2020年10月3日土曜日

2020.10.03 清澄白河散歩2-芭蕉記念館

● また,清澄白河へ。駅を出て清澄通りを行くと,高さの揃った洋館が並んでいる一画がある。これが,他にはないここ独特の空気感を作っている。
 夜になるとどんな風情を醸すんだろうか。飲むのを前提に来てみたいところだ。東京ではそんな街が次々にできてしまうから困る。一応,酒についてはドクターストップがかかっている身の上でもあるし。

● 回れ右して,小名木川を渡った。その橋が高橋という。高橋さんは知合いの中に何人かいるけれど,高橋という橋を渡るのは,今回が初めてだと思う。
 その高橋から見る小名木川。東京の河川では珍しくないのだが,これもほとんど運河か
と思える。しかし,そうではない。河川改修の結果,こうなった。都市河川の運命(?)だろう。
 ちなみに,隅田川との合流点はすぐそこだ。合流点の手前にある水門が邪魔をして,ここから合流点は見えないけれども。

● 小名木川を渡ってどこに行こうとしているかといえば,芭蕉記念館だ。隅田川の東側のこのエリアは,芭蕉のゆかりでもあり,伊能忠敬もすんでいたようであり,端倪すべからざる場所であるようなのだ。
 ぼくは俳句をものすることもしないし,芭蕉の句を味わえる鑑賞力もないのだが(古池や蛙飛びこむ水の音 からぼくがイメージできる光景は極めて貧弱なものでしかない),だからといって芭蕉を素通りしていいものかどうか。

● 『おくのほそ道』は4年前に初めて読んだ。角川ソフィア文庫の「ビギナーズ・クラシックス 日本の古典」シリーズの1冊。ひょっとすると,高校生のときに読んでいるかもしれないのだが,当時の自分はもはや自分ではない。
 見たまんまを書いているのではなくて,芭蕉があえてフィクションを付与しているっぽい。紀行文には違いないのだろうけど,それだけにはとどまらないようだ。
 驚くべき簡潔さ。ほんとに短い作品だ。何度も書き直しているんだろうか。いきなりこれができたわけではないのだろう。

● というような感想をもったんだけれども,ともあれ,芭蕉庵にほど近いところに建てられた芭蕉記念館に行ってみた。
 入館料は200円。小さな建物だ。2階には和室の会議室もあって,地元の句会のメンバーが打合せをしているようだった。
 芭蕉にまつわる諸々が展示されている。芭蕉の旅の軌跡をたどることもできるし,芭蕉の句を格調高い書体で読むこともできるのだが,すでに芭蕉についてある程度知っている人なら楽しめると思うけれど,そうじゃないとなかなか厳しいかも。

● というか,ぼくには厳しかった。何とか喰いついていけたのは,3階の常設展示場にあった,旅装束の実物と解説くらいのものだ。
 簡素なものだ。当時の草鞋を模したものを見るのは初めてだ。こんなもので歩いていたのか。ぼくらがこれで歩くと,親指と人指指の間の皮膚が切れて血が出るだろうな。路面から受ける衝撃を吸収するゴム底もないわけで,これじゃかなり疲れそうだよ。
 これで江戸から東北を回って大垣まで歩いたのか,とうたた感慨に浸ったわけだ。ぼくらは相当に過保護というか,江戸時代の日本人から見たら重装備もいいところだよ。

● 狭いけれども庭園もある。芭蕉にゆかりの植物が植えられているようなのだが,ここもぼくにはアウェイになる。ゆっくり見てあるこうかとも思わず,サッサと通過してしまった。
 この記念館は隅田川の川沿いにある。川沿いを下流に向かって
しばらく歩くと,芭蕉庵があったとされる場所に出る。今は芭蕉稲荷神社が祀られ,境内に芭蕉庵跡の碑がある。
 ここに来るのは二度目だ。7月25日にも来ている。散歩するのにもいいところだと思う。

● この先に芭蕉庵史跡展望庭園がある。小名木川が隅田川に合流する,まさにその場所。そうか,ここから芭蕉は『おくのほそ道』に旅立って行ったのかと思ってみる。
 今なら新幹線でパパッと行けるし,治安の問題もない。追いはぎや泥棒とも無縁だ。江戸時代にはどの程度の重さがあったのだろうなぁ。

● 小名木川の最も下流に架かる萬年橋を渡って,隅田川に降りてみた。これで芭蕉の影響圏の外に出たような気がした。
 もちろん,単純な気分の問題にすぎな
い。芭蕉はおそらくここから北を見ていたに違いないと,勝手に思ったわけなのだ。



(追記 2020.10.04)

 芭蕉庵史跡展望庭園。昨日は川辺から眺めただけの芭蕉像に会いに行った。視線の先には隅田川があるわけだが,その向こうに松島の月を見ていたんでしょうなぁ。千住まで舟で行って,そこから歩き始めるプランを考えていたんでしょう。
 芭蕉46歳で「奥の細道」に出立し,5年後に亡くなっている。

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