2019年6月19日水曜日

2019.06.19 日本の生産性が低い件

● 工場生産は知らず,オフィスワークの生産性は日本は先進国中最下位だと聞いた。イタリアより低いらしい。イタリア人というと,気ままに適当に働いているというイメージがある。対して,日本人は私語もせず眦を決して仕事に向かっているというイメージ(実際はそうでもないのだけど)。
 なのに,イタリアの方が生産性が高い。勤務中に受ける諸々のダメージは日本の方が多そうだ。イタリア人より身を粉にして働いている日本人の方が,生産性が低いとは。

● これはもうどうにもならない。日本というシステムがどうにもならない。IT企業が突破口は開けているのだろう。それでもそれが全体に拡散する可能性はあまりない。
 方法はひとつ。50歳以上を放逐して,管理職を現在の3分の1にすることだ。係長-課長-部長(全員を執行役員とする)-社長の4段階でいい。
 次長だの補佐だの代理だの心得だの,そういうものが大きく生産性を損ねている。根回しだの調整だの摺り合わせだのという,生産性にまったく寄与しない業務ばかりが増える。困ったことに,それらが本体業務よりもストレスを生む。

● 働き方改革もクソもあったものではない。働き方改革というのは従業員に対してよりも,管理職に対して業務の改善を促すもののように思う。
 あるいは,組織をそのままに放置している経営側に向けられるべきものだ。日本の企業や役所の管理職の仕事は,気まぐれな人間よりAIの方がうまくやるだろう。

● しかし,経営側にも言い分はある。解雇できないという手枷をはめられていることだ。外部環境の変化に対応するために人を減らしたくても,できない。要らない人材も抱えておかなければならない。代理や心得が増える。
 賛同は得られまいが,職場からストレスを減らし,生産性に寄与しない業務を減らし,仕事をしているという実感を従業員に与えるために,経営側に解雇の自由を保証した方がいい。
 解雇の自由がないことが,日本企業の生産性を大きく損ねている元凶だと思う。のみならず,閉塞感を生み,通勤電車のサラリーマンが全員仏頂面になっている元凶でもあると思う。

● 心配は要らない。会社をクビになっても人生が終わることはない。いくらでも次がある。解雇の自由を保障すれば,“次”が次々に生まれるだろう。
 しかも人手不足だ。人口が減るんだから,人手不足は恒常的な現象になる。それを補填してあまりあるAI化,ロボット化,自動化が実現する社会がいずれ来るのだろうが,そうなればたぶん働かずにすむようになっているだろう。

● これまでの労働判例の積み重ねは,負の遺産に変わりつつあるように思う。判例を無効にするには立法措置しかないわけで,それをするには申しわけないけれども,過去の空気を自分のモノサシにしている年寄りに全員退場してもらうほかはない。したがって,時間がかかる。
 が,それを加速させる動きも出てくるはずで,極端なことを言うと,会社とか企業というそれそのものが時代遅れになるのかもしれない。すこぶる優秀な人が少人数のグループを作って,大きなムーブメントを巻きおこす。会社はそれについていけない。
 そういう時代になるのかもしれないねぇ。その萌芽はすでにあるもんね。真に優秀なエリート(学歴のようなオーソライズされたものでは測れない)が差配する社会になるのかもしれないと思ってみる。

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