70歳を超えていると思うんだけど。バイブルサイズのシステム手帳とスマホを裸のままで左手で持っている。その姿が何だかカッコいいのだった。
無理なく現役感を漂わせている。飄々とした現役感。職人の中には70歳を過ぎていてもそういう男がいる。気負うでもなく偉ぶるでもなく,淡々と職人としてそこにいる,という感じの男がいるじゃないですか。
● けれども,組織で仕事をしてきた男で,そういう空気感を醸しだしている年配の男性は,まずもってお目にかかることがない。
京浜東北線の彼も,個人商店的なところの店主が雇われ人なのだろう。大きな組織で,彼の年齢で現役ならば役員をやっていることになるが,そういう下卑た風情はまったく発していなかったから。彼,大森で降りて行った。
● 若い女性の “カッコいい” には,東京ではしばしば出くわす。銀座線か丸の内線に乗ってみれば,そういう溌剌女子を何度も見かけて,わが身と対比してため息をつくことになるだろう。
が,爺さまの “カッコいい” は,東京といえどもそうそう見るものではない。いいものを見たという思いが残った。
● 東京でもそうそう見ないというわけだから,“カッコいい” 爺さまというのは,“カッコいい” 若い女性よりも稀少性がずっと高いということになる。
価値というのは稀少であることによって発生する。美人に価値があるのも数が少ないからだし,オリンピックに人気があるのもそのレベルで競技できる人が圧倒的に少ないからだ。世の中にある価値のすべては稀少価値であると言っていいだろう。
● で,“カッコいい” 爺さまの稀少価値はかなり高いというわけだ。なら,それを目指してみたらどうか。何を “カッコいい” と思うかは,人によって同じではないので,まずそこをよく考えてみるのがいい。
それがまた,老け込む速度に対するブレーキにもなるだろう。よく考えて,実践してみることだ。わかったか,俺よ。
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