無印のデザインを支えてきた深澤直人さんが日本民藝館の館長に就任しているのだから,これからもしばしばコラボするのだろう。
● 民藝とはそもそも何かについては,この巡回展のリーフレットの挨拶文で深澤さんが解説している。「観賞用としての雅な逸品ではなく,大衆に向けて作られた温もりを宿す実用の手工芸品の中に,健全で尋常な美が宿っていることを柳は見出しました」ということ。
したがって,たいていの場合,作者不明となるのだろう。作者という概念自体が成立しない世界なのだろう。
柳は「用の美」という見事な言葉をも残している。後世の人は機能美などとも表現するようになっているが,ほぼ同じ言葉と理解してよいのだろう。
● 深澤さんはまた,無印良品について「印のついたマーケティング戦略に基づいたものづくりに抵抗し,質素で豊かな真の価値を目指して1980年に設立されました。それはプロダクトによる現代の民藝運動と言えるかもしれません」と言っているが,これには賛否両論があるだろう。
目下のところ,ぼくは否の側に立っている。無印は印のひとつにすぎないように思えるからだ。
建物じたいではなくて,中にいる人間が作りだしているものだと思うのだけども,長居するのが苦にならない感じというかね。
美しいと感じるより,使いやすいと思う。その視点でどこまで受けとめられるかは,生活者としてどれだけ真摯に生活に向き合ってきたかで決まる。
● 以下はまったく余計なことなのだが,先に,無印を民藝に比することについては否だと言った。その理由の1つは無印製品が企業体(株式会社)によって生みだされているからだ。つまり,全体を総べる者,管理する者がいるからだ。
もちろん,いていいんだけれども,どうもこの経営側に問題があるのじゃないかと思うことが,最近の良品計画には多い。たとえば,このニュースだ。
● もしこれが本当なら(本当なのだろうが),良品計画の経営陣はその資質に疑問符が付く。状況がわかっていない正真正銘のバカなのか。あるいは中国に対する損切りをする決断力がないのか。
現時点でこの会社の株を買うわけにはいかないだろう。社員の苦心と営為によって積上げた富を,経営陣がその愚鈍によって蕩尽してしまっている図が浮かんできてしまう。
早めに行って,ゆっくりと見て回る時間を確保したいものだ。
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