無料で読めるようになっても,たぶん読まないと思う。そう考える根拠は,自分が読まなくなったことだ。
● 楽天やdocomoが,月額400円とか500円で雑誌読み放題というサービスを提供しているけれども,これだっていつまで存続できるか怪しいものだ。
じつは,このサービスに食指が動いたことがあった。でも,雑誌を読むだけで1日が終わってしまいそうだと思ってやめたのだ。
実際はどうだったろう。読むことはなかったかなと思う。
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