● 噂に聞く寿町に行ってみた。日本3大ドヤ街と言われるが,さてその実態は?
高齢者が煙草を友として暮らしているところという感じ。昔は知らず,今は穏やかな空気だ。
以前は暴力団が不法賭博をやっているとかね,けっこうそんな記事を見たものだけど。羽振りのいい貧乏人は,自分よりさらに貧乏な人間を喰いものにしているに決まっているんだよね。
● 東京の山谷もドヤ街の気配はだいぶ薄くなっている。もはや普通の下町に近い。
だいぶ前にドヤ街の浄化(?)が試みられたらしい。昼間でも女性のひとり歩きは憚られるようでは困るじゃないかということで。
該当を増やしたり,コミュニティセンター(集会所)を作ったり。その結果どうなったかというと,ドヤ街が住みやすくなった。
かつては,ここは自分がいるところじゃない,しのぎのために一時的にいるだけだ,と捉えられていたドヤ街が,ついの住処になった。ここにいれば,集会所で将棋を指したり碁を打ったりできる相手がいる。ここを出てしまえば自分は独りになるけれども,ここにとどまっていれば仲間がいる。
しかも,集会所は冷暖房完備だ。寝転がってテレビを見てみてもいいのだ。この世の天国だ。
● というわけで,彼らはドヤ街に定着し,生活保護ライフを満喫するようになった。という話を聞いたことがある。
そうこうするうちに,ドヤ街でも高齢化が容赦なく進行し,たまに来る飯場の仕事も,彼ら高齢者ではなく,パキスタンやバングラディシュから来ている若者たちが取っていくようになった。
仕事もなく,生活保護が固定化される。そういう状態になったらしい。
● しかし,それで終わりではない。高齢化すればまもなく死ぬ。生活保護ライフを満喫していた高齢者が亡くなった後,寿町はどうなるのか。それを考えなければならないのではないか。
生活保護で生きていきたいという人たちが次々にやって来て,亡くなった人の後を埋めるのか,そうではない別の状態になるのか。
個人的には,そう遠くない将来に,国民全員に生活保護を適用する(ベーシックインカム)ことになると思っているのだが,それを機に寿町が別の意味で注目されるようなことはないんだろうかな。
● ついでに申さば,かつての日本はこんな感じだったのではなかったか。少ぉし働いてあとはボーッとしているか,やらなくてもいいことばかりやっていたのが男たちの常。都市なんて少なかった時代の日本の。といっても,半世紀前までの日本ですよ。
勤勉は日本人のデフォルトではないと思っているのでね。日本人が勤勉だなんていうのは高度成長と産業構造の高度化(第3次産業化)以後の話ではないんですかねぇ。
● 何かあったらここに来ればいい。安い家賃で部屋が借りられそうだし,交通の便は言うことなしだ。
こういうエリアがあるということが,逆にホッとさせてくれるっていうか。ま,これはぼくがよそ者だから言えることであって,地元にしてみたらまた別の言い分があるに違いないんだけど。
● 寿町,不老町,蓬莱町,翁町,長者町,永楽町と縁起の良い名前が付いているのは,ここが埋立地だからだろう。土地にシガラミがなかった。まっさらな土地にはこういう名前を付けたがるものなのだね。
ところが。近くに富士見町があったんでした。あらまぁ。
● 寿町を離れて,羽衣町の横浜弁天(厳島神社)。狭い境内に弁財天や稲荷も祀られている。
金運の神様ですか。人が生きていくうえで,最も希少なものはお金だという時代がずっと続きてきたもんな。お金さえあれば何でも買えて幸せになれる,というのが幻想ではなくて揺るぎないリアリティーを持った時代が,つまり人類史のすべてだといってもいいくらいだ。
● 横浜村の総鎮守で,かつてはもっと広い敷地だったらしい。神社も人間社会で生き延びていくしかないわけだから,栄枯盛衰は付きものだ。