2021年8月29日日曜日

2021.08.29 銀座と新橋は閑散

● 昨日と同じ宇都宮発10:06の平塚行き。今日はどこに行こうとしているかというと,月島のトリトンスクエア。
 有楽町で降りて,晴海通りを30分ほど歩く。銀座から歌舞伎座を見て築地に至り,勝鬨橋で隅田川を渡る。

● 都内でも有数の散歩コースになると思うのだが,唯一の不満は歩道を走る自転車の多さだ。ロードバイクで歩道を走っているバカもいて,怖くて車道を走れないなら,そんな自転車には乗るなと毒づきたくなる。
 さらに,電動自転車が増えている。東京のような坂だらけのところでは電動自転車は非常に有効だと思うのだが,重量もあるのだろうから,歩行者からすると迷惑感が大きくなる。
 実際,その種の事故はけっこうあるらしく,「ここで自転車と歩行者の衝突事故があった,目撃した人は連絡ください」という警察の貼り紙を複数箇所で見かけた。

● さて,トリトンスクエアでの用事がすんで,同じ道を今度は新橋まで歩いた。
 日曜日ながら,銀座の人出は少ない。普段の半分という段ではない。銀座はずっとこうだから,相当なダメージを長きにわたって被っているはずだ。いかな銀座といえ,大丈夫なのか。
 ひょっとしてパラリンピックの影響もあるだろうか。自宅でテレビ観戦という。

● 新橋駅前のSL広場も閑散としている。こんなに人のいないSL広場は初めて見る。そういう目で見るからだろうけれど,痛々しいと感じる。
 いつもは多くの人が屯しているところに人がいないんだから,スカスカ感は半端ない。ぼくの地元のように,元から人がいないところに相変わらず人がいないのとは様相を異にする。

● SL広場に面して建つ「小諸そば」で盛りそばを食べた。そば粉の含有量はさほど多くないはずだが,東京の中心で350円の立食いそばが食べられますよってことね。

● 3つめの “青春18” も “完食” した。すべて東京とその近郊で,非常事態宣言の中,よく動いたものだ。コロナとは関係なく,今年の夏はちょっと特別で,来年はコロナが落ち着いていても,もっと大人しくしているはずだ。
 つまり,これほど “青春18” を消費したのはミューザ川崎のサマーフェスタミューザに参集したからで,それは今年が最初で最後にする。

● “青春18” は最強の乗車券であるわけだが,ひとつだけ不便というか不満なところがある。自動改札を通れないことだ。仕方がないことは理解する。
 が,有人改札はわずかしかないし,塞がっていることが多い。鉄道弱者(?)の巣窟になるからだ。運賃の精算をしていたり,自分が乗る列車の発着番線を訊いていたり,遅れが出ているときにそれについてしつこく尋ねていたりね。こちらは通過するだけなのに,それが終わるまで待たされる。
 イラッとすることが正直あるね。安く乗せてもらっているんだからと自分をなだめるんだけどね。

2021年8月28日土曜日

2021.08.28 川崎へ

● 宇都宮発10:06の平塚行き。例によって,プラチナシートの隅っこに席を取っている。
 プラチナシートというのは,ガラガラに空いている普通車の座席はグリーン席より快適だからだ。でもって,宇都宮を発車して久喜あたりまではプラチナシート状態なのが普通だ。

● 今日は勝手知ったる(つもりになっている)川崎に向かう。神奈川でもデルタ株が猛威を振るっていると騒がれているが,かつ,ぼくはまだワクチン未接種なのだが,そういうことはあまり気にしない。
 コロナなど大したことはないと思っているわけではない。感染したらしたでしょうがないと思っているわけでもない。ただ,よほどバカなことをしなければ感染することはまずあるまいとは思っている。
 バカなこととは何かといえば,大声(中声でも同じだが)で口角泡を飛ばす議論などしないこと。劇混みの居酒屋に行かないこと(行きたくても閉店しちゃってる)。要するに,盛りあがっている場に近づかないことだ。

● あとは,普通にマスクをして手指消毒をこまめにしていれば,そうそう感染はしないものだと思っている。県境をまたぐ移動は控えよ,とはまったく無意味なもの言いで,そういうのは都道府県行政の都合にすぎない。
 ぼくのような老いたる無為徒食の輩が貴重な医療資源を浪費することがあってはいけないと思っているが,そのことは県境をまたぐ移動を自粛することを結論しない。

● 今日は,大宮を過ぎ,東京を過ぎても,プラチナシートが維持された。これはあまり経験したことがない。皆さん,家に籠もっているんだろうか。

● 上野東京ラインができる前は自分には関係ないと思っていたが,できてみれば恩恵が大きい。新橋駅をターミナルにできることと,乗換なしで東海道線に入れることだ。
 特に川崎が近くなったのが,個人的には恩恵の最たるもの。横浜ははるか昔(30年以上前だと思うが)に湘南新宿ラインができて,宇都宮から乗換なしで行けるようになっていたけれども,川崎に行くには武蔵小杉で南武線に乗換える必要があった。

● 今日,なぜ川崎に向かうかというと,ミューザで管弦楽の演奏会を聴くためなのだが,上野東京ライン開通後は,サントリーホールよりミューザの方がずっと近くなった。
 気分的にそうなのだが,リアルに所要時間を計ってもおそらく同じかと思う。

● ミューザに用があったので,その用がすんだら帰るだけだ。その前に,富士そば川崎東口店。
 ストレスが多い,忙しい,酒好きの人は,そばを食べた方がいいらしい。ぼくはといえば,ストレスはないし,忙しくは全くないのだが,ドクターストップがかかっているのに,けっこう飲んでいる。そばを喰うべし。
 が,ラーメン大盛りを注文。この540円はお値打ちでござるよ。つまり,下手なラーメン店の800円のラーメンより旨いと思うんですよ。

2021年8月25日水曜日

2021.08.25 宮沢賢治が気になっていて

● 今年のJRのディスティネーションキャンペーンは東北。東北といえば,大船渡線を一ノ関から気仙沼まで走るポケモントレインに乗ってみたいものだが,他にも東北には乗ってみたい電車がいくつかある。
 これ(右の写真)はその1つ。が,乗りたい度合いはだいぶ低い。宮沢賢治についてはとりあえず宮沢賢治記念館に行けばいいのだし,彼の作品を読めばいいからだ。
 ちなみに,もしこの列車に乗るなら,下りより上り。上りは2時間も遠野に停車するから。

● 花巻に行って宮沢賢治記念館とかイーハトーブ館とか童話村を見てくるか。こういうのって,行かなきゃ行かないで別に支障はないから,思い立ったときに行かないと行かないままで終わる。
 ついでに遠野にも行きたい。「青春18きっぷ」で往復する。2泊必要だろうなぁ。使える時間は正味で1日。

● でも,宮沢賢治って(「雨ニモマケズ」を別にすれば)「永訣の朝」しか知らないんだよね。これは高校の現代国語の教科書に載っていた(柳田國男「清光館哀史」も然り)。よくぞ,筑摩書房の教科書を採用してくれてたもんだ。
 もし花巻を訪ねるならば,その前に宮沢賢治の作品をある程度は事前に読んでおくべきだよねぇ。

● 宮沢賢治を読んでいくとして,まず浮かんでくるのはちくま文庫の全集(全10巻)なのだが,国文学専攻の学生が卒論を書くために読むなら全集でいいとして,楽しみ(or消費)のために読むんだから,できれば全集は避けたい。全集で読んでしまうと興趣に欠けるというか,勉強感が出てしまうというか。
 アラカルトで読みたいものだ。アラカルトといっても,誰かの編集の手は入っているわけだが。新潮文庫の5冊でいいか。何より網羅的に読む必要もないんでね。
 青空文庫で主要なものは読めると思うんだけど,紙をめくって読む方がいいんですよね。読んだ後にブツが残ってしまうのが厄介ではあるんだが。

● しかし。〇〇館などには行ったりしないで,自身の脳内妄想を育てることに専念した方が,かえって豊穣につながるかもね。
 宮沢賢治の研究者じゃないんだから,妄想にとどまっていても何の問題もないんだしね。自分で面白がれればそれでいいんで。

● とは言うものの,できれば「青春18」が使える9月10日までに行ってこれればと思っているんだけどねぇ。東北本線を北上するという単純な話になるので,スケジュールはすぐに作成できる。左の写真のとおり。
 最初の問題はどこに泊まればいいかということ。賢治観光だけを考えるなら新花巻駅の近くがいいんだけれども(駅の近くに安宿もある),どうせ行くんだから盛岡まで足を伸ばしたいとも思っていてね。
 まず1日目。仙台で途中下車して街歩きをする時間を作ってみたのだけれども,そんなことはしないで,さっさと盛岡に着いてしまうのが吉でしょうかなぁ。

● 賢治観光ができるのは2日目の1日のみだ。新花巻に賢治関連の施設は集中しているので,盛岡からまず新花巻に移動するわけだが,遠野まで行くのであれば,遠い遠野まで最初に行ってしまった方がいいと,とりあえずは誰でも思うだろう。
 しかし,それは不可。理由はひとえに列車の運転本数が少ないからで,それをやってしまうと賢治記念館などは観ることができなくなる。
 これが2つ目の問題だ。1日で新花巻と遠野の両方を見ることができるだろうか。
 となれば,1日目の出発をもっと早くして,仙台での途中下車もやめてしまって,ともかく新花巻まで行って,1日目のうちに1つでもいいから見ておいたらどうかという話。

● 3日目は帰途。最終に間に合えばいいから,盛岡を立つのは午後でいい。3日目にこれだけゆっくりできるんだったら,なおのこと,1日目はもう少し無理したらってことになりますかね。
 賢治記念館でどれほどの時間を消費することになるかは,自分との相性もあるので,つまるところ行ってみなければわからない。とりあえず,こんなスケジュールで「青春18」を使ってみるかと考えた。

● のだが,前提がザバッと崩れてしまった。賢治記念館が9月12日まで臨時休館になったからだ。他の施設も同様だろう。
 こういうことになってもまるで驚かないようになっているね。さもありなんという感じがする。ガッカリ感はあまりない。絶対行くぞ,とまで思っていたわけではないんで。
 次なる機会は今年の冬か。寒いところに行くのは寒いときがいいかもしれんな。

2021年8月23日月曜日

2021.08.23 しばし美人のひざまくら

● 新聞は取らなくなって久しい。テレビもまったく見なくなってだいぶ経つ。今どきはそれが普通になっているのだろうとも思う。
 ニュース報道に関してはネットが代替してくれるので,新聞だのテレビだのは必要がなくなったからなのだが,そこからさらに進んで,ニュースそのものを見ないようになってきている。

● とにかく,ニュースをネットで見ていくと,殺伐とした気分になってしまう。限られた人生をニュースごときに影響されて,殺伐たる気分で過ごす時間を作ってしまっては,何をやっているのかわからないことになる。
 「せくな騒ぐな天下のことは しばし美人のひざまくら」というのが,大人(たいじん)の態度というべきではないか。

● コロナ禍にあって,感染症の専門家を自称する人の中にもお粗末(専門分野の見識においても,品性においても)な人がかなりの数いることも明らかになってしまった。
 医者というのは専門職の代表的なものだと思われていたところ,その医者にしてこんなものだったのか,と。倉持は論外として,他にも岩田とか西浦とか・・・・・・。
 専門家という存在に対して無条件に服従するのは危険であることをコロナは教えてくれた。コロナ禍にプラス面があったとすれば,これをその1つに数えていいのではないか。
 コロナをめぐる報道に,耳目を傾けるべきものはさほどに多くないように思われる。

● 最近だとアフガンか。タリバンとかISとか,難民に紛れて過激派が入り込むから周辺国は難民を受け入れないとか,正直,どうでもいい。関心がない。
 行ったこともない遠い国の話だ。火星に生命体がいるかどうかと同じくらいどうでもいいと思っている。ぼくごときが関心を持ったところで,事象は1ミリも変わらないのだし。
 それよりも,明日の天気の方が心配だ。天気もまた,ぼくが心配したところでどうにもならない話ではあるんだけど。

● ところで,この「せくな騒ぐな・・・・・・」は石原裕次郎が歌っていた「豪傑節」(作詞:藤田まさと)の一節なのだが,これは現代では成立しないでしょうね。その美人が天下を取るかもしれないわけでね。
 これは女の値段が安かった(生まれてくる子が女の子だとガッカリされた)時代の話であって,今は男が女よりはるかに安くなっている。
 機械やAIが稼ぐようになって,男が稼ぐ必要がなくなった。女が男と対等以上に稼げるようにもなった。なら,男など今の半分もいれば充分だ。

● 女を一格下に扱うがごとき,あるいは女は男の慰みものと見做すがごときは,ほぼ成り立つ余地がない。
 世の大半の男性諸君にとっては,「美人のひざまくら」は竜宮城と同じだ。つまり,実在しないものだ。
 逆に,ひざまくらをしてくれる女性がいるのなら,絶対に手放してはいけないでしょうね。彼女のすべての欠点に目をつぶってでも,一緒にいる価値があると思いますわ。

● そうした幾多の困難があるにせよ,ニュースにいちいち反応してしまうのは小者っぽくていけない。美人のひざまくらを決めこむのがよろしかろう。
 具体的には,美人のひざまくらに代わるものを持っておく必要があるだろう。趣味とか道楽とか言われるものだ。

2021年8月22日日曜日

2021.08.22 武蔵野線で舞浜に行く

● 宇都宮発10:45の熱海行き。1車両貸切り状態。プラチナシート以上の快適度。
 隣の車両にも60前後の爺様が1人。ボックス席でロング缶の酎ハイを2本,窓際に並べて朝酒(昼酒)をきこしめしておられる。勇気がある。バカとも言うが。

● 浦和で乗り換えて,南浦和から武蔵野線の人になるのが,最近の定番。が,南浦和駅の6番線ホームに立つのは初
めてかも。5番線から府中本町行きに乗るパターンだった。今日は東京行きで千葉方面に向かう。
 外はネットリと暑い。列車に乗るとホッとする。まさに,動く避暑地。

● 府中本町行きよりだいぶ混んでいる。電車でコロナ感染の不安を感じたことはない。今回もコロナの3文字が頭をよぎるほどではないのだが,上下線でこれだけ違いがあるのは何でだ?
 ひょっとして舞浜? いやいや,まさかね。

● 南越谷でだいぶ降りた。が,同じくらいの人が乗ってきた。東武伊勢崎との接続駅。
 ここから三郷まではひと駅ごとに減っていく。南流山からは流れが逆になる。県境(江戸川)がボトム。わかりやすいっちゃわかりやすいんだが,腑に落ちて来ない。
 県境を挟んでほとんど一衣帯水といっていい地形のように思われるからだ。江戸川にも何本も橋が架かっているのだろうし。川は大昔より,実質的にかなり狭くなっているだろう。

● 舞浜に着いた。コロナが落ち着いてもリモートワークは残るから,都心に向かう人の流れは細る。都心のオフィス需要が元に戻ることはない。通勤時間帯の電車の混雑度もコロナ以前に戻ることはない。銀座のクラブも往年の栄光を取り戻すことはないだろう。社用族も接待文化(?)も衰退するだろう。
 完全に元に戻れるところがあるとすれば,そのひとつはTDRだろう。日本人の(特に女性の,ということになるが)度し難い軽薄さに裏打ちされたママゴト好きがその原動力になる。願わくば,ぼくも軽薄側の一員でありたい。
 といっても,現時点では通常期の1割もいない。緊急事態宣言中なのにこんなにいるのか,と思えなくもないが。

● リゾートラインの切符を買って,1周してみた。上から見下ろすTDRは当然かつてと変わらない姿をとどめているのだが,車内の人口密度は薄い。
 ぼくもそうだが,どこかへ移動するために乗っているのではなく,ディズニー気分を味わいたくて乗っている人ばかりだろう。

● 当日券は販売してないわけだし,入場制限がかかっているときの混雑具合は想像もできないけれども,ショップにはけっこう人が入ってたりするんだよね。コロナが落ち着けば,ここだけは元に戻るでしょうよ,と思わせる情景ですよ。
 しばらく,オリエンタルランドには限界を超えた忍耐が要求される。しかし,一寸先は光だ。

2021年8月20日金曜日

2021.08.20 BOOK-OFFとTSUTAYA

● 氏家まで散歩。JR線でひと駅分。ウォークマンのイヤホンを耳の穴に突っ込んで,音楽を聴きながら歩くので,田舎なれども特に車が走っていない田んぼ道を選ぶことになる。最短距離からは逸れる。
 けっこう歩いた感があるんだけども,片道で1万歩しかない。往復で2万歩。

● このくらいなら,たとえば銀座をうろついていると,知らない間に歩いている。田舎者は都市に行くと,たくさん歩いて健康になれる。
 とはいえ,毎日これをやれば,必ず痩せるだろう。足に筋肉もついて,見られる体型に近づけるかもしれない。

● 氏家のどこに行ったかというと,塩谷地区きっての文化とエンタメの殿堂,インドア派の聖地であるこちら。BOOK-OFFと新刊書店,TSUTAYA,ドトール,docomoショップが集積している。
 TSUTAYAを核とした書店(多くはうさぎや書店)とカフェ(多くはタリーズ)の複合施設は県内のそちこちにあるけれども,BOOK-OFFまで一緒にあるのは,ぼくが知る限りではここだけだ。

● 本が売れなくなったと言われる。その理由のひとつはBOOK-OFFが作っているだろうか。古書店ははるかな昔からあるけれども,基本,好事家のものだった。あるいは大学生が教科書を安く買うために行くところだった。
 それを普通の存在にしたのがBOOK-OFF。個人宅に死蔵されていた本の多くが,二度目のお務めで市場に出るようになった。つまり,供給が増えた。

● 少し待てば半値になり,ゆっくり待てば100円になる。新刊書店に影響が出ないわけがない。
 蔵書というのは,ほとんどの場合,経済的な価値はゼロであること,逆にいえばセンチメンタルバリューしか持っていないものだ,ということもBOOK-OFFが教えてくれる。

● 宮沢賢治を読んでみたくなったので,新潮文庫の『風の又三郎』『銀河鉄道の夜』『注文の多い料理店』『宮沢賢治詩集』の4冊を買った。
 これで1,000円ちょっとなんだからねぇ。状態もいい。線が引かれていたり書き込みがあるものは,BOOK-OFFでは引き取らないのだろうから,新刊書店で買うのと遜色のない状態の古本が手に入る。

● 線を引いたり書き込みをしながら読み進めるヘビーな読み手と,さらっと読んでいくライトな読み手は昔からいたのだと思うが(読まない層が圧倒的に多い。本を読まない層を大衆と定義しても,あながち間違いではなかろう),ライトな読み手がBOOK-OFFの存在基盤になっているはずだ。
 ヘビーな読み手はいったん本を買ったら,基本,手放さない(たぶん)。稀覯本は古書店に持っていくかもしれないが,そんなのは滅多にあるまい。

● 映画やTVドラマについては,Amazonプライムをはじめ,サブスクサービスがいくつもできて,現物(DVD)のレンタルサービスは役割を終えたと思っていた。
 ぼくもAmazonプライム会員になっているが,Amazonプライムで映画を見ることの何がいいかといえば,第1に安いこと。
 TSUTAYAでも月額1,100円で借り放題のサービスがあるけれど,Amazonプライムは年額4,900円で見放題。見放題の対象は膨大にある。

● 第2に借りに行く,返しに行くという手間が要らないこと(したがって,返し忘れもない)。
 第3に見終えたあとにブツが一切残らないことだ。コンテンツが載っているDVDは,VHSビデオに比べれば嵩は小さくなったけれども,空間を占拠する邪魔モノでしかない。文字が載っている本も同じだけれども,見終えた後,読み終えた後には,ブツもスッと消えてくれればいい。

● が,TSUTAYAだけはしぶとく残っている。緻密な工夫やノウハウがあるのだろう。が,そのTSUTAYAにしても,数を減らしてはいる。
 SUTAYAに頼りたいのは漫画本のレンタルだ。「TSUTAYAコミック定額」なるサービスがあるのだが,実施している店は少ないようだ。氏家のこの店でもやっていないし,わが家から近い宇都宮のTSUTAYAでもやっていない。

● ここからはゲスの勘ぐりになるのだが,TSUTAYAで一番儲かるのは漫画本のレンタルなのだろう。ここを定額にして借り放題にしなければならない理由が,現時点ではないということなのではないか。それはむざむざと儲けを減らすようなものだと思えるのだろう。
 コミックも電子化があたりまえになればネットに乗るが,現在のところではまだ紙が優勢のうえに,ネットに乗せることに制作側が反対しているのかもしれない。しかし,旧作に関してはネットで読むのがあたりまえになる時代はそんなに遠いことではないだろう。

● 動画や音楽,ゲームの中に「勉強より大切なこと」を発見できれば大成功だ。そのためには淫するところまで行かなくちゃいけないだろうから,生半ではダメでしょう。
 しかし,生半から脱してその先に行くことが,昔に比べればやりやすくなってきているし,将来はさらにやりやすくなるだろうことは,ほぼ疑いの余地がないように思われる。

2021年8月19日木曜日

2021.08.19 院は最高の自己投資か?

● 人の商売の邪魔をする気はないけれども,嘘はいけない。社会人が趣味で,あるいは好きだからという理由で大学院にいくのはいい。けど,それ,投資にはならないでしょ。
 サラリーマンが大学院を修了したからといって,それだけで昇進させたり昇給させたりするほど,会社はバカじゃない。100万円を1,000万円にするのが投資だと定義するなら,大学院に行くことが投資に該当する可能性は120%ないと言っていいだろう。

● では,経済的な見返りではなくて,自己啓発,自己成長に資するのが投資なのだとして,大学院に行くのは自己投資だと言えるだろうか。
 これも否。社会人が大学院で勉強する程度(低度)のことがどうして投資になるのか。まともな大人なら誰でもわかっていることだろう。

● 若いうちに行く理系の院なら格別,何事にも手遅れということがある。自己投資になるような変革を大学院に期待するには,大方の社会人は歳を取りすぎている。ひょっとすると例外もあるかもしれないが,自分がその例外に該当すると考える人は,端的にバカと呼ばれるべきだ。
 自己投資と言うには,大学院という場の限界,その場に乗っている人が年齢的にタイミングを逸している問題,の2つが邪魔をする。
 
● 売上が立たずに窮地に陥ってる大学側の撒餌にその気にさせられて,ウカウカと乗ってる時点で大衆性が過ぎる。私はバカです,どうそ搾取して下さい,と言ってるようなものではないか。意識高い系(≒バカ)って一番の鴨だと思うのだが。
 たとえどんな仕事をしているにせよ,大学院よりは仕事や職場の方が学べるものは多いのじゃないか。そこで学べないほど学習能力の低い人が大学院に行ってみたとて,そんなものは逃避にすらならないだろう。いい歳をして大学院なんぞに行って,時間とお金を溝に捨てるような真似をするのはいかがなものか。

● 本当に勉強したいんだったら,制度疲労で破綻しかけているような大学や大学院に目を向けるのではなくて,インターネットを広く眺めてみたらどうかと思う。
 独学といい,自学自習といったって,結局は誰かに教えてもらう,導いてもらうことになるのだけれど,その誰かは大学や大学院の教師である必要はないし,生身の人である必要もないし(ネットを介したものでかまわない),現在生きている人である必要もない。
 視野を広く取って組立を考えた方がいいし,そういうことができる時代になっていると思う。20世紀の常識はかなぐり捨てるべきで,それに縛られていては先が見えないのではないか。

● ただし,その場合であっても,それを投資とは考えない方がいいように思う。現在完結型を理想とする。
 そうするのが楽しいからそうしている。そうしていることの見返りなどには関心がない。
 その境地に到るべきだし,半世紀近くも歳を重ねてきたのなら,到れるのが本当だと思う。そして,それこそが10年後,20年後の自分に対する最良の投資になるはずだと,ぼくは考えている。

2021年8月17日火曜日

2021.08.17 東武の記念乗車券,2種

● 8月4日。今日から川崎のホテルに泊まる。1週間の予定。こういう時期だから泊まる。というか,こういう時期だから泊まれる。宿泊費が安くなっているからだ。
 東武で東京に向かう。金券ショップで東武の株主優待乗車証を1枚700円で買った。JR宇都宮駅前にある関東チケットという金券ショップね。隣のアップルチケットで買うと900円だからね。
 浅草に着いたらメトロの24時間券を買う。あとは,新橋駅で新橋~川崎の乗車券を買えばいい。“青春18” より安くつく。

● 浅草に着く直前に隅田川を渡るわけですよ。アサヒビールのウンコも見栄えがしますな。さながら一幅の絵でありますよ。
 ところで,このウンコ,「金の炎」だとか,フランス語で「フラムドール」だとか言われますが,どう見てもできたてホヤホヤのウンコだよねぇ。

● ところで,東武宇都宮駅で改札口を通って中に入ったあとに,東武宇都宮線開通90周年記念乗車券が出ていることを知った。つまり,この日は買いそびれてしまったよ。
 硬券の3枚セットと電車カードの引換券。欲しいでしょうよ,欲しいに決まってますよ。

● 浅草駅にはこんな張り紙が出ていた。完売。アッチャッチャ。宇都宮駅でも売り切れてしまうなんてことがあるんだろうか。

● 8月7日。1週間の予定の後半を取りやめた。今日,帰る。川崎から17:01発の宇都宮線直通宇都宮行きに乗車。このまま宇都宮まで乗るか。新橋で銀座線に乗換えて,東武で帰るか。
 思案中であります。東武を使うと1,450円で帰れる。JRだと2,310円になる。さぁ,どうする?

● ご賢察のとおり新橋で降りました。時間は売るほどある。毎日,暇にしている。お金はない。ので,時間はかかっても安い方が正義に叶う。
 銀座線のハイソな空気も滅多に味わえないものだ。乗っておきたい。何より,電車に長く乗っていられるわけでね。

● しかし,結果において失敗だったかも。浅草→曳舟→南栗橋→東武宇都宮 となるのだが,接続はすこぶる良く,待つことなく進んでいく。
 が,そうは行かない時間帯があって,そこにハマってしまった。曳舟から乗るのが久喜行き。したがって東武動物公園で乗換え。南栗橋で長く待たされた。
 新栃木でも乗換え。川崎→新橋→浅草→曳舟→東武動物公園→南栗橋→新栃木→東武宇都宮となる。そこからJR宇都宮駅に移動することになるわけだ。
 新栃木駅を出たところで,長い長い旅をしてきたような妙な気分になった。これだけ長く乗って1,450円ですむっていうのも,何だか妙な気分。

● 東武で帰って来たもう1つの理由は,東武宇都宮線開通90周年記念乗車券を買うため。浅草駅では完売したとあったので,ひょっとしたら宇都宮でも,と。急がねば,と。
 はい,宇都宮では問題なく買えました。まだまだ在庫はあるようだった。

● 東武ではこんなのも販売しますよ。SL大樹運行開始4周年記念乗車券。発売日は今月10日。これも買うでしょ。ねぇ,皆さん。
 東武も少しでも売上を増やさなくちゃでしょ。ぼくなんか,株主優待乗車券で東武に乗ってるんで,こういうところで協力しようかな,と。

● というわけで,今日17日。そのSL大樹運行開始4周年記念乗車券を買うために東武宇都宮駅にやってまいりましたよ。
 で,買いました。4周年にちなんで,乗車券4枚のセットでありますよ。群馬の方に行くと,また別なのがあるらしいんでありますが,さすがに群馬まで行く気にはならんとです。

● こちらは「宇都宮線開通90周年記念乗車券」の引換券でもらった電車カード。「特急しもつけ」でありますな。
 東武宇都宮線を走る唯一の特急だったが(1日1往復),昨年4月24日がラストラン。コロナは関係なかったろう。どの道,廃止される運命だったと思う。もちろん,ぼくは乗る機会を得ることはなかった。
 「特急しもつけ」がなくなったことによって,JRを含めて,在来線に特急が走らない関東で唯一の県庁所在市に宇都宮はなった。おめでとう。

2021年8月15日日曜日

2021.08.15 昭島へ

● 北九州や中国地方では特別警報の大雨。日本列島のどこに特別警報が出てもおかしくない状態だという。しかし,今日は東京の昭島に行かねばならない。ねばならないというわけでもないのだが(つまり,誰かとの約束事ではないので,自分で行かないことにすれば,行かないですむ),ちょっと見ておきたいものがある。
 雨は降ってはいる。だから,傘を持たないで家を出るわけには行かなかったが,さほどの降りでもない。


地元駅
● ので,予定通りに東京に出向くプロセスに突入。しかし,寸暇を惜しまなければならない人は,こんなことはしないような気がする。こういうときは出るのを断念して,家でできることを着々と,あるいは淡々と,やって行くのではあるまいか。
 予定どおりに家を出てしまえるのは,よっぽど暇な人じゃないと。そういうことなんだと思いますよ。


● 宇都宮発10:55の湘南新宿ライン,逗子行き。言うにや及ぶのガラガラ。浦和まで乗って,南浦和から武蔵野線の人になる。
 浦和駅の京浜東北線ホームに,浦和がサッカー熱に溢れるようになったキッカケを解説した説明板がある。要するに,1人の偏愛者がいてっていう話。けど,偏愛者がいたのは浦和だけじゃなかったろう。
 「なぜ」を追求していくのは,かなり難しいんだよね。つまるところ,よくわからないんですよね。


● 西国分寺から中央線。隣は還暦かと思しきオッサン。スマホでゲーム中。別にいいんだけど,今の若いのはゲームばかりやってて,なんて間違っても言うなよ。っていうか,たぶん,言ってきた口なんだと思うんだよ。
 それが,ロートルたちもやっと若者に追いついてきた。そうなると,若者たちはゲーム離れ,あるいは今とは毛色の違った新種のゲームに移る,という現象が起きるんだろうか。
 若者はいつだって年寄のはるか先を走っているものだよね。故に,年寄は口出し無用。


● 立川駅。長野県大雨のため,「あずさ」は運休しているようだ。「かいじ」は運転されているようだが。東京~高尾の快速電車には乱れなし。
 西国分寺から昭島までは立川での乗換こそあるが(復りは直通),すぐなのだった。南浦和から西国分寺までだって,そんなにかかるわけでもない。
 府中市に国府があった頃は,このあたりは武蔵国の先進地域であったに違いない。埼玉はサキタマで多摩の先という意味なのだろうと勝手に思っている。


● JR青梅線の昭島駅。祝,初下車。大昔,青梅線にも五日市線にも乗った。けど,終点まで乗ることが優先で,途中駅で降りるなんて考えもしなかった。
 傘をさして歩くのは鬱陶しいが,駅の周辺を少し歩いてみた。北口にイトーヨーカドーを核とした大きなショッピングセンターがある。チェーンのレストランもたくさんあるのだが,そういうところに入ってみる踏ん切りがつかない。


● 南口に出ると,大勝軒がある。大勝軒といえばラーメン界のカリスマ,山岸一雄さんとなるのだが,彼がカリスマになり得たのはラーメンの味だけではなく,人格,面倒見の良さ,その他いろんな理由があったのだろう。
 大勝軒の暖簾を出している店は北海道の小樽でも見たことがある。曖昧な記憶なのだが,どこかの大勝軒で食べたことが二度ほどあったような気がする。


● とすると,今度が三度目。中華麺大盛り(950円)を注文した。写真では伝わりづらいかもだけど,少なくとも3人前はある。とんでもない麺の量。
 大食い小僧,大食いオヤジ,大食いオバチャンにはいいかもしれんが,少食の貴女にはまるで向かない。ぼく? 完食しました。少しだけ持て余したけど。


● 味はどうだったか? 率直に申して,富士そばのラーメンの方がはるかに勝る。
 それでも昼どきには行列ができていたし,ぼくが入った夕方時分にもお客は次々にやってきた。大勝軒のブランド力というよりも,味のわかる人は少ないのだと受けとめている。


● 電車のダイヤが乱れることはなく,時刻表どおりの運転で,無事にわが陋屋に帰ってきた。

2021年8月11日水曜日

2021.08.11 大勢の逆をやること

● 先日,上野駅構内の「ANGERS」で見かけたウィンドウディスプレイ。「穀雨」という製品。ミニチュアの街づくりキットといっていいんだろうか。どこか知らない街の様子を脳内で妄想して,ミニチャで作っていく。あるいはすでに知っている街を,記憶にしたがって再現していく。
 今は旅行に行けない。特に外国に行くのは困難を極める。これはコロナ時代の箱庭療法ですかなぁ。

● ノートやスケッチブックに自在に絵を描いていくというやり方で遊んでもいいと思う。むしろ,キットの部品による制約を受けずにすむから,そのやり方の方が上級者には向いているかもしれない。
 想像力が逞しい人は,最小限の道具で遊ぶことができる。羨ましい。

● コロナで首都圏はずっと緊急事態宣言が出されている状態だ。滅多にないから緊急事態というのだろうが,緊急が常態になってしまっているから,ほとんど人々に刺さらなくなっている。
 マスコミとか一部の医師とか,あまりマトモじゃない人あるいはコロナを飯の種にしている人が,アーダコーダと言っているが,煽っていると言われる始末だ。ま,煽っているのだと思うが。

● 宿泊業や飲食業(特に,酒類提供を伴うところ)が緊急事態宣言の負の部分を一手に引き受けている。もう,ふざけるなと声をあげる気力もなくなってきているようだ。
 中には,商売を続けるより協力金をもらう方が実入りがいいというところもあるのだろうが,コロナウィルスの影響はあまねく万人に平等ではなく,濃淡がある。濃淡どころか,コロナが追い風になっている業種業界もある。

● そういうことに義憤を感じる必要もあるまいと思うのだが,国内旅行はあまり自粛しない方がいいのではないか。外出や移動を自粛するかしないかと,感染するかしないかはあまり関係がないというのが,ぼくの経験則だ。
 これまでの知見に照らせば,電車は安全とみなしていいようだ。音楽ホールや映画館も換気能力が高く,聴衆が口を閉じてさえいてくれれば,まずもって感染の心配はしなくていい。
 ホテルのレストランはテーブルを間引いて,アクリル板を固定して立てて,ブッフェの場合は必ず使い捨ての手袋を着用させるようにしている。そこまでやるかというところまでやっている。同様に,ぼくは不安を感じたことはない。

● 三密(密室,密集,密着)を避けて,盛りあがっている人たちのところへ近づかなければ,まずもって感染することはない。そういう感染が危ぶまれるシチュエーションは,言われるほどに日常的にあるものではなくて,わざわざ近づくのでなければなかなか得られないものなのではないか。
 普通に外出しました,電車に乗って県を跨いで移動しました,といったそれだけで感染するとは考えにくい。

● 4月から今日までに,ホテルに60泊している。東京と川崎と横浜だ。すべてが緊急事態宣言か蔓延防止措置が出ていたときだ。
 昨年だって,4月5月は出かけなかったが,6月早々には東京に出かけるようになった。以後,12月までに40泊している。やはり,東京と川崎と横浜だ。昨年はGoToもあったので,少し浮かれていたかもしれないのだが。
 ホテルでジッとしていたわけではない。街を動き回っている。そのために行ったのだから。

● 毎日が日曜日だからこんなこともできるのだが,そのために取り分けておいた予算をこの時期に惜しみなく投入した。コロナのおかげ(?)で宿泊費が空前絶後と思えるほどに安かったからだ。
 ホテル側の生き血を吸ったことになるのかもしれないけれど(つまり,ホテル側が自身の負担でGoToを実施していたとも言えるからだ),使いでのあるお金を使えて,かなり満足している。

● ぼくの信念(?)の中心には,大衆は常に間違う,必ず間違う,というのがある。いつでもどんな状況でも,大勢の逆張りで行くのが真理に叶う方策だ。
 もちろん,自分も大衆の一員だ。それはわかっている。だから,自分で考えて動くと,常に間違う,必ず間違うものだと観念している。
 それゆえ,休むに似たりの考えはやめにして,周りを見回してその反対をやればいい。それを行動準則にしたい。なかなか難しいのだが。

● しかし,コロナ禍における旅行・移動・外出に関しては,上手くやれたと思う。
 ワクチンが行き渡ると,旅行者も増えてくるだろう(ただし,中国からのインバウンドは復活しない)。空前絶後の安さもそろそろ終わりだと見ている。
 そうなれば,ぼくの出番はない。多くの人が出歩くようになれば,ぼくは家にいようと思う。予算もあらかた使いきった。ちょうどいい。