2018年11月26日月曜日

2018.11.26 お金がないのは可,お金を惜しむのは不可

● 人生を愉しむことはお金を使うことと同義ではない。お金をかけずに愉しむことはいくらでもできると思っている。けれども,お金を惜しんでしまうと,人生を愉しむことは難しいかもしれない。お金がなくても愉しむことはできるが,あるお金を惜しむとそれが難しくなる。そのあたりに愉しむための機微がありそうだ。

● 昭和の堅実さを体現しているような人から見ると(ぼくがそうなのだが),一抹の不安を覚えるかもしれない。そんなにパッパと使ってしまって大丈夫なのか,と。
 でも,お金を残して死ぬのは,それ以上にバカバカしい。わかっていてもお金を残して死ぬのが普通の人だ。で,普通はたいていつまらないものだ。

● 乏しきを憂えず,等しからざるを憂う,という言い方が,昭和の労働界にはあった。今は昔の話だ。
 それを個人に引き寄せていえば,少ないのを憂えるのではなく,中途半端にあるのを憂えるべきなのかもねぇ。中途半端には中途半端なりのやり方が絶対にあるはずだとも思うのだが。

● でもね,ぼくを含めて多くの人にとっての福音は,お金をかけずに人生を愉しむことができるようになったことだ。
 音声や動画がデジタル化され,インターネット経由で非常に安価(または無料)で手に入るようになったことも大きいが,じつはインターネットができる以前だって,お金をかけないで愉しんでいた人はたくさんいたはずだ。

● それができる人の特徴は,たぶん,世間の声に左右されないことだ。新聞やテレビの報道とかワイドショートか,友人知人が何を言っているかに,搦め捕られない人。ゆえに,少し前の,みのもんたが言っていたからといって,それに追随するような人は,まるでお呼びじゃない。
 要するに,バカではお金をかけずに人生を愉しむことはできないってことね。だから,あなたやぼくには無理かもね。

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