栃木県総合文化センター サブホール
● ひょんなことから,この発表会の会場に行った。発表者は16人の中学3年生。県大会ということだから,その前に地区大会があって,そこで1位とか2位の生徒たちが登場しているのだろう。
ちょっとだけ聞いて帰ろうと思っていたんだけど,あまりの見事さに最後まで席を立つことができなかった。
● 負うた子に教えられるということがある。人生の大事なことが彼ら彼女らの口から,次々に飛びだしてくる。こちらとしては,ほんとそうだよなぁ,そうなんだよ,と改めて教えられる。
原則,反論の余地がない。
● 内容は,自分の内側から社会を見つめるというものが多かった。父親がいない,母親が日本人じゃない,というような。本人にとっては相当にシリアスなはずで,聞いているこちらも胸が圧迫される思いがする。
こうした話が続くと,聴衆もその圧に耐え続けなければならない。けっこう辛いところではある。
● 今の中学生はこういうことを考えているのか。だとしたら,毎日が辛くないか。
いや,今日はよそ行きね,ってことなんだろうな。そうであってもらいたい。
● 外に対してもの申す的なものもある。その話はどこかで聞いたぞとなりがちだ。その点ではちょっと損かもしれない。
しかし,例外なく自分の頭を通している。コピペに終始しているものはない。
● どういう内容であれ,言語化能力が素晴らしい。いや,ぼくも中学生の時分は,それなりに考えてはいたと思うんですよ。しかし,それをここまで言語化できていたとはとても思えない。
パフォーマンスに優れる子もいる。直立不動ではなく,身振り手振りを交えて,聴衆に訴える。弁論的というか,演劇的要素を盛りこんでいるというか。
ただ,それがあまりに巧いと,中学生らしからぬという印象になる。
● それも,こちらに中学生らしさという固定観念があるのだろう。中学生ではなく,こちらの問題かもしれない。かもしれないじゃなくて,こちらの問題である。
審査するのが大人だから,大人受けしないといけない。それは発表者もよくわかっているようで,巧く適応していた。そういう適応ができるのもすごいのだが,これ,審査も中学生がやるということにしたら,ずいぶん毛色の違った,しかし別の面白さを発揮する発表が現れるに違いない。
● 最後の発表者のものが面白かった。ユーモアを交えて,シリアスに満ちた場内の雰囲気に風を通した。
貴重なもので,ぼくはそれを良しとするけれども,これはたぶん1位や2位には届かないだろう。内容がどうとかという問題ではなく。
● それにしてもだ,ぼくらは真面目で律儀な民族なのだなと思った。そんなことまで考えているのかよっていう。もっとラフに杜撰に生きたっていいじゃんと,どこかで思うんだよね。
● 後刻,知り合いの教師に聞いたところでは,こういうところに出てくる子は一を聞いて十を知る賢い子なんだよ,めったにいない子たちなんだよ,ということだった。
そりゃそうだろう。中学生がみんなこんな子だったら,教職員なんて必要なくなる。
ただね,彼ら彼女らがこれからどんな人生を歩むのか。何ていうのかなぁ,この種の賢さと健やかな人生との間にはあまり相関はないんだよなぁ。どう転ぶかわからないもんな。幸せであってほしいけれど。
● 16人の発表者のうち,12人が女子だった。あらゆる場で女性上位。どうしたって女子の方が早く大人になる。地に足が着いている。この年齢だと男子よりもずっと引き受けているものが多いはずだ。
そういうことの反映かもしれないけれど,中年になってもそのまんまでしょ。中学生くらいだとまだ女子の発育の方が早いからだよ,ってことだけはないな,たぶん。
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