2025年5月8日木曜日

2025.05.08 川崎は都市の最先端である

● 王者の朝食,2日目。朝食のメニューは毎日の定番の他に,2日に1回,3日に1回,さらには不定期で登場するものがある。
 今日は野菜炒めがあってね。豚肉も入っているので,肉野菜炒めですかね。これはご飯に載せて,丼にして食べる。別盛りにしたっていいんだけども,ぼくは丼にしたくなる。汁も余さず喰うには丼の方がいいんですよ。

● 筑前煮。これは肉ジャガと交替で1日置きに出る。この筑前煮が絶妙に旨いんですよ。
 特別なものが入っているわけではないし,特殊な味付けをしているわけでもない。けれども,ほどの良さの妙と言いますかねぇ。いくつか食べた筑前煮の中で,ここで出されるものが最も旨い。
 酒が欲しくなるというわけではない。酒なしで全然OK。まぁね,ぼくが里芋好きというのはあると思いますよ。他に,牛蒡と人参。根菜がタンと摂れる。こらさえ食べとけば安心という,あまり知的とは言えない思い込みもある。

● そばとうどんも1日交替。汁はカレー汁。普通の汁もあるが,以前はカレー汁だけだった。
 そのままでもスープカレーになると思う。刻みネギを多めにして,ご飯にかけてもよろしかろうと思うのだが,やったことはない。

● ヨーグルトには黄色のマンゴーソース。金運を体内に入れることにする。
 年金暮らしの身にドバッと臨時収入が入って来たら嬉しいね。入ってきても貯金なんていう,自分のところで留めてしまうことはしないで,必ず全額使うからさ。次に流しますよ。
 そうだな,やっぱ今やってるような贅沢につぎ込むかな。

● 川崎に来ると思うことがひとつある。川崎市民は垢抜けることをなぜ頑なに拒否しているのだろうか。そんなものはどうでもいいじゃないか,と考えてるんだろうか。
 特にそれを思うのが新百合。あれだけの基盤があるのに,なぜ? 駅近に昭和音大があるのに,なぜあれを景観に取り込まない?

● 唯一の例外が,川崎駅西口の景観。ラゾーナの存在は大きい。東芝の工場跡地が一変した。ここだけが川崎で見ることのできる21世紀的な都市空間だ(ただし,小杉は行ったことがないので知らない)。
 しかぁし。だから川崎はダメだと言ってるんじゃないですからね。北関東の田んぼの村の住人にとっては,川崎は楽に呼吸ができるほとんど唯一の大都市だ。無防備でいられる気安さがある。

● 横浜だとそうは行かない。横浜は誇り高き独立国という気がする。東京に対して独立している。しかも,東京を格下に見ている風を感じることがある。
 その分,かすかなムラ意識の存在を覚えるわけで,田舎の原住民であるぼくなんぞは,横浜に行ってみたいとはあまり思わない。東海道線でひと駅の違いしかなくても,川崎は近いが横浜は遠い。

● 川崎市は東西に極端に短く,南北に長い。その長い川崎市の南端に川崎がある。
 そうして,南端の川崎には東海道線と京急が東西に走り,小杉には湘南新宿ラインと東急東横線がやはり東西に走る。溝の口には東急田園都市線。渋谷からメトロ半蔵門線に乗り入れるから,都心まで乗り換えなしで行ける。登戸には小田急。こちらもメトロ千代田線に乗り入れる。

● 川崎のどこに住んでいても,東京はすぐそこにある。横浜も近い。
 ところが,川崎を南北に縦断しようとすると,南武線に乗らなければならない。できれば乗りたくない路線だろう。

● というわけで,川崎市という市域はあっても,川崎に求心力は存在しない。それが開放的で緩やかな空気感を作っているのではないかと思っている。
 よそ者が入って行っても拒まれることはないという気楽さを産んでいるのてはないかな,と。この気楽さがありがたい。
 ひょっとすると,川崎は最先端の都市なのかもしれないよ。他の都市も川崎を見習え。

● その川崎が垢抜けていないということは,都市的洗練などという言葉は,あさっての方向を向いた世迷い言なのかもしれないな。
 そんなものは邪魔なだけかもしれん。要らないものである可能性がある。

● ラゾーナ1階の店で買ったイチゴ大福。旨かったです。大福である以上,主役はイチゴではありません。皮とあんこですからね。
 今日はラゾーナの食品売場でいくつかの惣菜と弁当を買って,部屋食にした。こういうのもいいね。これでも充分に非日常を感じられるもん。

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