2026年4月10日金曜日

2026.04.10 底辺Fラン

● 最近,“底辺Fラン” という言葉に引っかかることが増えた。それはつまり,自分について考えることと同義なのだが。
 自分の来し方についてチラチラと考えるとき,“底辺Fラン” が点滅するのだ。

● 自分の頭で考えることが大切だと言うけれども,それを真に受けてはいけない。だってバカなんだから。
 バカが自分の頭で考えたのでは間違えるに決まっている。“底辺Fラン” に限らず,自分の頭で考えてもいい人なんて,100人に1人もいるかどうか。

● 少なくとも,“底辺Fラン” は他者の意見に従った方がいい。他者の意見を知る努力をすることを勉強というのだが,“底辺Fラン” はその勉強を億劫がるんだな。
 自分の粗雑な頭と吹けば飛ぶような経験だけで辻褄を合わせようとする。横着にもほどがある。それでよくこれまで生きて来れたものだな。

● 齢を取って老いた後に最も大切なものは何か? 結婚している場合なら,夫婦仲がいいことだろう。それを満たしていれば,盤石さにおいて,1億円の預金があることに数倍勝る。
 夫婦仲は性格や相性によって良くもなり悪くもなるものだろうが,その基底を支えるものは知性だと思う。勉強頭ではなく,知性。

● 抑制と忍耐を,どちらか一方に押しつけずに,双方で分かち合うことで “仲” はできて行く。その際に自分への負荷も小さくする工夫も必要だ。
 それを司るのは知性だろう。“底辺Fラン” にできる芸当ではない。

● ゆえに,“底辺Fラン” とAラン・Sランを比較すると,前者の方が離婚率は高いはずだ。すでに誰かが調査しているのかもしれないけれども,身も蓋もないのが現実だ。
 “底辺Fラン” は不用意に結婚しちゃうだろうしな。

● こうしてつらつら考えてみると,よくこの齢まで生きのびて来られたものだ。“底辺Fラン” としては,良くやってきた方じゃないかと思ってるんですよ。
 もうひとつ。“底辺Fラン” に入るか免れるかは,生まれた時点で決まっているんじゃないか,ということだ。現実世界には手遅れということがある。“底辺Fラン” から抜けたいと思っても,残念ながら生まれた時点で手遅れなのではないか。

● 努力でどうにかできるものじゃない。努力でどうにかできることは,そもそもどうにかする必要のないことに限られる。
 と,かなりシニカルに思っているですよね。悲しいけれども,そういうことなんじゃないかなぁ。

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