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2017年6月6日火曜日

2017.06.06 ブログをどういう方法で読んでもらえているか

● 自分のブログはどんな道具で読まれているのか。直近1週間に限ると,次のようなものだ。
  iPhone 42%
  Windows 28%
  Android 22%
  Macintosh 3%
  その他 5%

● iPhoneとAndroidで64%になる。パソコンで読んでいる人は4割を切る。
 書く側は当然(?)パソコンで書いている。したがって,どう見えているかはパソコンでしか確認していない(スマホからはしばらく遠ざかっているので)。

● ま,だから何だということはない。スマホではどう見えるのかといっても,そこはサービス提供者側のやり方(ぼくの場合はGoogle blogger)に従うしかない。
 文字がメインなので,どうレイアウトしても,たいした差はないように思うし。

● でも,6割以上の人はスマホで見てくれているんだということは,憶えておきたい。
 パソコンに比べれば視界が限定される。一度に読める量は限られてくる。長い文章を読むのはホネだろう。
 だからといって,今のスタイルを変えられるというわけでもないんだけどさ。

2016年11月15日火曜日

2016.11.13 ブログのスパムアクセス

● 素材ごとにいくつかのブログを書き散らしている。自分で言うのもなんだけど,内容はだいぶ薄っぺらいと思う。

● にもかかわらず,ある時期を境に大きくPVが増えてそれが持続することがある。以前もその嵐が吹き荒れたことがあったが,またそれが目につくようになった。
 現在,文具を扱ったブログがこの状態。1日のPVが1,000に近づいている。それまでは30か40だったのだから,大変な増え方だ。発信地はフランス。そこから間欠泉のように,定期的にまとまったPVが届く。

● リファラースパムという言葉がある。意図するサイトに誘導しようとするものだ。そのサイトに行くと,アフィリエイトの塊だったり,ウィルスをもらったりということなんだろう。
 誘導するためにそのサイトのアドレスが表示されるようにする,という手口。

● ぼくはGoogleのBloggerを使っている。このあたりの対策はGoogleも怠りないようで,アドレスはまったく表示されないようになった(正確にいうと,このフランス発信のスパムについてはそうだということ。それ以外だと,益体もないサイトが表示されることがあるにはある)。
 したがって,そのサイトには行きようもない。スパム側もこのあたりはわかっていると思うんだが。わかってやっているんだとすると,何が目的なのかわからない。

● コンサートの記録もブログにしているんだけど,こちらも最近,PVが増え気味。それじたいはもちろん嬉しいことなんだけど,違和感ははっきりと感じるものだ。真水が増えているのか,そうではないのか。だいたいわかるでしょ。
 こちらはデンマークからのまとまったアクセスがあるっぽい。フランスほど露骨ではないんだけど,日本からのアクセス以上にデンマークからのアクセスがあるのは,どう考えたって不自然だ。

● 具体的に困った事態は起きていない。ただ,PV数が実態と乖離するのは歓迎できない。水増しされているのはいい気分のものじゃない。

2016年8月16日火曜日

2016.08.16 このブログの広告を消した

● 昨年9月にこのブログに広告を入れてみた。何せ,文章だけのブログで華やぎというものがまったくない。広告でも枯れ木も山の賑わい程度にはなるだろう。
 このブログはGoogleのBloggerを使っているので,当然にようにAdSenseを使って,広告がでるようにした。

● その後,SNSを始めた。こちらは否応なく写真を多用することになる。そのせいでこのブログにも写真を入れることが増えた。
 ま,入れないことの方が多いのではあるけれども。

● もともとほとんど読まれていないブログだ。広告収入をあてこんで広告を入れたのではなく,多少とも華やぎを出すためだった。多少の華やぎは写真でどうにかできれば,広告は要らない。
 ので,元に戻して,広告を表示させないことにした。

● ブログに広告を出してクリックしてもらって,どのくらい稼げるものなのか。大方の人はこづかい銭にもならないのではないか。
 だから,稼いでいる人が書いた指南書が売れるのだ。誰もが稼げているのなら,こういうものに需要はないはずだ。

● さらにいうと,労働以外の方法で稼ぎたいという場合,ブログの広告収入なんぞよりもっと割りのいいものがあるはずだ。
 そういうもので稼げばよかろう。

● Google Bloggerのいいところは,広告を入れないとこちらが選択すれば,それが百パーセント許容されることだ。無理やり広告を表示させられることがない。一定期間,更新がないと,勝手に広告が入ってしまうといったことはない。
 そのうえで,無料でブログサービスを使わせてくれる。まことにありがたい。

2016年5月27日金曜日

2016.05.21 ブログ,Twitter,Facebookの違い 2

● ネットを何のために使うのか。大きくザックリ言えば,2つしかないと思う。
 ひとつは,情報の収集。情報の中にはエンタテインメント的な情報も含む。スマホをネットにつないでゲームに興じるのも情報収集に含まれる。YouTubeで動画を見たり音楽を聴くのも,同じだ。

● もうひとつは,他との交流だ。コミュニケーションというやつ。
 普通に雑談をする。一方的に自分の意見を述べる。あるいは,人を騙すというコミュニケーションもある(それをコミュニケーションと呼ぶのかどうかは,言葉の問題)。
 リアルにあることはネットにもある。

● ので,ネットを使っている場合(ほとんどの人は使っているわけだが),情報収集にどのくらい(さらに,そのうちエンタテインメント系にどのくらい),コミュニケーションにどのくらい(交流か一方通行か)使っているかをチェックすると,自分のネットの使い方がどうなのか把握しやすくなると思う。

● ブログは基本的に一方通行型の交流ツールだ。言いたいことを言う。読みたいやつが勝手に読んでくれればいい。
 コメントやトラックバックはあるけれど,ここで行われる交流は「どうもどうも」「今日は良いお天気で」「ご精がでますなぁ」という以上のものになることはあまりない(たまにはある)。

● Twitterも一方通行型だ。基本的に不特定多数が相手だからだ。この点ではブログと同じだ。クローズドの世界でやりとりする設定ももちろんできるんだろうけど,ブログやTwitterでそれをやっている人はあまりいないのじゃないか。
 Twitterの醍醐味のひとつは,大海に出るところにあると思う。

● Twitterはまた情報収集のツールとしても便利に使える。自分が気になる人をフォローしてその人の発言を読んでいくことができる。フォローしている人の数が一定数を超えると,Twitterだけでスポーツ,芸能界,政治,経済,国際など,ニュースはほぼ知ることができる。しかも,自分の気になる人の解説付きで。
 ただ,気になるからフォローしているわけだから,自分の「気になる」から離れていく広がりは初めから内包されていない。

● Facebookは相互交流に向いたツールだ。Facebookの投稿も基本的にはフローで流れていくが,流れる速度はTwitterほど速くはない。
 相互交流に向いたツールではあるけれどリアルの交流のようなインパクトはない。あたりまえの話で,Facebookで使える交流手段は文字と写真(動画も含む)に限られるからだ。
 リアルでは顔色や声質の変化を感じることができる。空気の震えや場の雰囲気を味わいながらのやりとりになる。現場の臨場感がある。Facebookにそれはない。

● Facebookユーザーの多くは3桁の“友だち”がいるようだ。が,実際に交流を維持できるのはその中の一部だろう。
 結婚式の披露宴に何百人と呼んだところで,新郎なり新婦が実際に交際できる範囲は自ずと限られる。山の賑わいとしての数だとすれば,Facebookの“友だち”もまた同じ。

● Facebookは基本的に閉じられた世界での交流になる(のだと思う)。世界を閉じないと交流は生まれないのかもしれない。

2016.05.20 ブログ,Twitter,Facebookの違い

● きわめて初歩的な整理。
 ブログの特徴はストック性にある。だんだんエントリーが溜まってアーカイブ化していく。
 対して,Twitterはフローの代表だ。ツイートの寿命は極端に短い。できては消える泡のようなものだ。その代わり,伝播性は最もある。

● Facebookは情報伝達より交流のためのツールだ。が,ていねいに作っていけば,良質な日記にもなるのじゃないか。
 紙の日記は文字だけになるけれども,Facebookは写真を付けるのが普通だから,文字だけでは残しようのないものも残すことができる。
 おしなべて,デジタルは写真が好きだ。文字も音声も画像もまったく同じように処理できるわけだから,デジタルではこれらの区別はない。

● ぼくはまずブログからデジタルの世界に入ったわけだけど,ほとんど文字だけでやってきた。大昔,画像はデータ容量が大きくて表示するのに時間がかかった。その状況から意外に自由になれないでいたのかもねぇ。
 今でもブログは基本的にそうだ。が,Twitterを始める前に比べれば,写真が増えていることも確かだ。

● 写真を使うと文字だけでは残せないものを残せるわけだが,じつのところ,文字で残せないようなものは残す必要がないものであることが多い。写真を多用するTwitter,Facebookでは,実質情報量はさほど盛りこめないのかもしれない。そういうものがネット上に大量に蓄積されることになる。
 しかし,そのことと自身の満足感は別であって,そうした瑣末なものが残って溜まっていくのは,なぜだかとても嬉しいし,安心感がある。

● ブログ,Twitter,Facebookを併用する場合,同じネタをTwitter→Facebook→ブログと使い回せるといい。まったく同じにものを3つにアップするのではなく,仕上がりは変えなければならないが。
 同じように,せっかく撮った写真なのだから,写真もTwitter→Facebook→ブログと使い回せればいい。同じネタを使い回せば,自ずとそうなるわけだが。

● このようにして,益体もない情報が大量に加速度的に増殖していくことになる。

2016年1月21日木曜日

2016.01.20 ブログとTwitterの違い

● ブログを自分で書くようになると,人のブログを読まなくなった。Twitterを始めたら,人のツイートをどんどん読みたくなった。これが最も大きな違い。

● 人のツイートなんて読んだってどうせつまらんだろ,と思ってた。正直言うと。
 本とかテレビでしか知らない著名人のツイートを読むのは,でも,面白いんでした。茂木健一郎さんのツイートも,ちきりんさんのツイートも,大島優子のツイートもみな面白い。
 こちらのミーハー欲求を満たしてくれる。

● これらの著名人の多くはブログも書いているのだろうと思う。でも,それを読もうとは思わない。Twitterなら読む気になる。
 構えないで読めるからだよね。書く方も気楽に書いているからでしょうね。

● ブログは論文調になってしまう。Twitterに比べればなんだけどね。突っつきずらくさせるし,それなりに時間もかかるし。
 Twitterにはそれがない。結果的にフォローしている人のツイートを次々に読むことになって,時間がなくなり,それ以外のことができなくなる。

● ゲームにはまった人の気持ちが理解できるような気になっている。ゲームにはまるのはこんなものじゃないのかもしれないけれど。

2015年10月1日木曜日

2015.10.01 傍観者なら傍観者でいいから

● 内田 樹さんは『下流志向』で,“自分探し”にはまる人は自己評価と外部評価が一致しない人だと指摘している。自己評価に比して外部評価が低い人だ,と。
 だから今いるところを離れて,外部評価をリセットしようとするのが“自分探し”の正体だ,と。

● 説得力があるというより,事実を指摘しているだけだけれど,自分にもその性癖があることを認めざるを得ない。
 自分の思うような評価を外部から受けている人は少数だろうから,多くの人には“自分探し”に墜ちる素地があるといっていいだろう。

● こんなブログを書いているのもその現れかもしれない。少なくとも,仕事とは別の土俵を作りたいと思っているのは間違いない。
 ただし,ぼくのブログは何かを創作しているわけではない。傍観者として,音楽読書文具に接して,傍観者としての感想を書いているだけだ。
 自分で演奏するわけではないし,物語を紡ぐわけではないし,文具を開発するわけではない。自分以外の当事者がいることを前提にしている。

● ここが自分の場所なのか。そうだとすると,傍観者なら傍観者でいいから,もっと自身の肺腑を抉るような接し方をしなければいけない。
 それをしないで,ここが自分の居場所だと決めてしまうのは,ぬるま湯に浸って何もしないでいることが自分の人生だと決めることになってしまう。

2015年9月30日水曜日

2015.09.30 ブログをGoogle+に移すか

● GoogleのBloggerを使ってブログを書いている。Google+にも登録している。が,Google+で何かをしているかといえば,一切何もしていない。写真のバックアップを容量無制限でできると聞いて,登録だけはしておこうと思っただけだ。

● ところで,ブログをGoogle+に移すともっと読んでもらえるようになりますよ,とGoogleは言うんだけど。
 どうしてそうなるのかは,ぼくにはわからないんだけどね。

● もしGoogle+に移すなら,それを機会に本名を晒すことにするか。というか,いずれ本名は晒すべきなのかもしれないけれど(ちきりんさんは別の意見)。

● ただね,ネットで個対個のコミュニケーションをしたい,多くの人とつながりたい,という欲求はないんですよね。
 だけど,自分のブログは読んでもらいたいとは思ってるわけなんですよね。

● 自分でブログを書くようになってから,人のブログを読む頻度は減った。自分は読まないのに,人には自分のブログを読んでくれというのは身勝手というものだ。それは重々承知しながらも,やはり読まれて欲しいと思ってしまうんですよね。

● で,Google+に移行するか,と。現時点ではしない方向だけど。

2015年9月17日木曜日

2015.09.17 広告が入った

● 気がついたら広告が入っていた。けっこう時間がかかるものなのだ。知りませんでしたよ。
 手続きに瑕疵はなかったらしい。システムの不具合でもない。これも体験。

● で,広告も枯れ木の賑わいになっているか。うるさいだけか。
 当面は,このままで様子を見ることにしたい。このブログのほかに,4つほど更新中のブログがあるんだけど,それらには広告を入れず,このブログのみにする。
 なぜなら,これが最も読まれていないブログだから。

● ぼくは人様のブログに載っている広告をクリックしたことはないので,他の人も同じなのだろうと思っている。
 この2点,もともと読まれていないブログだということ,人は広告をクリックしたりはしないものだということ。であるからして,アフィリエイト収入なんぞは限りなくゼロに近いはずだ。
 クリックを増やす努力をするなんてこともあり得ない。アフィリエイトで暮らしを立てている人は,たいしたものだと思う。

● 汗水たらして働いて稼ぐのがじつは一番簡単で気楽なのだと思う。大半の人たちは,他に能がないから地道にお勤めしている。ぼくもそうだ。
 でも,株で稼ぐとか,アフィリエイトで稼ぐというのは,ある種の能がない人じゃないと務まらないのじゃないか。その能がどんな能なのかはわからないけどね。
 ま,アフィリエイトで暮らしを立てている人も,記事を書くために汗水をたらしているのだろうから,この範疇に入れてもいいのかもしれないんだけど。

2015年9月15日火曜日

2015.09.15 ブログは読まれなくなった?

● トータルのアクセス数が100万を超えているブログっていうのはけっこうある。その多くは生年月日が早い。
 で,想像するに,アクセス数のかなりの部分をだいぶ前に稼いでいて,最近はアクセスが細っているのではないか。

● ブログが花形だった時期。ブログを書いている人の比率がまだ低かった時期。
 そういう時期にはアクセスの伸びにも勢いがあったんだろうなと思わせる。

● 今はブログが増えて,読み手より書き手のほうが多いくらいではないか。
 加えて,自分がそうなんだけど,自分でブログを書くようになると人のブログは読まなくなる。そんな時間はなくなるわけだから。
 少なくとも,ダブログというかどうでもいいブログからは遠ざかることになる。選択眼が厳しくなる。

● 今ではブログじたいが隅に追いやられ,多くの人がFacebookやTwitterをやっているのだろう。
 ほとんどが書く側になったとまではいえないだろうけれど,個対マスというブログという形式よりも,個対個の色彩が強いSNSがメインストリームになっているのだろう。

● というわけで,ぼくのブログなんかほとんど読まれないということになる。

2015年9月14日月曜日

2015.09.14 広告が入らない

● Googleから審査終了の通知は来た。広告を入れるスペースは表示されるようになった。が,広告は表示されない。
 Bloggerの画面で設定を保存しようとして保存ボタンを押すと,ずっと押した状態のまま表示され続けていて,その先にいかない。
 そのあたりが原因かと思うけど,そうではないのかもしれない。

● ググれば解消法も見つかるんだと思うけど,そこまでやって広告を表示させたいとも思わないので,元に戻そうかな,と。

● しばらく文字だらけのブログのままで行こうと思う。
 あとは,努めて写真を撮るようにすることだなぁ。わざわざデジカメを持ち歩く気にはならないので,スマホのカメラアプリにいいものがないかと探してみた。いくつか入れては試して削除した。
 基本,写真に興味がないんだろうな。試し方もわれながら淡泊だなと思うしね。

2015年9月12日土曜日

2015.09.12 広告を入れてみようかと思う

● 自分のブログと人様のブログを比較して,まず気がつくことは,自分のブログには画像が少ないことだ。少ないというか,ない。
 文字ばかり。何となく重いというか暗いというか,野暮ったいというか。

● かといって,生来ズボラな性格で,1枚の写真を撮るというその作業が面倒くさい。カメラってあんまり好きでもないし。
 写真,絵画・・・・・・ビジュアル系の取り扱いには子供の頃から苦手意識があった。文章なら,その巧拙を問わなければ,何とか書くことができる。

● で,どうしたものかと自問自答することは前からあったんですよ。
 出した結論は,イージーを以てイージーを制するというもの。つまり,広告を入れてみようかってことなんですけどね。
 広告なら画像が入る。枯れ木も山の賑わいならぬ,広告もブログの賑わいとなるのではないか,と思ったわけ。

● このブログもGoogleのBloggerを使っているので,広告もGoogleで。他社にすると,そこで登録してIDを取得しないといけなかったりするんで。それが面倒だから。
 というわけで,広告を入れてみようかと思う。

● もともとほとんど読まれていないブログだから,いうところのアフィリエイト収入というのは(あったとしても)月に数円か数十円にとどまるはずだ。問題外。
 要は,文字しかないブログに賑わいを付加しようというわけなんだけど。うるさくなるようだったら削除する。

2015年6月13日土曜日

2015.06.13 ブログを書くときの注意点

● 音楽や読書や文具を語るブログでも,高みから語るとかニュース性を重視するより,自分の体験や見聞をメインにした小さな記事の方が読んでもらえるように思う。
 高みから語るっていうのを,ぼくは時々やってしまうんだけど,世の中を動かす,社会を正す的な指向はマスメディアに任せておけばいい。パーソナルなブログやSNSにおいては論外だろうな。

● 大きなことは書けないんだけど,高みからは書けてしまうんだよ。これがまずい。どれだけ抑えたつもりでも,“オレがオレが”は出てしまう。
 自分に身近な小さなことしか書かないことが,それを防いでくれるかもしれない。

● 基本的には自分以外には誰も登場させないこと。匿名で書いていようが,登場人物をどれだけデフォルメしても,とんでもないルートから彼(彼女)が誰だかわかってしまうということがないとはいえない。
 その結果,彼(彼女)にどんな迷惑がかかるか,事前に予想することはできない。

● 面白い体験をたくさん持っていると強い。ただ,面白さというのもほとんど主観的なものだから,自分が面白いと思っていても,読む人は別段何とも思わないこともある。その逆もあるだろう。
 自分では面白いと思っていない,したがってわざわざ書くに値しないと脳内をスルーさせている話題の中に,じつは誰かにとっては面白いものがあるかもしれない。それを見逃さないコツがあればいいんだけどね。

● あと,写真。写真を入れた方が読んでもらえそうだ。わかっていても,ぼくはそれをやらない。
 面倒だからだ。これを面倒がっているようではいけないね。

2015年2月21日土曜日

2015.02.21 ブログやSNSの80%が消滅したとしても,全体の情報量は減らないと思う

● ブログやSNSが普及して,誰もが言いたいことを公開できるようになった。で,ぼくも4本のブログを更新中だ。
 しかし,現在ネットにあるブログやSNSの80%が消滅したとしても,全体の情報量はまったく減らないだろうな。

● ぼくは文具に興味があるので,自分が使っている商品名で検索をかけることがけっこうある。そうすると,たくさんのブログが引っかかる。自分のブログが典型的にそうであることを認めたうえで申しあげるんだけど,たいていはどうでもいいことが書いてある。
 だいたい,同じようなもの。N次情報のオンパレード。これ,すでに誰かが書いているんだから,アンタが書かなくてもいいじゃん,と思う(自分のブログもそうだから困るんだけど)。

● 人がこれが自分の個性だと思っているものは,じつは個性でも何でもなく,他の誰かやマスコミのエピゴーネンにすぎないと思うことがほとんどだ。
 消費の多様化,レジャーの多様化,働き方の多様化。多様化と言っておけば通りがいい。でも,多様化って本当なのか。けっこう画一的だと感じることが多いんだけどな。

● 真に個性的な人って,そもそも,ブログやSNSには手を染めないのかもしれない。言ったって理解されっこないとわかっている。
 実際,彼らが言うことを理解するのは至難なはずだ。

● 何が書いてあるかよりも,どう書いているか。その書きぶりに親和性を感じたり,興味を持ったりすることはある。
 ブログやSNSは情報の収集源と考えるより,そうした方向から楽しむものなのだろうな。楽しめるサイトをいくつか見つけられれば,それ以上を望むのは欲が過ぎるというものなのだろう。

2015年1月17日土曜日

2015.01.17 ブログを書くために生きている?

● あまり(というか,ほとんど)読まれていないブログなんだけど,それでも好不調の波がある。気づきやすいのは曜日による波だ。週末から月曜日にかけてPVが増え,火・水・木は落ちる。
 が,規則的でもない。例外が例外というには多すぎるほどにある。

● 基本,PVは求めない。0か1かの違いは,1か100かの違いよりも大きい。1があればいい。100は要らない。
 でも,これにはかなり強がりが入っているかも。やはり,読んでくれる人は多い方が嬉しい。
 それがブログを書き続けるエンジンになっているのは間違いない。パソコンのハードディスクに溜めていくというやり方(=自分しか読まない)では,これほど続けられるかどうか。

● もちろん,公開するとなれば書けないことがある。個人の日記ならば書けることでも,ブログには書けないことは,当然ある。
 基本,自分以外の人間を登場させるわけにはいかない。それが誰かが特定されるような形で出すのは論外以前だろう。
 せいぜい,家族どまりで,それにしたって自ずと限度はある。奥さんにも子どもにも,基本的人権はあるわけだから。プライバシーは守られなければならない。

● ただ,公開前提だと書けないようなことって,あんまりたいしたものではないことが多いように思う。そもそも書かなくてもいいようなことが多いんじゃないかねぇ。
 となると,おまえが公開しているブログだって,そもそも書かなくてもいいようなことではないのかね,と言われるな。反論できない。

● わずかな人であっても,読んでくれる人がいるってことが,継続を助けてくれる。だけども,アクセス・PVを増やすための工夫はあまりしていない。
 画像も入れていないし,レイアウトや背景のデザインにもまったく関心を向けていない。PVの多寡なんかどうでもいいと思っているわけではなくて,要は面倒だからだ。
 こういうのを面倒がるってどうなんだ,と,われながら思うんだけど。

● もう一点。写真を載せるのを習慣にすると,誰かが写っているものをうっかり載せてしまうことがあるかもしれない。
 万が一にもそれは避けたい。うっかりでは済まないこともあるだろう。

● せめてマメに更新しないと。文章を書き散らすことはあまり面倒だと思わないので。
 不調のときほど淡々と更新を継続することが肝心だ,ということぐらいはわかっている(つもり)。

2014年11月9日日曜日

2014.11.09 GoogleのBloggerに障害発生

● ブログはGoogleのBloggerを使っている。っていうか,使わせていただいている。
 さすがに安心感があるからね。それに,無料なのに広告の表示を強制されない。一定期間更新しないでいると勝手に広告が出ちゃう,なんてことがない。

● ところが,ときたま,問題が発生する。
GoogleのBloggerサービスで障害が発生し,日本からブログページを閲覧できない状況になっていたようだ。8日21時17分の発表によれば,一部のユーザーについては既に復旧しており,12時間以内にすべて復旧する予定とのこと。
 たぶん,これ,今回が初めてではない。っていうか,これは想定の範囲内にしておくべきものでしょうね。Googleに限らないだろうし。

● とはいえ,困ることは困る。それでなくても少ないPVがさらに激減する。
 パソコンのエラーメッセージを読むと,自分の設定がおかしいのかと思ってしまう人が出るかもしれない。スマホのメッセージを見た人の中には,このブログ,閉鎖されたのかな,と思ってしまう人もいるかもしれない(いないか)。
 ともあれ,11月9日8:07現在,ぼくのところはまだ復旧していない。

● ま,でも,こういうことはありますわな。滅多にないことが起こってしまうってことね。
 この世界では,原発よりは滅多にないことの周期が短い。そのかわり,それにともなう被害は生命や健康には影響を及ぼさない。

2014年6月16日月曜日

2014.06.16 ブログを書く人

● まぁ,こうしてくだらないことを書き散らしている。自分の書くものがくだらないからという理由だけではないんだけれども,人さまのブログってあまり読まないですね。
 必ずチェックするブログはない。ブックマークもしてないし,RSSリーダーも使ったことがない。
 ところが勝手なもので,自分のブログは読まれてほしい。ほんと,勝手。

● ところで。自分が読むブログって,わりと年配者が書いているものが多い。こちらもいい年配だから,類は友を呼ぶで,同年代の人たちが書いたものに惹かれるのかもしれない。

● なんだけど,ブログってわりと年配の人たちが若ぶって書くものだというイメージができちゃって。人口からいったって,若い層より年配層の方がずっと多いんだから,そうであっても別段,不思議でもない。
 ブログは簡単に始められる。障壁はないに等しい。年配者が“ITに強いオレ”“時代についていけてるオレ”を演出して,自分にもそう思わせるのに,こんないいものはない。
 自分がそうだから人もそうだとは限らないかもしれないんだけど。