国際便が成田から羽田にシフトするのは,今後も止まるまい。ああいう農村に国際空港を作るのが間違っていた。羽田へのアクセスが全てで,成田からは遠くてかまわない。したがって,品川の優位性が揺らぐことはあり得ない。
● コロナは,人と人が交流すること,集まってワイワイ騒ぐこと,を制限している。この状況がこれから永遠に続くのなら,天上天下,唯我独尊,を決め込んで,自室に閉じこもって自分の内面を深く掘り下げることにいそしめばよろしいのだが,ヒトは群生動物だ。群れなければ生存を確保できない。
思春期後期からひとりで山にこもって,誰とも会わない生活を送った人が過去にいたのかどうか知らないが,その場合,長くは生きられないだろうと思う。
● 姥捨てならわかる。そういう事実があったことは確認されていないのだが,仮に姥捨てがあったとしても,あれは年寄りたちが集団で山に入って,外界とは切り離された生活を営むのだから,群生していることになる。
もしあったとしたら,深沢七郎著『楢山節考』に描かれているような悲惨なものではなく,むしろ年寄りはお山に行くことを楽しみにしていたのではないか。娑婆のしがらみを全部捨てて,自由に暮らせるのだ。
山は豊かだったはずだ。水に困ることもなかったろうし,獣を捕らえて動物性タンパク質を摂ることもできた。下界より元気になれたのじゃないかと思う。
おそらく,爺婆が春を取り戻すこともあったろう。そういう世界が悲惨であるはずがない。
● 話がそれた。人は群れるのが好きだ。群れに馴染めない人も一定数はいるだろうが,群れなければ生きられないからこそ,人は社会というものを作ってきた。
人は交流し,交易するのが自然なのだ。コロナとて,いつまでもそれを抑えていられるはずもない。コロナの収束は近いはずだが,そうなれば新幹線も空港も以前と同じ活況を取り戻すのは,あたりまえのことだ。
とすれば,品川は時代の追い風を受け続ける。まぁ,おそらく家賃が高すぎるだろうから,なかなか品川には住めないというだけだ。蒲田か川崎に住んで,世界を窺うのがよろしからん。
客室数が日本最大で,レストラン,宴会場,ボーリング場,シネコン,水族館,多目的ホールなどなど,全容を把握するのは容易じゃない。そこに加えて,諸々のテナントが入ったショッピングセンターの感も呈している。
1985年に関西にできた「つかしん」も西武が耕起している(現在は西武は全面撤退)。今では往時の活況はなくなっているらしい。大きすぎる問題があるかもしれない。品川プリンスは1978年に開業しているのだが,これほどのマンモスはひょっとすると時代にそぐわなくなっているかもしれない。
● 義弟がここで結婚式をあげたので,そのときに一度宿泊している。その後,一度だけ泊まったことがあるが,泊まるだけなら隣の高輪の方が年寄りの好みには合う。
息子が小さかった頃に,水族館には何度か来ている。が,今はこのホテルに用事があって来ることはまったくなくなった。散歩がてらとりとめのなさを味わいに来るところだ。
● パパ活女子がここを待ち合わせ場所にしているのを見かけることがある。そういう使われ方をされないホテルはダメなホテルね。
客室もそう。ラブホ的な使われ方をされないホテルには泊まらないと決めてしまうのが大吉。どういう関係なんだといぶかしがれるカップルがひと組もいないホテルのレストランというのはあり得ない。
いいホテルってのは,必ずそうしたカップルがいるものだ。品行方正な,換言すれば,標準偏差がゼロの宿泊客しかいないようなホテルに,魅力を感じるだろうか。
ただし,そうしたカップルがいれば必ずいいホテルかというと,それはそうとは限らないところが厄介だ。
● 品川は旧東海道が残っているところでもある。日本橋から歩いてきて,初めてホッとできる旧道が残っている。江戸時代は街道のすぐそこまで海が迫っていたのだろうから,沿線の風景はまるで違うものになっているとしても,東海道を歩いている気分に浸れる最初のところだ。
しかし,品川についてぼくが知るのはそれくらいのものだ。正直,交通の要衝という以外に何があるのか,よくわからない。ないはずはないと思うのだが。
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