● インターネットがあれば誰でも情報を発信することができる,自分のメディアを持つことができる,と言われてきた。
初期のホームページの時代は,発信するのは企業や行政府や大学といった,法人かそれに準ずるようなところだけで,個人ではなかなかハードルが高かったが(IBMの「ホームページビルダー」なんてソフトがあったけど),ブログが生まれ,SNSができると,そのハードルが一気に低くなった。っていうか,ハードルが消滅した。
● 最近では “note” なんてのもできた。ブログとどう違うのか,ぼくはよく知らないが。
SNSだけでも,Twitter,Facebook,Instagramの御三家があり,LINEもSNS機能を備え,今ではYouTubeもSNSに数えていいだろう。他に,Mastodon,Snapchat,SNOWとあるのだ。ぼくが知らないだけで,他にもあるのだろう。
発信方法は多様になる一方だ。テキストから始まり,画像,音声,動画も取り扱えるようになり,今や猫や犬に変身することもできるようになった。
● ブログを書きつつ,TwitterとFacebookとInstagramをやり,さらにnoteにも手を出している人もいるだろう。媒体に応じて内容を変えているのではなくて,同じものを複数の媒体にあげているのではないか。
なぜそんなことをするのかといえば,読み手を獲得したいからに違いない。しかし,結果は虚しいものでしょう。
媒体を増やしてみてもダメなのだ。つまり,ゼロはいくら加えてもゼロだからだ。
● 今や,ネットにおいては書き手ばかりで読み手がいない。
SNSはお互いに書き手であり読み手ではないのかと思うかもしれないけれど,そうではない。他人の投稿など読んじゃいない。読み流して“いいね”を付けているだけだ。
自分を顧みればわかるはずだ。他人も同じことをしている。
● ブログもSNSもnoteもと,何にでも喰いついているようでは,その時点で終わりではないか。根拠があって言ってるわけではないんだが。
同じ内容を複数の媒体を使って発信してみても仕方がない。ブログならブログ,TwitterならTwitter,noteならnoteとメインをひとつ決め,補助的にもうひとつ使うくらいでいいのでは。
Twitterで何十万人というフォロワーを獲得している人が,別の媒体からうちでも何か書いてくれないかとスカウトされて,結果,いくつもの媒体に書いている人もいるかもしれないけれども,当然ながら,一般人のロールモデルにはならないものだ。
● さらに根拠のないことを言うと,SNSの時代もすでに最盛期は過ぎたのではないかと感じることがある。インフルエンサーとかユーチューバーとか,何万人ものフォロワーや何十万ものPVを得て,高収入を得,もてはやされるのも,終わりが近いかもしれない。
厭きられない人はいないのだ。諸行は巡る。
● 有名になりたい? インフルエンサーになりたい? 無名こそ,最高ではないか。無名は生まれながらにして誰もが持っているものだ。それをムザムザ捨ててどうする?
金持ちになるのはいい。が,有名になった結果,金持ちになるんじゃ,トータルでゼロだ。“有名で貧乏”は最悪だ。貧乏なら,無名が有名に勝る。
何が言いたいのかといえば,あなたは(ぼくもだが)最下層ではないということだ。あなたよりも下が必ずいる。なぜなら,あなたもぼくも無名だからだ。ぼくらの下に“有名人”がいるのだ。そういうことだ。
● ネットで無理な演技をしても仕方がない。タンポポがネットでバラになろうとしても無理なこと。
自分がタンポポであることをそろそろ認めた方がいいんじゃないか。タンポポにはタンポポの咲き方があるはずだから。
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