● ずっと人間ドッグを受診していたんだけど,昔は6千円だった自己負担金が,今では倍になっている。なかなかキツい。
ので,今年は職場の健診を受けることに。これなら自己負担がないから。
● が,これはブロイラーになった気分にさせられる。並ばされて,ハイ次,ハイ次,と。健診じたいがストレスになる。仕方がないんだと思うけど。
これを避けるための費用として,約1万円はひょっとすると安いのか。
● この健診れって本当に意味があるのかねぇ。平均域を決めてそのエリアに入っていないと異常とする。それってどうなのよという批判は昔からある。こういうものは個人によって偏りがあるものではないか,と。
胸と胃のレントゲンと血液検査くらいではないか,意味があるのは。最近になって追加された項目はやめてしまってもいいのでは。いや,レントゲンもどうなのかな。
● と言いながら,血圧が高くなってたのにはちょっとショック。去年より上下とも40くらい高くなっている。運動しないとな。自転車復帰が急務か。
5月29日にやらかした自転車での転倒,骨折。これさえなければなぁ。6月と7月は自転車に乗れていたはずだから,体重もだいぶ減っていたと思うんだがな。
生活習慣病に対するには,要するに体重を落とせばいいのだ。そのための最終兵器が自転車だったのだが。
2018年8月2日木曜日
2018年7月29日日曜日
2018.07.29 「行かなければ,気づかなかったこと。」
● 最寄駅にあった信州の観光パンフ。広い信州をコンパクトにまとめてあって,なかなかのできばえ。が,それ以上に惹かれたのが「行かなければ,気づかなかったこと。」というコピー。
何の変哲もない,ありふれた文言のように思われるのだけども。
● 世の中は,行かなければ気づかないことで満ちている。が,その大半をぼくらは見逃さざるを得ない。肉体を持つ以上,移動できる範囲は限られるからだ。
少なくとも,ぼくらは線でしか動けないからだ。
● 動く速度を上げることはできる。空の便が充実して,多くの人が航空機で動けるようになった。結果,世界が狭くなった。
パリやロンドンの光景にはすっかりなじんだと思っている人もいるだろう。すでに見るべきほどのものは見つ,といった織田信長ばりの気分に浸っている人もいるのではないか。
● では,そうした移動速度の驚異的な上昇の恩恵を受けて,ぼくらが見れるものは増えただろうか。
おそらく,否。否とは言わないまでも,増えたとしてもほとんど誤差の範囲内とは言っていいのではないか。それはつまり,点から点への移動になるからだ。
● 飛行機,新幹線,自動車,とそれぞれの速度に応じて,移動中に見えるものは違ってくる。結局,どれほど速く移動したところで,行ってみて気づけることの総量は,さほどに変わらないような気がする。
移動中の光景まで,「行かなければ,気づかなかった」水準で見るためには,歩く速度が一番いいだろう。飛行機を使っての1週間の行程と徒歩での1週間の行程,見えるものの総量はおそらく変わるまい。
● 行かなければ気づけないことは,外国や信州まで視野を広げなくても,もっと近い距離にたくさんあるはずなのだ。たくさんあるどころか,満ちているはずなのだ。
旅,遠きがゆえに尊からず,とはここのところだ。もちろん,遠くに行けば変化の幅が大きくて,そこからしか得られない気づきもあるに違いないのだけれど。
● で,要するに何を言いたいのかというと,移動の手段として自転車はもっと見直されてもいいんじゃないかな,と。趣味としてではなく,移動の手段として。
自転車で移動すれば,徒歩より大きく移動範囲が拡大するけれども,移動中に見失うものは,徒歩から大きく減少することはないような気がするのだ。
● 行かなければ気づけないことを,近場で発見できそうだ。ぼくの場合ではいえば,鹿沼から足尾に抜ける粕尾峠や古峰ヶ原街道の霊気のようなもの。あれは車ではおそらく気づけなかったと思う。烏山の解石神社や木戸不動尊。これも自転車なればこそ,入って行けた。
身体全体を外界においたまま移動できるところが味噌。それができるのは徒歩と自転車だけだ。そのことによって気づけるものの多さを思ってみる。
何の変哲もない,ありふれた文言のように思われるのだけども。
● 世の中は,行かなければ気づかないことで満ちている。が,その大半をぼくらは見逃さざるを得ない。肉体を持つ以上,移動できる範囲は限られるからだ。
少なくとも,ぼくらは線でしか動けないからだ。
● 動く速度を上げることはできる。空の便が充実して,多くの人が航空機で動けるようになった。結果,世界が狭くなった。
パリやロンドンの光景にはすっかりなじんだと思っている人もいるだろう。すでに見るべきほどのものは見つ,といった織田信長ばりの気分に浸っている人もいるのではないか。
● では,そうした移動速度の驚異的な上昇の恩恵を受けて,ぼくらが見れるものは増えただろうか。
おそらく,否。否とは言わないまでも,増えたとしてもほとんど誤差の範囲内とは言っていいのではないか。それはつまり,点から点への移動になるからだ。
● 飛行機,新幹線,自動車,とそれぞれの速度に応じて,移動中に見えるものは違ってくる。結局,どれほど速く移動したところで,行ってみて気づけることの総量は,さほどに変わらないような気がする。
移動中の光景まで,「行かなければ,気づかなかった」水準で見るためには,歩く速度が一番いいだろう。飛行機を使っての1週間の行程と徒歩での1週間の行程,見えるものの総量はおそらく変わるまい。
● 行かなければ気づけないことは,外国や信州まで視野を広げなくても,もっと近い距離にたくさんあるはずなのだ。たくさんあるどころか,満ちているはずなのだ。
旅,遠きがゆえに尊からず,とはここのところだ。もちろん,遠くに行けば変化の幅が大きくて,そこからしか得られない気づきもあるに違いないのだけれど。
● で,要するに何を言いたいのかというと,移動の手段として自転車はもっと見直されてもいいんじゃないかな,と。趣味としてではなく,移動の手段として。
自転車で移動すれば,徒歩より大きく移動範囲が拡大するけれども,移動中に見失うものは,徒歩から大きく減少することはないような気がするのだ。
● 行かなければ気づけないことを,近場で発見できそうだ。ぼくの場合ではいえば,鹿沼から足尾に抜ける粕尾峠や古峰ヶ原街道の霊気のようなもの。あれは車ではおそらく気づけなかったと思う。烏山の解石神社や木戸不動尊。これも自転車なればこそ,入って行けた。
身体全体を外界においたまま移動できるところが味噌。それができるのは徒歩と自転車だけだ。そのことによって気づけるものの多さを思ってみる。
2018年1月24日水曜日
2018.01.24 もはや老後だ。これからやってみたいことがあるか?
● 寿命が延びて老後が長くなっている。65歳定年制になるとか,70歳まで働くとか,そういうことになるんだろうから,“仕事をしなくてすむようになった時期=老後”とすると,そんなに老後は延びないということに,いずれはなるのかもしれない。
が,只今現在は,22歳から60歳まで働いたとして,38年。60歳から先,38年生きる人はさすがに少ないだろうけれども,にしても20年は生きなきゃならない。
● 時間で測るともっと凄いことになる。現役時代の労働時間は1日10時間程度が平均だろうか。年間2,000時間といったあたりじゃないかと思う。38年間で76,000時間,3,167日,106月,8.8年。
労働時間は一生の間で9年に満たない。このほかに,通勤やつきあいの時間があったわけだけど。
同じように老後を迎えても,睡眠や食事や家事を除くと,自由に使える時間は多くて1日の半分,12時間程度だろう。だとしても,20年で87,600時間になる。
● これをどう使うか。それがつまり,老後の問題の大宗だ。時間でいえば老後の方が長い。
ただし,活力に満ちた壮年期は会社なり仕事なりに奪われている。会社や仕事から解放されたときには,体力や反射神経や頭の回転は衰えている。
それは定年前に自覚する人が大半だと思うが,その衰え方は一定ではないだろう。加速度が付くと覚悟しておかないといけない。そういう前提で老後の時間に何をするかだ。
● 若い頃,というか最近まで,電車でフラフラとそちこちへ行っていた。見たい場所があるわけではない。歩いてみたい街があるわけでもない。お目あての名物があるわけでもない。
けど,何日も電車に乗り続けていた。「青春18きっぷ」のせいだ。
● そんなことに若い時期の多くを費やしてしまった。よほどモテなかったに違いない。
あるいは,酒にお金をつぎ込みすぎて,それ以上のことをする経済的な余裕がなかったのかもしれない。「青春18きっぷ」で遊ぶのが手一杯だったのかも。
そのあたりは,自分のことなのにはっきりとは憶えていない。でも,そういうことをまたやってみたいと思っていて,三つ子の魂じゃないけれど,趣味とか好きなことっていうのは,基本,若い頃のままですね。
逆にいえば,ある程度の年齢になってから飛躍が起こることはまずない,ということですね。
● だから,老後に何をするか,あるいは何ができるか,は,定年になった時点で勝負が付いているということだ。60歳になってから,何もないところに家を建てるのは不可能だからだ。
やりたいことがあって,それを現役のときからできる範囲でやっているのでなければいけない。
● たとえば,時間ができたら本でも読もうと思っている人は,時間ができても本は読めない。本を読むにはけっこうなエネルギーと根気が要る。
還暦になってから身につくとは考えない方がいい。せいぜい,毎日図書館に通って,新聞や雑誌を読む程度に終わるだろう(それが悪いということではない)。
● 見るとか聴くといった受け身の趣味なら,誰にでもできそうだと思えるかもしれない。が,これまたそうはいかない。還暦過ぎに,それまでまったくなじみのなかったクラシック音楽を聴けるか,歌舞伎を見れるか,といえば,答えはノーだろう。
美術館巡りもそうだ。二,三回でもう止めたとなるだろう。見る目がないんだから,絵画や彫刻を見たところで面白いわけがないのだ。
映画ですら,映画館で見るという習慣がなかった人が,定年後に映画館通いができるかといえば,やや疑問符が付く。たとえ娯楽映画であっても,家でテレビを見るようなわけにはいかないのではないか。
● 仕事人間では困るというのはここのところだ。サラリーマンの転職希望者に,あなたは何ができますかと訊くと,具体的なスキルではなく,部長ならできますとか,主任ならできます,と答える人がいるという話が,ビジネス書に載っていることがある。
おそらく,実話ではないだろうが,実際には転職後に部長や主任が務まることは稀だろう。仕事のノウハウはその会社や役所でしか通用しない。しかも,いつまでも通用するとは限らない。
だから,財務省の官僚の天下りでも務まっている銀行の頭取なんていうのは,そもそも誰でも務まるポストなのだろうと考えておけばいいのじゃないか。
仕事人間であるというのは,期間限定・職域限定のノウハウを溜めることしかしていない,ということだ。そういうヤツは放っておくしかない。ガキじゃないんだから,それくらいわかってろということだ。
● これ,自分にも跳ね返ってくる。おまえは老後を「青春18きっぷ」で過ごすしか能がないのか,とね。悲しいけれど,そうかもしれん。
あとは自転車だな。ジャイアント(→なぜジャイアントかというのは,こちら)のロードバイクを買う方向で,相方と調整がすんでいる。問題はひとつ。最近,めっきり自転車に乗らなくなったこと。特に昨年4月以降はバッタリと乗ってない。
でも,ま,死ぬ前に一度はロードバイクの乗り味を体験したいし,自転車が変われば乗るようになるかもしれないからな(ならないかもしれないけど)。何せ,手元にある安物はブレーキがまともに利かないんだから。
● 自転車で日本一周くらいはやってみたい。若い頃にやっておけばいいんだろうけど,若い頃はそういうことに頭が向かなかった。それをバカというのかもしれない。自分はいろいろとバカだった。
そのバカゆえの欠落を,老いてから埋めたいと思っている。いろいろと妄想は逞しくしている。その前にまず,自転車に復帰しなくちゃいけないわけだが。
● あとは今までやってきたことをそのまま続けていくことになる。その先に何があるのかといえば,たぶん何もない。いや,“たぶん”はいらない。何もない。
寿命がいくら延びても同じことだろう。人生に自分なりの区切りをつけるというのは,おそらくできないことだ。つけられると思っているとすれば,それは幻想の最たるものではないか。
が,只今現在は,22歳から60歳まで働いたとして,38年。60歳から先,38年生きる人はさすがに少ないだろうけれども,にしても20年は生きなきゃならない。
● 時間で測るともっと凄いことになる。現役時代の労働時間は1日10時間程度が平均だろうか。年間2,000時間といったあたりじゃないかと思う。38年間で76,000時間,3,167日,106月,8.8年。
労働時間は一生の間で9年に満たない。このほかに,通勤やつきあいの時間があったわけだけど。
同じように老後を迎えても,睡眠や食事や家事を除くと,自由に使える時間は多くて1日の半分,12時間程度だろう。だとしても,20年で87,600時間になる。
● これをどう使うか。それがつまり,老後の問題の大宗だ。時間でいえば老後の方が長い。
ただし,活力に満ちた壮年期は会社なり仕事なりに奪われている。会社や仕事から解放されたときには,体力や反射神経や頭の回転は衰えている。
それは定年前に自覚する人が大半だと思うが,その衰え方は一定ではないだろう。加速度が付くと覚悟しておかないといけない。そういう前提で老後の時間に何をするかだ。
● 若い頃,というか最近まで,電車でフラフラとそちこちへ行っていた。見たい場所があるわけではない。歩いてみたい街があるわけでもない。お目あての名物があるわけでもない。
けど,何日も電車に乗り続けていた。「青春18きっぷ」のせいだ。
● そんなことに若い時期の多くを費やしてしまった。よほどモテなかったに違いない。
あるいは,酒にお金をつぎ込みすぎて,それ以上のことをする経済的な余裕がなかったのかもしれない。「青春18きっぷ」で遊ぶのが手一杯だったのかも。
そのあたりは,自分のことなのにはっきりとは憶えていない。でも,そういうことをまたやってみたいと思っていて,三つ子の魂じゃないけれど,趣味とか好きなことっていうのは,基本,若い頃のままですね。
逆にいえば,ある程度の年齢になってから飛躍が起こることはまずない,ということですね。
● だから,老後に何をするか,あるいは何ができるか,は,定年になった時点で勝負が付いているということだ。60歳になってから,何もないところに家を建てるのは不可能だからだ。
やりたいことがあって,それを現役のときからできる範囲でやっているのでなければいけない。
● たとえば,時間ができたら本でも読もうと思っている人は,時間ができても本は読めない。本を読むにはけっこうなエネルギーと根気が要る。
還暦になってから身につくとは考えない方がいい。せいぜい,毎日図書館に通って,新聞や雑誌を読む程度に終わるだろう(それが悪いということではない)。
● 見るとか聴くといった受け身の趣味なら,誰にでもできそうだと思えるかもしれない。が,これまたそうはいかない。還暦過ぎに,それまでまったくなじみのなかったクラシック音楽を聴けるか,歌舞伎を見れるか,といえば,答えはノーだろう。
美術館巡りもそうだ。二,三回でもう止めたとなるだろう。見る目がないんだから,絵画や彫刻を見たところで面白いわけがないのだ。
映画ですら,映画館で見るという習慣がなかった人が,定年後に映画館通いができるかといえば,やや疑問符が付く。たとえ娯楽映画であっても,家でテレビを見るようなわけにはいかないのではないか。
● 仕事人間では困るというのはここのところだ。サラリーマンの転職希望者に,あなたは何ができますかと訊くと,具体的なスキルではなく,部長ならできますとか,主任ならできます,と答える人がいるという話が,ビジネス書に載っていることがある。
おそらく,実話ではないだろうが,実際には転職後に部長や主任が務まることは稀だろう。仕事のノウハウはその会社や役所でしか通用しない。しかも,いつまでも通用するとは限らない。
だから,財務省の官僚の天下りでも務まっている銀行の頭取なんていうのは,そもそも誰でも務まるポストなのだろうと考えておけばいいのじゃないか。
仕事人間であるというのは,期間限定・職域限定のノウハウを溜めることしかしていない,ということだ。そういうヤツは放っておくしかない。ガキじゃないんだから,それくらいわかってろということだ。
● これ,自分にも跳ね返ってくる。おまえは老後を「青春18きっぷ」で過ごすしか能がないのか,とね。悲しいけれど,そうかもしれん。
あとは自転車だな。ジャイアント(→なぜジャイアントかというのは,こちら)のロードバイクを買う方向で,相方と調整がすんでいる。問題はひとつ。最近,めっきり自転車に乗らなくなったこと。特に昨年4月以降はバッタリと乗ってない。
でも,ま,死ぬ前に一度はロードバイクの乗り味を体験したいし,自転車が変われば乗るようになるかもしれないからな(ならないかもしれないけど)。何せ,手元にある安物はブレーキがまともに利かないんだから。
● 自転車で日本一周くらいはやってみたい。若い頃にやっておけばいいんだろうけど,若い頃はそういうことに頭が向かなかった。それをバカというのかもしれない。自分はいろいろとバカだった。
そのバカゆえの欠落を,老いてから埋めたいと思っている。いろいろと妄想は逞しくしている。その前にまず,自転車に復帰しなくちゃいけないわけだが。
● あとは今までやってきたことをそのまま続けていくことになる。その先に何があるのかといえば,たぶん何もない。いや,“たぶん”はいらない。何もない。
寿命がいくら延びても同じことだろう。人生に自分なりの区切りをつけるというのは,おそらくできないことだ。つけられると思っているとすれば,それは幻想の最たるものではないか。
2016年10月22日土曜日
2016.10.21 宇都宮は自転車の街
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| 10.17 |
その記事によれば,宇都宮が「輪都」になったのは怪我の功名だったようだ。競輪を誘致したかったのに,前橋に敗れて,仕方なくロードにした,と。
当時,ロードは日陰の存在で,脚光を浴びていたのはトラックレースの方だったんですね。中野浩一がまだ現役でいた時代ですか?
● ともかく,失意(?)のうちにロード環境の整備にかかった。しかし,この25年間でロードは自転車の日向の存在になった。自転車人口も大きく増えた。
ヒルクライムなど,25年前にもあったのかど
![]() |
| 10.18 |
● 公道に自転車レーンが引かれるようになったのは,最近のことだ。これも宇都宮は早い方だったのだろう。
しかし,大通りには自転車レーンはない。車の交通量も多いから,歩道を走る自転車が多い。自転車レーンがあろうとなかろうと,自転車は車道の左端を走るのが原則であるぞ。
● 宇都宮市は「自転車の街づくり」も進めるとしている。前橋市,高崎市,水戸市と組んで,北関東ブルベも始めたし,LRTの導入も「自転車の街づくり」と無関係ではないような気がする。
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| 10.19 |
何と言っても,ぼくも自転車乗りなので。
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