2018年11月21日水曜日

2018.11.21 ネットは垂れ流しのツール

● ネットはネットで,リアル(現実世界)はリアル。あたりまえのことだけれど,両者はまったくの別もの。別なものを同じ使い方で扱ってはうまく行かない。
 で,ネットとリアルでは何が違うのかといえば,ネットは垂れ流すところで(それに最も向いているツールはTwitter),リアルはコミュニケーションの場ということかと思う。

● リアルで自分の思いつきや意見を垂れ流しているだけでは,自分の居場所がなくなる。リアルの面白さは人とやり取りができるということだろう。つまり,コミュニケーションだ。
 いや,コミュニケーションというと,いささか茫漠としすぎるかもしれない。雑談と言い換えた方がいいだろう。リアルの醍醐味は雑談ができることにある。

 たとえば定年で会社を去ると,雑談は減る。それをネットで補おうとするのは,基本的にダメだと思う。
 江戸の仇を長崎で討ってはいけない。リアルの落とし前はリアルでつけないと。

● ネットで雑談ができるか。FBでリアルの雑談を再現するのは無理だ。9割はこぼれ落ちる。書かれた文字だけで雑談をすることは不可能だ。雑談は空間を共有していて初めて可能になる。
 FBであまり連投すると嫌われるから,FBはリアルに近いと言えば言える。でも,リアルではない。事務連絡には向いているが,FBで雑談はできない。LINEも同じ。

● スマホはコミュニケーション・ツールと言われたりするけれど,厳密にいえば間違いだ。そこで言うコミュニケーションは大きく限定されたコミュニケーションだ。お知らせや告知にコミュニケーションの本質はない。
 スマホは便利極まりないものではあるけれども,それはコミュニケーションよりも自分を垂れ流すのにこそ,便利なものなのだ。

● リアルではできない垂れ流しがネットなら可能になる。ならば,ネットは垂れ流すために使った方がよい。双方向のコミュニケーションなどという,昔から言われている絵空事など歯牙にもかけないで。
 というより,ほとんどの人はそのようにネットを使っているのではないか。ブログが登場してその傾向がはっきりし,SNSに至ってそれは怒涛の流れに成長した。これからその流れはいっそう強くなるだろう。

● コミュニケーションしているつもりの垂れ流しでネットは埋まっている。誰かが自分に興味を持ってくれるはずだという根拠のない前提が存在するから,“つもりの”垂れ流しになる。
 誰も自分に興味など持たないのだと自覚したうえで,垂れ流すようにすれば,それが最も賢いネットの使い方になると思う。

● 垂れ流したものが読まれることは少ない。多くの人の垂れ流しの中に読むに耐えるものがどれほどあるか。その大半をスルーしているのではないか。Twitterなら,フォロー返しをするときに,同時にミュートしていないか。たぶん,それはまっとうな対応なのだ。
 だから,自分が同様の扱いを受けても文句を言うつもりは一切ない。そうと決めたうえで垂れ流すのだ。出せばすっきりするのは排便だけではないとしたものだ。

● 垂れ流し以外のネットの使い方は,“検索”に集約されるだろう。良質な情報は検索で引きだす。ネットの使い方は,畢竟,この2つに尽きるように思われる。

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