2018年11月5日月曜日

2018.11.05 女の耳は地獄耳

● 職場でアルバイトの女性と話をしていると,彼女から人事情報(?)を聞くことがしばしばある。Aさんは前にこういう病気をしたことがあって,子供は2人いてまだ高校生なんだよ,奥さんも同じ病気をしたらしいよ,とか。
 すべて,ぼくは知らなかったことだ。

● なぜこういう情報を知っているのだ? ともかく,すごいものだ。女はただならぬ情報量の中で生きているのだな。
 インターネットが誕生する以前から,女は情報社会を生きてきたのだと思えてくる。

● あってもなくてもいいものは,ない方がいい。いてもいなくてもいい人は,いない方がいい。知っていても知らなくてもいいものは,知らない方がいい。
 その知らなくてもいいことを女はたくさん知っていそうだ。“知らなくてもいいこと”と言ってしまうのは,男側の決めつけで,女にしてみれば,知らないと不安で仕方がないものなのだろうか。“不要の要”というのがあるんだろうか。

● だとすると,女をやってくのも容易じゃないね。男は一人で過ごす時間がないと男を維持できないのに対して,女はずっと孤独が続くと女の基礎が揺らいでくる,と言われる。そういうことも関係するんだろうか。
 女は男に比べると社交性に富み,自身が属する共同体に着けた足が浮いてしまうことはまずない,と思われる。それが女の圧倒的な強みだと思っているんだけど,反面,社交の場がなくなると,男より辛い状況に陥るんだろうか。
 孤独というと観念的な言い方になるな。要するに喋れない状況になると,男よりも女の方が強い風を受けることになるのかい。

● 喋るためのネタ,基礎情報を,女は男よりもたくさん必要とするのだろうか。役に立つか立たないかわからないようなものでも,女には必要な栄養なのだろうと思うほかはない。
 いや,それよりも役に立つとか立たないとか,そういうモノサシは女にはないのかもしれない。要不要という発想じたい,男のものなのかも。

● でもねぇ,ぼくの少ない見聞からすると,女は孤独にも強いと思えるんだよなぁ。

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