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2026年2月21日土曜日

2026.02.21 𝕏 もやめどきか

● 「Xを2ヶ月見ないとどんなデメリットがあるのか試してみた。メリットしかなかった」という成田悠輔さんの定例ポスト。一理もニ理もあるよなぁ。そうだろうと思いますよ。
 FB は大昔に2年ほど捏ねくってやめた。Instagram はアカウントは作ったけれども,投稿したことは一度もない幽霊ユーザー。だが,𝕏 は続けている。

● 𝕏 に実利があるのは,供給サイドが製品の告知(広告)をする場合と,Premium 会員になって収益化できるインフルエンサーのみ。
 パンピーには関係のない世界だ。 

● SNS で個対個のコミュニケーションができると思っている人はまさかいないだろう。言葉だけでコミュニケーションが成立するのかという問題。
 リアルのコミュニケーションは声で行う。声は多面体であって,何を話しているかの他に,どう話しているかをはも伝える。早口なのかゆっくりなのか。大きい声か小さい声か。イントネーションが伝えるものも大きい。
 いつもはゆっくり話すのに今日はいやにセカセカしているな,ということもある。

● 対面だから声の他に話し手の表情や仕草も入っている。何を話しているかの他に,周辺情報が膨大に付随する。
 それあればこそ,相手の言っていることを誤解なく了解することができる。

● いや,それでも誤解することはしばしばあるのだが,周辺情報がまったくないテキストだけでは,誤解が生じる余地が格段に増えるだろう。
 まず、込み入った話はできない。それをしようとすれば長文を書かなければならない。それ以前に,テキストだけで自分の意を尽くせる人は,相当な文章の使い手のはずだ。めったにいないだろう。

● ては,情報収集の手段? 𝕏 にはゴミしかないでしょ。𝕏 に上がってくる情報の中で,知っておかなければならないものは1割もない。
 加えて,自分もゴミしか出せない。だとすると,なんで 𝕏 なんかやっているんだろうね。

● 俺はここにいるよという自己開示の場をネットに作りたいってことか。だとすれば,そりゃあゴミだらけになるよ。
 誰もフォローせず(フォローしている場合はミュートして)自己開示を続ける。誰もがそうしているのはかなりシュールな状況なのだが,それが SNS の最終形態かもなと思う今日この頃。

● それでも SNS はなくならない。SNS ってネット上の井戸端会議,給湯所談義の場なんだよね。お喋りして暇つぶしをするところ。
 そういうのって必要なんだな。リアルでそういう場がない人にとっては特に。それもコミュニケーションかもしれない。てか,それこそがコミュニケーションというものかもね。

● それと,他人が気になるってことだな。人がどうしているのか,何を使っているのか,そういうことが気になる。
 参考にならないとわかっていても,つい見てしまう。人は人,自分は自分,という境地に至れない。先に「誰もフォローせず」と書いたけれども,実際にはそれもできない。他人が気になるんだからフォローして見に行くことになる。

● というようなことを思ってみたのは,𝕏 に費やす時間が多すぎると思ったからでね。ニュース的なものを含めて,しょっちゅう見ちゃってるんだよね。
 時間をドブに捨てるためのツールか,𝕏 は,と。節度が必要だね。

2022年10月29日土曜日

2022.10.29 イーロン・マスクが Twitter 社を買収

● 右の記事は今日(10/29)の日経。イーロン・マスクが Twitter 社の買収を終了してたという記事。
 新聞記事を書く人って,どうも自分を神の位置に置きたがる癖があって,あれやこれや忠告しているが,その大半は愚にもつかないものだ。評論しないと記事にならないというものでもあるまい,と思うのだが。

● ツイート管理の効果には疑問もあるので,マスクの基本的な方向は間違っていないのじゃないかと,素人考えをしている。
 問題は Twitter をはじめとするSNSの終わりを想定しなければならなくなっていることだ。投稿の大半はノイズであり,SNSによる個対個のコミュニケーションは不可能であることが認知される結果,SNSが退潮に向かうこと。

● というか,もう向かっている。SNSにかつてのような夢を語る人はすでにいない。SNSは構造不況業種になった。
 そこでマスクがどんな踊りを踊るのか。踊り手が踊り手だけに,楽しみではないか。終わりの始まりという人もいて,実際にそうなるのかもしれないけれども。

● この買収劇で儲けた人は多いでしょうね。特に旧経営陣。1株あたり54ドル20セントは過去最高額なのだろう。日本から投資した人も,今は円安の絶頂期なんだから,手取りの円は随分と増えたことだろう。
 その分,マスクには高い買い物になった。が,だからこそ,これからが見ものなんですよね。

● 想像を超えたのは,従業員の75%を削減すること。半分にするとは思っていたが,これほどとは。
 高い買物になったのだから,徹底的にコストを刈り込んで,会社の関与をミニマムにしていく。それなら今の4分の1の社員(エンジニア)で充分ということか。


(追記 2022.11.06)

● イーロン・マスクは,早速,首切りに着手した。というか,半ば終了したのかもしれない。このスピード,躊躇のなさ。日本企業は真似ができない。
 したがって,市場で勝負すれば日本企業に勝ち目はない。サーキットでF1カーと軽自動車が競争するようなものだから。

● このスピードと果断は,間違っていれば深い痛手を負うけれども,すぐさま修正するのだろう。
 早く判断してもゆっくりと時間をかけても,百発百中間違えないなんてありえないわけだから,無駄な議論はやめて,ノイズは無視して,素早く判断し,結果を見て修正するのをたくさん繰り返した方が勝つとしたものだろう,たぶん。

● 6兆円もかけて,Twitterを非上場にし,自分の持ちものにしたのだから,無駄を省いて,新たな種をまいて,儲かるようにしなければならない。
 そうしたうえでもう一度上場するのかどうかは知らないけれど,元を取るどころではない結果になるのを見たいものだ。

● この目を剥くようなリストラに,Meta も追随するらしいし,Google や Microsoft も同じだろう。
 現時点ではイーロン・マスクは異端児ではなくて,先駆者のように見える。エンジニアは,残れた人も,死ぬほど大変だろうけどね。

2021年12月4日土曜日

2021.12.04 新聞の自販機

● 自治医大駅で新聞の販売機を見かけた。おそらく,以前にも見ているはずだが,気に留まることがなかった。
 朝日と日経と日刊スポーツと下野新聞。それぞれ160円,180円,150円,130円。日経の専有面積が他の2倍になっている。朝日と日経が選ばれているのは,このエリアがインテリの居住地になっているからだろうか(たぶん違うと思うが)。

● 昔は駅のホームにキヨスクの売店があって,新聞はキヨスクのドル箱でもあったと思うのだが,今はキヨスクがなくなってしまった。
 駅ビルができ,駅構内にコンビニ(NEW DAYS)ができ,上野駅や品川駅は駅の中にショッピングセンターができているのだから,ホームにキヨスクの売店がある必要はない。ホームに売店があると,人の流れをせき止めてしまって危険だからというのもあるのかもしれない。

● 新聞も読まれなくなった。第一にはインタネットのせいだ。ニュースはネットで見れば足りる。
 しかし,それだけではなくて,ニュース自体の価値が減っていると感じることがある。ニュースなんて知らなくてもかまわない。むしろ,不愉快になるから知らない方がいい。そう考える人が増えていないか。

● ネットが新聞社やテレビ局の化けの皮を剥いでしまった。記者は何も知らないで書いている(つまり不勉強である)ことがバレてしまったし,どうやら頭も悪そうだと多くの人が知るところとなった。報道機関は中立という言葉を反政府,反自民という意味に解釈して,自分たちをその上に位置づけていることも明らかになった。
 今どき,朝日や日経を読んでるなんて,恥ずかしくて人には言えまい。この自販機もどのくらい売れているものやら。

● 朝刊を部屋に届けるサービスを続けているホテルがまだある。いわゆる高級ホテルに多い。宿泊客の平均年齢がかなり高いのだろう。そういう年齢層(の一部)が金を握っているのだろう。
 しかし,それもそろそろ打止めではないか。顧客にメリットがないサービスをお金をかけて続けるバカはいない。つまり,それはもうサービスにならない。

● 情報はTwitterに頼るのが最善ではないか。自分が関心のある分野でこれはと思う人をフォローして,きちんと追って行く。
凡庸な組織より優れた個人。インターネットの最大の功績はそうした個人に効果的な発信手段を与えたことにある。
 それ以外の99.9%のTweetはゴミ。ぼくもTwitterを使っているが,自分のTweetがゴミに過ぎないことは承知しているつもりだ。

● SNSは情報収集のツールとして使うのが第一。あとはメモ帳代わり。99.9%の人間はそれくらいに思っておけばいいのではないか。
 SNSをコミュニケーションツールと捉えるのは,初歩的な間違いだ。SNSで事務連絡はできるけれども,コミュニケーションには向かないと思う。

2020年11月15日日曜日

2020.11.15 Twitterのフリート機能

● 12日にTwitterに投稿後24時間で消えるフリート機能が実装されるというニュースを見た。
 「日常をつぶやいて,フォロワーのタイムラインを乱したくない。みんなが読みたがっていることを発信しなければ,という意識のユーザーが多い」から,「ツイートは趣味や興味のあるものについて,日常に関することはフリートで,と使い分けできる」ようにして,もっと日常についてつぶやけるようにしたという。


● そうなのか。そういうことを気にする人がいるのか。ぼくは日記代わりに書き散らしているが。フォロワーを増やそう,拡散しよう,という欲を捨てればいいのでは。
 もっとも,日記代わりならLINEのKeepメモでいいので,Twitterに流す必要はないかもしれない。が,Twilogとの連携で,後からの検索が楽になるメリットが大きい。Twilogとの合せ技でLINEのKeepメモを凌ぐ利便性を得られる。


● とはいえ,24時間で自動的に消えてくれる機能が付くのは歓迎だ。自分で消さなくてすむんだから(24時間経過したツイートなど誰も読まないんだから,自動消去されたも同然ではあるんだけれど,物理的に残っているのがイヤなんだよね)。
 で,14日にぼくのAndroidにもフリート機能が装着された。ので,さっそく1個だけフリートしてみたのだが。

● どうもしっくり来ない。かえって邪魔か。TLにお邪魔することはなくなっても,トータルでもっと目障りを作ってしまうような気がする。
 それ以前に,フリートを実装したために,画面の上部が占領された。フリートを使うつもりがない人には大いに邪魔で目障りに映っているだろう。


● ただし,フリートの利点もあった。自分のツイートを読んでる人はフォロワーの1割もいないだろうという予感が間違いなかったとわかることだ。既読者が表示されるので。
 でも,読むにもワンステップ余計な手間が要るからね。何だこれは,と思ってしまうかもしれない。


● フォロワーにしか表示されないという時点でダメか。ちょっとこれ,こう使えばいいというのが浮かんで来ないな。
 フリートが有効に機能するのは,万を超えるフォロワーがいる人に限られるかもしれない。通常のツイートとフリートを使い分けるメリットを実感できるのは,そういう人たちかも。
 「みんなが読みたがっていることを発信しなければ,という意識」を持たざるを得ないのは,そもそもがそういう人たちかもしれないのだよね。

● 結論としては,ぼくはフリートを使わない。面倒臭さが上回る。使い分ける必要性がない。
 
専用のインターフェイスを備えるというところで,すでに大仰なんだよね。通常のツイートと同じくTLに流れて,でも24時間後には黙って消えているというのがいいんだがなぁ。フリート的なものじゃなくて,ツイートの残存期間を選べる機能を付けてくれないか。

2020年4月16日木曜日

2020.04.16 またやってしまった

● Twitterで次のような投稿を見た。
芸術が文化として根付いていない日本の現状を,私たちの活動次第で変えられるのではないか。今後,芸術や芸術家がどうあるべきかを考えさせられました。
● ほとんど条件反射的に次のように引用リツイートしてしまった。
日本が芸術が文化として根付いていない国ならば,イタリアもフランスもオーストリアも文化不毛の国なのじゃないか。オペラやクラシック音楽だけが芸術なのではない。歌舞伎や能,狂言をここまで洗練させて今日に至っている国って,そうそうないのでは。初歩的な事実誤認があるように思われる。
● すぐに我に帰って,削除したんだけれども,どうも後味が悪いんだな。この後味の悪さっていうのは3種混合でできている。
 第1は,他人のTweetに条件反射的に絡んでしまったこと。放っておけばいいことに反応してしまうのは,思慮に欠ける。端的に言ってしまうと,バカを放っておくことができなかったことを悔いているのだ。
 この投稿者はクラシック音楽の演奏家なのだけれども,自身の立ち位置からは日本は芸術が根付いていないように見えるのだろう。

● 第2は,まさにそこ。それぞれの立ち位置は違うのだから,それを尊重しなければいけないのに,それをしなかったということ。
 人は道によって賢し。逆にいうと,その道以外ではバカであっても仕方がないのだ。
 第3は,自分を勘定に入れ忘れていること。自分もバカの一員だということを,一時的にでも失念してしまったこと。 

● そもそも,バカと言っては言いすぎなのかもしれない。若ければ世間を知らないのは当然のことだ。若さゆえの視野狭窄はあって当然だ。
 あるいは,猛スピードで走っているがゆえに視界の流れが速すぎて見落としがでることもある。総じて,若い人はスピードが速いのかもしれぬ。

● ぼくがFacebookをやめたのも,バカと関わるのが嫌になったからではなかったか(これまた,自分のバカを棚にあげての物言いなのだけど)。
 なのに,Twitterで同じことを自分から積極的にやっているとは,何としたことか。

● これは個人のTweetに対してだけのものではない。メディアの報道に対しても同様でなければならない。
 ネットは報道に対しても絡めるようにしてくれたのだが,だからといって自分の意見と異なる報道に対していちいち絡んだとて,時間のムダだ。
 一時的にスッキリ感を感じることはできるかもしれないが,そもそもパンピーの反論など誰も相手にしないだろうしね。

● さらに言い募ってしまうと,個人のTweetであれメディアの報道であれ,それに対する返信やコメントは,途中で読むのがバカバカしくなるほどの低水準のものが大半だ。返信したりコメントするのは,それそのものが愚かを現す行為なのかもしれないと思うほどだ。
 ぼくらは所詮はバカなのかもしれないけれども,わざわざ自分からバカになりに行く必要はない。心しよう。

2020年3月27日金曜日

2020.03.27 呆れるほどのバカ

● TwitterにこんなTweetが流れてきた。
音楽家を志している才能あふれる若者が、いまの日本を見て「何かあったら暮らしていけない職業だ」と考えてこの世界に来ることを諦めてしまったら、将来私達が被る文化的損失は計り得ないほど大きいと思うのです。
● 自身が音楽家であるらしい。これに対して引用リツイートで反応した。
そんなことはない。喰えないことは折込ずみで,それでもこの道を行く,と決めた人だけいればいい。食えないからやめておくという人は,それだけの才能しかなかったってことなんだよ。むしろ,才能がないのにこの道を目指そうとする人たちに再考を促す効果が,今回のコロナ騒ぎにはあるかもしれない。
● が,同じ人の次のTweetを知るに及んで,上の引用リツイートはすぐに削除した。
音楽家に限らず、芸術文化に関わる全ての分野に言えるだろうし、観光業や飲食店なども。不測の事態が発生しても全ての人が安心して過ごすことができる世の中であることが、将来の自分たちを豊かにしてくれるのでは。
● 率直に申して,ここまでのバカに何を言っても仕方がないと思ったのだ。これほどのバカに言語で橋を架けることは不可能だ。
 蛇足もいいところだろうが,その所以を一応書いておく。「将来私達が被る文化的損失は計り得ないほど大きいと思う」のが,まず間違い。自分の属する領域を実態以上に大きく見てしまっている。

● 自分の立ち位置をモノサシにして世間や社会を見るのはバカでもできることだ。逆に,世間や社会の側から自分の立ち位置を逆照射するのは,バカではできない。
 専門職と呼ばれる領域にいる人たちに,わりとこの類のバカが多いという印象を持っているが,その立ち位置を正確に座標化できないというのでは,バカを越えている。

● この人は「不測の事態が発生しても全ての人が安心して過ごすことができる世の中」というものがあり得ると思っているらしい。安心して過ごすことを脅かすものを,不足の事態というんじゃないか。
 「不測の事態」とは今回のコロナウィルスを言っているのだろう。コロナウィルスで亡くなる人が,東日本大震災で亡くなった人を超えるとは思いたくないが,しかし,どうなるかわからない。


● それでも「全ての人が安心して過ごすことができる世の中」ってどういう世の中だよ。そんなものは洋の東西を問わず,今まであったことはないし,これからもないだろうよ。
 もしあったら,それを天国と呼ぶのだろう。現世を天国にできると思っているって,小学生や中学生がそういうことを夢想するならわかるけど,大人の発言なんだよ,これ。

● しかも,その「不測の事態が発生しても全ての人が安心して過ごすことができる世の中」を建設することについて,自分も当事者だという意識はまったく感じられない。他人事だ。誰かがやれと思っている。
 自分はあくまで受益者。バカにとどまらず,際限なく卑しい。

● おそらく,その誰かは政治家や官僚なのだろう。政治家や官僚が “打ち出の小槌” を持っていると思っているんだろうか。どういう世の中を作ろうとするにせよ,その原資は税金しかない。税金でなければ国民からの借金だ。あたりまえのことだ。
 たとえば,アメリカから買う戦闘機を全部キャンセルしたって,「不測の事態が発生しても全ての人が安心して過ごすことができる世の中」を作るコストの万分の1にもなるまいよ。焼け石に水にすらならないだろうよ。


● まことに,世の中にはモノを考えるということを知らないバカがいるってことだね。それをわからせてくれるのがSNSの功徳のひとつだ。
 教訓は,『自分は自分,バカはバカ』(西村博之さんの著書のタイトルね)ということ。自分と考えを異にする人のTweetに絡んでも,たぶんいいことはない。

2020年3月14日土曜日

2020.03.14 コロナとTwitter

● コロナが深刻さを増してくると,見えてくる世相がある。まず,マスコミは害しか為さないことがわかる。マスコミと見ている方向が同じかと思われる野党も同断。足を引っぱることしかしていないように,ぼくには見える。
 前回の選挙で話題になった令和新選組など,いったいどこに行ってしまったのか。屁のつっかい棒にもなっていない。

● いや,マスコミや野党を非難するわけにもいかない。ワイドショーの意見を自分の意見にしているぼくら大衆も同じだからだ。それはTwitterを見ると明らかだ。タイムラインがゴミだらけになる。
 東日本大震災のときも同じだったのだろうな。あのときはTwitterが情報伝達の手段として褒めそやされたけれど,それは一部の人間の我田引水的な発言で,おそらくゴミだらけで,読むに耐えないものになっていたのではないか。当時,ぼくはTwitterをやっていなかったので,まったくの想像で言っているのだが。

● しかし,逆もある。冷静に良心的な情報を出す人がいる。そういうことができる能力を持っている人。有事のときは,フォローする人を入れ替えるチャンスなのだろう。
 遠慮しないで,ゴソッと入れ替えたらどうか。そもそもが,Twitterをコミュニケーションに使おうとしている時点で,どうしようもなく大衆だ。
 ネットで個対個のコミュニケーションを実現しようとしてはいけない。無理だ。文字だけでできるはずがない。ネットで誰かとつながろうという発想は,もう周回遅れになっているのではないか。

● Twitterの使い道は情報収集が第一。新聞やテレビよりも良質な情報を得られるツールとして使うのがいい。さほど工夫を要さずとも,そうした使い方はできる。
 が,残念ながら,ぼくらは与えられるだけで,自ら与えるものは持っていないこともわかる。Twitterユーザーの99.9%がそうだと思う。
 そのことを自覚しないと,Twitterがゴミの山になる。事実,ゴミの山になっているわけだから,99.9%のTwitterユーザーは自覚に欠けているのだろう。

● かく申すぼくも次々にゴミを吐きだしている。それゆえにこそ,Twitterの賢い使い方はこのようなものになる。
 自分が吐きだしているのはゴミであることを自覚し,自分だけではなく大方のユーザーが同じであることを弁え,自分がフォローすべき0.1%を見つけだすこと。
 コミュニケーションはリアルだけにすること。どうでもいいことをやり取りするから,コミュニケーションはコミュニケーションはたり得るのだ。どうでもいいことをやり取りするから,コミュニケーションは快適なのだ。そんなのはリアルだけでいいではないか。SNSを使ってまでやることではない。

2019年7月30日火曜日

2019.07.30 写真の保存場所

● 始めてのスマホはdocomoのSH-12Cだったか。カメラ機能はあまり(というか,ほとんど)使わなかった。が,今は最も使う機能になっている。
 ブログとSNSを始めたからだ。写真で記録を残す的なことになっている。

● ブログやSNSと連動するんだから,写真を撮るのはスマホでなければいけない。単体のデジカメではダメだ。少しくらい機能が劣っていてもスマホ。その方が便利だなどという段ではない。
 となると,写真の貯蔵庫もブログとSNSになる。そこを離れて写真だけを保存することは,ぼくの場合,皆無だ。ブログやSNSに使わなかった写真は削除する。

● だから,容量無制限で写真を保存できるクラウドサービスがいくつかあると思うのだが,そられにはまったくそそられない。
 ブログやSNSにあげると,容量はだいぶ圧縮されるのだが,それで困るような写真は撮っていない。っていうか,ぼくには撮れない。ぼくが撮っているのはスナップ写真の域を出ないものだ。
 写真にこだわっている人にはまったくあてはまらない保存法だけども,ぼくはSNSに保存。当然,保存できる枚数は無制限だ。

● ぼくはSNSはTwitterしか使っていない。Twitterに写真を保存することの問題点は検索だ。
 あとからあの写真を見たいとなった場合(そんなにないが),Twitterだけだとたどり着くのが大変だ。気の遠くなるようなスクロールが必要になる。
 Twilogの併用は必須だと思う。検索はTwilogでやるのがよい。

2019年6月10日月曜日

2019.06.10 Twitterで発見した面白い女子

● Twitterで面白い人を発見した。女性。年齢は30代の前半。バツイチであるらしい。営業か企画の仕事をしているっぽくて,全国を飛び回っている。
 が,そのバリバリさをアピールしているのではなくて,自分のダメなところをぶっちゃけている。バツイチであること。酒飲みであること。メイクを落とさずに寝てしまう(こともある)こと。

● 自分の裸を見せている感じ。ともかく面白い。
 Twitterを始めてまだ2年にもならないのに,フォロアーは1万を超えている。これならそうだろうなと思わせる。フォロアーを増やすためにはどうすればいいのか,具体的な実例をもって教えてくれている。

● 自分のTweetには取り繕いがある。無難なことしか書かない。どこそこのラーメンを食べたとか,どこそこのコンサートを聴いたとか,どこそこのホテルに泊まったとか,外見的なあたりさわりのないことしか書いていない。
 ネットに出してはいけないことは当然ある。他人のプライバシーや悪口を書くのは論外だし,自分以外の人間を登場させるのは原則NGだろう。
 仕事や職場に触れるのもダメだと思う。守秘義務というやつがある。守秘義務の範囲は予め決まっているわけではないと思っておくべきだ。ネットにあげて問題になれば,それがすなわち守秘義務なのだ。

● 大の大人がネットで愚痴をこぼすのも避けたいところだ。が,愚痴を巧妙に隠して,内面を客観的にできれば面白おかしく晒すことはできるかもしれない。
 鎧をまとわない,上澄みだけ出そうとしない,いい子でいない,ダメなところをどんどん出す。少数派になって叩かれることを怖れない。
 要は裸になる覚悟をするということだが,どうも裸になるのは男より女の方が巧いらしい。

● いじりやすいキャラと思われているのだろう。彼女のTweetから察するに,“おじさん”がリプを付けてくるらしい。彼女にすればかなり迷惑のようで(そりゃそうだ),自分の人生に集中しなよという言葉が何度も出てくる。
 これまた,じいちゃんの自分には教訓になる。人のTweetにリプを付けるのは慎重に。ぼくはほとんどリプは付けないのだが,それはそれでTwitterをTwitterとして使っていないなと思うこともあるのだが,リプを付けるのは“賛意を表する” “ほめる・感嘆する”に限定すべきなのだろうな。

● それ以外のリプを付けたくなるときはジッと耐えて沈黙を守るべきなのだろう。特に女性に対してはそうだ。女性的男性に対してもそうだ。そして,男性の大半は女性的男性なのだ。
 Twitterというのは,リプを付けたくなる構造になっていると思う。同じ内容でもInstagramならば見るだけにとどめるところを,Twitterだとついついひと言いいたくなる,チャチを入れたくなる。ま,Instagramはぼくは使ったことはないんだけどさ。

● というわけで,Twitterに向かうときの姿勢は次のようでありたい。期間限定で試してみるか。
1 裸を晒す 汚いところを隠さない 優等生にならない 文化人面をしない
2 他人のTweetにケチをつけない

● ところが。このことをやはり30代の女友だちに紹介して,面白いから読んでみなよと言ったところ,さっそく読んでくれた。結果,“キラキラ女子”だねと一蹴するのだ。
 写真だけの表示にして見てみなよ。いくら毒吐いてもぶっちゃけててもキラキラ女子。しかも,高給取り。そんな人がおいそれと本音は言わないよ。人の目に慣れてるからきれいに作れるんだよ。羨ましいよ。

● 東京の一流私大を卒業して,千代田区か中央区か港区にある大手の企画会社か広告会社に就職して,売り込みのために全国を飛び回っているというイメージではある。かなりの高給取りでもあるだろう。仕事でもプライベイトでも色々あるけれども,基本,今の生活は捨てないという軸はブレていないっぽい。
 そのうえで,大衆店やラーメンのような下世話な食べものの話材をうまく使って,自分の対外的なイメージをTwitter上に作りあげているという感はある。
 ので,演出はあると思っていたんだけども,ここまで直裁には考えなかった。

● 彼女のTweetでもうひとつ目につくのは,恋愛話だ。恋愛が関心事の大きな割合を占めているようだ。熱を込めて語っている。バツイチでも男に懲りていないらしいなと思ってた。
 ある年齢までの女性はそうであるように神様が作っているのだろうと思うほかはない。種の保存を主に担うのは女性だから,それと関係があるのだろう。ということを思ってた。
 んだけど,これも演出? 女の恋愛話を聞くのが嫌いな男はいない。おそらく,女同士でも盛りあがれる話題だろう。そこまで踏んで創作しているとは思いたくないんだけど,これも男の甘ちゃんかい?

● ま,面白いことには変わりがないので,フォローを続けようと思ってるけど。

2019年4月5日金曜日

2019.04.05 Twitterでフォローお断り?

● Twitterで「見知らぬ方からのフォローはブロックします」と言ってるヤツがいるんだよね。どうもわからん。
 自分は見知らぬ人をフォローしていないのか。見知らぬ人からフォローされて何か困ったことが起こるのか。むしろ見知ってる人からフォローされる方が迷惑なことが多いのでは。

● 要は,自分がフォローしなければいいだけじゃん。フォローされるとフォローを返さなければならないから,それが面倒だということだろうか。
 フォロー返しなんてしなくてもいいんじゃないか。そのあたりのラフさというか自由さが,Twitterのいいところじゃないか。どうしてもというなら,フォローを返して同時にミュートしておけばすむ話じゃないか。

● それ以前に,Twitterを始める以上,この部分をコントロールしようとするのは,そもそもがNGじゃないのか。
 見知らぬ人からのフォローはブロックしますというくらいなら,Twitterの世界に出てくるなよ。FBでもやっとけよ。

● 大昔,ホームページの時代に,リンクを張るのにいちいち断らなければいけない風潮があったのを思いだすんだよね。無断リンクお断りしますとか,リンクを張るときはトップページにお願いしますとか。
 原始時代にはそんなことがあったんだよ。それを見ると,けっこうザラッとした違和感を覚えたものだ。リンクを規制するんだったらホームページなんか作るなよ,何のためのインターネットだよ,って。

● こういうのってさ,わざわざアメリカに行って,英語しか話せない人とは付き合いませんと言っているようなものじゃないか。
 リンクはネットの本質だし,フォローはTwitterの生命線だろうよ。フォローしたうえで悪さをしてくるヤツはブロックするとして,フォローそのものをされては困ると言うんだったら,何のためのTwitterだよ。

● と言いたくなるんだけども,こういうヤツのツイートってだいたい面白くないから,結果的にフォローすることもない。だから,わざわざブロックしますなんて言う必要もない。
 自分が等身大の10倍に見えているのかもなぁ。ちょっとおバカかなぁ。

2019年3月25日月曜日

2019.03.25 Twitterはやめられない

● Facebookはやめたけれども,Twitterはやめられないでいる。なぜやめられないかというと,Twitterでtweetするのは,相手のいない雑談をしているような気分だからだ。
 ぼくの場合,仕事を完全引退すると(ひょっとすると1年後かもしれない),話相手は配偶者だけでになる可能性が高い。リアルの話相手はそれで充分だと思うが,配偶者では話相手にならない話題をtweetする。そういう効用がある。

● Twitterは独り言をつぶやくのに適したネット上のツールで,今のところ,これは手放せない。
 独り言といっても,tweetするのは虚空に向かって言葉を発するのとはだいぶ趣を異にする。どこの誰かは知らないけれど,何人かには届いているという実感が持てる。

● Google+はサービスをやめ,FBもひょっとしたらその後を追うのではないかと思わないでもない。近い将来の話ではないが,いずれそうなりそうな。
 先駆者の若い人はあらかたやめているだろう。次は中高年が去って行く番だ。文化は若者から発祥して,それが上の世代に浸潤していくものだとすれば,FBを始めるのもそうだったように,FBをやめるのもまた,これから上の世代に浸潤していく段階だと思えぬでもない。

● Instagramにはぼくは興味がない。芸能人がファンサービス・ファン獲得に使うにはいいかもしれないと思うが,始める人はすでに始めていて,ここから先さらに大幅にユーザーを伸ばすことにはならないと見る。
 FBに続いて衰退に向かうのではないかと推測する。インスタ映えという言葉は半ば死語になっている。今,この言葉を使うのは少し恥ずかしくないか。
 FBもInstagramもアカウントはそのままにしていて,事実上使うのをやめている人がかなりの数いるのではないか。主催者発表の数字は大本営発表であるというのは,この分野でも同じだろう。

● マストドンもひと頃騒がれた後,どうなっているのだろう。500字まで投稿できるといっても,500字もあったのでは,そもそも読む対象から外されてしまうのでは。長い文章は本で読めばいいので,SNSではなかなか。
 500字を書くくらいなら,もうひと踏ん張りして,ブログにした方がいいような気がする。ブログなら長いものだと読む側も思っているだろうからだ。マストドンはSNSとブログの鵺的な存在という印象。まったく使ったことのないままで言っているわけだが。

● 結局,残るのはTwitterだけのような気がする。140字という字数制限(といっても,140字といえば400字詰め原稿用紙で7行分。けっこう長いのだ)と無言フォローで問題ないというのが,Twitterの生命線。つながりとも言えないかすかなつながりが,Twitterの空間に広さと開放性を与えている。
 FBには濃密感があって,これが鬱陶しい。LINEもおそらく同様だろう。鬱陶しいのはリアルだけでたくさんだ。

● で,このTwitterが娯楽にもなり得る。こちらの気持ちが落ちこんで活性度がかなり低下しているときでも,Twitterなら使える。
 それゆえ,放っておくと始終Twitterに触っていることになりかねない。その取扱いには工夫と克己が必要かもしれない。
 が,FBはアカウントを消してだいぶ経つけれども,Twitterは当面持続という方向。

2019年1月2日水曜日

2019.01.02 SNS雑感 2

● TwitterやFacebookを始めるときに読んだSNSのガイドブック的な本の中に,“SNSやブログを複数やる場合,ハブとなるのはFBが相応しく,Twitterではダメだ”という記述があった。
 FBには自分がやっているサイト名をいくつでも入れられるが,Twitterはひとつしか記入できない。ゆえに,FBをハブにして活用すべし,という理屈だったように記憶している。

● が,この理屈は,すでに有名人になっていて,いくらでもお客を呼べる人向きのものだろう。正確にいうと,その潜在力を持っている人に向いたものだと思う。
 ぼくはそうではない。かつ,多くの人は,自分がそうだとは思わない方がいいだろう。

● FBで友だちが500人いるとしても,自分の投稿をいつも見てくれる人は,下手すると1割もいないのではないか。友だちになってはいるけれども,フォローを外されている。
 自分もそうしているはずだから,これはわかりやすい話のはずだ。

● 加えて,FBはGoogleの検索を拒否する。FBユーザー以外は閲覧できない。そういうものをハブにするわけにはいかない。
 ぼくを含む多くの人にとっては,そもそもハブという考え方を採用する必要もないだろう。

● Twitterと違って,FBには140字制限はない。いくらでも長文を書くことができる。ところが,FBでも140字を超える投稿はあまり多くない。多くの人がスマホでエントリーしているからだと思っていた。
 もちろんそれもあるんだろうけれども,多くの人が長文は歓迎されないことを知っているからかもしれない。

● 長い文章はなかなか読んでもらえないようになったらしい。おそらく,供給が劇的に増えたからだと思う。書き手が増えた。読み手は増えない。
 読む側とすればザッピング的に読むしかない。Twitter的なものがいい。短文を読み飛ばしていく。FBだって長いのは喜ばれない。
 だから,ブログも読まれなくなっているのではなかろうか。トータルのPV数が百万を超える個人のブログはたくさんあると思うけれども,これから同じ内容のブログを書き始めても,百万PVに到達するのは今までの10倍はかかるのでは。

● SNSはコミュニケーションツールと言われる。が,コミュニケーションツールとしてのSNS(の総量)はこれ以上増えないような気がする。たとえばFBが寂れて,他の何かが勃興することはあるだろうけれど,総体はもう増えない。
 コミュニケーションにも適正濃度があって,すでにその適正ラインをオーバーしているように見えるからだ。LINE疲れとかFB疲れとかではなく,コミュニケーション疲れがけっこう広範に出ているのではあるまいか。
 年がら年中,コミュニケーションにうつつを抜かしているわけにはいかないだろう。

● ぼくらがリアルのコミュニケーションでやりとりしている情報の99%はおよそどうでもいいことだというのが,SNSの普及で明らかになった。それがSNSの効用の最たるものではないかと思うほどだ。
 FBやTwitterに溢れているものがそうだから,ふと足をとめてリアルを振り返ってみると,何だ,リアルも同じじゃないか,と合点するという意味だ。

● つまり,FBやTwitterはどうでもいいことで満ちている。やれ昼食に何を食べた,やれ誰それさんとお茶している,やれ箱根駅伝を見ている(感動をありがとう),やれTVで知った評判のお店に来ている。
 バカか,おまえは,と言いたくなるもので満ちている。売れっ子のタレントや,今でいえば将棋の藤井七段のような人なら,昼に何を食べたかが付加価値を持つ情報になるかもしれないが,おまえが何を喰おうとどうでもいい,そんなことをいちいち流すなボケ,と言いたくなる。

● というわけで,SNSはゴミ情報の集積地だ。SNSを始めるというのは,そのゴミの山に分け入っていくことなのだ。
 ここで大事なことがある。自分もまた,ゴミしか吐きだせないということだ。どう頑張ってもゴミしか出せない。ゴミを増やすことしかできない。

● 特にLINEがそうなのだが,ハードルが低い。というか,ハードルはない。
 ゆえにチャチャッと書きこみがちなのだが,文字だけで個対個のコミュニケーションを維持するのはかなり難しい。要らぬ誤解を招く。面と向かっているのであれば起こりようがない誤解が起きる。
 その誤解を招いたことで落ちこむのなら,LINEなどやらない方がずっと賢い。

● FBにしろTwitterにしろLINEにしろ,向き不向きがある。とりあえず始めてみるのはいいと思うが,自分には向かないと思ったらすぐにやめることが大事だ。
 無理はしないこと。無理をしてまで続ける価値はない。

● リアルのコミュニケーションを振り返ってみれば明らかだけれども,どうでもいいゴミをやり取りしているから,コミュニケーションはコミュニケーションとして成立している。どうでもいいことではないことをやり取りしなければならない状況は,快適とは言い難い。
 SNSでも事情は同じであって,もしFBを始めてみて,楽しい,これは自分に合っている,と思ったのなら,それはどうでもいいことしか吐きだしていないからだし,どうでもいいことしか受けていないからだ。
 それがいいことなのかどうかはわからない。良くないとしても,コミュニケーションが目的ならば,そうなるしかない。

● コミュニケーションにも適正濃度があるとするなら,そもそも,SNSをコミュニケーションツールとする考え方を捨てたらどうか。コミュニケーションなどリアルで充分ではないか。
 SNSはひとり遊びの道具にする。勝手気ままに使うのがいい。自分を垂れ流す場がSNSだ。
 垂れ流しているんだから,反応や評価は求めない。自分が望む反応を期待してはいけない。いや,もし反応があっても無視するくらいがちょうどいいと思う。

● SNSにすり寄るのではなくて,SNSを自分に引きつけて使うのだ。大げさにいえば,それが自立するということではないか。
 群れの中に身を置いて,群れない使い方をする。

● だったら,EvernoteやGoogle Keepに書けばいいじゃないかと言われるかもしれない。が,群れの中に身を置いた方がいい。ほどよい緊張感が得られるからだ。その緊張感が垂れ流しを長続きさせてくれる。
 端末のハードディスクやSDカードに溜めていくよりも,SNSに上げた方がデータが毀損される可能性も低くなる。そういうところを含めて,SNSのいいとこ取りをすればいいと思う。
 で,垂れ流すのに最も向いているのはTwitterだろう。その場合,Twilogを併用することは必須。溜まったデータの取り回しが楽になる。自分のツイート全体に対して検索をかけるのも,Twilogの方がやりやすい。

2018年10月9日火曜日

2018.10.09 Google+ がなくなる

● ネットのニュースで知った。驚く人はあまりいないだろう。いずれこうなることは誰にとっても想定の範囲内。いずれ来ると思っていたものがとうとう来たか,という感じ。
 サービスを開始したときは,Facebookが大きく先行していた。よほどのことがなければ逆転は難しい。そのよほどのことは起きなかった。

● ブログはGoogleのBloggerを使っているので,その流れでSNSもGoogle+から入った。2ヶ月くらいだったかな,Google+をいじった後に,TwitterとFacebookに移った。
 Facebookのコンセプトは明解だった。友だちを作って,友だちとのコミュニケーションを楽しむ。ほぼ,それに尽きる。Facebookでできることは広範にあると思うんだけども,基本は友だちとのコミュニケーション。「いいね!」やコメント,シェアもそのための手段だ。

● その分,Facebookには閉鎖性を感じた。フォロー(するだけ)という形で友だちの外に出ることはできるんだけども,Facebookユーザーの外にでることはできない。
 タイムラインの流れも遅い。頻繁に投稿する人はそんなに多くない。文字数の制限がないのに,ごく短い投稿が多い。スマホを使っているからだけれども,これだとFacebook本来の面目はだいぶ損なわれるような気がする。

● けれども,長文投稿は歓迎されない気配がある。連投も嫌われるのではないか。そんなところでも気を遣わなければならない。
 友だちに正面切って反論するのも憚られる。逆に,反論される可能性の高い,先鋭なというか,とんがった意見は投稿しづらい。友だちを戸惑わせてしまうからだ。
 そうしたものは歓迎されない空気がある。場を乱さないような,あたり障りのない,正論的な,したがって情報量を持たない,投稿が横溢している。

● それらを互いに発信しあい,受信しあって,「いいね!」をしあって,愚にもつかないコメントをしあって,仲間内から一歩も出ずに,同じループを回っている。
 友だちの友だち,そのまた友だち・・・・・・というふうに6回ジャンプを繰り返すと,世界の誰とでも接触できるという理論? が出たことがあった。が,そんなものはまったく現実的ではないことは,Facebookを少し体験すればすぐにわかる。

● 2年半ほどFacebookにかかずらってみたが,結局,これという使い方を見いだせないまま,Facebookからは退くことにした。数ヶ月前にアカウントを削除した(完全には削除されていないようなのだが)。
 しかし,自分には向かなかったが,Facebookは良くも悪くも性格がはっきりしている。

● 対して,Google+は茫洋としていて,こういうものだと大きく掴むことができない。Facebookだと,友だち申請→承認,というひとつの儀式というか関所がある。これがFacebookの性格を大きく規定しているのだが,Google+にはそういうものはないようだった。
 Google+は字数制限のないTwitterなんだろうか。

● Twitterのキーワードはフォローだ。そのフォローは無言フォローが原則だ。フォローするかしないかは自分で決められる。相手方の承認を得る必要がない。
 Twitter人気の理由の大きなひとつは,この敷居の低さにあると思う。

● その代わり,TwitterはSNS的な色彩は薄いような気がする。誰かがコメントをしても,それに対して返信しなければいけないという縛りも感じない。
 フォロー返しという言葉はあるけれども,それが暗黙のルールにまでは行っていない。そこも各人の勝手たるべしという空気がある。勝手にフォローすればいいし,フォローされたからといって義理を感じる必要もない(感じてもいい)。それぞれが勝手にやっている。
 字数制限があるためか,連投したければしたいだけどうぞという感じ。タイムラインの流れも速いから,連投されてもどんどん流れていく。留まらないから邪魔にならない。

● 総じて,Twitterの基調は自由さにあると思う。では,Google+にそうした解放感があるかというと,どうもそうではない。けっこう,構えさせるところがある。投稿する前に推敲させる雰囲気というかな。そういう重さがある。
 結局,Google+はユーザーに何を提供するつもりだったのか。どう使ってもらいたかったのか。

2018年7月6日金曜日

2018.07.06 Facebookの過疎化が止まらないらしい

● いろいろと理由はあるだろうけども,ひとつには「いいね!」の取扱いを変更したことが効いているかもしれない。
 かつては,Aさんが「いいね!」した投稿がAさんの“友だち”全員のタイムラインに表示されていた。
それがなくなったのは,かえってスッキリしたようにも思うし,従来のやり方だと「いいね!」と「シェア」の区別が曖昧になるという問題もある。
 が,「シェア」までする人はあまりいないだろうから,情報拡散のためのツールとしては,FacebookはTwitterに大きく遅れを取ることになった。

● もともと,Facebookは情報を取るあるいは情報を発信して拡散させるためのツールではなく,仲間内でワイワイ盛りあがるためのものだろうから(したがって,Facebookの醍醐味はコメントのやり取りにある),目的にそって純化したのだとも言えるんだろう。
 ただし,それによって利用者が減るとなると大問題だ。減少傾向が続けば,減少に加速度がつく。SNSの場合,それは致命傷だ。ひょっとすると,Facebookは消えるのかもしれないと,最近,思うようになった。

● ぼく一個は,「いいね!」の取扱いは元に戻した方がいいという意見。
 それよりも,ハッピー・バースデーの取扱いを何とかしてほしい。なぜあれを当人の“友だち”全員にばらまく必要があるのか。当人に届くだけでいいではないか。あれ,かなり迷惑なんだよね。
 ひょっとすると,それがウザいというんで,Facebookを離れる人もいるんじゃないかと思うほどだ。

● 情報を取るならTwitterが便利。Facebookでもフォローはいくらでもできるんだけど,140字制限が効いているのか,Twitterの方が気持ちよく情報が取れる。
 そのTwitterで著名人というかオピニオンリーダーをフォローしてたんだけど,しばらく前にその8割を解除し,今回,残りの2割も解除した。つまり,Twitterから情報を取るということ自体をやめた。

● 遠慮なく言わせてもらえば,オピニオンリーダーのツイートもつまらないものが多い。そりゃそうだ。いくら彼らでもいつでも面白いことをツイートできるはずがない。
 付き合うのは時間のムダ。情報は彼らが書いた本から摂取すればいい。

● リアルタイム性を追求しなければならない情報は,ぼくの場合はないという結論。災害があって帰宅難民になったようなときには,情報のリアルタイム性が問題になるのかもしれないが,平時に有事体制を維持するのはムダが多い。

● 結局,TwitterもFacebookも情報を取るために使うのではなく,日記代わりにログを残しておくという使い方になる。従来からそうだったけれども,情報を取ることをやめた結果,それが際立つようになった。
 中には,リツイートばかりしている人もいるんだけども,大方のTwitterユーザーは,ぼくと同じではないかと想像する。自分から発信はするけれども,人のツイートは読まないというタイプ。

● そういう人ばかりになると,誰も読まないツイートがTwitter上に溢れることになるわけだが,それはそれでいいと思う。
 誰も読まないツイートを垂れ流す大衆とと多くのフォロワーを集める著名人の二極構造。日記代わりに使っているだけの大衆と自分の意見を拡散できる著名人。Twitterはそのどちらにも応えてくれるだろう。

● そうなると,TwitterとFacebookの両方を維持している必要はないかも。どちらを残すかといえば,迷う余地なくTwitterだ。

2018年4月20日金曜日

2018.04.20 SNS雑感

● TwitterもFBも使い方は人それぞれだ。それでいいわけだ。決まった使い方などない。自由に使えばいいわけだ。
 たとえば,自転車を趣味としている人は自転車のことしか書かないとか,音楽をやっている人は音楽のことしか書かないというのが,けっこうあるようだ。ブランディングというと大げさだろうけれども,最もアピールしたいことに特化した使い方。

● 一方で,何でもありという人もいる。ぼくもその派に属する。日記のようなもので,その日の出来事ややったこと,食べたもの,思ったことを時系列であげている。
 TwitterもFBも写真が使えるのだから,日記として使う場合でも,より詳細な記録を残せるだろう。

● そうした使い方をすると,まとまりがないというか,とりとめがないというか,散漫というか,ツイート(投稿)の水準が揃っていないというか,そういうものになる。特に,FBではこんなもの書くなよと言われることもあるかもしれない。
 が,そうしたバラツキはあっても,全体として自分の水準や性格が現れたものになっているだろう。

● SNSはリアルの交際と同様に(ひょっとするとそれ以上に)飾りや気取りはそれとバレる。飾る人だ,気取る人だ,とバレてしまう。リア充自慢も自慢だとわかってしまう。
 知らぬは本人ばかりなり。お里は知れるものなのだ。ここは隠しようがない。SNSでは自分の素が晒される。そういう意味でSNSは怖いものだ。
 その怖さに無頓着だと損をする。場合によっては取り返しのつかない結果を招くことがあるかもしれない。バレバレなのにバレていないと思って演じているなぁ,と思えてしまうのに,時々出くわす。

● ぼく一個は,サラリーマンの場合は,仕事のことは書かない方がいいと思っている。職場の誰かを告発することが目的でもない限り,仕事や職場のことはSNSにはあげないと決めておいた方がいい。
 書いてはいけないことを書いてしまうかもしれないからだ。何が書いてはいけないことなのかは,事前に決まっているわけではない。書いて問題になった後に,書いてはいけないことだったのだとわかるのだ。というか,書いてはいけないことだったことにされるのだ。会社とか世間というのは,そうしたものだろう。

● が,その怖さよりも,自分を晒すこと,自分を語ることの快感の方が勝るのだろう。少なくとも,ぼくはそうだ。その誘惑にはなかなか抗しがたい。
 ここまでSNSが普通になると,個人情報の保護というのは,もはや過去のものになったと考えるしかない。自分から積極的にばらまいているんだから,それはもはや保護するに値しない。個人情報の保護,思えばはかない寿命であったな。

2018年4月16日月曜日

2018.04.16 Twitterの使い方に変化あり

● ぼくはFBよりもTwitterが好きだ。緩い感じがあって。緩いというのは,つまり自由度が高いというか。Facebookに比べると世界が広い気もする。Facebookは閉じられた世界という感があるのに対して,Twitterは開かれているというか。
 あくまで相対的なもので,どっちも大差ないといえばないのかもしれないけどね。

● したがって,FBはコミュニケーションツールであるのに対して,Twitterは広く情報を集めるのに向いていると思う。だから,そのように使ってきた。
 興味のあるオピニオン・リーダーを次々にフォローして,彼らのツイートを読む。彼らの普段が見えるような気がして(錯覚だと思うのだが),それはそれなりに面白かった。

● のだが,最近というかだいぶ前から,彼らのツイートを読まなくなっていた。なぜかといえば,読み切れないというのがひとつ。けっこうつまらないと思ったことがひとつ。情報を自分の頭に入れるんだったら,Twitterより本の方が間違いないなと思ったことがひとつ。
 時事問題ばかりになる傾向がある。選挙のときは自民党が勝つか負けるかが微細に語られる。個々人はもちろんそうじゃないんだけど,トータルとして読むとそういう印象になる。簡単に食傷してしまう。

● こちら側の問題として,安易にリアクションしてしまうことがある。引用リツイートで疑問を呈してみたりとか。こんなことをして何になるのかと思いつつ,パパッとやってしまうんだな。
 同じようなバカがけっこういて,泥試合というのかなぁ,そういうやりとりを読ませられることもあって,こりゃ時間の無駄だわ,と。

● というわけで,彼らオピニオン・リーダーのフォローを原則すべて外した(例外あり)。スッキリした。散らかり放題のゴミをまとめてゴミ箱に捨てたような気分だ。
 以後は,Twitterはこちらが勝手につぶやくためのツールだと割りきることにする。

● また気分が変われば,フォローし直せばいい。このあたりの自在さはTwitterのいいところだ。
 今はフォローを外してスッキリしたと思っているんだから,フォローし直すなんてことはあり得ないと思っているけれども,自分の気分ってあんまり信用しない方がいい(長続きしないから)ということもわかっている。

2017年12月6日水曜日

2017.12.06 TwitterはSNSというより,言いたいことを言いっ放しにするのに向いたツール

● 自分はネットで発信している量は多い方だと思う(質は問わないことにする)。メインはブログなんだけど,Twitterを使うと自動的にログを残すことができる。
 Twitterに関していうと,もっと早くから使っていればよかったと思うものの,それを言っても仕方がない。それまでSNSを忌避していたんだから。

● 発信量が多いということは,ネットでは饒舌だということだ。話好きなのだ。
 今のところ(おそらく,これからも)自分の発信に対する反応はほとんどない。が,それを寂しいと感じたことはない。だからネットは不快だなどとは,間違っても思ったことはない。
 言いたいことを言うだけでいい。キャッチボールをしたいとは思っていないのだとわかる。話好きではあっても,聞くのは好きじゃないのだ,と。
 だから,Facebookとはあまり相性が良くない。

● 言いたいことを言う。人の話は聞かない。ネットはそれにピッタリのツールだ。ブログはまさにそれだし,Twitterもフォローをやめてしまうという手がある。
 そこまではしなくても,ホームに行かないで自分のTLしか見ないという手がある。じつは,そうしている人がけっこう多いんじゃないかとにらんでいる。

● TwitterはSNSというより,言いたいことを言いっ放しにするための装置ではないだろうか。
 有名人のツイートはいわゆる炎上に見舞われることがあるけれども,他人の反応に一切関心がなければ,いくら炎上しようと知ったことではない。彼らにすれば,そういうわけにも行くまいが。

● スマホはなくても支障はないと思っている。が,その場合はコンパクトデジカメを持ち歩くことになる。ツイートじたいは,まとめてパソコンでやる方がむしろいいかもしれない。っていうか,原則はそうしている。その方が時間を節約できる。スマホは入力には向かないので。
 しかし。携帯できる電話機はぼくにはあまり必要のないものであることはたしかなんだけど,自分でも気づいていないだけで,スマホの恩恵は受けているのかもしれない。

● とにかく,自分はネットの恩恵を享受している。そのネットの悪口はあまり言いたくない。

2017年5月11日木曜日

2017.05.11 Facebook疲れ?

● 自分のことではないんですよ。若い人たちのFacebook離れが進んでいるっていうのは,だいぶ前から言われていて,ぼくがFBを使い始めたのは1年半ほど前なんだけど,その頃にはもうだいぶ進行していたと思う。
 その前にFB疲れということも言われていましたね。先日もFBが頭打ちになっているという記事に接した。

● ぼくはTwitterとFBをほぼ同時に使い始めた。で,思うのは,FBがなくなっても痛痒は感じないけれど,Twitterには残ってほしい,ということだ。
 Twitterで気軽につぶやき,まとまったものにしたいときにはブログを使えばすむ。

● Twitterには140字という制約があるといわれる。けど,FBでも140字を超える投稿はあまりない。むしろ,140字を超えると億劫がって読まない人が多いのじゃないかと思ったりもする。
 つまり,140字は制約じゃない。充分に広い。ほとんどの人はスマホでやっているんだろうから,そんなに長い文章は打てないわけでね。

● FBには向かない投稿というのもありそうだ。意見表明的なものはだいたいそうじゃないかと思う。和を乱す,無用に空気をかき乱す的な受け取られ方をすることが多いはずだ。
 つまり,FBって村社会をそのままネット化したものという側面がわりかし強いという印象がある。限られた「友だち」どうしで「いいね!」をやり取りして,それで完結している。閉じている。閉鎖的な空間。

● どうしてそうなるかといえば,理由は非常にハッキリしている。それがFBというものだからだ。
 FBの肝は“つながる”にある。“つながる”を持ちこめば,そのつながりを揺さぶるものは,排除の対象になる。とは言わないまでも,忌避の対象にはなる。
 絆は束縛の別名でもある。ぼくらにまず必要なのは,絆じゃなくて,孤に耐え得る耐性の方だろう。それを持たないやつが絆を求めると,ろくなことにならない。そうしてできた絆やつながりは,醜さの別名にもなる。

● 「友だち」って5,000人まで登録できるんだったかな。けれども,いくらネットでの交流とはいえ(あるは,ネットだからこそ),そんな数を捌けるはずはない。普段交流する人だけの「リスト」を作って,自分のタイムラインに流れてくる情報量を大幅に制限しているはずだ。
 となると,FBの「友だち」というのも,ゴミの集合体に過ぎなかったりするのではないか。ぼくの場合は違うけどね。なにせ「友だち」は9人しかいないんだから。

● FBをやるときに大事なのは,自分の投稿を広く拡散させたいと思うあまり,「友だち」をむやみに増やさないことでしょうね。FBって個対個のコミュニケーションに向くSNSなんだから。
 特に,政治家(県会議員とか首長とか)を入れないこと。これは大事だと思いますよ。

● ときどき,出会い系の女性から友だち申請があったりするしね。こういうところも,FBの煩わしさのひとつ。あからさまにそれとわかる広告もあるし。
 というわけで,Twitterの方が風通しが良くていいかなぁと思っている。

● ところで,若い人たち(特に娘たち)はFBから逃げ出してどこに行くのかというと,Instagramらしい。忌々しいことに,FBとInstagramは同じ会社が運営しているんだねぇ。
 ぼくはInstagramの世界には興味がない。というか,若者はオッサンやジジイを嫌ってFBを逃げ出したのに,それを追いかけちゃいけないや。
 大昔から世代間の棲み分けはあった。SNSでもそれがあって当然だ。世代間で協力し合わなければというのは,それ自体が年寄りに都合のいい話であって,若者にしたらとんでもないことだろう。
 若者の自由は尊重しないと,ぼくらの未来がなくなってしまう。

2016年10月3日月曜日

2016.10.03 TwitterとFacebookの違い 2

● ぼくの場合,まずTwitterにあげる。思いついたこととか,体験したこととか,内容はどうでもいいことが大半なんだけど,とにかくまずはTwitterにあげる。
 その中の一部をFacebookにもアップする。そして,もっと膨らませることができたものをブログに持っていく。

● したがって,自分に関するログはTwitterにあるはずだ。Twitterを探せばいい(Twitterを始めてまだ1年にもなっていないんだけど)。
 その中でブログまで行けたものが最終型として残る。Facebookはどうも中途半端。

● 「Facebookは基本,仲間内の雑談,井戸端会議に向く」。「今日は何を食べたとか,どこに行ったとか,何をやったとか,そういうどうでもいいこと」をやりとりするのに使われるメディアのようだ。
 正直,面白いと思える投稿はあまりない。そもそも投稿がない。ないってことはないけれど,少ない。“いいね”が主体だ。いよいよ面白くない。

● 多くの場合,Facebookには正論しか出てこない。あるいは,論が出てこない。跳躍もなければ,反発もない。当然にして,危険もない。
 とんがった発言がない。それではつまらない。飽きる。
 敵を作らない,突っこまれる隙を見せない,誰からも批判されない,といったことをまず考えているようだ。それでは何の情報も付加しないことになる。

● リアルの友人関係でも同じではないか。面白いことを言わないやつはつまらない。
 ただ,それをいうなら,リアルのコミュニケーションも99%まではどうでもいいことのやりとりでできているわけで,Facebookはリアルに近いのだともいえる。

 Facebookは自分にとってのオピニオンリーダーをフォローして,情報収集の道具として使うのが正解かもしれない。そのように使う分には,Twitterより見やすいし。

● ぼくにとってのオピニオンリーダーのFacebookをいくつか見てみた。
 梅田望夫さんはSNSはやっていないようだ。が,Twitterにはわずかにツイートした痕跡がある。Facebookは作ってもいない。
 糸井重里さんもTwitterでは活発に発信しているが,Facebookは作ってみただけという感じ。
 茂木健一郎さんもTwitter派のようだ。その中のいくつかをFacebookにも投稿する。それを読んだフォロアーがお粗末なコメントをたくさん残すという図式。

● しばらくFacebookは休んでみようか。

2016年10月1日土曜日

2016.10.01 TwitterとFacebookの違い

● 新聞の投稿欄に載るようなものをFacebookに書いてもあまり注目されないようだ。ご意見番的な立場に自分を置いて,その位置から何かを発言する(政治的な意見,社会にもの申す的なもの)には向いていない。
 マスコミ的なもの言いと言い換えてもいい。そういうことをしたい人には,Facebookは向かない媒体ではないか
 そういうものをあげる場としては,どちらかといえばTwitterの方がいいようだ。

● Facebookは基本,仲間内の雑談,井戸端会議に向く。今日は何を食べたとか,どこに行ったとか,何をやったとか,そういうどうでもいいと思われること。
 つまり,昔,ブログの女王などと言われていた芸能人がブログでやっていたことと同じことを,今は,パンピーがFacebookでやっていて,仲間内で盛りあがる。そういうことになっているようだ。

● そんなことは売れっ子芸能人(あるいは,その代理人)が書くから読んでもらえるのであって,その辺のパンピーが昼飯をどこで喰おうが誰も注目しないと思ってたんだけど,友だちどおしでは相互にそれが成立するということだろう。

● 少し類型化しすぎるかもしれないけれど,Twitterは男性的,Facebookは女性的という感じを受ける。
 だとすれば,Twitter対Facebookとなれば,Facebookが勝利を収めるだろう。世に存在するコミュニケーションなるものの,8割は女性間で交わされていると思われるから。