● 酒田に来たのは,本間家のフランチャイズがどんなところなのか興味があったから。本間家と言っても,本間宗久ね。米相場で莫大な財をなした人物。その道では知らない人はいないでしよ。
本間罫線という言葉を何かの本で知ったのは,30年も前のこと。その罫線に興味はないが,どんな男だったのか。
まず本間美術館。本間家が所有していたお宝を後の当主が市に寄付してできたんでしょうね。それ以外に,お宝を残す方法はなかったろうから。
今は茶道具を展示中。藩主の酒井家から本間家に移ってるのが多いが,××藩主上杉○○から本間△△が拝領したもの,と説明されているものもある。
拝領ったって,借金のカタに取ったものだろう。その代わり,貸付金は不良債権になった。お宝で残った方が良かったでしょうね,今となってみれば。
● ぼくのような不調法者が茶道具を見ても始まらない。文化とは軟弱を洗練したものなのだなと思うだけだ。その洗練にベラボウな金がかかる。
もちろん,この美術館には茶道具しかないわけではない。次々に展示内容を替えているのだろうから,絵画とかを見たければ次の機会を作らなくてはならない。
● 本間家旧本邸。美術館からの道路を一本間違えて(地図を読めない男なのだ),遠回りをしてしまった。
部屋数は23あるとスタッフに教えてもらった。これを今から造ろうとしたら,100億円でも無理でしょうよ。だいたい,材料をどうやって調達するか。職人がいるのか。
● まったく,こんなモノを造りやがって。ってさ,これを造るのも社会貢献だったんだよね。有効需要と雇用の創出ってやつね。
目立たないようにヒッソリと,と知的にやられたんじゃ,社会は潤わない。当時はモノを造るくらいしかお金の使途はなかったろうしさ。
● 今は違いますよ。サービス業がメインの産業なんだから。
現代の大富豪の皆様には,後に何も残さない泡銭的な使い方をしていただきたいものですよ。
● 本間家ゆかりの見どころは,この二つ以外にもある。が,これだけでお腹がいっぱいになってしまった。
他のものはネットに上がっているので,それを読ませてもらえば良かろう。今日はこれで打止めとする。途中,雨にも降られて(この時期なんだから当然),イマイチ意気があがらなかった。
かつてを忍ばせるアレやコレやがかなり残っている。会津若松に似ていると思った。只者ではなかった感といいますか。
● 現在の本間家はどうなっているのか。それは詮索の対象外。
ただし,こういうことは言えると思う。江戸時代からの本間家の隆盛と,本間家の個々の構成員の幸せは一致しない。本間家に生まれたばかりに,常人なら味わわずにすんだ苦労を背負うことになる。
その苦労があって家は維持される。規模は違え,たとえば現在の京都の老舗に生まれた人たちも同じではないか。ご苦労なことだと申しあげる他はない。
● 人口に膾炙するような特殊な家に生まれなくて,ぼくらは幸いだ。テメーを中心にして生きていくことができるのだからな。
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