2021年7月20日火曜日

2021.07.20 昔なつかし,ということ

● 渋谷LoFtに来た。ヴィンテージというか,昔のお品コーナー。キャンディーズの歌が次々にかかっている。
 懐かしい。その頃に若かった爺婆が人口構成のマスになってるんですよね。マスを狙うのはマーケットの常道。こういうのが,どんどん増えて来るんでしょう。
 出版界もそうだし。「昭和40年男」とかね,石器時代に生まれた人向けの,昔を思いだしてよね的雑誌がけっこうな数,出ているしね。

● しかぁし。ぼくも爺の1人なんだけど,ナツメロってけっこう鬱陶しくないですか。あんまり昔を振り返りたくないっていうかね。昭和の頃より今の方がいいに決まっているんだから。
 だってね,昭和の日本人のマナーなんてどうしようもないものでしたよ。雨の日に駅のホームで雨傘を振り回してゴルフの練習をしている,バカすぎるサラリーマンはいくらでもいたよ。
 今,生きてれば70代かね。団塊ってほんと,どうしようもない世代でしたよ。って,まだ死に絶えてないんだけどさ。

● それに,昔はパソコンもスマホもインターネットもなかったわけだしね。そりゃ,今の方がいいに決まってますよ。
 しかも,そうした動きについていけないだけのバカが,変化に棹さすようなことを平気で言ったりやったりしてくれてさ。そんな時代が懐かしいなんて,ま,あり得ない。
 ので,個人的には昔を振り返させるようなサービスは迷惑だなと思ってるんだけど,でも,マーケットがそれに向かうのは理解できる。頑張って,爺婆の財布を開かせてください。

● あと,もう一点。昔のレコードプレーヤーって,悪くないなぁと思った。最近だとハイレゾなんて言葉が定着してて,音質が昔とは比較にならないほどに良くなっているんだろうけども,普通に聴く音楽の音質がそれほどいい必要があるのかなぁと思うようになっている。
 レコードとかカセットテープとか,アナログに回帰する動きはだいぶ前からあって,アナログの方が音が柔らかいとかふくよかだとか,アナログ礼賛の評言を聞くたびに,その柔らかさってピントが微妙に合っていない写真の柔らかさと同じじゃないのと思い思いしてた。

● まずピントを合わせること(シャープさ)が必要で,音の柔らかさとかふくよかさっていうのはその後の問題だよね,と思ってましたよ。シャープさを極めることにほって出てくる柔らかさ以外の柔らかさは偽物でしょ,とね。
 だから,音楽だけはデジタルで行きなさいよ,今どき高価なレコードプレーヤーを買うんだったら(ハイレゾ対応のレコードプレーヤーもあるんだってね),安いミニコンポを買った方が絶対いいと思うよ,と思ってましたよ。

● アナログ回帰なんてのは業界が仕組んだ陰謀じゃないか,くらいに思ってたってことね。けれども,ぼくらが普通に聴く音楽の音質にこだわってもしょうがないのかなぁと思うようになった。
 昔のレコードプレーヤー程度で充分じゃん,みたいな。アナログ回帰に対して寛容になってるっていうかさ。

2021年7月6日火曜日

2021.07.06 定年退職しても趣味に費やせる時間は退職前と同じ,という法則がある

● 完全引退して1年と3ヶ月が過ぎた。物心ついて以降,一番安穏と生きている。ストレスというものとはほぼ無縁。わざわざ求めればストレスも得ることはできるけれど,そんなことはしないのでね。
 ストレスも人が運んでくるわけだ。刺激や楽しみも人が運んできてくれるんだろうけどさ。
 で,その人付合いをほぼ一切していないので,ストレスなどあるわけがないということね。

● サラリーマンをしていた40年間も,仕事がらみの付き合い以外に,付き合いというものをしたことはあまりない。したがって,仕事を辞めてしまえば,付き合いは何も残らない。
 そうなることはわかっていて,そのようにしてきた。後悔などあるはずがない。20代や30代にはしばしば会っていた友人もいたが,今,会ってみたいとは思わない。そもそも,噛み合う話はできなくなっているだろう。

● 今年の4月からは相方も仕事を辞めて家にいるので,誰とも話をしないで1日が終わるということはない(4月以前だって,それはなかったわけだが)。
 人と話すのは,その程度で充分じゃないかと思っている。

● ところで,かつては定年退職してずっと家にいるようになった夫族を “濡れ落ち葉” や “ワシ族” と揶揄する言葉があった。
 ウィキペディアによると,「払っても払ってもなかなか離れない様子から転じて,​主に定年退職後の夫が,特に趣味もないために,妻が出かけようとすると必ず「​ワシも(付いて行く)」と言って,どこにでも付いて来る様子を指すようになった」とあるんだけど,このワシ族ってのは実在したのかね。自分はそうだというロートル君や,私の夫がそうだという奥さんはいるかね。
 今どきの小学校の運動会では,徒競走でもみんなで一緒にゴールするのだ,という話と同じで,実在しない都市伝説的なものじゃないのかと思ってるんだけどねぇ。
 面白いというかウケそうな造語だけれど,ワシ族の定義に該当するロートル君が1人でもいたかねぇ。考えにくいんだけどね。ダンナさんにずっと家にいられるのは,奥さんとしては嫌だろうなとは思うんだけどさ。

● ま,そんなことはどうでもよろしいのだが,ひとつ,やっぱりな,と思っていることがある。
 仕事をしなくなり,通勤時間もなくなったのだから,自由に使える時間が大幅に増えた。簡単な算数だ。当然,そうなるわけだ。
 けれども,自分の趣味というかやりたいことをやるという,その時間は,サラリーマンをしていた頃とほぼ同じなのだ。浮いた時間がそっくり消えてしまっているのだ。

● あるいは,したいことをしている時間そのものは長くなっているのかもしれないのだけど,アウトプットの質量が以前と同じなのだ。見事なほどにそうなのだ。
 仕事をしているときには可処分時間が限られていたから自ずと集中できた,ということなのだろうと考える他はない。本当にそうなのかどうかはわからないけれど,とりあえず,無難な説明としてはそういうことになってしまう。

● 相方には申しわけないけれど,彼女が家にいるようになった今年の4月以降は特にそうだ。何もしないうちに1日が終わりかけている,と気づくことがしばしばある。
 要するに平和なのだ,という言い方でもよいと思うのだけどね。

● さらに,定年退職してなお,効率だの生産性だの生きがいだの他者との繋がりだのっていう,いわゆる世間一般の規範から自由になれないようでは話にならないという気もする。
 ぼくなんか,退職した後も図書館に行ったことなんか一度もないよ,何やかやと忙しくしているよ,というジジイには絶対になりたくない。
 社会貢献なんて言葉を口にするようになったら,生き恥を晒しているのと同じだから,どうか俺を殺してくれ。

● 趣味や好きなこと(≒嫌いじゃないこと)とはいえ,それに費やす時間を倍にして,アウトプットも倍にするという,そんな単純な発想でいいんだろうか,とも思うよね。
 では,現状でいいのかと言われると,どうも答えに窮するところがある。いいのだと割り切れているわけでもない。何とかしなきゃという意識がどこかにある。

● たとえば,もっと本を読まなきゃとかね。実際,若い頃は1日中本を読んで過ごせる老後が待ち遠しいと,痛切に思っていたんだけどね。
 その老後がやっと来たのに,本は読めなくなっている。ひとつには単純に視力の問題がある。
 音楽だっていつまで聴けるかわかったものではない。こちらは聴力の問題がある。ぼくの母親はまだ生きているが,聴力をほぼ失っている(眼はよく見える。口も達者だ)。ぼくもそうなるかもしれない。

● まぁ,しかし。読む,聴く,観るは,図書館とインターネットのおかげで,お金をかけずとも好きなだけやれる。ありがたい時代に老後を迎えたことを感謝しつつ,もう少しそれらにあてる時間を増やしたいかなと思う。あと10年ほどは。
 そのあたりが,ま,結論めいたところかなぁ。

● そうだ。家事見習い的なことに時間を割いている。料理をするようになった。調味料についても少しは詳しくなったよ。
 ただ,サラリーマン時代に仕事に費やしていた時間をそっくりそちらに振り向けているわけではないのでね。けっこうな時間が毎日消えていくのは変わらないんだ。

2021年7月5日月曜日

2021.07.05 メルカリは色々と面白い 3

● 5月末から6月上旬にかけて,メルカリでモレスキンノートを買うこと15回(うち2回はボールペンを買った)。大中小とサイズの異なったモレスキンが手元にどっと増えた。
 そのときがメルカリ利用の初体験だったのだが,今度は測量野帳の限定品を少し買ってみた。

● それでわかったのは,メルカリを見るのはいい暇つぶしになりすぎるってことだ。気がついたら1時間くらいは過ぎてしまっている。買おうかどうかと考えてしまう時間も発生するわけだから,本当に時喰い虫になる。
 Facebookをやめてずいぶん経つのだけども,Facebookもやめた理由のひとつはそこにあった。いたずらに時間を捨てさせられるのだ。

● 中には,開示すべき情報をきちんと開示せず,引っかかってくれたら儲けものと思っているのじゃないかとしか思えない出品者もいる。
 たとえば,右の写真に写っている「トラベラーズノート」は,見る人がみれば,ダイソーがかつて250円で売っていたものだとわかるだろう。嘘はついていない。当時,ダイソーも「トラベラーズノート」という商品名で販売していた。

● トラベラーズノートという名称は一般的すぎて商標としては認められないのかもしれない。しかし,デザインフィルが出しているあのトラベラーズノートだと勘違いして飛びつく人がいれば・・・・・・と踏んでいるのだろうと思われても仕方がない。
 ダイソーのものだと言っていないからだ。ここはキチンとデザインフィルのものではない旨,断っておかなければならないところだろう。写真を出してるんだからいいでしょう,ではすまない。
 リアル店舗でこういうことをやったら,一発でレッドカード,退場になるだろう。ダーティーだからだ。

● まぁ,そういう出品者は一部だ。じつは一部というには多すぎる数だと思うのだが(良心的に見れば,相場を知らないせいもあるのかもしれない),リアル店舗に行くより安く買えることが多い。
 いったん人手に渡ったものは,たとえ未使用であっても価格は半値以下になる。日本の商慣習ではそういうことになっている。そこを是正することによって,不用品の流通を促進し,Aさんにとっての不用品を必要としているBさんのところに移動させるというのが,ヤフオクやメルカリの意図するところなのだろう。

● メルカリをうまく使えば,欲しいモノを安く買えることは間違いない。財布の紐が緩くなって,要らないものまで買ってしまうというのが,問題かもしれない。
 送料込みが原則になっているっぽいのも,メルカリの安心材料だ。千円以下の商品だと,出品者は捨て値で出していることがしばしばあるだろう。
 こちらはどうしても,送料込みの価格とリアル店舗で売られている価格を比べて,安い高いを言ってしまいがちなのだが。

● しかし,メルカリの最大問題はそこではなくて,時間つぶしに格好すぎるツールだというところだ。
 意思の力を使って,強制的に見る時間を制限しないとまずいことになりそうだ。