2019年11月9日土曜日

2019.11.09 東京散歩-曳舟

● 9月14日以来,曳舟で下車。直接の目的は曳舟文化センターで開催されるテオフィルス室内管弦楽団の定演を聴くためだけれども,なぜこの楽団の演奏を聴いてみる気になったかといえば,曳舟で開催されるからだ。
 つまりは,曳舟で降りる口実として使った的なところがある。曳舟を歩いてみたかったのだ。

● 「下町中華そば すずめ食堂」。入ってみたいね,こういうところ。待ち人も2人いた。若い女性ね。
 けれども,深く期するところあって,今月から1日1食にしているのだ。いや,厳密には糖質(炭水化物)を摂取するのは1日1回にするってことね。
 体重の増加が止まらない。腹回りの脂肪がどんどん分厚くなっている。結果,腹が出ること出ること。これで外に出てはいけないのじゃないかと思える体型になってきた。
 父親が糖尿を抱えていたということもある。糖尿は母系遺伝だとも聞いたことがあるんだけど,遺伝はともかく,このままじゃ絶対糖尿になると思う。っていうか,すでに境界性と言われているのでね。糖尿なんぞ抱えていいことは何もないので,ここでいったんは消しておくかというわけなんでした。
 今日は夜にラーメンを食べに行くことになると思うので,朝と昼は糖質禁止。

● 曳舟川通り。歩いててホッとする。“田舎”が残っているからだろうか。自分もここにいていいんだと思えるっていうかさ。
 そこが田舎者には座りの良さにつながるのだと思うが,曳舟はしかし東京都の特別区にあるのであって,田舎ではない。たとえば,こういうマンションは田舎にはないわなぁ。

● 先月の台風で武蔵小杉のタワーマンションも機能不全に陥ったようで,いろいろ言われているけれども,こうした被害は改善の動機になる。だから,こうしたことがあって,だからマンションは止めておこうと思ってしまうのは,何も考えない人の発想だ。
 で,そういう人を大衆と呼ぶ。ぼくらはしょせん大衆でしかないのかもしれないけれども,大衆であることに対して,多少の抵抗はしたいと思う。

● 曳舟川通りと明治通りの交差部。車が停まってるのが明治通り。2年前,新木場から東向島まで明治通りを歩いたことがあった。どうしてそんなことを思いついたのか今となってはわからないが,とにかく歩いてみた。
 ここも歩いたはずだ。懐かしい。って,具体的な光景はほとんど憶えてないんだけどさ。

● 曳舟から押上まで歩いてみた。と言っても,曳舟駅から数十メートルも歩けば押上2丁目なのだが。
 曳舟川通りから左に曲がってみる。路地的な道路だ。もっと狭い路地もある。車通行は厳しいと思えるのだが,どのお宅でも大きめの車をお持ちのような。よほど運転が上手いのだとお見受けする。
 都市に住むメリットのひとつは車を持たないですむことだとぼくなんぞは思っているのだが,なかなかそういうわけにはいかないんだろうか。車は自由の象徴だ。公共交通機関の路線や時刻表に縛られないで,自由に行きたいところに行ける。
 が,そのためのコストが高すぎる。ガソリン代,税金,車検,保険。ぼくは車を手放したいと思っているのだが,田舎ゆえそれがなかなか難しい。

● 自動運転と電気自動車が普及すれば,このあたりの事情も大きく変わってくるだろう。たぶん,自動運転が当たり前になれば,個人で車を所有している必要はなくなっているのではないか。
 個人所有の車は遊んでいる時間が長すぎるのだ。自動運転ということになれば,車の稼働率を上げやすくなる。台数は今の3分の1になり,稼働時間が3倍になる。メーカーもかなり淘汰される。
 車はその都度,レンタルで使うものになるだろう。貧乏臭いと思ってはいけない。誰もが格安でハイヤーを使えるようになるのだ。車が文字どおりの動く書斎,動くオーディオルーム,動くシアターになるのだ。

● スカイツリーが間近に見えてきたらそこが押上駅。なので,迷子になることはまずもってない。こうして今回の墨田散歩も終了。
 スカイツリーに登ったことはないし,これからもないと思う。スカイツリーは外から見るだけでいい。だから,スカイツリータウンも,原則,用のないところ。11月になったばかりなのに,クリスマス商戦に入っている。
 って,街ではどこでもそうですけどね。たとえば,こんなものも売られていたんだけど,ダイソーにも同じようなのがあったな。

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