FB は大昔に2年ほど捏ねくってやめた。Instagram はアカウントは作ったけれども,投稿したことは一度もない幽霊ユーザー。だが,𝕏 は続けている。
● 𝕏 に実利があるのは,供給サイドが製品の告知(広告)をする場合と,Premium 会員になって収益化できるインフルエンサーのみ。
パンピーには関係のない世界だ。
● SNS で個対個のコミュニケーションができると思っている人はまさかいないだろう。言葉だけでコミュニケーションが成立するのかという問題。
リアルのコミュニケーションは声で行う。声は多面体であって,何を話しているかの他に,どう話しているかをはも伝える。早口なのかゆっくりなのか。大きい声か小さい声か。イントネーションが伝えるものも大きい。
いつもはゆっくり話すのに今日はいやにセカセカしているな,ということもある。
● 対面だから声の他に話し手の表情や仕草も入っている。何を話しているかの他に,周辺情報が膨大に付随する。
それあればこそ,相手の言っていることを誤解なく了解することができる。
● いや,それでも誤解することはしばしばあるのだが,周辺情報がまったくないテキストだけでは,誤解が生じる余地が格段に増えるだろう。
まず、込み入った話はできない。それをしようとすれば長文を書かなければならない。それ以前に,テキストだけで自分の意を尽くせる人は,相当な文章の使い手のはずだ。めったにいないだろう。
● ては,情報収集の手段? 𝕏 にはゴミしかないでしょ。𝕏 に上がってくる情報の中で,知っておかなければならないものは1割もない。
加えて,自分もゴミしか出せない。だとすると,なんで 𝕏 なんかやっているんだろうね。
● 俺はここにいるよという自己開示の場をネットに作りたいってことか。だとすれば,そりゃあゴミだらけになるよ。
誰もフォローせず(フォローしている場合はミュートして)自己開示を続ける。誰もがそうしているのはかなりシュールな状況なのだが,それが SNS の最終形態かもなと思う今日この頃。
● それでも SNS はなくならない。SNS ってネット上の井戸端会議,給湯所談義の場なんだよね。お喋りして暇つぶしをするところ。
そういうのって必要なんだな。リアルでそういう場がない人にとっては特に。それもコミュニケーションかもしれない。てか,それこそがコミュニケーションというものかもね。
● それと,他人が気になるってことだな。人がどうしているのか,何を使っているのか,そういうことが気になる。
参考にならないとわかっていても,つい見てしまう。人は人,自分は自分,という境地に至れない。先に「誰もフォローせず」と書いたけれども,実際にはそれもできない。他人が気になるんだからフォローして見に行くことになる。
● というようなことを思ってみたのは,𝕏 に費やす時間が多すぎると思ったからでね。ニュース的なものを含めて,しょっちゅう見ちゃってるんだよね。
時間をドブに捨てるためのツールか,𝕏 は,と。節度が必要だね。



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