● Amazonプライムビデオのお陰で隠居生活も退屈知らずでいるんだけども,普段はパソコンで見ている。12.5インチで解像度は1366x768。今日は1本だけスマホで見た。6.3インチで解像度は2280×1080。
解像度はスマホの方が高くなっているんだけども,パソコンで見る方が快適だ。画面の大きさの方が優先するというあたりまえの結論。
● パソコンはずっとThinkPadのXシリーズを使ってきた(家に据え置き)。次はもっと画面の大きいTやPにするか。それとも外付けディスプレイを買っちゃおうか。
テレビにつなぐここともできる。奥様がその器械をAmazonで購入している。が,テレビは隣の部屋なので,そこへ行くのが億劫。どんだけ,怠け者なんだ?
● でも,方向としては逆でしょうね。スマホで見るという方向でしょ。ダウンロードしておいてもいいし,その場でストリーミングでもいいけれども,いつでもどこでも,思いついたときに見るというなら,スマホの一択になる。
Xperia5のように,「21:9のシネマワイドTMディスプレイ」をウリにしている端末もある。動画視聴はスマホのアピールポイントのひとつになる。
● ちなみに,タブレットはぼくには意味がわからない製品だ。スマホでできることはスマホですればいいし,パソコンが必要ならパソコンを使えばいい。タブレットは帯に短し襷に長しという印象がある。奥さんはiPad Proをとても便利よというんだけど,タブレットを使うのは,パソコンできることがすべてタブレットでできるようになったときだ。
かといって,WindowsのタブレットPCのようなものにも,あまり食指がうごきませんわね。1台買っちゃったけどね。
● で,結局どうなるの? 現状のまま。
このままThinkPadで見ますよ。時々,スマホも使うだろうけど。
2020年5月27日水曜日
2020年5月26日火曜日
2020.05.26 宇都宮駅構内の「いろり庵きらく」で
● 今月の12日。ずいぶんご無沙汰していた宇都宮駅構内の「いろり庵きらく」に入ってみた。春菊天そば。460円。
ここは営業を閉めることはしなかったと思う。しばらく前に始めた“ちょい飲みサービス”はやめているけれど。つまり,ハイボールだのビールだのは出しませんよ,と。
● カウンターで客を捌いているのは,中国人かとおぼしきオバちゃん。女の人は軽々と国や言語を超えるねぇ。
これで思いだすのは,奥さんと2人でソウルに行ったときのことだ。20年近く前になると思うのだが,景福宮をぶらぶらと歩いていたら,外国人の若い女性の2人組がいた。
したらば。奥さんがその2人と楽しそうに話しているではないか。ぼくの知る限り,彼女の英語は完全な和式発音で,単語を並べる程度にしか話せない。まして,スペイン語などできるわけもない。
のだが,楽しそうに話している。女性どうしはこれができるのだ。男には逆立ちしてもできない芸当だろう。あとで,2人組はアルゼンチンから来た姉妹だということを教えてもらった。
● そんなことがあったので,中国人のオバちゃんにも声援を贈りたくなった。声援されるまでもなく,仕事はやってのけているわけだけどね。
この店が満席になったら密集に該当するかもしれないのだが,その状態にはほど遠い。あと少しの辛抱だと思うんだが。
● 次は18日。この日の客捌き人は日本人女性がやっていた。ローテーションがあるんでしょう。中国人のオバちゃんが辞めちゃったというわけではないと思う。
かき揚げそばで昼食にした。立ち食いそばの王道ですな。440円。
● その次は21日。遅めの昼食。ちくわ天そば。450円。ぼくが行ったときには,女衆はいなかった。若い男2人で切り盛り。
● で,今日。午後3時過ぎに遅い昼食を食べに。ミニカツ丼セットを頼んでしまいましたよ。660円。カツ丼のカツは昔のカツっていいますか,肉を棒で叩いて薄くした肉で,コロモの方が肉より厚いというカツ丼であります。
だから不味いということじゃない。カツ丼はその方がいいのかもしれない。
● 30代とおぼしき女性が1人でやってきて,ぼくと同じメニューを注文した。朝からずっと働きづめで食べる時間がなかったのかと思われた。
追い詰められてキリキリしている感はなし。ひっつめ髪で外見などかまっていられないという雰囲気もなし。しかし,優雅な奥様であるはずはない。
シングルマザーで,そろそろ子供が家に返ってくる時間なんだろうか。子供は女の子のような気がするが・・・・・・と想像をたくましくさせる人でしたね。
● この言い方がデリカシーを欠いていたら申しわけないんだけれども,日本という国というか共同体というか,その屋台骨を支えているのはこの人だと思った。そう思わせる迫力のようなものがある。浅薄な「幸せな人生」などというものを撥ねつける,力が満ちている感じといいますかね。
とびきり“いい女”を見たければ,こういうところに来てみるのがいいと思う。あるいは,キヨスクで働いている人を見に行くとか。高級ホテルのティーラウンジには(たぶん)いない(もしいるとすれば,それはP活中の女性だろう)。それよりもこちら側にいるのがいい。
ここは営業を閉めることはしなかったと思う。しばらく前に始めた“ちょい飲みサービス”はやめているけれど。つまり,ハイボールだのビールだのは出しませんよ,と。
● カウンターで客を捌いているのは,中国人かとおぼしきオバちゃん。女の人は軽々と国や言語を超えるねぇ。
これで思いだすのは,奥さんと2人でソウルに行ったときのことだ。20年近く前になると思うのだが,景福宮をぶらぶらと歩いていたら,外国人の若い女性の2人組がいた。
したらば。奥さんがその2人と楽しそうに話しているではないか。ぼくの知る限り,彼女の英語は完全な和式発音で,単語を並べる程度にしか話せない。まして,スペイン語などできるわけもない。
のだが,楽しそうに話している。女性どうしはこれができるのだ。男には逆立ちしてもできない芸当だろう。あとで,2人組はアルゼンチンから来た姉妹だということを教えてもらった。
● そんなことがあったので,中国人のオバちゃんにも声援を贈りたくなった。声援されるまでもなく,仕事はやってのけているわけだけどね。
この店が満席になったら密集に該当するかもしれないのだが,その状態にはほど遠い。あと少しの辛抱だと思うんだが。
● 次は18日。この日の客捌き人は日本人女性がやっていた。ローテーションがあるんでしょう。中国人のオバちゃんが辞めちゃったというわけではないと思う。
かき揚げそばで昼食にした。立ち食いそばの王道ですな。440円。
● その次は21日。遅めの昼食。ちくわ天そば。450円。ぼくが行ったときには,女衆はいなかった。若い男2人で切り盛り。
● で,今日。午後3時過ぎに遅い昼食を食べに。ミニカツ丼セットを頼んでしまいましたよ。660円。カツ丼のカツは昔のカツっていいますか,肉を棒で叩いて薄くした肉で,コロモの方が肉より厚いというカツ丼であります。
だから不味いということじゃない。カツ丼はその方がいいのかもしれない。
● 30代とおぼしき女性が1人でやってきて,ぼくと同じメニューを注文した。朝からずっと働きづめで食べる時間がなかったのかと思われた。
追い詰められてキリキリしている感はなし。ひっつめ髪で外見などかまっていられないという雰囲気もなし。しかし,優雅な奥様であるはずはない。
シングルマザーで,そろそろ子供が家に返ってくる時間なんだろうか。子供は女の子のような気がするが・・・・・・と想像をたくましくさせる人でしたね。
● この言い方がデリカシーを欠いていたら申しわけないんだけれども,日本という国というか共同体というか,その屋台骨を支えているのはこの人だと思った。そう思わせる迫力のようなものがある。浅薄な「幸せな人生」などというものを撥ねつける,力が満ちている感じといいますかね。
とびきり“いい女”を見たければ,こういうところに来てみるのがいいと思う。あるいは,キヨスクで働いている人を見に行くとか。高級ホテルのティーラウンジには(たぶん)いない(もしいるとすれば,それはP活中の女性だろう)。それよりもこちら側にいるのがいい。
2020年5月25日月曜日
2020.05.25 コロナ給付金を先行して使う
● 若い頃は年に100万円は本題に充てていた。年収の4分の1を超えていたかもしれない。もう半世紀近い昔なので,サラリーマンであるぼくの年収など,そんなものだった。
どうです,すごいでしょ,と言いたいのではない。今から振り返ればアホなことをしていたなとも思えるのでね。
● しかし,もう本は図書館で借りて読むものになっている。本代なんて年に5万円も使っていないだろう。
なぜそうなったか。直接の原因は東日本大震災だ。本に限らず,モノを抱えていていいことなど何もないと教えてくれる出来事だったから。
が,それ以前に遡ることもできなくはない。結婚したことだ。相方が本が増えるのを嫌った。それを忖度したってのもある。結婚したのに自分の年収の数分の1を本代に充ててしまうのは,少し異常だと自分でも思ったからね。
● ま,そういうわけで,本代は劇的に減った。もっとも,それよりさらに減ったのもあって,それは酒代だ。本代に年間100万円を使っていた頃,酒代にはもっと使っていた。早い話が,職場を出て翌日出勤するまでの時間をどうしていたかといえば,飲んでるか読んでるかだった。
もちろん,かなりデフォルメして語っていますよ。正確にいえば,そうじゃない時間の過ごし方も大量にありましたよ。極論するとそういうことだ,ということですよ。
● ここで急転直下。コロナ給付金のことだ。何に使うか。貯金するってのはあり得ない。それでは給付の趣旨を殺してしまう。貯金するくらいなら,受給を辞退するか,どこぞに寄付すればいい。
もらって全額を使う,のが正解だ。可能ならば短時日のうちに使い切る。何に使ってもいいし,どこで使ってもいい。
ぼくは殊勝にも地元で使おうと思っているが,それにどれほどの意味があるのかは,われながらよくわからない。Amazonや楽天で使うのはダメなのかと問われれば,ダメな理由は1つも浮かんで来ない。
● その10万円は全部本代に充ててしまおう。久しぶりにゴソッとまとめて本を買ってみよう。
そう思った理由のひとつは,街の書店もコロナでかなりの打撃を受けていることだ。ここに来て緊急事態宣言が解除され,お客がだいぶ戻ってきているけれど,それまでは悲惨といっていい状態だった。
もちろん,もっと大きい打撃を被ったところが枚挙にいとまがないほどあるに違いない。まだ営業を再開していない飲食店だってあるのだし,旅館やホテルもできるサービスをさせてもらえない状況が続いている。
● それらの中には,コロナ以前にしばしばお世話になっていたところがある。そういうところにもないお金をかき集めて,訪ねていこうと思っているけれども,コロナ給付金はしばしば立ち読みをさせてもらっていた,地元の書店で使うことにしよう。
● で,そのコロナ給付金だけれども,29日に振り込まれることになっている。そしたら速攻で引き出して,その10万円を握りしめて・・・・・・ってわけなんだけど,29日を待たないで先行して使っちゃうことにした。
29日まで待っている理由がない。自分のお金で払っておいて,その分を給付金から補填する。
● で,まず宇都宮駅ビルの2階に入っている八重洲ブックセンター宇都宮店で次の4冊を買った。
①幡野広志『ぼくたちが選べなかったことを,選びなおすために。』(ポプラ社)
②幡野広志『なんで僕に聞くんだろう。』(幻冬舎)
③田中泰延『読みたいことを,書けばいい。』(ダイヤモンド社)
④堀江貴文『スマホ人生戦略』(学研プラス)
● 次は,駅東のうさぎや書店。
⑤⑥中村元編『原典訳 原始仏典 上』『下』(ちくま学芸文庫)
⑦パスカル(前田陽一・由木康 訳)『パンセ』(中公文庫)
⑧⑨宮崎市定『中国史 上』『下』
⑩⑪⑫井筒俊彦訳『コーラン 上』『中』『下』
⑬『文語訳 新約聖書』
⑭⑮『文語訳 旧約聖書Ⅰ 律法』『文語訳 旧約聖書Ⅲ 諸書』(以上,岩波文庫)
● さらに・・・・・・と行くつもりもあったんだけど,今日のところはここまで。以上で20,702円。あと,79,298円。この続きは,29日にコロナ給付金を受け取ってからになるかも。
言うも愚かだけれども,書店の助けになればと思ってやっているわけではない。自分が読んでみようと思っていたのを買っただけだ(⑤以降は読むかどうか怪しいものだが)。自分のためだ。
それを国がプレゼントしてくれたようなものだ。安倍晋三くん,どうもありがとう。とっても嬉しいよ。
どうです,すごいでしょ,と言いたいのではない。今から振り返ればアホなことをしていたなとも思えるのでね。
● しかし,もう本は図書館で借りて読むものになっている。本代なんて年に5万円も使っていないだろう。
なぜそうなったか。直接の原因は東日本大震災だ。本に限らず,モノを抱えていていいことなど何もないと教えてくれる出来事だったから。
が,それ以前に遡ることもできなくはない。結婚したことだ。相方が本が増えるのを嫌った。それを忖度したってのもある。結婚したのに自分の年収の数分の1を本代に充ててしまうのは,少し異常だと自分でも思ったからね。
● ま,そういうわけで,本代は劇的に減った。もっとも,それよりさらに減ったのもあって,それは酒代だ。本代に年間100万円を使っていた頃,酒代にはもっと使っていた。早い話が,職場を出て翌日出勤するまでの時間をどうしていたかといえば,飲んでるか読んでるかだった。
もちろん,かなりデフォルメして語っていますよ。正確にいえば,そうじゃない時間の過ごし方も大量にありましたよ。極論するとそういうことだ,ということですよ。
● ここで急転直下。コロナ給付金のことだ。何に使うか。貯金するってのはあり得ない。それでは給付の趣旨を殺してしまう。貯金するくらいなら,受給を辞退するか,どこぞに寄付すればいい。
もらって全額を使う,のが正解だ。可能ならば短時日のうちに使い切る。何に使ってもいいし,どこで使ってもいい。
ぼくは殊勝にも地元で使おうと思っているが,それにどれほどの意味があるのかは,われながらよくわからない。Amazonや楽天で使うのはダメなのかと問われれば,ダメな理由は1つも浮かんで来ない。
● その10万円は全部本代に充ててしまおう。久しぶりにゴソッとまとめて本を買ってみよう。
そう思った理由のひとつは,街の書店もコロナでかなりの打撃を受けていることだ。ここに来て緊急事態宣言が解除され,お客がだいぶ戻ってきているけれど,それまでは悲惨といっていい状態だった。
もちろん,もっと大きい打撃を被ったところが枚挙にいとまがないほどあるに違いない。まだ営業を再開していない飲食店だってあるのだし,旅館やホテルもできるサービスをさせてもらえない状況が続いている。
● それらの中には,コロナ以前にしばしばお世話になっていたところがある。そういうところにもないお金をかき集めて,訪ねていこうと思っているけれども,コロナ給付金はしばしば立ち読みをさせてもらっていた,地元の書店で使うことにしよう。
● で,そのコロナ給付金だけれども,29日に振り込まれることになっている。そしたら速攻で引き出して,その10万円を握りしめて・・・・・・ってわけなんだけど,29日を待たないで先行して使っちゃうことにした。
29日まで待っている理由がない。自分のお金で払っておいて,その分を給付金から補填する。
● で,まず宇都宮駅ビルの2階に入っている八重洲ブックセンター宇都宮店で次の4冊を買った。
①幡野広志『ぼくたちが選べなかったことを,選びなおすために。』(ポプラ社)
②幡野広志『なんで僕に聞くんだろう。』(幻冬舎)
③田中泰延『読みたいことを,書けばいい。』(ダイヤモンド社)
④堀江貴文『スマホ人生戦略』(学研プラス)
● 次は,駅東のうさぎや書店。
⑤⑥中村元編『原典訳 原始仏典 上』『下』(ちくま学芸文庫)
⑦パスカル(前田陽一・由木康 訳)『パンセ』(中公文庫)
⑧⑨宮崎市定『中国史 上』『下』
⑩⑪⑫井筒俊彦訳『コーラン 上』『中』『下』
⑬『文語訳 新約聖書』
⑭⑮『文語訳 旧約聖書Ⅰ 律法』『文語訳 旧約聖書Ⅲ 諸書』(以上,岩波文庫)
● さらに・・・・・・と行くつもりもあったんだけど,今日のところはここまで。以上で20,702円。あと,79,298円。この続きは,29日にコロナ給付金を受け取ってからになるかも。
言うも愚かだけれども,書店の助けになればと思ってやっているわけではない。自分が読んでみようと思っていたのを買っただけだ(⑤以降は読むかどうか怪しいものだが)。自分のためだ。
それを国がプレゼントしてくれたようなものだ。安倍晋三くん,どうもありがとう。とっても嬉しいよ。
2020年5月22日金曜日
2020.05.22 老いても勢いを保つために75歳まで働く・・・・・・
● 年寄りにできる最大の社会貢献は健康でいることだ,と言われることがある。病気だ介護だとなると現役世代の負担を増やす。医療費も介護費も現役世代の人たちが負担してくれているのだ。
とにかく健康でいること。それが年寄りにできる最大の社会貢献だよ,と。それ以外の年寄りの社会貢献願望は,たいていの場合,社会の迷惑だよ。
● では健康でいるためにはどうすればいいか。働くことだ。これは出口治明さんが著書で語っていたこと。
60歳で定年になったからもう仕事はしないよ,もう65歳だからいいよ,っていうんではなくて,働ける間は働く。それが健康寿命を伸ばす一番の方法だ。
● 人生100年というのはさすがに少ないだろうけれども,90年はすでにリアルになりつつある。60歳で仕事を辞めてしまうと残り30年をどうするのだ?
いや俺は75歳でいいよ,もうたくさんだよ,という人も多いと思うんだけれども,そういう人には,あんた,75歳になったら自殺するつもりですか,と問わなければならない。
自殺なんてできる相談じゃないでしょう。なら,90歳までもたせなきゃいけない。好むと好まざるとにかかわらず(ぼくも90年は長すぎると思うけど)。
● 年金で生活できるかできないかという話ならば,たぶんできるだろう。田舎に住んでしかも持ち家だということならば,年金だけでもやっていけるはずだ。経済的にはどうにかなる。
しかし,それでいいのか。30年も年金だけで暮らすことには,経済とは別の問題があるのではないか。お金的にはそうだとしても,お金の問題じゃないよね,もっと大事なことがあるよね,ということ。
● 何と言えばいいのか。“勢い”を保つという問題があるのじゃなかろうか。60歳で定年退職して,何もしなければ勢いはどんどんどんどん下がってしまう。その状態であと30年も生きるってのはどうなのよ。
たとえば20代や30代の女性が,自分と酒を飲んでくれる,この人とだったら一緒に飲む時間を使ってもいいと思ってくれる。そのために一番必要なものは,おそらく勢いなのではないか(もちろん,女の人が一緒に飲んでくれるというのはあくまで1つのたとえだ。一番わかりやすいたとえだと思うので使ってみた)。
年を重ねたからといって賢くなっているわけでもあるまい。勢いがなければタダの爺だ。タダの爺に他者への誘引力などあるわけがない。
● 勢いを自分に保ったままにしておくための,一番いい方法はおそらく仕事をしていることではないか。
勢いを保つ(可能ならば増やす)ための方法は,仕事だけではない。それは当然だ。自分の好きなことや趣味にいそしむこと,さらには若い頃にやっておきたかったのに事情があってできなかったことを老いてからやるのも,勢いを生じさせるかもしれない。
勢いを生む方法はいくつもある。が,多くの人にとっては仕事をするのが最も手っ取り早い方法かと思う。
● ので,健康寿命を延ばすために仕事をするという側面(あえて消極的な側面と言っておく)と勢いを保つために仕事をするという側面(積極的な側面)の2つがある。
どちらが大事かと言うと,健康であればこそ勢いもあるわけなので,どちらも大事なんだけども,強いて言えば勢いの方かなぁ,と。
● 自分が現役だった頃から,いずれ年金は70歳が支給開始年齢になるだろうと言われていた。ざけんなよ,70歳まで働けっていうのかよ,と思ったものだ。
しかし,実際に辞めてみると,ここから先が長いのだと実感する。よっぽど人間関係を苦手としていて,人嫌い,対人恐怖を抱えていたのであれば,定年までに散々苦労してきただろう。その先も同じ思いをすることはない。
けれども,そうでもない限りは,75歳まで働くっていう構えを持っているべきかなと思う。実際に75歳まで働くか働かないかは別の問題だけども,人生90年がリアルになってしまった以上,そのように構えていた方が勢いを落とさずにすむ。勢いを保ったままあの世にジャンプできる。
● 75歳から後期高齢者になるわけだけども,その75歳までは働く,そこから先が老後だ。と,先日読んだ『老後の運命は54歳で決まる』で著者の櫻井秀勲さんは語っていた。それを思いだしたのだ。
ま,ぼくも63歳で仕事を辞めてしまって,よくいえば悠々自適の暮らしを4月から始めたんだけど,それでいいのかと問われれば,正直よくわからない。
● ウチに来てくれないかって話があれば,また仕事をしてもいいかなと思う(そういうプロポーズはないと思うけどね)。
一方で,自分は仕事から切り離されたところで勢いを作ってみせるぞ,という気持ちもあってね。っていうか,仕事よりも今のポジションの方が,自分にとっては勢いをつけやすい環境じゃないかとも思っていて。
とにかく健康でいること。それが年寄りにできる最大の社会貢献だよ,と。それ以外の年寄りの社会貢献願望は,たいていの場合,社会の迷惑だよ。
● では健康でいるためにはどうすればいいか。働くことだ。これは出口治明さんが著書で語っていたこと。
60歳で定年になったからもう仕事はしないよ,もう65歳だからいいよ,っていうんではなくて,働ける間は働く。それが健康寿命を伸ばす一番の方法だ。
● 人生100年というのはさすがに少ないだろうけれども,90年はすでにリアルになりつつある。60歳で仕事を辞めてしまうと残り30年をどうするのだ?
いや俺は75歳でいいよ,もうたくさんだよ,という人も多いと思うんだけれども,そういう人には,あんた,75歳になったら自殺するつもりですか,と問わなければならない。
自殺なんてできる相談じゃないでしょう。なら,90歳までもたせなきゃいけない。好むと好まざるとにかかわらず(ぼくも90年は長すぎると思うけど)。
● 年金で生活できるかできないかという話ならば,たぶんできるだろう。田舎に住んでしかも持ち家だということならば,年金だけでもやっていけるはずだ。経済的にはどうにかなる。
しかし,それでいいのか。30年も年金だけで暮らすことには,経済とは別の問題があるのではないか。お金的にはそうだとしても,お金の問題じゃないよね,もっと大事なことがあるよね,ということ。
● 何と言えばいいのか。“勢い”を保つという問題があるのじゃなかろうか。60歳で定年退職して,何もしなければ勢いはどんどんどんどん下がってしまう。その状態であと30年も生きるってのはどうなのよ。
たとえば20代や30代の女性が,自分と酒を飲んでくれる,この人とだったら一緒に飲む時間を使ってもいいと思ってくれる。そのために一番必要なものは,おそらく勢いなのではないか(もちろん,女の人が一緒に飲んでくれるというのはあくまで1つのたとえだ。一番わかりやすいたとえだと思うので使ってみた)。
年を重ねたからといって賢くなっているわけでもあるまい。勢いがなければタダの爺だ。タダの爺に他者への誘引力などあるわけがない。
● 勢いを自分に保ったままにしておくための,一番いい方法はおそらく仕事をしていることではないか。
勢いを保つ(可能ならば増やす)ための方法は,仕事だけではない。それは当然だ。自分の好きなことや趣味にいそしむこと,さらには若い頃にやっておきたかったのに事情があってできなかったことを老いてからやるのも,勢いを生じさせるかもしれない。
勢いを生む方法はいくつもある。が,多くの人にとっては仕事をするのが最も手っ取り早い方法かと思う。
● ので,健康寿命を延ばすために仕事をするという側面(あえて消極的な側面と言っておく)と勢いを保つために仕事をするという側面(積極的な側面)の2つがある。
どちらが大事かと言うと,健康であればこそ勢いもあるわけなので,どちらも大事なんだけども,強いて言えば勢いの方かなぁ,と。
● 自分が現役だった頃から,いずれ年金は70歳が支給開始年齢になるだろうと言われていた。ざけんなよ,70歳まで働けっていうのかよ,と思ったものだ。
しかし,実際に辞めてみると,ここから先が長いのだと実感する。よっぽど人間関係を苦手としていて,人嫌い,対人恐怖を抱えていたのであれば,定年までに散々苦労してきただろう。その先も同じ思いをすることはない。
けれども,そうでもない限りは,75歳まで働くっていう構えを持っているべきかなと思う。実際に75歳まで働くか働かないかは別の問題だけども,人生90年がリアルになってしまった以上,そのように構えていた方が勢いを落とさずにすむ。勢いを保ったままあの世にジャンプできる。
● 75歳から後期高齢者になるわけだけども,その75歳までは働く,そこから先が老後だ。と,先日読んだ『老後の運命は54歳で決まる』で著者の櫻井秀勲さんは語っていた。それを思いだしたのだ。
ま,ぼくも63歳で仕事を辞めてしまって,よくいえば悠々自適の暮らしを4月から始めたんだけど,それでいいのかと問われれば,正直よくわからない。
● ウチに来てくれないかって話があれば,また仕事をしてもいいかなと思う(そういうプロポーズはないと思うけどね)。
一方で,自分は仕事から切り離されたところで勢いを作ってみせるぞ,という気持ちもあってね。っていうか,仕事よりも今のポジションの方が,自分にとっては勢いをつけやすい環境じゃないかとも思っていて。
2020年5月21日木曜日
2020.05.21 高校の世界史と日本史の教科書を買った
● 高校の社会科の教科書を読んでみようと思っている。山川の「もういちど読む」シリーズもいいんだけども,現役生が使っている教科書を読んでみたい。
その山川の「詳説世界史B」と「詳説日本史B」は需要があるのだろう。販売している書店がある。桜木町駅前のコレットマーレに入っている紀伊國屋書店や大手町の丸善で見たことがある。
● が,その2つしか見たことがない。世界史や日本史でも山川以外の教科書は見たことがないし,地理や倫理の教科書は一切見たことがない。
普通,書店では教科書は販売していないもんね。むしろ,山川の「詳説世界史B」と「詳説日本史B」があるのは何でなのってことなんでしょう。
ともあれ,今日,東京に出たので,八重洲ブックセンター本店でこの2冊を購入した。
● 中学生の頃,早く高校の世界史の教科書が読みたくて,従姉の教科書を借りて読ませてもらったことがある。彼女の家に行って,その場で読ませてもらって,返して帰ってきたのだったと思う。社会科に関しては中学校と高校の水準にさほどの差はないなと思ったものだ。
高1のときは社会科は地理を習った。まったく興味が持てない。ので,地理の授業中は世界史の受験参考書を読むことにしていた。地理は赤点ばかりだった。
そんなパワー(?)はもう持てないが,この2冊,ポツラポツラ読んでいくことにしよう。
● あとは地理B,倫理,政治経済だが,どの教科書がいいか。って,指導要領というか検定要領というか,詳細な基準にしたがって作られているのだから,どれでも大差はないはずだ。大差があったのでは検定制度の意味がない。ゆえに,採択率が高いものを選んでおけばいいだろう。
となると,地理は帝国書院,倫理は実教出版,政治経済は清水書院ってことになりますか。
● 社会科が終わったら理科に進む。物理と生物は啓林館,化学は東京書籍,地学基礎は数研出版でいいだろう。
国語や数学,英語の教科書は買ったところでどうにもならないので(保健体育の教科書は面白いかもしれない)社会科と理科だけにしておく。
が,これらを読めば,そしてひと通りでも理解できれば,たぶん,日本国内でトップ5%に入る知識人になれるはずだ。大学教授やシンクタンクで働く職員を含めたうえでのトップ5%だ。
メディアだのネットだので,いろいろ言うヤツがたくさんいるけれども,まぁ,ヤツらの知識人度(?)は高校の教科書以下だと思うよ。
● これらの教科書はどこで買えるか。各県に販売所がある。が,神保町の三省堂書店にあらかた揃っているようだ。だったら三省堂に行ってしまえばいい。
● ところで。書店もコロナの影響を受けている。八重洲ブックセンターでも各階で会計するのではなく,1階の会計に集約していた。それで対応できてしまう。
とにかく人が少ない。東京駅の地下街もゴーストタウンになっている。銀座に出てみようかと思ったが,やめた。
その山川の「詳説世界史B」と「詳説日本史B」は需要があるのだろう。販売している書店がある。桜木町駅前のコレットマーレに入っている紀伊國屋書店や大手町の丸善で見たことがある。
● が,その2つしか見たことがない。世界史や日本史でも山川以外の教科書は見たことがないし,地理や倫理の教科書は一切見たことがない。
普通,書店では教科書は販売していないもんね。むしろ,山川の「詳説世界史B」と「詳説日本史B」があるのは何でなのってことなんでしょう。
ともあれ,今日,東京に出たので,八重洲ブックセンター本店でこの2冊を購入した。
● 中学生の頃,早く高校の世界史の教科書が読みたくて,従姉の教科書を借りて読ませてもらったことがある。彼女の家に行って,その場で読ませてもらって,返して帰ってきたのだったと思う。社会科に関しては中学校と高校の水準にさほどの差はないなと思ったものだ。
高1のときは社会科は地理を習った。まったく興味が持てない。ので,地理の授業中は世界史の受験参考書を読むことにしていた。地理は赤点ばかりだった。
そんなパワー(?)はもう持てないが,この2冊,ポツラポツラ読んでいくことにしよう。
● あとは地理B,倫理,政治経済だが,どの教科書がいいか。って,指導要領というか検定要領というか,詳細な基準にしたがって作られているのだから,どれでも大差はないはずだ。大差があったのでは検定制度の意味がない。ゆえに,採択率が高いものを選んでおけばいいだろう。
となると,地理は帝国書院,倫理は実教出版,政治経済は清水書院ってことになりますか。
● 社会科が終わったら理科に進む。物理と生物は啓林館,化学は東京書籍,地学基礎は数研出版でいいだろう。
国語や数学,英語の教科書は買ったところでどうにもならないので(保健体育の教科書は面白いかもしれない)社会科と理科だけにしておく。
が,これらを読めば,そしてひと通りでも理解できれば,たぶん,日本国内でトップ5%に入る知識人になれるはずだ。大学教授やシンクタンクで働く職員を含めたうえでのトップ5%だ。
メディアだのネットだので,いろいろ言うヤツがたくさんいるけれども,まぁ,ヤツらの知識人度(?)は高校の教科書以下だと思うよ。
● これらの教科書はどこで買えるか。各県に販売所がある。が,神保町の三省堂書店にあらかた揃っているようだ。だったら三省堂に行ってしまえばいい。
● ところで。書店もコロナの影響を受けている。八重洲ブックセンターでも各階で会計するのではなく,1階の会計に集約していた。それで対応できてしまう。
とにかく人が少ない。東京駅の地下街もゴーストタウンになっている。銀座に出てみようかと思ったが,やめた。
2020年5月12日火曜日
2020.05.12 宇都宮市立図書館が再開した
● 隠居生活者にとっては,しかもインドア派にとっては,図書館はありがたい存在だ。先月から隠居を始めているが,図書館なしでも何とかなることは自分で証明した。
が,図書館が使えれば彩りが増す。散歩のターミナル地点にもなる。だから,図書館は自宅からあまり近くじゃない方がいい。
● もちろん,ぼくの地元にも図書館はあるんだけど,宇都宮までの定期券を買って,東図書館に日参するのも悪くないなと思っていてね。6ヶ月の通勤定期を買って,ひと月あたりに割り戻すと5,800円。これくらいだったら出せるっしょ。
家事は朝のうちにパパっと片づけて,夕方には帰るくらいの感じかな。
● ところで。宇都宮市立図書館が昨日(5月11日)から再開。2月末に借りた本7冊と落語のCD5枚がまだ手元にある。返却期限が来る前に閉館されたので仕方がないのだが,借り物をあまり長く持っているのも気分のいいものではない。
再開初日は混雑しそうだから,初日は外して,今日,宇都宮市立図書館に返却に行った。
● 図書館は宝の山。ぼくなんぞの場合は,図書館とインターネットの合わせ技で娯楽は整ってしまう。PCとスマホと図書館の利用者カードがあれば,他は要らん(しいて言うと,WALKMANが要る)。
ので,ありがたく使わせていただきたいと思っている。よろしくお願いしたい。
● 図書館がすることのない年寄りのたまり場になっていることは,もちろん,現役時代から知っていた。何だかなぁと思わないでもなかった。図書館は老人福祉施設かとね。そういう意味でいうと,老人福祉施設は図書館以外にもいくつもありそうだけど。
一方,退職してからも図書館なんか一度も行ったことがないよ,と自慢する年寄りもいるらしい。これまた何だかなぁと思う。自然流でいいではないか。
● ところで,先の定期券の話なんだけども,実際にやるんですかと問われれば,やりませんよとお答えする。勢いで言っちゃいました。
さすがに定期券を買って日参するところまではねぇ。2日に1回以上行くのでなければ定期券を買う意味はないけど,2日に1回も行くわけないな。
3日に1回なら行くかもしれない。それだったら,その都度切符を買えばいい話だものね。
が,図書館が使えれば彩りが増す。散歩のターミナル地点にもなる。だから,図書館は自宅からあまり近くじゃない方がいい。
● もちろん,ぼくの地元にも図書館はあるんだけど,宇都宮までの定期券を買って,東図書館に日参するのも悪くないなと思っていてね。6ヶ月の通勤定期を買って,ひと月あたりに割り戻すと5,800円。これくらいだったら出せるっしょ。
家事は朝のうちにパパっと片づけて,夕方には帰るくらいの感じかな。
● ところで。宇都宮市立図書館が昨日(5月11日)から再開。2月末に借りた本7冊と落語のCD5枚がまだ手元にある。返却期限が来る前に閉館されたので仕方がないのだが,借り物をあまり長く持っているのも気分のいいものではない。
再開初日は混雑しそうだから,初日は外して,今日,宇都宮市立図書館に返却に行った。
● 図書館は宝の山。ぼくなんぞの場合は,図書館とインターネットの合わせ技で娯楽は整ってしまう。PCとスマホと図書館の利用者カードがあれば,他は要らん(しいて言うと,WALKMANが要る)。
ので,ありがたく使わせていただきたいと思っている。よろしくお願いしたい。
● 図書館がすることのない年寄りのたまり場になっていることは,もちろん,現役時代から知っていた。何だかなぁと思わないでもなかった。図書館は老人福祉施設かとね。そういう意味でいうと,老人福祉施設は図書館以外にもいくつもありそうだけど。
一方,退職してからも図書館なんか一度も行ったことがないよ,と自慢する年寄りもいるらしい。これまた何だかなぁと思う。自然流でいいではないか。
● ところで,先の定期券の話なんだけども,実際にやるんですかと問われれば,やりませんよとお答えする。勢いで言っちゃいました。
さすがに定期券を買って日参するところまではねぇ。2日に1回以上行くのでなければ定期券を買う意味はないけど,2日に1回も行くわけないな。
3日に1回なら行くかもしれない。それだったら,その都度切符を買えばいい話だものね。
2020年5月3日日曜日
2020.05.03 スマホの買替期間
● ネットで「携帯電話は何年で買い替えられているのだろうか」という記事を見た。この記事によると,携帯電話の買い替え期間は,2002年には2年だったのが,2020年は4.9年になっている。約5年だ。
本当なんだろうかとまず思った。5年も使ってる? 本当? って感じたんですよね。
● と感じるのは,ぼくは同じ端末を5年も使ったことがないからだ。最短では2ヶ月しか使わなかった端末もある。
iPhone5Cなんだけどね。AndroidからiPhoneに乗り換えてみたものの,2ヶ月でAndroidに戻ることになったんでした。
● ともあれ。2002年というとスマホではなくてガラケーだったはず。その頃の方が買い替え期間が短かったというのもなぁ。
ぼくの感触だと,スマホになってからの方が買い替えが早くなっているんじゃないかと思うんですよね。
● 特に,最近のスマホは,Androidでも,自分でバッテリーを交換することができなくなってるじゃないですか。ショップに持っていかなくちゃいけない。
ぼくが使っているASUSの ZenFone Max なんかは,バッテリーは交換できない仕様。バッテリーの寿命が尽きれば,本体を買い換えるしかない。
ガラケーよりスマホの方がよほどバッテリーを酷使する。毎日ガンガン使われて,5年もバッテリーがもつなんてこと,あるんだろうかなぁ。
と,とりあえず思ってみたわけなんでした。
● いやいや,2002年の方が買替期間は短かったですね。その頃って端末価格が安かったから。っていうか,タダに近かったような。月々の通信料で儲けるビジネスモデルで,端末はタダでばらまくって感じでしたよ。
今とは違ってましたね。そっか。だったら,当時の方がどんどん買い替えていたでしょうね。
今はね,iPhoneとかXperiaの最新型は平気で10万円を超えますもんね。そりゃ,そう簡単には買い換えられませんよね。
● それでも,ですよ。5年も使うかい? どうも解せない感が残りますなぁ。皆さん,そんなに長く使ってますか。
男女別,年齢別,AndroidとiPhone別ではどうなんだろうか。女性のiPhoneユーザーはたしかに長く使っている印象があるんだけどね。それでも5年も使っているだろうかなぁ。
本当なんだろうかとまず思った。5年も使ってる? 本当? って感じたんですよね。
● と感じるのは,ぼくは同じ端末を5年も使ったことがないからだ。最短では2ヶ月しか使わなかった端末もある。
iPhone5Cなんだけどね。AndroidからiPhoneに乗り換えてみたものの,2ヶ月でAndroidに戻ることになったんでした。
● ともあれ。2002年というとスマホではなくてガラケーだったはず。その頃の方が買い替え期間が短かったというのもなぁ。
ぼくの感触だと,スマホになってからの方が買い替えが早くなっているんじゃないかと思うんですよね。
● 特に,最近のスマホは,Androidでも,自分でバッテリーを交換することができなくなってるじゃないですか。ショップに持っていかなくちゃいけない。
ぼくが使っているASUSの ZenFone Max なんかは,バッテリーは交換できない仕様。バッテリーの寿命が尽きれば,本体を買い換えるしかない。
ガラケーよりスマホの方がよほどバッテリーを酷使する。毎日ガンガン使われて,5年もバッテリーがもつなんてこと,あるんだろうかなぁ。
と,とりあえず思ってみたわけなんでした。
● いやいや,2002年の方が買替期間は短かったですね。その頃って端末価格が安かったから。っていうか,タダに近かったような。月々の通信料で儲けるビジネスモデルで,端末はタダでばらまくって感じでしたよ。
今とは違ってましたね。そっか。だったら,当時の方がどんどん買い替えていたでしょうね。
今はね,iPhoneとかXperiaの最新型は平気で10万円を超えますもんね。そりゃ,そう簡単には買い換えられませんよね。
● それでも,ですよ。5年も使うかい? どうも解せない感が残りますなぁ。皆さん,そんなに長く使ってますか。
男女別,年齢別,AndroidとiPhone別ではどうなんだろうか。女性のiPhoneユーザーはたしかに長く使っている印象があるんだけどね。それでも5年も使っているだろうかなぁ。
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