唯一,6階の蔦屋書店だけは疎外感から解放される場所ではある。
● 蔦屋書店に来ると心地よい敗北感に酔いしれることができる。デザイン,建築,写真,旅行,音楽などの分野における品揃えが他にはない独特なもので,毛ほども知らなかった本が並んでいる。世の中にはこういうのまで知ってる人がいるのかという,小さくも峰の高い驚き。
やはり,時々はここに来て,日本水準と自分の落差を噛みしめた方がいいのだ。
いやいやいや,この万年筆を買うのはどんな人なのだろう。能率手帳ゴールドは未だ何者でもない人もけっこう使っているようなのだが,100万円もする万年筆となると,そうした何者でもない人ではさすがに手が出ないだろう。
今どきは軽自動車だって100万円じゃ買えないんだから,100万円ならってんでパッと買っちゃう人がいるんだろうかなぁ。
● といって,いわゆるエグゼクティブが買うものでもないだろう。コレクターや好事家ということになるのか。
ちなみに,この100万円万年筆はボディまでプラチナ仕様で限定100本。他にシルバー仕様(10万円)があり,こちらは限定2,000本。
限定100本でも右から左に売れるわけではない。それはそうか。
● Twitter内を検索すると,入荷したという販売店のツイートはいくつかあるんだけど,字幅についての記載がない。FかMかBか。
使わないで飾っておくという前提? 万年筆なんだから,100万円だろうと200万円だろうと,使ってナンボだ。使わないで眺めているんじゃ,たかが100万円に負けてるってことだぞ。かく申す俺様には買えませんがね。
● ぼくが使っている万年筆は同じプラチナでも千円のPlaisirだ。99万9千円ほど負けているけど,大した違いはない。つまり,品質の方は(たぶん)。100万円でも千円でも,それを使ってできることは同じわけだし。
かつ,それを使ってできあがる文章の価値を決めるのは,万年筆の価格では当然なく,書き手の力量だ。ここでは,弘法筆を選ばずという格言を思いだすべきだろう。
● ちなみに,ヤフオクを見てみると,129万円のデュポンの限定品が60万円で落とされている。けっこう入札者がいるのだが,偽物かもしれないとは考えなかったんだろうか。それとも,出品者の自作自演か。
結局,安物好きのケチ根性は治らないな。このままPlaisirを使っていくだろう。CURIDASも買わないかもなぁ。
そもそもが,昨年10月から激的に手書きをしなくなっているんだから,筆記具は要らないってか。
● 小さい美術展を開催しているのも,蔦屋書店の特徴。店内の展示スペース GINZA ATRIUM で「STORIES -collaboration with Essential Store-」と題する伊藤彩さんの作品が展示されている。
ジオラマを制作し,それを撮影した写真をもとに絵画制作を行う「フォトドローイング」という独自手法で作品を制作していると紹介されており,そのジオラマも展示されてたりする。
だが,しかし,ぼくがこれらの作品群を見るのは,あたかも馬に念仏を聞かせるか,猫に小判を与えるようなものであろうかと思われる。縁なき衆生から出られない。
● もうひとつ,西中千人さんの「ガラス呼継 ―叩き壊して生まれ変わる」。割れていた器を継ぐことによって,割れる以前よりも美しくなることがある。ならばというわけで,わざと器を割ってつなぎ直したり,欠けた部分に別の器の破片を組み合わせたりするようになり,それを「呼継ぎ(よびつぎ)」というらしい。
展示即売会という形であるようだ。自分の審美眼を信じられる人御用達ということになる。
● こうした展覧会はともかく,書籍と文具だけでも,時々はここにやってきて本物が醸す雰囲気に触れた方がいいかもしれないねぇ。
下手な美術館に行くよりも,蔦屋書店の売場を見た方が目の肥やしになるんじゃないかと思った。
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