● 右の本は昨日,宇都宮の八重洲ブックセンターと喜久屋書店で購入したもの。
長谷川慶太郎さん亡き後,何を道標にしたらいいだろうかという問題がある。お釈迦様の仰る自灯明だけで行くには,ぼくの頭は粗雑に過ぎる。
長谷川さんと同じように統計を渉猟し,キーマンを含む人的情報も駆使して,具体の問題に具体をもって答える踏込みの良さを備えた人。
● となると,渡邉哲也さんかな,と。渡邉さんはTwitterでも相当な情報を出しているし,「教えて! 渡邉さん」でまとまった情報を発信しているから,それで足りてしまうかもしれないのだが,考え方の体系的なところまで知ろうとすると,書籍に勝るものはたぶんない。
統計を読み込んで何らかの仮説を引きだす作業は,自分でやるから楽しいんじゃないかと言われるかもしれないが,その道のプロに任せて,上澄みを戴くのが,ぼくの流儀。
その方が効率的だし,自分でやるより圧倒的に間違いが少ない。その代価として1,500円なんてのは,笑っちゃうほど安いと思う。
● それって渡邉さんを執事にしてるのと同じだ。辛気くさいデータ処理を,自分よりはるかに優れた技能の持主がやってくれて,美味しいところを摘出して差出してくれるわけだから。
1,500円で有能極まる執事を雇っているわけだよ。読書ってそういうもん。お得過ぎる。執事の選定さえ間違えなければ。
● 本は買って読むか、借りて読むか。かつては,ぼくは前者だった。図書館で借りて読むのは,知に対して吝嗇だと思っていた。軽蔑に値するくらいに考えていた。
書庫を造って数千冊は収納できるようにした。いくら買っても大丈夫。これは,本は保存するということを前提にしてもいる。蔵書という言葉に憧れていたっていうかね。渡部昇一さんや井上ひさしさんに憧れたっていうか。
● が,東日本大震災であっけなく考えが変わった。わが家もけっこうな被害があって,靴を履いたままじゃないと家に入れない状況になったのだが,このとき,本に限らず,モノは持たないに越したことはないと強く思った。
タンスも食器棚もすべて倒れて,相方はタンスの位置がもう少し違っていたら,下敷きになって負傷したかもしれないという目に遭った。
● 本など借りて読めばいいのだ,と宗旨を替えた。読み終えた本をとっておくというのもやめた。書棚から崩れ落ちた本のかなりの部分をゴミステーションに捨てた。
図書館から借りて読むということを始めてみると,なかなか都合がいいことに気がついた。返却期限があるから,それまでに読むようになる。積ん読が大量にあったのだけども,借りたものは全部ではないにしても読んでから返すようになる。
返すのだから,読んだあとにブツが残らない。これがとてもいい。捨てる手間がいらない。
図書館をそっくり自分の書庫だと考えればいいのだ。しかも,専門のスタッフが管理してくれているのだ。自宅に本を溜めこむよりよっぽどいい。
● もうひとつ。ぼくが読むような本に稀覯本はない。図書館に入らないことなどあまりないのだった。だったら借りるのが正解。
とは言っても,買うこともある。すぐに読みたい新刊書もあるからだ。稀にだが図書館に入らない本もある。リクエストもできることは知っているが,そんなことをするくらいだったら買った方が早い。
この場合も“読んだら捨てる”が鉄則。例外は作らない。ぼくは地元の図書館の放出棚にこっそり置いてくることにしている。持ち帰ってくれる人がいなければ回収するしかないが,今のところ,そうしなければならなくなったことはない。
2019年10月6日日曜日
2019年9月4日水曜日
2019.09.04 長谷川慶太郎さん,死去
● 帰宅後,ネットニュースで知った。91歳。心不全だったとのこと。
● 若い頃,彼が共産党員だったのは有名。しかし,共産党に吞みこまれることはなかった。内部を知ったればこそ,共産党を見切れたのかもしれない。
以後は,保守の論客として鳴らしに鳴らした。その基本は,おそらく,膨大な数字(統計)の渉猟にあったと思う。数字で実態を描写した。ファクトを積みあげた。
● 海外を含めて圧倒的な情報源を持っていたようだ。国内は言うにや及ぶ。おろらく,公開できなかった情報がたくさんあったろう。
詳細に現在の実態を把握できれば,半年後,1年後,3年後に事態がどう動いているかを想像するのは容易だったのかもしれない。
● その長谷川さんにしても,自分の価値判断に引っぱられてファクトに色を付けてしまうことがなかったとは言えないようにも思われるが,それでも日本人には珍しい,ファクトでものを語る人だったと思う。
長谷川さんの著作を読むことができなくなるのは淋しい。快刀乱麻を断つとはこういうことかというあの快感を味わえなくなる。
● 個別具体に予測するから外すこともある。すると,明日の天気は晴れか曇りか雨,所によっては雪か霰,などと予測ともいえない予測をしていたゴミ評論家が,それ見たことかと長谷川さんを罵倒する。
その光景ももう見れなくなるのか。
● 「投資の王道」会員向けのニューズレターがあるはずだ。それをまとめて著作の形で公開してくれないだろうか。もっとも,それもやめて久しかったのだろうか。
5月に出た『シニア&初心者に捧げる 我が70年の投資哲学』が最後の著作になるか。ちなみに,ここで紹介されているユーグレナ株をすぐに買った。長谷川さんの株式投資の基本は長期保有。なので,ぼくも途中経過には興味を持たないようにしている。
● 長谷川さん亡き後,後継者になるのは渡邊哲也さんではないかと思っている。長谷川さんと対談本を出している。もちろん読んでいる。
Twitterもフォローしている。話題の日韓問題も,ストンと理解できる。ニュースサイトにある解説記事は読む必要がない。
● しかし,こうも思う。長谷川さんの死去とともに,長谷川的世界観も過去のものになるのかもしれない。新しい潮流が世界に生まれてくるのかもしれないし,すでに生まれつつあるのかもしれない。合掌。
● 若い頃,彼が共産党員だったのは有名。しかし,共産党に吞みこまれることはなかった。内部を知ったればこそ,共産党を見切れたのかもしれない。
以後は,保守の論客として鳴らしに鳴らした。その基本は,おそらく,膨大な数字(統計)の渉猟にあったと思う。数字で実態を描写した。ファクトを積みあげた。
● 海外を含めて圧倒的な情報源を持っていたようだ。国内は言うにや及ぶ。おろらく,公開できなかった情報がたくさんあったろう。
詳細に現在の実態を把握できれば,半年後,1年後,3年後に事態がどう動いているかを想像するのは容易だったのかもしれない。
● その長谷川さんにしても,自分の価値判断に引っぱられてファクトに色を付けてしまうことがなかったとは言えないようにも思われるが,それでも日本人には珍しい,ファクトでものを語る人だったと思う。
長谷川さんの著作を読むことができなくなるのは淋しい。快刀乱麻を断つとはこういうことかというあの快感を味わえなくなる。
● 個別具体に予測するから外すこともある。すると,明日の天気は晴れか曇りか雨,所によっては雪か霰,などと予測ともいえない予測をしていたゴミ評論家が,それ見たことかと長谷川さんを罵倒する。
その光景ももう見れなくなるのか。
● 「投資の王道」会員向けのニューズレターがあるはずだ。それをまとめて著作の形で公開してくれないだろうか。もっとも,それもやめて久しかったのだろうか。
5月に出た『シニア&初心者に捧げる 我が70年の投資哲学』が最後の著作になるか。ちなみに,ここで紹介されているユーグレナ株をすぐに買った。長谷川さんの株式投資の基本は長期保有。なので,ぼくも途中経過には興味を持たないようにしている。
● 長谷川さん亡き後,後継者になるのは渡邊哲也さんではないかと思っている。長谷川さんと対談本を出している。もちろん読んでいる。
Twitterもフォローしている。話題の日韓問題も,ストンと理解できる。ニュースサイトにある解説記事は読む必要がない。
● しかし,こうも思う。長谷川さんの死去とともに,長谷川的世界観も過去のものになるのかもしれない。新しい潮流が世界に生まれてくるのかもしれないし,すでに生まれつつあるのかもしれない。合掌。
2018年5月17日木曜日
2018.05.17 氏家のブックオフで
● ブックオフで,特に百円になった本が並んでいる棚を見て,思うことは,経済的価値に限定すれば,本も生鮮食品と同じだということだ。買ったらサッサと読まないといけない。放っておくと短期間で腐る。腐って捨てるしかないものになる。
わが家の書庫にも昔から積ん読にしている本が,千冊か2千冊かわからないけれども,かなりの数,ある。その中にはブックオフに百円で並んでいるものがいくつもある。大半は百円の価値すらなくなっているだろう。
● 本は読み終えたら処分すべきものだとも思う。保存しておくものではない。それをやっていいのは,その道の専門家が仕事で使う本や資料に限られるだろう。
娯楽としての読書,消費としての読書,暇つぶしとしての読書の場合は,そのために買った本はサッサと読んでサッサと処分するのが原則だ。
● もう一度読むかもしれないなどと考えない方がいい。また読みたくなったら,それこそブックオフで百円になっているのを買えばいいのだし,図書館で借りればいいのだ。
ぼくが買うような本はいわゆる駄本であって,多くの人が買うものだ。そういうものは,無料の貸本屋である市町村立の図書館にたいていある。御用とお急ぎでなければ,図書館でだいたい読める。
● というか,読み返すような本は滅多にないことは,経験則に照らしてわかっていることではないか。だから,百円の価値もなくなったものに屋内の空間を占拠させておいてはいけないのだ。
わが家の書庫にも昔から積ん読にしている本が,千冊か2千冊かわからないけれども,かなりの数,ある。その中にはブックオフに百円で並んでいるものがいくつもある。大半は百円の価値すらなくなっているだろう。
● 本は読み終えたら処分すべきものだとも思う。保存しておくものではない。それをやっていいのは,その道の専門家が仕事で使う本や資料に限られるだろう。
娯楽としての読書,消費としての読書,暇つぶしとしての読書の場合は,そのために買った本はサッサと読んでサッサと処分するのが原則だ。
● もう一度読むかもしれないなどと考えない方がいい。また読みたくなったら,それこそブックオフで百円になっているのを買えばいいのだし,図書館で借りればいいのだ。
ぼくが買うような本はいわゆる駄本であって,多くの人が買うものだ。そういうものは,無料の貸本屋である市町村立の図書館にたいていある。御用とお急ぎでなければ,図書館でだいたい読める。
● というか,読み返すような本は滅多にないことは,経験則に照らしてわかっていることではないか。だから,百円の価値もなくなったものに屋内の空間を占拠させておいてはいけないのだ。
2018年2月27日火曜日
2018.02.27 若者の活字離れ
● 右は今日の下野新聞。大学生の活字離れを報じるもの。こういう記事を読むと,何とかのひとつ覚えという言い方を思いだす。
自分が大学生だった頃も,本を読んでいる人はそんなにいなかったような気がするんだが。50歳や60歳になった元大学生にお尋ねしたい。あなたは本を読みましたか。
● 当然,本を読むのはいいことだという前提がある。が,その前提は本当に成り立つのだろうか。
出版社や書店,本を書くことを業としている人や学者,教育者。そういう人たちにとっては本を読んでもらった方が都合がいい。そんな彼らの利害関係を反映した前提にすぎないのではなかろうか。
● そこで,元大学生の諸氏に再度お尋ねしたい。
もし読んでいたとすれば,本を読んでもあなた程度にしかなれないんだから,読書の効用なんて言われるほどのものではないのだと思いませんか。
● この問題を考えるときには,2つほど留保が必要だ。
ひとつは,同年齢層に占める大学生の比率の増大。今は誰でも大学に行く時代になったということ。定員が入学希望者を上回っている。定員割れの大学は珍しくない。大学生=読書人,ではとっくになくなっている。
要するに,向学心のある人が大学生になるわけではないのだ。
● もうひとつはネットの普及。本の形になっていないものも含めれば,今の若者の方が,ン十年前の若者よりも,圧倒的にたくさん読んでいる。これに異論をはさむ人はいないだろう。
というと,ネットの断片的な情報だけではダメで,著者の思考が体系的に展開されている本を読み砕く努力が必要なのだと言われるわけだが,本当にそうかね。
● 小説や文学作品を別にすれば,今どきの本っていうのは,構成作家が著者にインタビューしてまとめたものが大半じゃないか。
断片を集めたものを体系的というのか,と毒づきたくなる。
● 活字や読書から若者が離れているのだとすると,ひょっとしてひょっとすると,彼らは賢い時間の使い方を身につけつつあるといえるのかもしれない。
そういうことを思ってみたりもする。要するに,そんなに騒ぐほどのことではないんじゃないの,この問題は。
自分が大学生だった頃も,本を読んでいる人はそんなにいなかったような気がするんだが。50歳や60歳になった元大学生にお尋ねしたい。あなたは本を読みましたか。
● 当然,本を読むのはいいことだという前提がある。が,その前提は本当に成り立つのだろうか。
出版社や書店,本を書くことを業としている人や学者,教育者。そういう人たちにとっては本を読んでもらった方が都合がいい。そんな彼らの利害関係を反映した前提にすぎないのではなかろうか。
● そこで,元大学生の諸氏に再度お尋ねしたい。
もし読んでいたとすれば,本を読んでもあなた程度にしかなれないんだから,読書の効用なんて言われるほどのものではないのだと思いませんか。
● この問題を考えるときには,2つほど留保が必要だ。
ひとつは,同年齢層に占める大学生の比率の増大。今は誰でも大学に行く時代になったということ。定員が入学希望者を上回っている。定員割れの大学は珍しくない。大学生=読書人,ではとっくになくなっている。
要するに,向学心のある人が大学生になるわけではないのだ。
● もうひとつはネットの普及。本の形になっていないものも含めれば,今の若者の方が,ン十年前の若者よりも,圧倒的にたくさん読んでいる。これに異論をはさむ人はいないだろう。
というと,ネットの断片的な情報だけではダメで,著者の思考が体系的に展開されている本を読み砕く努力が必要なのだと言われるわけだが,本当にそうかね。
● 小説や文学作品を別にすれば,今どきの本っていうのは,構成作家が著者にインタビューしてまとめたものが大半じゃないか。
断片を集めたものを体系的というのか,と毒づきたくなる。
● 活字や読書から若者が離れているのだとすると,ひょっとしてひょっとすると,彼らは賢い時間の使い方を身につけつつあるといえるのかもしれない。
そういうことを思ってみたりもする。要するに,そんなに騒ぐほどのことではないんじゃないの,この問題は。
2017年9月14日木曜日
2017.09.14 新書3割引
● 八重洲ブックセンターの店頭にこういうコーナーが。新書の一部を3割安く販売。
● 書籍は再販価格維持。しかも,よく売れるものもそうではないものも,あまり価格差がない。同じ新書で同じページ数なら,値段もだいたい同じ。
そうじゃないと困る理由があってそうなっているのだろう。
● しかし,本にも生鮮食品的なところがあるんですねぇ。出版されて期間が経つと,新刊書店でも安く販売する。合理的ですよね,それが。
返品されて裁断されて最後は灰になるよりも,買ってもらって誰かに読まれるのが本にとっては本望のはずだから。
● 本の本体は紙に印刷されている活字にある。ところが,一度読めば活字が消えるというふうにはなっていない。紙だから長くもつ。たいていの本は製本もしっかりしている。
CDを買えば何度でも好きなだけ聴くことができる。本も一度買えば好きなだけ読み返すことができる。
が,一度読めばもうたくさんって本も多いわけで,したがって転売のルートが自ずとできる。読まれた本はブックオフに持ちこまれる。
● 問題は転売するときの価格だ。住宅も自動車もわずかでも使われると,経済価値はガクンと下がるという。
本も同じ。一度読んだ本の価値って,こんなに下がってしまうものかと唖然とする。新品同様の状態であっても,買い叩かれるからね(ということをしばしば聞くので,ぼくはブックオフに持っていったことはない)。
ブックオフでも売れないでズルズル時間が経つと,100円で販売される。読むにはそれで充分なわけだが。
● それとは別に本の鮮度っていうのもあるんですね。鮮度があるということそれ自体は,ぼくのような者にも理解できるんだけど,劣化(経済価値の下落)の速度がこちらの理解をはるかに超えて進行する。
次から次へとおびただしい数の本が刊行されるんだから,刊行後の劣化もそれに似合ったものになるのだろう。
● 半年前に出版された書籍のうち,今も書店の棚に残っているのはどれくらいあるだろう。印税で喰っていくというのはかなり難しい時代になっているんだろうね。
昔,山口瞳さんが「文庫が10冊になるまで我慢しなさい。そうすれば喰っていけるようになるから」と書いているのを読んだ記憶があるんだけど,今ではとても通用しないでしょうね。
文庫といえば岩波,角川,新潮しかなかった時代と今とではぜんぜん違うし,3年間の風雪に耐えたものが文庫になるという状況でもなくなっているし。
● 新書3割引のコーナーを見て,以上のようなことを思った。
● 書籍は再販価格維持。しかも,よく売れるものもそうではないものも,あまり価格差がない。同じ新書で同じページ数なら,値段もだいたい同じ。
そうじゃないと困る理由があってそうなっているのだろう。
● しかし,本にも生鮮食品的なところがあるんですねぇ。出版されて期間が経つと,新刊書店でも安く販売する。合理的ですよね,それが。
返品されて裁断されて最後は灰になるよりも,買ってもらって誰かに読まれるのが本にとっては本望のはずだから。
● 本の本体は紙に印刷されている活字にある。ところが,一度読めば活字が消えるというふうにはなっていない。紙だから長くもつ。たいていの本は製本もしっかりしている。
CDを買えば何度でも好きなだけ聴くことができる。本も一度買えば好きなだけ読み返すことができる。
が,一度読めばもうたくさんって本も多いわけで,したがって転売のルートが自ずとできる。読まれた本はブックオフに持ちこまれる。
● 問題は転売するときの価格だ。住宅も自動車もわずかでも使われると,経済価値はガクンと下がるという。
本も同じ。一度読んだ本の価値って,こんなに下がってしまうものかと唖然とする。新品同様の状態であっても,買い叩かれるからね(ということをしばしば聞くので,ぼくはブックオフに持っていったことはない)。
ブックオフでも売れないでズルズル時間が経つと,100円で販売される。読むにはそれで充分なわけだが。
● それとは別に本の鮮度っていうのもあるんですね。鮮度があるということそれ自体は,ぼくのような者にも理解できるんだけど,劣化(経済価値の下落)の速度がこちらの理解をはるかに超えて進行する。
次から次へとおびただしい数の本が刊行されるんだから,刊行後の劣化もそれに似合ったものになるのだろう。
● 半年前に出版された書籍のうち,今も書店の棚に残っているのはどれくらいあるだろう。印税で喰っていくというのはかなり難しい時代になっているんだろうね。
昔,山口瞳さんが「文庫が10冊になるまで我慢しなさい。そうすれば喰っていけるようになるから」と書いているのを読んだ記憶があるんだけど,今ではとても通用しないでしょうね。
文庫といえば岩波,角川,新潮しかなかった時代と今とではぜんぜん違うし,3年間の風雪に耐えたものが文庫になるという状況でもなくなっているし。
● 新書3割引のコーナーを見て,以上のようなことを思った。
2016年11月3日木曜日
2016.11.03 角川ソフィア文庫の「ビギナーズ・クラシックス 日本の古典」シリーズ
● 先日,『おくのほそ道』を読み,今日,『方丈記』を読了した。手元には『枕草子』がある。
そこに『西行 魂の旅路』と『良寛 旅と人生』を買い足した。文字どおり,ビギナーズには読みやすい。
● 「日本の古典」って,中学校や高校の国語の授業で勉強したっきりになっている人が多いのではなかろうか。かく申すぼくもそうだ。
『おくのほそ道』の冒頭の,“月日は百代の過客にして,行かふ年も又旅人也”とか,『方丈記』のやはり冒頭の,“行く川のながれは絶えずして,しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは,かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし”というのは学校で習ったから知ってはいるけれども,それだけにとどまっていた。
● 『おくのほそ道』も『方丈記』も,タイトルは超メジャーだ。自分が生まれた国の超メジャーな古典をひとつも読み通したことがないまま人生を終えるのもなぁとは,以前から思うことがあった。
ので,岩波文庫を買ってみたりしたことはあったんですよ。だけど,挫折また挫折。
● その点,「ビギナーズ・クラシックス 日本の古典」シリーズは,まず現代語訳を読んでしかる後に原文を読むという構成なので,入っていきやすい。
しかも,現代語訳がたんに原文を現代文に直しただけにとどまらず,背景とか前後の説明も加えてあるという親切さだ。
● このシリーズだけでかなりの範囲をカバーできる。『梁塵秘抄』と『古事記』も読んでおきたいと思っている。
そこに『西行 魂の旅路』と『良寛 旅と人生』を買い足した。文字どおり,ビギナーズには読みやすい。
● 「日本の古典」って,中学校や高校の国語の授業で勉強したっきりになっている人が多いのではなかろうか。かく申すぼくもそうだ。
『おくのほそ道』の冒頭の,“月日は百代の過客にして,行かふ年も又旅人也”とか,『方丈記』のやはり冒頭の,“行く川のながれは絶えずして,しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは,かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし”というのは学校で習ったから知ってはいるけれども,それだけにとどまっていた。
● 『おくのほそ道』も『方丈記』も,タイトルは超メジャーだ。自分が生まれた国の超メジャーな古典をひとつも読み通したことがないまま人生を終えるのもなぁとは,以前から思うことがあった。
ので,岩波文庫を買ってみたりしたことはあったんですよ。だけど,挫折また挫折。
● その点,「ビギナーズ・クラシックス 日本の古典」シリーズは,まず現代語訳を読んでしかる後に原文を読むという構成なので,入っていきやすい。
しかも,現代語訳がたんに原文を現代文に直しただけにとどまらず,背景とか前後の説明も加えてあるという親切さだ。
● このシリーズだけでかなりの範囲をカバーできる。『梁塵秘抄』と『古事記』も読んでおきたいと思っている。
2016年10月20日木曜日
2016.10.16 最近,気になるもの
● 最近,気になるもの。dマガジン。月額400円(税抜)で人気雑誌160誌以上の最新号が読み放題!というサービス。アマゾンとか楽天とか,類似のサービスがけっこうな数あるけれど。
しばしば買って読んだり,書店で立ち読みしている雑誌も含まれているので,月額400円ならかなり安い。
● でも,スマホで雑誌ばかり読む生活になってしまいそうだ。それはそれでちょっと困ったことになるかもな。雑誌しか読まないとなると,限りなくバカになるということでもありそうだぞ。
ぼくはこのあたりの制御ができないタイプのように思うんで。ちょっと考え中。
● 読み放題だけじゃなくて,動画の見放題もあれば,音楽の聴き放題もあるわけで,これもインターネットとスマホの普及が生んだサービスですよねぇ。いい時代になったんだろうな,たぶん。
● こういうのが普及すると,コンビニの雑誌売場がなくなるかね。街の書店が減った最も大きな理由は,雑誌の旨味がコンビニに奪われたことだと思う。そのコンビニが今度はインターネットに客を奪われる。
っていうようなことには,どうもならないような気がするんだけどね。
しばしば買って読んだり,書店で立ち読みしている雑誌も含まれているので,月額400円ならかなり安い。
● でも,スマホで雑誌ばかり読む生活になってしまいそうだ。それはそれでちょっと困ったことになるかもな。雑誌しか読まないとなると,限りなくバカになるということでもありそうだぞ。
ぼくはこのあたりの制御ができないタイプのように思うんで。ちょっと考え中。
● 読み放題だけじゃなくて,動画の見放題もあれば,音楽の聴き放題もあるわけで,これもインターネットとスマホの普及が生んだサービスですよねぇ。いい時代になったんだろうな,たぶん。
● こういうのが普及すると,コンビニの雑誌売場がなくなるかね。街の書店が減った最も大きな理由は,雑誌の旨味がコンビニに奪われたことだと思う。そのコンビニが今度はインターネットに客を奪われる。
っていうようなことには,どうもならないような気がするんだけどね。
2016年2月26日金曜日
2016.02.26 今年に入ってから,特に今月に入ってから,読書量が激減している
● 昨年の3分の1以下になっているのじゃないか。たまたま,その時期がTwitterを始めたのと重なっているので,読書量が減ったのはTwitterのせいだということにしてた。
● んだけど,わかってるんですよ。読書量が減ったのはTwitterのせいじゃない。なんのせいかといえば,ローソン・パブを始めとする,飲酒習慣のせいだ。飲酒が強化されてしまっている。
だから,読めなくなっている。じつはそういうこと。Twitterは悪くない。少なくとも,一番の悪役ではない。
● ではなぜ飲酒が強化されたのか。現実から逃げたいからだ。
それでは,今のぼくの現実が逃げたいと思うほどひどい現実かというと,そんなこともあるまいと思うんだよね。
● まぁ,普通ですよ。なのにこの飲酒ぶりはどうなのかねぇ。何だかね,パパッとリセットするのはどうもできなそうなんだよね。
以前はね,煙草はなかなかやめられないけど,酒なんかすぐにでもやめられると思ってたんだけどねぇ。目下,煙草はやめているんだけど,酒をやめられないでいる。
● でも,本気で何とかしないとね。このままじゃいかんぜよ。
いい酒をたまに飲むというふうでありたいね。今は,安酒を毎晩のんでいるからね。
● んだけど,わかってるんですよ。読書量が減ったのはTwitterのせいじゃない。なんのせいかといえば,ローソン・パブを始めとする,飲酒習慣のせいだ。飲酒が強化されてしまっている。
だから,読めなくなっている。じつはそういうこと。Twitterは悪くない。少なくとも,一番の悪役ではない。
● ではなぜ飲酒が強化されたのか。現実から逃げたいからだ。
それでは,今のぼくの現実が逃げたいと思うほどひどい現実かというと,そんなこともあるまいと思うんだよね。
● まぁ,普通ですよ。なのにこの飲酒ぶりはどうなのかねぇ。何だかね,パパッとリセットするのはどうもできなそうなんだよね。
以前はね,煙草はなかなかやめられないけど,酒なんかすぐにでもやめられると思ってたんだけどねぇ。目下,煙草はやめているんだけど,酒をやめられないでいる。
● でも,本気で何とかしないとね。このままじゃいかんぜよ。
いい酒をたまに飲むというふうでありたいね。今は,安酒を毎晩のんでいるからね。
2016年1月27日水曜日
2016.01.25 日本3大ピカレスク・ロマン
● ピカレスク・ロマンとは,16~17世紀のスペインを中心に流行した小説の形式だと説明されますね。悪漢小説とも呼ばれる。
以下にご紹介しようと思うのは,厳密にいうとこの形式から逸脱するものかもしれないけれども,そのへんはあまり厳密には考えないことにしよう。
● 日本の風土はピカレスク・ロマンとの相性があまり良くないようだ。そうした小説が何かの文学賞を受けたということはまずない。軽視されがちだ。そもそもそうした小説はそんなに多くないように思う。
しかし,そんなことはどうでもいい。どうせ読むなら面白い小説を読みたいと思うだけだ。
● 私的に日本の3大悪漢小説として推奨したいのがある。次の3つだ。
吉川英治『三国志』
阿佐田哲也『麻雀放浪記』
ゲッツ板谷『ワルボロ』
● まず,吉川英治『三国志』。『三国志』が悪漢小説なのか。そうだと言っておく。
この小説に登場する人物たちは,曹操にしても劉備にしても,元々はどこの馬の骨かわからないわけでね。劉備が漢王朝の末裔だというのは,たぶん劉備自身のでっち上げだろうし。
そういう人物たちが次から次に登場して,天下狙いの陣取りゲームに興じていく。諸葛孔明も一枚かんで,“秋風吹く五丈原”のドラマもある。縦糸の大小のうねり,横糸のめまぐるしいエピソード。
文庫(講談社)で全8巻。スラスラと読めるだろう。
● この分野ではほとんど古典かもしれない。今でも売れているようだ。
遠藤周作にしろ吉行淳之介にしろ,本人が亡くなったあとは文庫も絶版になることが珍しくない。残るのはこういう悪漢小説なのかもしれないね。
● 『麻雀放浪記』は角川文庫で全4巻。だいぶ昔だけど,和田誠さんが監督して映画にしている。主人公の“坊や哲”は真田広之が演じた。事実上の主役といえる“ドサ健”は鹿賀丈史。
映画も面白かったんだけど,全4巻をそっくり映像にするのは不可能だ。
やはり原作を読んでもらいたい。麻雀のルールなんか知らなくても充分に楽しめる。
同じ絵柄の牌を3つ連番で4セット揃えるか,同じ牌を3つ集めて同じく4セット揃えるか,その混合か,この3パターンで上がれるのだと知っておけばいい。それに2枚1組の雀頭を加えて上がりとなるわけだけどね。
あと,コクシムソウだのサンショクだのイッツウだのいろんな役があるんだけど,そんなのは知らなくてOKだ。
血湧き肉躍る。こういう活字の世界があったのかと思うだろう。
● でね。長らくこの2つだけだったんですよ。日本語で読めるピカレスク・ロマンはね(翻訳ものは当然,除く)。
ところが平成になってから,ぼくらはゲッツ板谷を得ることになる。西原理恵子つながりで知っている人が多いかもしれない。エッセイを読んだっていう人もいるかも。
現在のところ『ワルボロ』『メタボロ』『ズタボロ』の3巻が出ている(いずれも幻冬舎で文庫になっている)。このあと最後の『ボロボロ』が出るはずなんだけど,まだ刊行されていない。ごく近い将来に出るんじゃないかと思いますけどね。
● ピカレスクロマンは青春小説的な部分を内包することが多いように思う。この小説はその青春小説的な色彩もたっぷりある。何といっても,主人公が中学3年生から高校を卒業するまでの時期なんだからね(『ボロボロ』は卒業後の話になる)。
登場人物たちは悪で純という,愛すべきキャラクターたちばかりだ。実際にこういうのにそばにいられたら,ヤッテランナイだろうけどさ。
● トルストイもいいしドストエフスキーもいいんだろうけど,退屈じゃない? ああいうの。あそこまでの長編は大人になってからでは読めないから学生時代に読んでおけよ,っていうのはまさしく正解なんだけれども,じつはぼくは読んだことがない。それで残念感もあまりないね。
上にあげた3つも読まなくたって命に別状はないわけだし,他に読むべきものがいっぱいありますよ,と言われるかもしれない。
まったくそのとおり。でも,そこを曲げて読んでみてくれないかな。面白さは保証するよ。保証どおりじゃなかったと言われても,損害賠償には応じられないけどね。
以下にご紹介しようと思うのは,厳密にいうとこの形式から逸脱するものかもしれないけれども,そのへんはあまり厳密には考えないことにしよう。
● 日本の風土はピカレスク・ロマンとの相性があまり良くないようだ。そうした小説が何かの文学賞を受けたということはまずない。軽視されがちだ。そもそもそうした小説はそんなに多くないように思う。
しかし,そんなことはどうでもいい。どうせ読むなら面白い小説を読みたいと思うだけだ。
● 私的に日本の3大悪漢小説として推奨したいのがある。次の3つだ。
吉川英治『三国志』
阿佐田哲也『麻雀放浪記』
ゲッツ板谷『ワルボロ』
● まず,吉川英治『三国志』。『三国志』が悪漢小説なのか。そうだと言っておく。
この小説に登場する人物たちは,曹操にしても劉備にしても,元々はどこの馬の骨かわからないわけでね。劉備が漢王朝の末裔だというのは,たぶん劉備自身のでっち上げだろうし。
そういう人物たちが次から次に登場して,天下狙いの陣取りゲームに興じていく。諸葛孔明も一枚かんで,“秋風吹く五丈原”のドラマもある。縦糸の大小のうねり,横糸のめまぐるしいエピソード。
文庫(講談社)で全8巻。スラスラと読めるだろう。
● この分野ではほとんど古典かもしれない。今でも売れているようだ。
遠藤周作にしろ吉行淳之介にしろ,本人が亡くなったあとは文庫も絶版になることが珍しくない。残るのはこういう悪漢小説なのかもしれないね。
● 『麻雀放浪記』は角川文庫で全4巻。だいぶ昔だけど,和田誠さんが監督して映画にしている。主人公の“坊や哲”は真田広之が演じた。事実上の主役といえる“ドサ健”は鹿賀丈史。
映画も面白かったんだけど,全4巻をそっくり映像にするのは不可能だ。
やはり原作を読んでもらいたい。麻雀のルールなんか知らなくても充分に楽しめる。
同じ絵柄の牌を3つ連番で4セット揃えるか,同じ牌を3つ集めて同じく4セット揃えるか,その混合か,この3パターンで上がれるのだと知っておけばいい。それに2枚1組の雀頭を加えて上がりとなるわけだけどね。
あと,コクシムソウだのサンショクだのイッツウだのいろんな役があるんだけど,そんなのは知らなくてOKだ。
血湧き肉躍る。こういう活字の世界があったのかと思うだろう。
● でね。長らくこの2つだけだったんですよ。日本語で読めるピカレスク・ロマンはね(翻訳ものは当然,除く)。
ところが平成になってから,ぼくらはゲッツ板谷を得ることになる。西原理恵子つながりで知っている人が多いかもしれない。エッセイを読んだっていう人もいるかも。
現在のところ『ワルボロ』『メタボロ』『ズタボロ』の3巻が出ている(いずれも幻冬舎で文庫になっている)。このあと最後の『ボロボロ』が出るはずなんだけど,まだ刊行されていない。ごく近い将来に出るんじゃないかと思いますけどね。
● ピカレスクロマンは青春小説的な部分を内包することが多いように思う。この小説はその青春小説的な色彩もたっぷりある。何といっても,主人公が中学3年生から高校を卒業するまでの時期なんだからね(『ボロボロ』は卒業後の話になる)。
登場人物たちは悪で純という,愛すべきキャラクターたちばかりだ。実際にこういうのにそばにいられたら,ヤッテランナイだろうけどさ。
● トルストイもいいしドストエフスキーもいいんだろうけど,退屈じゃない? ああいうの。あそこまでの長編は大人になってからでは読めないから学生時代に読んでおけよ,っていうのはまさしく正解なんだけれども,じつはぼくは読んだことがない。それで残念感もあまりないね。
上にあげた3つも読まなくたって命に別状はないわけだし,他に読むべきものがいっぱいありますよ,と言われるかもしれない。
まったくそのとおり。でも,そこを曲げて読んでみてくれないかな。面白さは保証するよ。保証どおりじゃなかったと言われても,損害賠償には応じられないけどね。
2015年9月29日火曜日
2015.09.28 ブックオフに立ち寄ってみた
● 滅多に行かないブックオフに久方ぶりに行ってみた。本は財産と昔は言われていたのではなかったか。が,まことに今は昔のことであるなぁ。
知的生産の表現物である本は,少なくとも経済的には甚だしく経年劣化するものであることが,いやでもわかる。
● 柳田國男の全集があった。1冊300円。若い頃,ひと月分の給料をはたいて買ったのではなかったか。数十年を経て,それが1冊300円で買えるのだった。本はまったく傷んでいない。
しかもだ。ぼくは結局読まないで今日に至っているのだ。全集を売った人も,たぶんぼくの同類だろう。
● 本は保存しておく必要はないなとも思う。ぼくが持っている本はほとんど図書館かブックオフにある。であれば,保存コストがもったいない。
ブックオフで100円で買えるんだったら,必要に応じて何度でも買ったほうが保存しておくより安いかもしれない。
もっとも,最近は保存することをやめている。読んだら,ブックオフには持っていかないけれども,地元の図書館のリサイクルコーナーにそっと置いてくる。図書館が古くなった本を開放するコーナーなんだけど,そこに置いてくることにしている。
● 本が売れなくなったというけれども,これじゃあたりまえかも。ちょっと待てば,新品同様の状態で安く買えるんだから。ブックオフの再販分も含めれば,決して減っていないのではないか。
ブックオフができて本が回流するようになったのだろう。流れている本の総量はかえって増えているのじゃないかと思うほどだ。
● ここに来ると,本が特別なものではないことがわかる。消費されるものだ。古典であっても,その徴表物である本は,時間の経過とともに価値を減ずるものだというあたりまえのことが,ブックオフにいくとくっきりとわかる。
知的生産の表現物である本は,少なくとも経済的には甚だしく経年劣化するものであることが,いやでもわかる。
● 柳田國男の全集があった。1冊300円。若い頃,ひと月分の給料をはたいて買ったのではなかったか。数十年を経て,それが1冊300円で買えるのだった。本はまったく傷んでいない。
しかもだ。ぼくは結局読まないで今日に至っているのだ。全集を売った人も,たぶんぼくの同類だろう。
● 本は保存しておく必要はないなとも思う。ぼくが持っている本はほとんど図書館かブックオフにある。であれば,保存コストがもったいない。
ブックオフで100円で買えるんだったら,必要に応じて何度でも買ったほうが保存しておくより安いかもしれない。
もっとも,最近は保存することをやめている。読んだら,ブックオフには持っていかないけれども,地元の図書館のリサイクルコーナーにそっと置いてくる。図書館が古くなった本を開放するコーナーなんだけど,そこに置いてくることにしている。
● 本が売れなくなったというけれども,これじゃあたりまえかも。ちょっと待てば,新品同様の状態で安く買えるんだから。ブックオフの再販分も含めれば,決して減っていないのではないか。
ブックオフができて本が回流するようになったのだろう。流れている本の総量はかえって増えているのじゃないかと思うほどだ。
● ここに来ると,本が特別なものではないことがわかる。消費されるものだ。古典であっても,その徴表物である本は,時間の経過とともに価値を減ずるものだというあたりまえのことが,ブックオフにいくとくっきりとわかる。
2015年7月8日水曜日
2015.07.08 わが家にあふれる本の処分
● 古本は基本的にバッタ売り状態ですね。一度読んだ本は,経済的には価格が付かないと考えた方がいい。例外として,帯も含めて状態が良好に保たれている場合は,なにがしかの値段で引き取ってもらえる。
帯を捨てたり,カバーに折り目がついていたり,まして本文に赤線が引いてあったりしたのでは,発行後あまり時間が経っていなければそれなりの値段で引き取ってもらえるかもしれないけれど,その賞味期限を過ぎていればタダでも引き取ってもらえない。
● まずネットオークションに行く。氏家にブックオフがあるので,そこに行くこともないではないけど,リアルの古本屋に行くことはあまりない。ネットですませる方に傾きがちですね。
で,ネットにもないとき(あっても高いとき)に初めてリアルの古本屋や普通の本屋で買うことを考える。要するにケチなんだなぁ,ぼくって。
● わが家の書庫にはたぶん1万冊を超える駄本が溜まっている。ほぼすべて普通の本屋で買ったものだ。昔は本代にはお金を惜しまなかったんですな。
読まないままで10年,20年,30年と経ったものが多い。経済的には紙ゴミと化している。
● さすがにこのままにはしておけないので,読んでいない本でも(大半がそうだけど)これからも読みそうにないものはガンガン捨てる方向に舵を切った。
が,重いのでねぇ,なかなか減っていかないのが実情。途中で億劫になってしまうんですね。
帯を捨てたり,カバーに折り目がついていたり,まして本文に赤線が引いてあったりしたのでは,発行後あまり時間が経っていなければそれなりの値段で引き取ってもらえるかもしれないけれど,その賞味期限を過ぎていればタダでも引き取ってもらえない。
● まずネットオークションに行く。氏家にブックオフがあるので,そこに行くこともないではないけど,リアルの古本屋に行くことはあまりない。ネットですませる方に傾きがちですね。
で,ネットにもないとき(あっても高いとき)に初めてリアルの古本屋や普通の本屋で買うことを考える。要するにケチなんだなぁ,ぼくって。
● わが家の書庫にはたぶん1万冊を超える駄本が溜まっている。ほぼすべて普通の本屋で買ったものだ。昔は本代にはお金を惜しまなかったんですな。
読まないままで10年,20年,30年と経ったものが多い。経済的には紙ゴミと化している。
● さすがにこのままにはしておけないので,読んでいない本でも(大半がそうだけど)これからも読みそうにないものはガンガン捨てる方向に舵を切った。
が,重いのでねぇ,なかなか減っていかないのが実情。途中で億劫になってしまうんですね。
2015年6月22日月曜日
2015.06.22 読書ペースが上がっている
● 起きているとき,プライベートで何をしているかというと,飲むか読むか聴くか書くかだ。
酒と本と音楽とブログ(を書くこと)。これ以外にやることといったら,食事とトイレくらいのものですな。食事はともかく短時間ですむものを好む。食事をゆっくり楽しむなんてのは,ぼくの辞書にはない言葉だ。というか,ぼくにはないスタイルだ。酒は時間をかけて飲むんだけどね。
● で,本なんですけど。最も読めるのは電車の中。4月から転勤で職住接近が一気に進んだ。ありがたいっちゃありがたいんだけど,電車に乗ってる時間はわずか5分。自転車通勤をすることもあるので,その場合は当然ながらゼロになる。
これ,読書にとっては逆境だ。
● なんだけども,5月以降,読書のペースがあがっている。たぶん,次のような理由によるものと思われる。
宇都宮市立図書館を利用できるようになって,前から読みたいと思っていた本が(タダで)読めるようになった。脱兎の勢い。これがいつまで続くのか不明だけれども,今はその勢いが本を読むペースを押しあげている。
● 下川裕治さんの紀行文が昔から好きだった。何冊か未読のまま積んでおいたものを,これまたひもとく機会を得て,ひもといたが最後,一気に読まないと気がすまない状況。
要するに,読みたかった本や面白い本を読むようになった。これが理由のほとんどだと思う。
● 我慢しなければ読めない本を読まないこと。大事ですよね,これ。
酒と本と音楽とブログ(を書くこと)。これ以外にやることといったら,食事とトイレくらいのものですな。食事はともかく短時間ですむものを好む。食事をゆっくり楽しむなんてのは,ぼくの辞書にはない言葉だ。というか,ぼくにはないスタイルだ。酒は時間をかけて飲むんだけどね。
● で,本なんですけど。最も読めるのは電車の中。4月から転勤で職住接近が一気に進んだ。ありがたいっちゃありがたいんだけど,電車に乗ってる時間はわずか5分。自転車通勤をすることもあるので,その場合は当然ながらゼロになる。
これ,読書にとっては逆境だ。
● なんだけども,5月以降,読書のペースがあがっている。たぶん,次のような理由によるものと思われる。
宇都宮市立図書館を利用できるようになって,前から読みたいと思っていた本が(タダで)読めるようになった。脱兎の勢い。これがいつまで続くのか不明だけれども,今はその勢いが本を読むペースを押しあげている。
● 下川裕治さんの紀行文が昔から好きだった。何冊か未読のまま積んでおいたものを,これまたひもとく機会を得て,ひもといたが最後,一気に読まないと気がすまない状況。
要するに,読みたかった本や面白い本を読むようになった。これが理由のほとんどだと思う。
● 我慢しなければ読めない本を読まないこと。大事ですよね,これ。
2015年6月3日水曜日
2015.06.01 読書のコツ
● まず,学生が教科書を読むとか,ビジネスマンが仕事の本を読むというのは,読書の中には含めないことにする。
● 面白い本を読むこと。ページを繰るのがもどかしいくらいに面白い本を読むこと。コツはこれに尽きるんだと思う。
面白ければ,読もうとしなくても読んでしまう。
● したがって,勉強のための読書はしないと決めてしまうこと。そう決めてそのように実行できる人はそんなにいないか。
もうひとつ。読書は消費であると悟ること。映画を見たりゲームをしたりするのと変わらない。そこから何かを生みだそうなどという妄想を持たないこと。
● そう思い決めたうえで,面白い本しか読まないこと。以上がコツだと思う。
● 面白い本を読むこと。ページを繰るのがもどかしいくらいに面白い本を読むこと。コツはこれに尽きるんだと思う。
面白ければ,読もうとしなくても読んでしまう。
● したがって,勉強のための読書はしないと決めてしまうこと。そう決めてそのように実行できる人はそんなにいないか。
もうひとつ。読書は消費であると悟ること。映画を見たりゲームをしたりするのと変わらない。そこから何かを生みだそうなどという妄想を持たないこと。
● そう思い決めたうえで,面白い本しか読まないこと。以上がコツだと思う。
2015年4月27日月曜日
2015.01.26 奥さんが北杜夫が好きで
● 少女の頃から好きだったようなんですけどね。『航海記』をはじめ『船乗りクプクプの冒険』とか。『楡家』も読んでいるらしい。要するに,20代までにほとんど読んでいたっぽい。
が,社会人になってからは,ハプスブルク家ものとか林真理子がメインになって,ちょっと遠ざかっていたようだ。
● 北さんは数年前に亡くなっているから,当然,新作はでない。そういう事情もあったでしょうね。
が,最近,娘さんの斎藤由香さんのエッセイを読んだのがきっかけで,北杜夫熱に火がついたらしい。晩年に出たものを中心に,書店やBOOK-OFFで文庫本をまとめ買いしてきた。
● 彼女,読むのはぼくよりずっと速い。なんでそんなに速く読めるんだ?
ほかにも,速く読む人を知っているけど,たいてい女性なんですよね。短い時間でちょこちょこと読んでしまう感じ。
● かく申すぼくも,20代のときに,当時出ていた北杜夫作品は,小説,エッセイ,対談を含めて,あますところなく読んでいた。
奥さんがお読みになったあと,ぼくも読ませてもらおうと思う。
が,社会人になってからは,ハプスブルク家ものとか林真理子がメインになって,ちょっと遠ざかっていたようだ。
● 北さんは数年前に亡くなっているから,当然,新作はでない。そういう事情もあったでしょうね。
が,最近,娘さんの斎藤由香さんのエッセイを読んだのがきっかけで,北杜夫熱に火がついたらしい。晩年に出たものを中心に,書店やBOOK-OFFで文庫本をまとめ買いしてきた。
● 彼女,読むのはぼくよりずっと速い。なんでそんなに速く読めるんだ?
ほかにも,速く読む人を知っているけど,たいてい女性なんですよね。短い時間でちょこちょこと読んでしまう感じ。
● かく申すぼくも,20代のときに,当時出ていた北杜夫作品は,小説,エッセイ,対談を含めて,あますところなく読んでいた。
奥さんがお読みになったあと,ぼくも読ませてもらおうと思う。
2015年4月14日火曜日
2015.04.14 林真理子さん
● 最近,彼女のエッセイを読んだ。彼女の作品を読むのは初めてのこと。
じつは,奥さんは林真理子ファンで,『ルンルン』以降の小説やエッセイをマメに読んでいる。っていうか,それ以外は読まない(あ,あと,ハプスブルク家に関するものは読んでいるようだ)。
● で,奥さんから林真理子の話を聞くことはあったんだけども,ま,自分で読む気にはならなくて。文芸関係の小説やエッセイはそもそも読まないようになっていて。
ファンが50に対してアンチも50というイメージがあったんだけど,直木賞作家なんだからね,才能プラス何ものかを備えた人ですよね。
● 今回読んだのも奥さんから借りたもの。奥さんときたら,カバーを外して風呂場でもトイレでも読むので,本体は波打っているし,ページは反り返っている。
そういうのをトイレに置きっ放しにされたんでは,見た目も悪い。ので,借りたというか,自分も読んで,読んだらサッサと捨てようというわけなんでした。
● 読んでみたら面白かったね。これを機に,ほかの作品も読むようになるといいんだけど。
じつは,奥さんは林真理子ファンで,『ルンルン』以降の小説やエッセイをマメに読んでいる。っていうか,それ以外は読まない(あ,あと,ハプスブルク家に関するものは読んでいるようだ)。
● で,奥さんから林真理子の話を聞くことはあったんだけども,ま,自分で読む気にはならなくて。文芸関係の小説やエッセイはそもそも読まないようになっていて。
ファンが50に対してアンチも50というイメージがあったんだけど,直木賞作家なんだからね,才能プラス何ものかを備えた人ですよね。
● 今回読んだのも奥さんから借りたもの。奥さんときたら,カバーを外して風呂場でもトイレでも読むので,本体は波打っているし,ページは反り返っている。
そういうのをトイレに置きっ放しにされたんでは,見た目も悪い。ので,借りたというか,自分も読んで,読んだらサッサと捨てようというわけなんでした。
● 読んでみたら面白かったね。これを機に,ほかの作品も読むようになるといいんだけど。
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