● 「スマートフォンとタブレット端末は世界で爆発的に増えており,その成長速度は過去のどの消費者向けテクノロジー製品やサービスよりも速い」「その速度は,1980年代におけるパソコン普及期の10倍,1990年代のインターネットブームの2倍,昨今のソーシャルネットワーク普及速度の3倍に当たる」という記事を見た。
● たしかにね,スマートフォンって便利だものね。ぼくも昨年の6月にAndroid端末を購入し,すこぶる便利に使っている。
これひとつ持っていれば,デジカメもボイスレコーダーも電子辞書も携帯音楽プレーヤーも要らない。テレビもラジオも受信できる。折りたたみ式の外付けキーボードを併用すれば,ワープロとしても一時しのぎにはなる。
他にも,自転車走行のログをとったり,YouTubeを見たり,簡易スキャナとして使ったり。ぼく,わりとヘビーユーザーかもしれない。
もちろん,それぞれの専用機に比べれば使い勝手は劣るものの,充分に日常の使用に耐える。こだわり野郎からは異議申し立てがあるだろうけど。
● ま,通話とメールはたまにしか使わないんですけどね。あまり人づきあいがいい方じゃないんで。交友関係が狭いというか,ほとんどないというか。それに電話って嫌いなんでね。
だから,従来のケータイはどちらかというと,ヨメに持たされていた感じだったんですよ。亭主を管理するためのツール。
スマートフォンになって初めて,自分の方から使うようになった。ほんと便利。
● ただね,時代の寵児になっている感のあるクラウドね,これは(Gmailを除いて)使えないってのが実感ですね。今のところはね。
待たされるんですよね。つながるのに何秒か。ファイルを開くのに何秒か。容量がちょっと大きくなると,けっこう待たされる。受忍限度を超えます。
ぼくはdocomoなんだけど,わが田舎でもXiが使えるようになれば事情が変わってくるかもしれないと期待はしている。ハード面は,この夏に出ている機種の性能で充分だろうからね。
● もうひとつの問題は,スマートフォンの画面を指でフリックしている様子って,わりと馬鹿っぽく見えるってことですかね(ぼくも馬鹿っぽく見えているはずだ)。
ま,この風景に慣れてしまえば,そんなことも感じなくなるんだろうけどさ。
● 音楽プレーヤーとして使っている時間が最も長い。もう圧倒的に長い。
聴くのは音楽に限らない。落語もね。ベタな感想で申しわけないけれど,繰り返し繰り返し何度聴いても飽きないのは,古今亭志ん生。賢しらな主張がない。政治批判だとか社会風刺だとかね。芸のみで勝負。賢しらは必ず古くなるけど,それがないんだから,志ん生落語は古くなりようがない。
● 音楽を外に連れだすという発想にはずっと違和感を持っていた。
昔のプレーヤーって音漏れがあったでしょ。電車の中でシャカシャカという音を垂れ流しながら,ヘッドホンで音楽を聴いている若者がけっこういたでしょ。そういうのに出くわすと,この馬鹿がっ,と思ってしまってた。
でも,だいぶ前からそんなのはなくなっていたわけだからねぇ。スマートフォンで外でも音楽を聴くっていう生活を始めてみたら,なんとまぁ快適なこと。 頑なにならずにサッサとiPodでもWALKMANでも買っときゃよかったよ。
● 音楽を聴くということに関して絶大な影響があったのはiTunesで,これがコストの壁を崩してくれた。次に,時間の壁を崩してくれたのがスマートフォンだったというわけです。
若いときにこういう器機があってくれればと思ってしまうんだけども,でもいい時代にまにあってよかったなと思いますよ。
● 音楽はライブで聴くのを第一とするけれど,CDをリッピングしてスマートフォンに転送すれば,いつでもどこでも聴くことができる。こうした技術進歩にも助けられているなぁ。
一方で,何かを失っているはずなんだけどね。
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