● 氏家まで散歩。JR線でひと駅分。ウォークマンのイヤホンを耳の穴に突っ込んで,音楽を聴きながら歩くので,田舎なれども特に車が走っていない田んぼ道を選ぶことになる。最短距離からは逸れる。
けっこう歩いた感があるんだけども,片道で1万歩しかない。往復で2万歩。
● このくらいなら,たとえば銀座をうろついていると,知らない間に歩いている。田舎者は都市に行くと,たくさん歩いて健康になれる。
とはいえ,毎日これをやれば,必ず痩せるだろう。足に筋肉もついて,見られる体型に近づけるかもしれない。
● 氏家のどこに行ったかというと,塩谷地区きっての文化とエンタメの殿堂,インドア派の聖地であるこちら。BOOK-OFFと新刊書店,TSUTAYA,ドトール,docomoショップが集積している。 TSUTAYAを核とした書店(多くはうさぎや書店)とカフェ(多くはタリーズ)の複合施設は県内のそちこちにあるけれども,BOOK-OFFまで一緒にあるのは,ぼくが知る限りではここだけだ。
● 本が売れなくなったと言われる。その理由のひとつはBOOK-OFFが作っているだろうか。古書店ははるかな昔からあるけれども,基本,好事家のものだった。あるいは大学生が教科書を安く買うために行くところだった。
それを普通の存在にしたのがBOOK-OFF。個人宅に死蔵されていた本の多くが,二度目のお務めで市場に出るようになった。つまり,供給が増えた。
● 少し待てば半値になり,ゆっくり待てば100円になる。新刊書店に影響が出ないわけがない。
蔵書というのは,ほとんどの場合,経済的な価値はゼロであること,逆にいえばセンチメンタルバリューしか持っていないものだ,ということもBOOK-OFFが教えてくれる。
● 宮沢賢治を読んでみたくなったので,新潮文庫の『風の又三郎』『銀河鉄道の夜』『注文の多い料理店』『宮沢賢治詩集』の4冊を買った。
これで1,000円ちょっとなんだからねぇ。状態もいい。線が引かれていたり書き込みがあるものは,BOOK-OFFでは引き取らないのだろうから,新刊書店で買うのと遜色のない状態の古本が手に入る。
● 線を引いたり書き込みをしながら読み進めるヘビーな読み手と,さらっと読んでいくライトな読み手は昔からいたのだと思うが(読まない層が圧倒的に多い。本を読まない層を大衆と定義しても,あながち間違いではなかろう),ライトな読み手がBOOK-OFFの存在基盤になっているはずだ。
ヘビーな読み手はいったん本を買ったら,基本,手放さない(たぶん)。稀覯本は古書店に持っていくかもしれないが,そんなのは滅多にあるまい。
● 映画やTVドラマについては,Amazonプライムをはじめ,サブスクサービスがいくつもできて,現物(DVD)のレンタルサービスは役割を終えたと思っていた。
ぼくもAmazonプライム会員になっているが,Amazonプライムで映画を見ることの何がいいかといえば,第1に安いこと。
TSUTAYAでも月額1,100円で借り放題のサービスがあるけれど,Amazonプライムは年額4,900円で見放題。見放題の対象は膨大にある。
● 第2に借りに行く,返しに行くという手間が要らないこと(したがって,返し忘れもない)。
第3に見終えたあとにブツが一切残らないことだ。コンテンツが載っているDVDは,VHSビデオに比べれば嵩は小さくなったけれども,空間を占拠する邪魔モノでしかない。文字が載っている本も同じだけれども,見終えた後,読み終えた後には,ブツもスッと消えてくれればいい。
● が,TSUTAYAだけはしぶとく残っている。緻密な工夫やノウハウがあるのだろう。が,そのTSUTAYAにしても,数を減らしてはいる。 SUTAYAに頼りたいのは漫画本のレンタルだ。「TSUTAYAコミック定額」なるサービスがあるのだが,実施している店は少ないようだ。氏家のこの店でもやっていないし,わが家から近い宇都宮のTSUTAYAでもやっていない。
● ここからはゲスの勘ぐりになるのだが,TSUTAYAで一番儲かるのは漫画本のレンタルなのだろう。ここを定額にして借り放題にしなければならない理由が,現時点ではないということなのではないか。それはむざむざと儲けを減らすようなものだと思えるのだろう。
コミックも電子化があたりまえになればネットに乗るが,現在のところではまだ紙が優勢のうえに,ネットに乗せることに制作側が反対しているのかもしれない。しかし,旧作に関してはネットで読むのがあたりまえになる時代はそんなに遠いことではないだろう。
● 動画や音楽,ゲームの中に「勉強より大切なこと」を発見できれば大成功だ。そのためには淫するところまで行かなくちゃいけないだろうから,生半ではダメでしょう。 しかし,生半から脱してその先に行くことが,昔に比べればやりやすくなってきているし,将来はさらにやりやすくなるだろうことは,ほぼ疑いの余地がないように思われる。