2022年4月12日火曜日

2022.04.10 春爛漫,ブースター接種

● 春を通り越して初夏。っていうか,熱中症の心配をしなきゃいけないくらい,暑い。外を歩いていると汗ばんでくる。

● 眼を楽しませてくれるものに事欠かない時期でもある。
 敷地内に桜を植えている家もある。これをできるのが田舎。元々の農家って敷地広いからね。
 いや,春夏秋冬,いつでも眼を楽しませてくれるものはあるんだけどね。冬は星座がきれいだし。夏は雲に特徴があるし。

● こうした景色を愛でながら,目的地に着いた。3回目のコロナワクチン接種。
 13:30の予約なのだが,手続きはサッサと進み,13:30になったときには接種まで終わっていた。
 初モデルナだけれども,副反応は心配していない。副反応は若い,特に女性に出るもので,ジジイが副反応を心配するなど滑稽の極みだ。ともあれ,まずはひと安心。
● んで,また,眼を楽しませながら,家まで歩いて戻った。

● 現時点(21:04)で副反応はまったくない。少し寂しい。熱よ,出てもいいぞ,ちょっとくらいなら。

(追記 2022.04.12)

● 寝る時刻(午前3時)になったら,悪寒が。上下の歯がガチガチ言いだした。とっくに押入にしまった掛布団を引張りだした。自分で額に手をあててみたところでは,発熱はなかったようなのだが。
 あと,30分おきに連続3回,トイレに呼ばれた。水分を絞り取られる感じ。これじゃ寝れない。

● 翌朝になると悪寒は収まっていた。これは副反応? いや,めでたやな。
 っていうかですね,ゴメンナサイ。モデルナをナメくさっておりましたよ。

● 11日も起きていられなかった。足元がふらつく。食欲皆無。無理に食べても味がわからない。コロナに罹患したようなものだ。
 熱を測ってみたら7度5分だった。昨夜は,おそらく38~9度の熱がでていたろうね。熱がないわけなかった。熱くなった掌で熱くなった額に触れても熱いと感じないという理屈だろう。

● 11日の夜,ショック療法を試みようとした。が,三口ほど啜っただけで,あとは身体に入っていかなかった。
 寝てるしかないんだけども,寝るにも体力が要るんだなと痛感するわけだ。腰が痛くて,寝ていても楽しくないんだよね。
 昼間しっかり動いて,夜は死んだように眠るという,そういう健康的な睡眠じゃないわけで。

● 12日。どうにか収まった。依然として食欲はないが,こうしてパソコンのキーボードを叩けるようにはなった。起きてはいられそうだ。
 何も食べないで約2日過ごし,熱もずっと出していたんだから,痩せましたよ。これだけはこのまま維持できればいいんだけども,そうはいかないんだなぁ。

2022年4月1日金曜日

2022.04.01 至るところに桜はある

● 右の写真は地元の図書館の一本桜。満開にはまだ。満開前の桜に人は群がらない。満開になるとドッと来て,満開が過ぎると,なだらかに減っていく。
 花は盛りをのみ見るものかは,問題。ぼく一個は,人が群がる満開は避けよという意見。満開の少し前にシフトせよ。満開を追いかけるな。これくらいが見頃ではないか。

● 満開になってしまっては遅いのだ。なぜなら,満開になってしまえば後は散るだけだから。先の楽しみがないではないか。
 満開の少し前なら,これから咲き誇ってさらに華やかになっていくという楽しみも味わうことができるのだ。

● 自宅から歩いて数分のところにある小さな公園。この時期になると,桜って津々浦々どこにでもあるんだなとわかる。人々は桜を愛でないではいられないんだな,と。
 こちらは20分ほど歩いたところの公園。ここにも桜の樹は何本もある。桜なしではすまされない。

● それゆえ,桜を愛でる機会は万人に平等に与えられている。貧富は関係ない。お金があればあるなりの愛で方ができるのだろうが,愛でること自体はお金がなくてもできる。
 お金がなくてもできることはたくさんあって,じつはお金がなければできないことはすぐに飽きてしまうものが多いのに対して,お金がなくてもできることはいくらやっても飽きることがないものが多い
(たぶん)

● 全体が貧しいうちはお金の効用は相対的に大きかったのだろうが,全体的に生活が底上げされてくると,お金の効用は小さくなる。
 大都市ではどうか知らないけれど,ぼくの町だと3万円の家賃で住めるアパートはたくさんある。つましくやれば月に10万円もあれば充分。それ以上のお金はあってもいいが,なくてもどうにかなる。ということになると,幸福の多寡を決めるものはお金ではなく,別の何かになる。

● それがつまり,至るところに桜はあるということだ。と,ぼくは思っている。