2019年6月30日日曜日

2019.06.30 数十円を惜しむ自分のセコさに翻弄された日

● 水天宮前から春日に向かっている。神保町で都営三田線に乗換。280円。この乗換が意外に面倒くさい。丸の内線で後楽園に出ればよかったかも。200円ですむんだし。
 もっともそれで道に迷うなんてことがあれば80円ではすまなくなるかもしれず,その可能性もけっこう高かったとは思う。

● 帰りは迷路のような地下通路を通って,丸の内線の後楽園に。迷路のような地下通路でも迷うことはない。帰りは目的地が起点になるから,地下鉄の入り口さえわかれば,あとは無問題だ。
 大手町で半蔵門線に乗り換えることにしていた。押上まで行って東武線に乗り継ぐ。が,千代田線に乗り換えた。なぜかというと,押上までだと240円なのに対して,千代田線で北千住に出れば200円ですむからだ。

● ここでもたくさん歩いた。日常生活に運動を取り入れたいなら,東京に住むに限るな。東京人って毎日1万歩くらい歩いてるんじゃないか。否応なく歩かされる仕組みだもん。
 田舎に住んでいると,万事,車ですませるから,じつにどうも歩かなくなる。ひ弱なのは田舎人で頑健なのは都会人。しかも五感から入ってくる情報は圧倒的に都会の方が多いから,都会の人ってぼけないかもしれないね。

● さて,40円の差に負けて千代田線に乗ることにしたのだが,北千住をウロウロしてみたかったってのもある。結果,それでよかったけれども,もしそれがないのならば40円多く出して押上に出るのが正解だったかも。
 あと,千代田線に乗り換えるんだったら,淡路町の方が良かったんですかね。丸の内線の淡路町から千代田線の新御茶ノ水の間はつながっているっぽい。たぶん,ここでもかなり歩かされるはずだけれども,どっちがいいんでしょうね。
 東京の地下鉄は奥が深すぎて,田舎者にはよくわからん。路線図自体が迷路のようだもんな。

● 千代田線に乗るのも北千住で降りるのも,30年ぶり。いや,もっとか。北千住駅には思い出がある。千代田線に降りる階段の途中にあるスタンド店で,生まれて初めてカレーラーメンというのを食べたのだ。
 ともかく。北千住駅に着いた。すっかり変わっていた。カレーラーメンを出すスタンド店もとっくの昔になくなっているのだろう。
 が,少し困っている。駅の外に出られないのだ。普通に歩いてたら東武線のホームに来てしまった。東武線には乗るんだけど,今すぐじゃなくていいのだ。改札口はどこだ?

● というわけで手間取ったが,北千住の街に出れた。東口の方ね。何だかいい感じ。このカオス感は手頃。
 東口から少し歩くと東京電気大学に至るらしい。通りの名も学園通り。が,この先に大学があるとは考えにくいカオスの雰囲気。大学は孤立しているより巷にあった方がいいとは思うのだが。

● 東口のすぐそばに“富士そば”があったので栄養補給。親子丼セット。このあと,近くを探検(?)。
 東武線の改札を入ったあとにも書店をはじめけっこうな商業施設の集積がある。北千住で降りて改札を出なくても満たせる欲望(?)はけっこうあるかもしれない。
 面白そうだ。新大久保に続いて気になる街ができた。ただし,泊まらないとダメだな。泊まってまで来るかというと,たぶん来ないんだよな。

● でも,あと1回は来ると思う。東武線にはこれから何度も乗るはずだから,途中下車してフラフラと歩いてみたい。

2019.06.30 ロイヤルパークホテルに投宿

● 先週に続いてロイヤルパークホテルに投宿。今回は1646号室。今年,東京のホテルに泊まるのはこれが16泊目になる。すべてがロイヤルパークではないのだが,圧倒的に多いのは確か。
 第一には安いから。泊まらないと損だと思えるほどに安い。1人あたりに換算すると11,000円で泊まれてしまうのだ。しかも,その料金でラウンジまで使える。
 第二に北関東から行く場合,交通の便がいい。都内に入る前に乗り換えることができて,乗換えはその1回ですむ。着駅から直結しているのも何気にありがたい。
 第三に人形町と隅田川を抱えていることだ。この界隈は何度歩いても飽きることがない。

● だったら浅草にこれくらいのホテルがあれば定宿になるか。おそらくならないと思う。浅草では観光色が濃すぎる。しかも色が少ない。単色で濃く塗りつぶされている感がある(偏見かもしれない)。良くも悪くも,浅草寺の存在感がありすぎる。
これなんか模範中の模範。
何もお願いしてないんだもん
 人形町はその頃合いがいいのだ。しかも,歩こうと思えば東京駅までだって歩けない距離ではない。三越本店までなら余裕で歩けるだろう。隅田川を渡れば深川だ。その頃合いが絶妙だ。

● が,このホテルのパフォーマンスの良さを受け取るためには,2人で泊まるのが前提となる。もし,相方が先に逝くようなことがあれば,バッタリ来なくなることは必定だ。
 ぼくが先に逝った場合は,相方が1人で来るかもしれないけどね。

● 着いたのが17時だったので,チェックインしてそのま
ホントだよなぁ
まカクテルタイム。今回は用事があって,1時間で切り上げたけれども,普通はカクテルタイム(夕食前の食前酒)とは言いながら,これで夕食まですませてしまう。

 最近,「兎屋」のつけ麺を食べたいってのがあって,自重はしているけれども,夕食まですませているお客さんが大半だと思う。日本人はそんなに食べないし,ホテル側もそういう前提で対応している。

● 翌朝。ホテルラウンジでの朝食。ブッフェスタイルだけども,ぼくは不動の和食。“朝食 ザ・人形町”と命名したい。
がんばれ。やせなくてもきれい
にはなれるんだけどさ
 今日は和食を取る人が多かったのか,ご飯や味噌汁がしばしば品切れ状態になった。和食の良さに気づいたお客さんが増えたのではなくて,そもそもお客さんの数が多かったからだと思う。それに,たぶんだけれども,ホテル側のウリは洋食にある。

● 先週に続いて,ホテルロビーにある七夕の短冊を見てみた。というか,先週より念入りに見てみた。
 総じて子供が書いたものが面白い。書いているのは男性より女性,特に母親のものが多いんだけど,子供の就職がいま
おぉっ!
諸行無常なんかくそ喰らえ
く行きますようにとか,努力が報われて大学に合格しますようにとか,陳腐なものばかりになる。それを陳腐と言ってしまってはいけなくて,切なる願いに違いないんだけどね。


● ところで,自分だったら何をお願いするだろうか。最初にでてきたのは,これ。
 ポックリ死ねますように
 でも,これじゃ何のヒネリもない。つまらなすぎる。

意識高い系か。
これはさすがに子供じゃないけど,
こう思えてる時点で,
自己肯定感は普通に高いと思う
● 今回は天気のせいもあるんだけど,人形町にも隅田川にで出ず,ホテル内で過ごした。七夕の短冊を見るというきっかけがあったからか,ロビーで過ごす時間が長くなった。こうなるとホテルの快適さが増してくる。オープンスペースで過ごせるようになると別荘感が強くなるのだ。
 ここが東京の別荘になった。こんなに使い勝手のいい別荘はない。ホテルを別荘にすればいいのだし,近くの図書館を書斎兼書庫にすればいいのだ。そういうものを自分で持つ必要はない。というか,持たないのが賢い。

● このペースでこのホテルに泊まるとしても,年に100万円もあれば交通費込みでお釣りが来る。ぼくは持ったことがないので想像で言うのだが,軽井沢に小さな別荘を建てたとしても,年間の維持費(税金やら何やら)と滞在中の諸々の出費でこのくらいにはなるのじゃないか。耐用年数20年として建築費を含めれば,年に100万円ではすまないだろう。
 問題はその100万円だ。いつまで負担できるかという問題だ。

2019年6月25日火曜日

2019.06.25 すごいモバイラーがいたものだ

● 伊藤浩一さんのこの記事を読んで,うたた感慨に浸った。「平成の30年間で100台近いモバイル機器を入手し」しかも「ほとんどの機器は手元に残ってい」るという。そのまんま平成博物館ではないか。
 すごいな。この尖り方はただ事じゃないよね。

● ぼくはその頃あったモバイル雑誌は欠かさず読んでいたけれど,自分がモバイラーになったのはスマホ以後だ。要するにパンピーの1人だ。
 パンピーっていうのはよくいえば中庸,ありていにいえば中身の薄い体験しかしていない人のこと。つまり,その他大勢がやっているのと同じことしかしてないわけだから。

● まぁ,経済的な理由もある。NECのモバイルギアとか富士通のインタートップは10数万円だったからね。おいそれとは買えなかったよ。
 当時,やりたかったのはテキスト入力だけだったので,ネット関連にはあまり興味が行かなかったってのもある。

● 今ならポメラがあるけれど,当時だとやっぱりモバイルギアだったかな。乾電池駆動のモノクロのモデル。が,結局,買わないで終わった。
 あとになって,中古を5千円くらいで買えるようになってから,併せて4台も買ってしまったけれど,結局,これでテキスト入力する機会は数えるほどしかなかったな。
 最近も同じ失敗をしているよ。持ちだして使うつもりでChromebookを買ったんだけど,持ち出しやしないんだわ,実際は。自分の“やりたい欲”が本物なのかどうか,まずは疑ってみた方がいいかもしれないね。

● 伊藤さんはモバイルギアやインタートップといった大型の機器よりも,HP200LXとかW-zero3(シャープ)のような掌に乗るガジェットに興味があるっぽい。モバイルギアよりカシオペアに気持ちが疼くタイプのようだ。
 iPhoneが出るはるか前。このときにスマートフォンという言葉はすでにあった。ネット環境が端末に追いついていなかったかなぁ。

● パンピーとしては,今ならスマホ一択だと思う。入力もフリックに習熟するか,BTキーボードをつなぐかすればいい。
 他に何か持つ必要はない。スマホ1台でほぼカバーできるもんね。っていうか,スマホでできることの一部しか自分はしてないもんね。

● すごいことになったなと思いますよ。しかも,今のスマホが最終地点じゃないんでしょ。これからどう変わっていくんだろう。
 先端にいる頭のいい人たちの間では,ポストスマホがいろいろと議論されてるんでしょうね。パンピーは製品になって差しだされてみないと,どうなるのか見当がつかない。

● 現時点では折りたたみ式のディスプレイくらいかなぁ。これはメインストリームにはならないのじゃないかと思っているんだけど。
 そうじゃなくてもっと画期的な何かだよね。何が出てくるんだろうか。楽しみだ。

2019年6月24日月曜日

2019.06.24 氏家「みやこ家」で濃厚煮干しつけ麺を食す

● 22日に人形町は「兎屋」の麺をたべたばかり。なのに相方がラーメン食べたいと言いだした。ぼくらにとって地元のラーメンやつけ麺となると,氏家「みやこ家」しかない。
 ぼくも思うことだけども,相方もどっちが旨いのか,あらためて確認したくなったらしい。相方的には「みやこ家」のガツンと来る感じに惹かれていて,「みやこ家」に軍配が上がると思っているようだ。それを確かめたいということらしい。

● いや,そんな面倒なことじゃなくて,たんにまたラーメンかつけ麺を食べたくなっただけなのかもしれないけどさ。

● 濃厚煮干しつけ麺を注文。大盛りで930円。「兎屋」と土俵は同じだ。煮干しの濃厚なつけ汁に平打麺。値段もほぼ同じだ。
 どっちが旨いか。わからないというのが正直なところ。人形町の「兎屋」もいいけど,「みやこ家」も旨い。

● 「兎屋」の旨さには人形町が入っているかもしれない。人形町の雑踏を経てありつくから旨いと感じるという部分があるかも。
 さらに。ぼくらが「兎屋」に行くときは必ずオフだ。1泊2日の超短期とはいえ,アーバンリゾートを決め込んでいる体勢だ。リラックスしている。これ以上はないと言うくらい解放されている。そういうことも勘定に入れないとね。

● しばらく来ないうちに,スタッフの過半が外人さんになっていた。たいしたもんだよなぁ。日本語で接客するんだからな。

2019年6月23日日曜日

2019.06.23 ロイヤルパークホテルに投宿

● 週末をロイヤルパークホテルで過ごすことに。もちろん,安いプランが出ていたから。
 コストパフォーマンスがすこぶる良くて,それに惹かれているわけだけども,もうひとつは立地の問題。徒歩圏内に人形町と隅田川があること。これも大きいな。
 今回は1747号室。ビューはスカイツリー

● ところで,こういうささやかな贅沢ができるのも,来年3月までの予定。なぜなら,ぼくは無職になるので。仕事は完全引退するつもり。
 ぼくより10歳ほど若い相方も一緒に辞める。となると,とりあえず月に10万円台前半と思われる年金が唯一の収入になる。それで夫婦ふたり,暮らしていく。もちろん,多少の蓄えはあるので,それを取り崩しながらやっていくことになるのだが。
 年金の仕組みが現在と変わらないと仮定して,相方の年金が出るのは10数年先になる。ぼくは75歳になっている。それまではぼくの年金のみ。

● 貧乏暮らしとストレスフリーを秤にかけて,後者を選択することにした。ストレスフリーなんだから週末をホテルで過ごす必要もなくなると思うし,ぼくに関して言えば,酒は要らなくなるんじゃないかと思っている。
 ともあれ。ささやかな贅沢ができるのは来年3月まで。ので,やれるときにやっておけというわけで,来週もこのホテルを予約してある。

● ま,不安がないわけではないやね。ぼく一個は生活保護水準でやっていける自信があるけれど(貧乏暮らしはストレスにならない),相方はそんな自信はないと言っている。
 いざとなると,女は強いから,まぁ何とかなるとは思ってるんですけどね。

● ラウンジでハイボールを3杯。今夜は居酒屋感が強い。ホテルのラウンジという取りすました感が皆無。ぼくらを含めてそういうお客さんだということ。この感じ,嫌いじゃないけどね。
 このカクテルタイムは食前酒という位置づけなんだけども,お客の大半は夕食タイムだと思っている。ぼくらもそうだ。

● まだ明るいのでひとりで隅田川に。滔々と流れる川を眺めているうちに,中森明菜の「セカンドラブ」を無性に聴きたくなった。なぜ?
 いったんホテルに戻って,相方と人形町「兎屋」にまたやって来た。ぼくらの前に5人
並んでいる。今日はつけ麺じゃなくて,大盛りラーメン(980円)を。麺はストレート棒麺。相方が言うには,あなたの好きな味よね,和風で。
 たしかに。煮干しダシで飽きない。汁は濃厚めなので,棒麺で無問題。

● 再び,夜の隅田川。ずっとこの光景を見ていたい。このまんま息絶えられたらと思わぬでもない。
 川にはそう思わせる魔力があるんですかねぇ。此岸と彼岸。この世とあの世。といって,ぼくは右岸側にいるんだけど,左岸もキラキラした都会の風景で,彼岸という趣は皆無だよ。
 上流から下流への流れが,誕生から死を連想させるんだろうか。海に流れこむと個は解体されて全体に溶けこむみたいな。
 インドのガンジス川の有名な光景は見たことがないんだけども,一度見ておく価値があるかなぁ。

● 翌朝。相方を起こさないように,ロビーに降りてみた。七夕飾りがあって,願い事が書かれたカードがたくさん吊されている。
 ひとつひとつ見ていくと,安穏な人生などないことがわかる。シリアスさはそれぞれだけど,誰もがなにがしかの悩みなり気がかりなりを抱えている。
 ロビー階のレストランで朝食を提供している。それを見ていると,幸せそうな人た
ちばかりに見える。そんなはずがあるわけもないのだが,一見,そう見える。

● ぼくはラウンジで朝食。蒲鉾と漬物,人形町を食べているという気分。人形町ではラーメンしか食べたことがないわけで,この朝食はぼく的には貴重。
 こんなことを言うと叱られるんだろうけど,漬物を食べるために京都に行く必要はないんじゃないかと思う。人形町でいいじ
ゃん。

● そうしてささやかな贅沢は終わった。こういう時間はすぐに過ぎる。
 ラウンジでチェックアウト。このあと,相方は三越本店経由銀座。ぼくは住吉に向かう予定だ。






2019年6月19日水曜日

2019.06.19 日本の生産性が低い件

● 工場生産は知らず,オフィスワークの生産性は日本は先進国中最下位だと聞いた。イタリアより低いらしい。イタリア人というと,気ままに適当に働いているというイメージがある。対して,日本人は私語もせず眦を決して仕事に向かっているというイメージ(実際はそうでもないのだけど)。
 なのに,イタリアの方が生産性が高い。勤務中に受ける諸々のダメージは日本の方が多そうだ。イタリア人より身を粉にして働いている日本人の方が,生産性が低いとは。

● これはもうどうにもならない。日本というシステムがどうにもならない。IT企業が突破口は開けているのだろう。それでもそれが全体に拡散する可能性はあまりない。
 方法はひとつ。50歳以上を放逐して,管理職を現在の3分の1にすることだ。係長-課長-部長(全員を執行役員とする)-社長の4段階でいい。
 次長だの補佐だの代理だの心得だの,そういうものが大きく生産性を損ねている。根回しだの調整だの摺り合わせだのという,生産性にまったく寄与しない業務ばかりが増える。困ったことに,それらが本体業務よりもストレスを生む。

● 働き方改革もクソもあったものではない。働き方改革というのは従業員に対してよりも,管理職に対して業務の改善を促すもののように思う。
 あるいは,組織をそのままに放置している経営側に向けられるべきものだ。日本の企業や役所の管理職の仕事は,気まぐれな人間よりAIの方がうまくやるだろう。

● しかし,経営側にも言い分はある。解雇できないという手枷をはめられていることだ。外部環境の変化に対応するために人を減らしたくても,できない。要らない人材も抱えておかなければならない。代理や心得が増える。
 賛同は得られまいが,職場からストレスを減らし,生産性に寄与しない業務を減らし,仕事をしているという実感を従業員に与えるために,経営側に解雇の自由を保証した方がいい。
 解雇の自由がないことが,日本企業の生産性を大きく損ねている元凶だと思う。のみならず,閉塞感を生み,通勤電車のサラリーマンが全員仏頂面になっている元凶でもあると思う。

● 心配は要らない。会社をクビになっても人生が終わることはない。いくらでも次がある。解雇の自由を保障すれば,“次”が次々に生まれるだろう。
 しかも人手不足だ。人口が減るんだから,人手不足は恒常的な現象になる。それを補填してあまりあるAI化,ロボット化,自動化が実現する社会がいずれ来るのだろうが,そうなればたぶん働かずにすむようになっているだろう。

● これまでの労働判例の積み重ねは,負の遺産に変わりつつあるように思う。判例を無効にするには立法措置しかないわけで,それをするには申しわけないけれども,過去の空気を自分のモノサシにしている年寄りに全員退場してもらうほかはない。したがって,時間がかかる。
 が,それを加速させる動きも出てくるはずで,極端なことを言うと,会社とか企業というそれそのものが時代遅れになるのかもしれない。すこぶる優秀な人が少人数のグループを作って,大きなムーブメントを巻きおこす。会社はそれについていけない。
 そういう時代になるのかもしれないねぇ。その萌芽はすでにあるもんね。真に優秀なエリート(学歴のようなオーソライズされたものでは測れない)が差配する社会になるのかもしれないと思ってみる。

2019年6月16日日曜日

2019.06.16 年金問題-金融庁の報告書:どうやって自分を守るか

● 年金のほかに2千万円が必要だ,と。どうも2千万円が独り歩きしている感がある。
 この報告書は受け取らないとか,野党の追及とか,参院選への影響とか,そんなことはどうでもいい。興味もない。
 そもそもが年金だけで老後は安泰だなどとは厚労省も言ったことはないし,国民だってそんなふうには考えていなかった。騒いでいるのは,にわかに湧いてきた批判大好き層だけなのでは。

● この問題の本質は,宇佐見典也氏がTwitterで指摘している。ゼロ金利が原因だ,と。言われてみれば,膝を打ちたくなる。そのとおりだからだ。
 5%の利子が付くのであれば,2千万円の預金があれば,1年に百万円の利子収入がある(郵便局に定額預金しておけば,7%や8%の利子が付いた時代があったのだ)。10年で1千万円,20年で2千万円だ。年金と併せれば充分な額になる。
 そういう計算だったのだと思う。昔から年金だけでやりくりしようということではなかったのだ。年金は基本的に変わっていない。1年に百万円の利子収入がなくなったということなのだ。

● 元金の2千万円には手を付けなくてすんだ。手を付けなくてすむということは,次世代に引き継げるということだ。
 今は利子がないんだから,元金を取り崩すしかない。死ぬときにはスッカラカンになっている。そこの違いだと思う。

● 預金利子が下がりだしたのは21世紀に入ってからではないか。ゼロ金利になることなど,当時予測できた人は全国探しても一人もいなかったろう。
 それを今になって政府を非難するのは当たらない。年金が変わったのではなく,年金を取り巻く状況が大きく変わっただけ。
 金融市場が生んでいた利子分も含めて,年金額を改定せよともし言うのなら,それは言っていることが無茶苦茶だ。できるはずがない。金融市場の変化を年金がヘッジするなどというのは,およそあり得ない話だ。

● したがって,問題はゼロ金利がこれからも長く続くのか,それとも早晩終焉を迎えるのかということだ。
 後者の可能性はあまりない。金利が下がるのは,先進国に共通の傾向だし,お金の借り手が急に増えるとは考えにくいからだ。
 トヨタのようなところは,そもそも銀行など必要としない。自社に貯まっている資金でたいていのことは間に合うだろう。銀行にしてみれば,借りてくれる相手を探すのに苦労中ではないか。

● 自分の生活にひきつけて考えてみても納得できる。基本,以前よりお金は要らなくなっているだろう。かつては音楽を聴こうとすれば,CDを買うしかなかった。アルバムなら3千円ほどだったか。TSUTAYAのようなレンタルショップができてだいぶ助かったが,それでも当初のレンタル料は500円ほどではなかったか。
 それが今では音源はインターネットに転がっている。タダで手に入る。CDを買う必要も借りる必要もない。
 一事が万事,そうなってきた。総じて,娯楽にお金がかからなくなってきた。そこまで含めてインターネットの影響は大きい。企業活動でも同様の事情があるのではないかと思う。

● 資金需要は減る。需要が減るんだから金利は下がる。ここは当面,変わるまい。つまり,預金利子はないものと考えなければならない。
 けれども,ぼくらは自衛しなければならない。誰も守ってくれないんだから,自分で策を立てなければならない。どうすればいいか。

● ぼく一個は預金を捨てて株に向かうしかないと思う。利回りから外国株を勧める人もいるけれども,勝手のわかりやすい国内株の方が安心できる。
 国内株でも3%程度には回せる。その程度の配当利回りを考えるのは充分に現実的な話だ。2千万円を3%に回せれば,年間60万円の配当収入が得られる。20年間で1,200万円だ。年金にこれだけの付加があれば,問題なくやっていけるだろう。

● 株式なのだから元本保証はない。2千万円が紙くずになってしまう可能性だって,理屈のうえではゼロではない。それゆえ,二の足を踏む人が多いだろうと想像する。
 その2千万円は虎の子の退職金かもしれない。虎の子を株のような不安定なものに投じるのは不安だ。
 特に,それまで株式投資に手を染めることなく定年に至った人にとっては,清水の舞台から飛び降りるようなものかもしれない。結局,飛び降りることができずに終わる人が多いような気もする。

● その場合はもう仕方がない。虎の子の2千万円を取り崩しながら,老後を生きるがよい。
 実際のところ,年金のほかに2千万円が必要というのは,それなりの水準で生活するというのが前提のようにも思えるのでね。ぼくなら,老夫婦2人で年金の20万円があればどうにかやっていける自信がある。

● 若い人の場合は,若いうちに株式投資に慣れておくことを勧める。銀行に積み立てるだけの人と,株を買って3%の配当金を受け取り続けた人との間には,金額以上の差が生じるのではないかと思う。おそらく,人生観にも影響があるはずだ。
 言うまでもないが,損をすることがある。しかも,一再ならず。が,実地にそういう経験を積み重ねていくことが大事だ。
 くれぐれも,汗水流して得た所得が不労所得よりも尊い,などという前世紀の遺物に絡め取られないように。絡め取られている人はよもやいないと思うけれども。

● 老爺心ながら(つまり,初歩的な指摘になるのだが),配当利回りだけに着目して買う銘柄を決めないように。株価が下がれば利回りは上がる。あまりに利回りがいい銘柄は,株価が下がっているのかもしれない。最悪の場合,倒産要因を抱えているかもしれない。
 配当利回りよりも株価そのものが上がると踏んだ銘柄を買うのは鉄則。しかし,あまり儲けよう儲けようと血走らないこと。株は買ったら買ったことを忘れているくらいがちょうどいい,というのは今でも通用する金言だと思う。

2019年6月10日月曜日

2019.06.10 Twitterで発見した面白い女子

● Twitterで面白い人を発見した。女性。年齢は30代の前半。バツイチであるらしい。営業か企画の仕事をしているっぽくて,全国を飛び回っている。
 が,そのバリバリさをアピールしているのではなくて,自分のダメなところをぶっちゃけている。バツイチであること。酒飲みであること。メイクを落とさずに寝てしまう(こともある)こと。

● 自分の裸を見せている感じ。ともかく面白い。
 Twitterを始めてまだ2年にもならないのに,フォロアーは1万を超えている。これならそうだろうなと思わせる。フォロアーを増やすためにはどうすればいいのか,具体的な実例をもって教えてくれている。

● 自分のTweetには取り繕いがある。無難なことしか書かない。どこそこのラーメンを食べたとか,どこそこのコンサートを聴いたとか,どこそこのホテルに泊まったとか,外見的なあたりさわりのないことしか書いていない。
 ネットに出してはいけないことは当然ある。他人のプライバシーや悪口を書くのは論外だし,自分以外の人間を登場させるのは原則NGだろう。
 仕事や職場に触れるのもダメだと思う。守秘義務というやつがある。守秘義務の範囲は予め決まっているわけではないと思っておくべきだ。ネットにあげて問題になれば,それがすなわち守秘義務なのだ。

● 大の大人がネットで愚痴をこぼすのも避けたいところだ。が,愚痴を巧妙に隠して,内面を客観的にできれば面白おかしく晒すことはできるかもしれない。
 鎧をまとわない,上澄みだけ出そうとしない,いい子でいない,ダメなところをどんどん出す。少数派になって叩かれることを怖れない。
 要は裸になる覚悟をするということだが,どうも裸になるのは男より女の方が巧いらしい。

● いじりやすいキャラと思われているのだろう。彼女のTweetから察するに,“おじさん”がリプを付けてくるらしい。彼女にすればかなり迷惑のようで(そりゃそうだ),自分の人生に集中しなよという言葉が何度も出てくる。
 これまた,じいちゃんの自分には教訓になる。人のTweetにリプを付けるのは慎重に。ぼくはほとんどリプは付けないのだが,それはそれでTwitterをTwitterとして使っていないなと思うこともあるのだが,リプを付けるのは“賛意を表する” “ほめる・感嘆する”に限定すべきなのだろうな。

● それ以外のリプを付けたくなるときはジッと耐えて沈黙を守るべきなのだろう。特に女性に対してはそうだ。女性的男性に対してもそうだ。そして,男性の大半は女性的男性なのだ。
 Twitterというのは,リプを付けたくなる構造になっていると思う。同じ内容でもInstagramならば見るだけにとどめるところを,Twitterだとついついひと言いいたくなる,チャチを入れたくなる。ま,Instagramはぼくは使ったことはないんだけどさ。

● というわけで,Twitterに向かうときの姿勢は次のようでありたい。期間限定で試してみるか。
1 裸を晒す 汚いところを隠さない 優等生にならない 文化人面をしない
2 他人のTweetにケチをつけない

● ところが。このことをやはり30代の女友だちに紹介して,面白いから読んでみなよと言ったところ,さっそく読んでくれた。結果,“キラキラ女子”だねと一蹴するのだ。
 写真だけの表示にして見てみなよ。いくら毒吐いてもぶっちゃけててもキラキラ女子。しかも,高給取り。そんな人がおいそれと本音は言わないよ。人の目に慣れてるからきれいに作れるんだよ。羨ましいよ。

● 東京の一流私大を卒業して,千代田区か中央区か港区にある大手の企画会社か広告会社に就職して,売り込みのために全国を飛び回っているというイメージではある。かなりの高給取りでもあるだろう。仕事でもプライベイトでも色々あるけれども,基本,今の生活は捨てないという軸はブレていないっぽい。
 そのうえで,大衆店やラーメンのような下世話な食べものの話材をうまく使って,自分の対外的なイメージをTwitter上に作りあげているという感はある。
 ので,演出はあると思っていたんだけども,ここまで直裁には考えなかった。

● 彼女のTweetでもうひとつ目につくのは,恋愛話だ。恋愛が関心事の大きな割合を占めているようだ。熱を込めて語っている。バツイチでも男に懲りていないらしいなと思ってた。
 ある年齢までの女性はそうであるように神様が作っているのだろうと思うほかはない。種の保存を主に担うのは女性だから,それと関係があるのだろう。ということを思ってた。
 んだけど,これも演出? 女の恋愛話を聞くのが嫌いな男はいない。おそらく,女同士でも盛りあがれる話題だろう。そこまで踏んで創作しているとは思いたくないんだけど,これも男の甘ちゃんかい?

● ま,面白いことには変わりがないので,フォローを続けようと思ってるけど。

2019年6月8日土曜日

2019.06.08 鹿沼探検

● 鹿沼市民文化センターにやってきた。鹿沼ジュニアフィルの定演がある。ただし,開演時刻がはっきりしない。会場である鹿沼市民文化センターのサイトが唯一の手がかりなのだが,時間は未定のままになっている。
 昨年までは14時開演だったので,今年も同じだろうと思って来てみたんだけど,どうも様子が変だ。閑散としている。で,大ホールの扉にある案内を見ると,開演は18時だと。

● ありゃま。あと4時間以上もあるじゃないか。どうする? 待つか帰るか。
 待つことにした。せっかく鹿沼まで来たのだ。電車を乗り継いで。鹿沼駅からはここまで歩いてきたのだ。4時間を待たずのは,ここまで来た手間を考えると割に合わない。

● まずは持参した本を読んだ。面白かった。途中まで読んでいたので,1時間で読み終えてしまった。本はこの1冊しか持ってきてない。4時間は塞げない。あと3時間ある。
 じゃ,何をすればいいか。WALKMANでベートーヴェンの交響曲を聴くことにしよう。て,1~5番を聴いた。8番と9番はここに来るまでに,電車の中であるいは歩きながら聴いている。6番と7番は帰りに聴くことができるだろう。私家版全交響曲連続演奏会を聴けることになりそうだ。

● ところで,会場内の椅子にじっと座って聴いている必要はない。WALKMAN(歩く人)なんだから。
 ので,鹿沼市民文化センターの先に行ってみることにした。行ったことがないのでね。移動手段は徒歩しかないわけだから,当然,歩くことになる。

● まずは西に降ってみた。一気に山間部になる。こんなところを降って,こんなト
ンネルをくぐる。トンネルの上は東武鉄道が走っている。堂々たる複線。
 西鹿沼町というらしいのだが,町の趣はない。昔の農村集落だ。家は山の麓に散在して建っている。一戸独立。
 日本の原風景という言葉を思いだすわけだけども,この光景が原風景なのかどうかはわからない。はるかな昔はまた違っていたのかもしれない。

● こんな立札があった。マナーのよろしくない人が多いのかね。マナーってのは人の集まる都市で必要に迫られて発生するもので,田舎にはないものだとも思うんだが。
 昔は犬をペットとして飼う家はなかったろう。何らかの役割を期待して飼っている家はあったに違いないが,糞の始末はする必要がないものだったと思う。おそらく,最後は肥料にでもなったのではないか。今はそうはいかない。

● さらに行くと清水寺があった。あったというか,寺までは行かなかったんだけど。樹木葬をやってるらしい。後継者の心配がないってのはいいなぁ。子供がいないご夫婦,多いでしょ。
 ぼくも同じだ。公営の墓地を手当しているんだけどさ。奥さんより早く死ぬので,ぼくはまだいい。しばらくは奥さんが墓守をしてくれる。が,奥さんが亡くなったあとは,誰もいない。っていうか,奥さんが死んだときはどうすればいいのか。
 墓を含めて永久というのは絶対にないから,いずれは整地して別の用途に使われるのはまったくかまわないのだが,以上のような心配はある。ので,墓など作らず,適
当に散骨してもらうのが一番いいのだが,後継者の心配がいらないなら樹木葬の話を聞いてみようか。

● 東武の北鹿沼駅まで行こうと思うんだが,この道から行けるんだろうか。すべての道はローマに通じるんだから,行けるか。
 行けるんだろうけども,ここで引き返すことにする。坂田山大通りを北に降りていけばいいのだろうから。坂田山西斜面の住宅地を経巡りながら,適当に歩いてみた。山を削って段々宅地にしている。
 大雨で流される心配はないんだろうかと,チラッと思った。かえってしっかりした地盤なのかね。水は下に流れるんだから,床上浸水とかの心配はなさげだけど。

● 北鹿沼駅に到着。林業の街的な感じ。もちろん,サラリーマンで食べてる人が多いんだろうけど。
 駅の近くにこんな店があった。東武の切符を扱い,宅急便も受け付け,切手も売る。昔のよろづ屋がコンビニになったような。
 これから過疎地が増える。こういう店が救世主になるのではないか。ちゃんと儲かるようにしてあげないといけないんだがな。

● このあたり,製材所がいくつもあって,材木の匂いが漂ってくる。材木の匂い,いいよなぁ。大好きだ。シンナーとかガソリンの匂いよりずっといいっしょ。
 しばらくとどまって,ずっと嗅いでいたいと思った。ま,実際にそれをやったら,充分に不審者っぽくなってしまうだろうけど。

● 帰りは最短距離を歩いて,鹿沼市民文化センターに舞い戻ってきた。徒歩で鹿沼を探検した気分。発見は特にない。
 電車の中でベートーヴェンの6番と7番も聴いた。私家版全交響曲連続演奏会を達成。いいんだか悪いんだか。って,あんまりいいとは思わんのだがね。
 しかも。鹿沼駅に向かう途中,ローソンで缶ハイボールを買って,日光線の車中で“動くパブ”を決めこんでしまった。呑みながら聴いてたわけね。

2019年6月2日日曜日

2019.06.02 ロイヤルパークホテルに投宿

● 久喜で東武線に乗り換えて,ロイヤルパークホテルに直行。今回は自宅から相方と一緒。珍しい。だいたいは別々に出かけて,ホテルで落ち合うというパターンだから。
 何かをするためにホテルに泊まるのじゃない。ホテルに泊まるために東京まで出かけるのだ。だから東京である必要もないようなものだが,ぼくのわずかな経験からすると,ホテルは東京に限る。

● まぁ,お金と相談というのは当然あるわけで,したがって,超のつく一流ホテルには泊まったことはないし,これからもないと思う。ロイヤルパークはコスパがすごい。
 ただし,だ。コスパに惹かれる人が集まるわけだから,宿泊客はそれなりのランクの人の集合体になる。が,ぼくにとっては竜宮城であることに変わりはない。
 ともあれ。ラウンジでチェックイン。

● いったん部屋に引きあげてから,再度ラウンジに出かけてハイボールを3杯飲む。
 まだ明るいので隅田川に出かけてみた。この時間帯にもジョギングしてる人がけっこういる。ジョギングしたくなる場所ではある。ジョギングって健康そうだけど,実際はどうなんだろ。ぼくは,彼らを見て,こいつら長生きせんだろうなと思ってしまうのだが。
 でも,まぁ,いい気分だ。ほんわか酔って,川風に吹かれる,っていうやつだ。こういうところのベンチに座って,スマホでTwitterを見るって最高だ。

● そうして自分の来し方を考える。たいしたことのない,つまらない人生を送ってしまった。後悔だらけだ。申しわけなかったと謝りたい人もたくさんいる。謝らなければならないようなことをなぜ作ったかといえば,畢竟,自分の弱さだということになる。
 が,仮に20歳に戻れたら,違う歩みを歩めるかというと,まったく自信がない。同じことを繰り返すに違いない。
 世の中にはアグレッシブにバリバリやっている人が多数いることは知っているが(たとえばTwitterのインフルエンサーと呼ばれる人たち),自分もそうしようと試みることは鵜のマネをする烏になろうとするようなものだ。
 今だってここで時間が止まってくれない
かと思っているのだ。2日後の月曜日のことを思うと憂鬱になる。現役からは片方の足を抜いているようなものなのだが,それでもなおかつそうなのだ。

● ホテルの隣が東京エアシティターミナル。ホテル2階から直行できる。が,何となく寂れた雰囲気がある。日本橋とは思えないレトロをたたえている。
 コンビニがあり百円ショップがありマ
ックがある。ここから成田と羽田に直行バスが出ているわけだが,航空利用者はいわゆる大衆であることがわかる。LCCの導入が日本では遅れていると聞くんだけど,そうであろうとあるまいと,ものみなすべて大衆化。

● 2階で秋田の観光特集というか,秋田においでよ的なキャンペーンが行われているらしい。秋田美人のポスターが4枚貼ってあった。
 ぼくは秋田美人という言葉には実態があると思う。通過しただけってのも含めるなら,国内はだいたい行ったことがあるんだけど,東北は基本的に美人が多い印象。新潟から青森までの日本海側は美人の凝結度が高いという印象がある。
 しかし,最近は平準化が進んでいるんですかね。ちょっと待て,この程度だったら栃木にだって,と思わないでもなかった。

● 相方と人形町に繰りだす。繰りだすといっても,相方は酒は飲めないので,どこぞで一杯ひっかけるというわけではない。っていうか,ホテルで飲んだだけで充分で,ぼくもそれ以上に飲みたいとは思わない。
 おそらくはぼくらと同じようなお上りさんかと思われる人たちが歩いている通りを,彼らに混じって歩くだけだ。が,この雑踏がどういうわけか気持ちがいい。隅田川と人形町を抱えているのがロイヤルパークの強みだなと毎回思う。
 比べても仕方がないのだが,シェラトン都の白金台,インターコンチネンタルの竹芝,ウェスティンの恵比寿と比べても,人形町の優位性は明らかだ。ぼくにとってはだけど。

● で,「兎屋」でつけ麺を食べた。毎度「兎屋」。他を探索する気はないのかね。ないんだな。まだまだ「兎屋」に飽きてない。短期間に頻繁に行くのでなければ,まず飽きることはない。となると,この先もたぶん飽きることはないわけだ。
 人形町に来れば,「兎屋」でつけ麺を食べたくなる。そういうもの。どうですか,このきれいな盛りつけ。麺自体がキラキラツヤツヤ。食欲をそそるじゃないですか。

● 帰りはメイン通りを逸れて,飲み屋街になっている通りを歩いてみた。かつての花街だった頃のさんざめきを想像して,その世界に浸ってみたかったのだが,どうにもこちらの想像力が追いつかない。
 ま,何て言うんだろ。たんに通過するだけではいくら想像力,妄想力を利かせようとしても限界があるかな。もう一歩踏みこんだ関わりを持たないとね。

● 翌朝,ラウンジでの朝食。飽きずに同じメニュー。白いご飯,味噌汁,卵焼き,かまぼこ,海苔。何の変哲もないものだが,一品一品の質はさすが人形町。
 ロイヤルパークで唯一の不満はロビーでボーッとすることができにくいことだ。ホテル側もロビーのソファの配置をいろいろ試行中の様子。これはね,お一人様に照準を合わせた方がいいと思う。そう意識して初めて,ちょうどいい按配になる。ような気がする。というのも,自分がひとりでいるからなんだが。

● 帰りは水天宮前から南栗橋行きの列車に乗った。今回は東武線の南宇都宮で降りたいので,南栗橋から先も東武。これに480円プラスで宇都宮まで乗れる。東武は安い。
 インターネットに自分を乗っけて運べるといいんだがな。一瞬で行きたいところに行ける。ドラえもんの“どこでもドア”さながらだ。
 情報は一瞬で世界のどこにでも行けるのに,生身の人間が行けないのは理不尽だなと,それこそ理不尽なことを思ってみたのだった。