● 先日,上野駅構内の「ANGERS」で見かけたウィンドウディスプレイ。「穀雨」という製品。ミニチュアの街づくりキットといっていいんだろうか。どこか知らない街の様子を脳内で妄想して,ミニチャで作っていく。あるいはすでに知っている街を,記憶にしたがって再現していく。
今は旅行に行けない。特に外国に行くのは困難を極める。これはコロナ時代の箱庭療法ですかなぁ。
想像力が逞しい人は,最小限の道具で遊ぶことができる。羨ましい。
マスコミとか一部の医師とか,あまりマトモじゃない人あるいはコロナを飯の種にしている人が,アーダコーダと言っているが,煽っていると言われる始末だ。ま,煽っているのだと思うが。
中には,商売を続けるより協力金をもらう方が実入りがいいというところもあるのだろうが,コロナウィルスの影響はあまねく万人に平等ではなく,濃淡がある。濃淡どころか,コロナが追い風になっている業種業界もある。
● そういうことに義憤を感じる必要もあるまいと思うのだが,国内旅行はあまり自粛しない方がいいのではないか。外出や移動を自粛するかしないかと,感染するかしないかはあまり関係がないというのが,ぼくの経験則だ。
これまでの知見に照らせば,電車は安全とみなしていいようだ。音楽ホールや映画館も換気能力が高く,聴衆が口を閉じてさえいてくれれば,まずもって感染の心配はしなくていい。
ホテルのレストランはテーブルを間引いて,アクリル板を固定して立てて,ブッフェの場合は必ず使い捨ての手袋を着用させるようにしている。そこまでやるかというところまでやっている。同様に,ぼくは不安を感じたことはない。
● 三密(密室,密集,密着)を避けて,盛りあがっている人たちのところへ近づかなければ,まずもって感染することはない。そういう感染が危ぶまれるシチュエーションは,言われるほどに日常的にあるものではなくて,わざわざ近づくのでなければなかなか得られないものなのではないか。
普通に外出しました,電車に乗って県を跨いで移動しました,といったそれだけで感染するとは考えにくい。
● 4月から今日までに,ホテルに60泊している。東京と川崎と横浜だ。すべてが緊急事態宣言か蔓延防止措置が出ていたときだ。
昨年だって,4月5月は出かけなかったが,6月早々には東京に出かけるようになった。以後,12月までに40泊している。やはり,東京と川崎と横浜だ。昨年はGoToもあったので,少し浮かれていたかもしれないのだが。
ホテルでジッとしていたわけではない。街を動き回っている。そのために行ったのだから。
● 毎日が日曜日だからこんなこともできるのだが,そのために取り分けておいた予算をこの時期に惜しみなく投入した。コロナのおかげ(?)で宿泊費が空前絶後と思えるほどに安かったからだ。
ホテル側の生き血を吸ったことになるのかもしれないけれど(つまり,ホテル側が自身の負担でGoToを実施していたとも言えるからだ),使いでのあるお金を使えて,かなり満足している。
● ぼくの信念(?)の中心には,大衆は常に間違う,必ず間違う,というのがある。いつでもどんな状況でも,大勢の逆張りで行くのが真理に叶う方策だ。
もちろん,自分も大衆の一員だ。それはわかっている。だから,自分で考えて動くと,常に間違う,必ず間違うものだと観念している。
それゆえ,休むに似たりの考えはやめにして,周りを見回してその反対をやればいい。それを行動準則にしたい。なかなか難しいのだが。
● しかし,コロナ禍における旅行・移動・外出に関しては,上手くやれたと思う。
ワクチンが行き渡ると,旅行者も増えてくるだろう(ただし,中国からのインバウンドは復活しない)。空前絶後の安さもそろそろ終わりだと見ている。
そうなれば,ぼくの出番はない。多くの人が出歩くようになれば,ぼくは家にいようと思う。予算もあらかた使いきった。ちょうどいい。
0 件のコメント:
コメントを投稿