● 宇都宮発14:06の小田原行きに乗った。駅前の金券ショップで切符を買った。今日は“休日おでかけパス”が使えないのだ。なぜって,今日は休日じゃないからね。
東京まで乗る。大手町に行こうと思う。
● ところで,都内で,降りるときにそこはかとない憂鬱を感じる駅がある。
第1に新宿。第2に池袋。第3に渋谷。そして,第4が東京だ。降りたあとに愉しいことが待っている場合でもそこはかとない憂鬱を味わう。
3番目までははっきりしている。だいたい駅構内で迷うくらいだから。東京駅で迷うことはなかった。が,改装後は迷うようになった。田舎者の悲しさと笑ってもらっていいんだけれども,東京人でも迷う人がいるのではないか。
すごいと思うのは外国人だ。多くは観光客なんだろうけど,何だかスイスイと泳いでいる印象を受ける。ひょっとすると,迷路を愉しむ感覚なのかもしれないけど。
● その東京駅地下街。この時間帯に飲んでる人がかなりいる。しかも,ネクタイ族。若いオネーチャンも。出張でこれから帰るのか。
こういうのを見てると,日本もまだ捨てたものじゃないと思う。だんだん管理がきつくなって,今じゃ煙草を喫いに喫煙所に行くのを見られただけで,勤務中に何をしているんだと指導が入るんじゃないかと思うほどだ。公務員なら地元住民が人事課に通報するかもしれない。
そうした鬱陶しい閉塞感の中で働いていて,生産性は欧米に比べると低いらしいのだから,救いがない。
● けれども,この時間帯から飲んでいるとは,そこに風穴を開けているようで痛快だ。いいぞいいぞ,と思う。
それくらいは大目に見ろよ。いいじゃんか。用事が終わって,これから帰るだけなんだから。店側も潤うだろうしな。
● 東京駅の丸の内口を出ると,江戸城に至る広い道を含めて,周辺の環境は100%人工的なもの。緑も人工的に作られたものだ。都市の極み。
にしては,そこにいる人たちはカッペを引きずっている人が多いと感じる。お上りさんばかりだという意味ではない。
人間は自然そのものだ。3代続いた江戸っ子でも,ここまでの人工的な環境に置かれると,自らが抱え持つ“自然”が目立つことになるのだろう。その“自然”がつまり,カッペの正体ではないか。
● 何十年ぶりかで,千代田のお城が見えるところに来た。先月も大手町に来ているんだけど,そのときはあまり時間がなく,帰りは雨になったので,ほとんど歩けなかった。今日はたっぷり時間があった。
大手門も見ることができた。記憶にない昔に見たことがあるのかもしれないけれど,記憶にないんだから,初めて見たということにしておきたい。
ここが東京の中心。台風でいえば目にあたるところ。東京の品格(ぼくはあると思っているのだが)の源は,やはりここだ。
● 築城したのは太田道灌でも,今ある形にしたのは徳川サマ。で,今は皇居になっている。天皇が京都の御所に戻ることはあり得ないだろうから,このように整備された状態で今後もあり続けるのだろう。
東京を代表する観光地でもある。皇居を抱えていることは,東京の大いなる強みのひとつだろう。
● 大手町をフラフラと歩いてみた。平日の夕方,まだ多くの人は仕事中だろうけど,それでも帰途についている人も多い。明日から3連休だもんな,今日は早く帰りたいよね。ぼくは今日も休んでるんだけど。
ここが日本のビジネスのセンターなのだが,自分の居場所はここにはないと思う。っていうか,ここは自分が働く場所ではない。務まらない自信がある。
● 三井住友銀行と三菱UFJが隣り合っている。張り合うだけではなく,共同の勉強会をしたり,情報交換をしたりすればいいのにと思う。っていうか,やっているでしょうね。幹部(と若い幹部候補)はやっていると思う。
霞ヶ関と永田町はここから少し離れている。隣接してればもっといいのじゃないか。いやいや,大手町の企業からすれば,それは少し以上に迷惑か。
● 丸善に入ってみた。場所がら1階はビジネス関連の書籍売場になっている。店に入った瞬間にビジネス書の山がドッと目に飛びこんでくる。日本全体で売れるビジネス書の10%はここで売られるんじゃないかと思うほどだ。
いわゆる自己啓発本,法律,経済,労働,会計,経営に関する専門書や教科書。時事評論の類い。各種国家試験のテキストブックなど。
● 仕事帰りのサラリーマンやOLが顧客なのだと思うが,よそから来ている人も多いのかもしれない。書店や文具店ではお客さんを見ているのも面白い。ピープル・ウォッチングにいい場所だと思う。
本屋に来てるんだから本を読む人に違いないのだ。本を買ったり,ノートやペンを自分で買って使う人は,少数派。面白い人は少数派の中にいる。で,そういう少数派も東京に集中しているのかと思ってみる。
● いかにも疲れているという風情の中堅サラリーマンがいた。大変なのだなぁと思うが,大丈夫か。休んだ方がよくないか。ま,別の理由で疲れているのかもしれないのだが。
ハッとするほどきれいな美女もいる。得した気分になる。才色兼備のはずだ。世の中には才も色も持たない女性が圧倒的に多いのだ。どちらかを持っているのは少数。どちらも持っているのは,少数×少数で,超少数。
それを見れたわけだからね。もっとも,そういう女性はぼくなんぞには鼻も引っかけないだろうけどなぁ。
● 若い頃は東京の書店にしばしば行ったものだった。だから,大型書店に行っても臆することはなかった。あたりまえだ,臆するようなところではない。
ところが,最近,それが怪しくなっている。丸善で少し臆している自分を発見することになった。圧倒的な物量(といっても,同じ本が大量に置いてあるからそう感じるのだが)に気圧されているのかもしれないが,それよりも自分が本をあまり買わない人間になったからだろう。
場数を今に活かすには,かつて踏んだことがあるというだけでは足りない。現在も踏み続けている必要がある。それがあって初めて,場数を踏んだという過去形も成立するのだ。
● 大手町=高級,という思いこみがこちらにあったんだけれども,100%高級でできあがっている街などあるわけがない。人間が棲息している以上,それだけでは街は成立しない。
気安い飲み屋もけっこうある。そりゃそうだ。この街にいるのはサラリーマンなのだ。彼らが自腹で飲める店が必要だ。丸の内永楽ビルや大手町ビルの地階にそうした気安い飲み屋が入っているっぽかった。
● さてと。帰るとするか。東京駅に舞い戻る。平日夜の東京駅は,ぼくの知ってる東京駅とは別の顔を見せた。雑踏が濃いのは同じだが,新橋っぽい雰囲気になるんですな。飲み会を終えたサラリーマンの集団が幅を利かせてたりね。
この時間に飲み会が終わったというと,今日は定時であがったんでしょうね。明日からの3連休を控えて開放感に包まれているっぽい。そういう目で見るからそう見えるだけ?
● このサラリーマンの飲み会というやつ,当然,会社からの補助はないはずだ。自腹でやっているだろう。これがどれほど会社に裨益しているか。人事管理が楽になっているだろう。残業時間にカウントしてもいいのではないかと思うほどだ。
逆にいうと,自腹でこれをやっているから“社畜”などという言葉が出てくるのかもしれない。仕事を終えたあとも,社員どうしでつるむという。
● この風潮は昔ほどではなくなっている。その主たる理由は,既婚の女子社員が増えたことだ。彼女たちが昔のような飲み会に全部参加していたら,大半の家庭は立ち行かなくなる。男女雇用機会均等を国是とした以上,この傾向は必然だ。
昔は本当に社員(男性)にとって会社はすべてだった。その男性社員にしても,昔に比べれば会社を相対化できるようになっているのではないか。
ゆえに,定年後,会社での人間関係を失い,何をしていいのかわからず・・・・・・という定年問題は自ずと薄まるのではないかと思う。
● なので,彼らを見ていると,そんなことをしていないで,早く家に帰ってひとりの時間を作ればいいのに,と思ったりもするのだ。人生100年時代で最も必要とされるスキルは,ひとりの時間に慣れているということではないだろうか。
昔の男性社員よりは,そのあたりもだいぶ巧みに捌けるようになってはいるんだろうけど。
● ま,でも,この東京駅の雰囲気は悪くない。立ち去りがたい気分にさせる。
KIOSKで缶のハイボールを調達して電車に乗った。帰りの車中では,久しぶりの動くパブ。849円の悦楽でござった。これだけ飲めばけっこう酔う。
宇都宮からは最終の黒磯行き。やはり明日からの3連休が効いているのか,この時間帯の宇都宮にもけっこうな人がいた。仕事を終えたばかりという感じではなく,リラックスムードを漂わせている人が多い印象。
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