2020年10月3日土曜日

2020.10.03 東向島散歩-東武博物館

● 東武宇都宮駅。すっかり馴染んだ感のある,南栗橋行きの4両電車。今週もお世話になる。
 今日はまず東向島に行こうと思う。曳舟で降りて,歩いてしまった方が早いかなぁ。と思ったんだけども,曳舟から電車でひと駅戻った。

● 何度目かの東向島。駅を出た瞬間に目に入ってくる商店街の光景は,独特の匂いを持っている(ような気がする)。
 この街の生立ちによるものか。この場所の霊気? が然らしめるものか。昔から知っているような,妙な既視感も伴う。

● 駅からフラフラと玉ノ井を歩いてみたくなるわけだけども,まずは隣接する東武博物館に行くことに。
 先週,浅草駅でこの博物館の催事のチラシを見て,行ってみようと思ったわけなのだ。会社に運動会があった頃というタイトルの写真展のチラシだった。
 入場料は210円(交通系電子マネーで払えば200円)。

● 往年の電車の本物が展示されている。開業当時(大正時代)の木造列車も。乗り込むこともできるが,椅子に座ってはいけないことになっている。
 英国製の蒸気機関車もある。同じく英国製の電気機関車も。その他,いろいろ。ついでに言うと,東武のバスも展示されている。ぼくら,子供の頃,田舎ぁのバスはぁ,おんぼろぐるまぁ,とか歌っていたけれど,その頃のバスだね。

● パノラマショーは1日5回。何時に行ってもたぶん見ることができるだろう。ぼくも見た。1階でやる。観覧席もある。が,これは2階に上がって,2階で立ってみるのがお勧め。
 シミュレーション運転もできる。のだが,これは人気があって,子供たち(いい歳をした元少年もいるんだが)が列を作って順番を待っていた。さすがに,その列に並ぶのは憚られた。
 というわけなので,小さな子供を連れて来ている夫婦が多い。1人で来ている男性もけっこういる。鉄成分が強い人だね(ぼくもそうだが)。いや,楽しいです,ここ。

● 一番惹かれたのは,路線網の変遷をパネルにした展示。まずは1910(明治43)年。この時点では伊勢崎線しかない。ただし,現在の亀戸線(曳舟~亀戸)は同時に開業したらしい。この頃,春日部は粕壁だった。
 1930(昭和5)年になると,東上線,桐生線,佐野線,日光線ができている。東京都下には新駅がたくさんできてもいる。佐野線は葛生の先に,会沢線,大叶線がある。石灰を運ぶための貨物線だったんだろうか。

● 1944(昭和19)年には日光線から宇都宮線が分岐している。しかも,西川田から大谷線が分岐。大谷石を運ぶための路線だろうと推測できるが,鶴田にも駅があるから,人も運んでいたのだろう。
 さらに,下今市から分岐する鬼怒川線もできた。矢板線っていうのもあったんですねぇ。新高徳から船生を通って矢板まで線路があったのか。
 おそらく,この頃が鉄道網が最も賑やかだった時代なんでしょうね。栃木県でいえば,東武の他に東野交通が鉄道を走らせていた。八溝開発という国策に沿うもの。

● 当時の国鉄も,現在の烏山線を烏山から馬頭を通って常陸大子まで延ばして水郡線につなぐ計画だったと聞く。さらに,烏山から茂木まで延ばして真岡線につなぐ。下館で水戸線につながることになる。まさしく,鉄道が交通の太宗だったんですねぇ。
 もし,それらが実現されていれば,今頃はそっくり廃線になっていたろうけどね。烏山線も生き残れなかったろう。

● ここに来るキッカケになった写真展は2階で開催。昭和30年頃の駅の待合室とか商店街とかの写真。戦後まだ10年しか経っていない。今とは比べようもないほどに貧しかった。その様子は隠しようもなく写真に写っている。
 時々公開される北朝鮮の民衆の写真と似ている。貧困ゆえの悲惨も数え切れないほどあったはずだけれども,それでもみんな生きてたんだなぁ。愛おしさを感じる。それは,子供だった自分への愛おしさかもしれない。

● 博物館のある東向島についてもパネルの展示がある。このあたり,昔は寺島町といった(滝田ゆう『
寺島町奇譚』を読み返してみようか)。
 寺島町だった昭和10年頃の地図がある。京成の白鬚線が走っていた。吉行淳之介が『原色の街』で「隅田川に架けられた長い橋を,市街電車がゆっくりした速度で東へ渡って行く」と書いている。その市街電車は京成ではないのでしょうね。
 吉行淳之介『原色の街』の舞台は,ここから少し南に行った “鳩の街” になる。

● たっぷり楽しんだ。210円でこれだけ楽しめるんだからありがたい。東武さん,ありがとう,ってなもんだ。お礼に東武線の全線に乗ってみようかと思う。
 といっても,すでに桐生線にも小泉線にも亀戸線にも乗っているし,もちろん佐野線にも乗っているので,残っているのは東上線,越生線と,大宮~春日部~船橋のアーバンパークラインだけだ。

● 博物館を出て,東向島の街を少し歩いてみた。東京に住むとしたら,ぼくはここがいい。築ン十年の木造アパートがあったっけな。そこなら部屋代も安くすみそうだ。
 そうして,私家版「濹東綺譚」を紡いでいけばいいのじゃないか。永井荷風の頃とは時代も環境も違うから,荷風がやったようなことはできないけれど(荷風の時代にだって,荷風のようにはできないだろうが),この街の空気を吸って,食べて,飲んで,寝て,起きて,また食べてとやっていく。
 ま,夢だね。実際に住んでる人にすれば,色々と不満もあるんだろうけどさ。

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