● 某日,宇都宮駅ビルのカフェでノート(小型版ではなかった)を開いて,何やら書きこんでいる女の人を見かけた。40歳を少し過ぎたくらいか。
学校の教師にしては垢抜けているし,保険の外交員でもなさそうだったし,もちろん専業主婦のはずはないし,いったい何をしている人なんだろ。
● その姿がカッコよくて,ちょっと見とれてしまった。カフェやファミレスで,パソコンやタブレットを使っている人は,今どき珍しくもないし,ノートに何か書いている人もけっこう見かける。かく申すぼくもその一人だ。
が,姿の良さはそれぞれに違う。良い姿の人はあまりいない。
● 姿の良さって,何が作るんだろうかねぇ。顔かたちや体型じゃないのは当然として,服装は多少関係あるかなぁ。あんまりゆったりした恰好だとね。
ゆったりした恰好が良くないとすれば,姿の良さの構成要素のひとつは緊張感ってことなんでしょうね。かといって,過ぎるとダメだね。
見られている意識と言い換えてもいいんだと思う。緊張感って一人でポツンといるときにはなかなか持てないから。自分と周囲との関係性でしょうね。周囲との関係をどこまで意識するか。
● とすると,ぼくの姿は良くないはずだ。まるでダメだろう。まったく意識してないもんね。
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