● 昔は外で1人で飲んだものだった。1人で飲むときこそ,外で飲むべきだと思っていた、家で1人で飲むのはアル中のイメージに結びつきやすいというか,あまり健康的とは言えないと思ってた。家で飲んだ方が安いけれども,安いからといって家で飲むのは感心しない。
当時から休日にわざわざ飲みに行くことはなかった。仕事帰りに飲むのが専らだったので,外で飲んで家に帰って,そのまま寝るという生活をしていた。
ちなみに,職場の飲み会は飲むのに数えない。
● それが変わったのは,やはり結婚が契機でしょうね。それでガラッと変わったというわけではないけれども,加齢がだんだん外で飲むのを億劫にさせた。
家で飲んでる分には,最終電車に間に合うかとか,ホテルに泊まるとか,そういう心配をしなくていい。酔ったらそのままゴロンと寝ればいいだけだ。
● 外で飲むのがつまらなくなったということもある。1人で飲みに行って,カウンター席に座って,大将や女将と話をする。そういうことがつまらないと思うようになってしまった。
ほかのお客さんが話しているのを聞いているのもつまらない。毎度毎度,同じような話だし。結局,床屋政談なんだよね。
● 若い頃は,酒場のカウンター席に座ること自体が社会勉強だと思っていたのだと思う。酸いも甘いも噛み分けているスナックのママは人生の先生だ,と思っていた。先生にいろいろ教えてもらおう,と。
こちらが歳を取ってくると,そこのところが薄れてくる。店を出たあとの彼女たちの生活ぶりも具体的に想像がついてしまう。それでは先生にならない。
● チェーンではない居酒屋の商売は難しくなっているのではないかと思う。まず,料金面でなかなかチェーン店に対抗できない。割高になってしまいがちだ。
チェーン店は画一的だ。画一的というのは悪いことばかりではない。客とすれば,事前に予測可能になるからだ。初めての土地であっても,出てくるものも値段も既知なのだから,安心感がある。
しかも,チェーン店の品質管理はかなりのレベルで,ヘタな個人経営の店より旨いものが出てくる。
● そういう中で,流行っている個人経営の居酒屋には,チェーンにしてしまうと必ず抜け落ちる何物かが店内に満ちているように思う。
その何物かのかなりの部分は地元客や常連客が作っているもので,したがって,ヨソ者には入りづらさにつながるかもしれないのだが,そこを押して入ってみると,いい店であることが即座に理解できるという具合だ。
● というわけで,久しぶりの外飲みなのだ。宇都宮は県庁近くの「庄助」。この店も久しぶり。3年ぶりくらい。大将は最近亡くなったらしい。そんなに高齢ではなかったと思うが。
で,大将と店を切り盛りしていた,若干歳は喰っているものの,3人のお姉さん方が名跡を継いでいる。
しかし,まぁ,居酒屋の肴とすれば,充分以上の品数といっていいだろう。
安くて,家ではなかなか食べられない味。それを1つや2つではなく,いくつも揃えておく。何事によらずプロは大変だな。
● マグロのブツもいい部位から取っている感じだね。ハイボールがグイグイ進んで困る。
もつ煮。コチュジャンを使った辛味噌が添えられているが,それだけでは辛さが足りないので,ぼくは七味を振りかける。さらにハイボールが進む。
ショップカードに使われているのがゆず味噌で,ゆずの中身をくり抜いて味噌を詰めて干す。それを薄くスライスしたもの。これに合うのはやはり日本酒だろうと思って,最後に日本酒の燗を1本飲んだ。
● ところで。上述のような理由で,1人で飲むのだったら外に出る必要はない。外で飲むのは誰かと同じ時間を過ごすためだ。
とはいっても,同じ時間を過ごしたい相手などそうそういるものではない。逆に,ぼくと一緒に時間を過ごしたいと思っている人も,たぶん数人しかいないはずだ。是非にという限定を加えると,1人もいないかもしれない。
● 還暦を過ぎた爺さまとしては,若い人と接する時間はすこぶる希少で,したがって大事にしたいものだ。
勤めていれば,若い人と接する時間は自動的にできるわけだが,その環境にいるだけではダメだ。仕事絡みでは,彼がこちらに見せる表情は限られたものになるからだ。上下関係を介在させないことが望ましい。
● その若い人が女性であればなおいい。最も良質な時代との接点を持てることになるだろう。
しかし,問題が2つある。ひとつは,若い女性であれば誰でもいいというわけではないことだ。もうひとつは,こちらの方がシリアスなのだが,若い女性が爺に興味を持つかという問題だ。普通は持たないはずなのだ。
だから,興味を持ってもらうことは端から諦めるしかない。数ある爺の中には例外もいると思うが,自分がその例外だと思ってはいけない。
● 興味を持ってもらわずとも,こいつだったら時間を使ってやってもいいと思ってもらえれば,御の字というものだ。
では,どうしたらそう思ってもらえるか。たぶん,万古不易の方程式はない。方程式はないけれども,かなり緩やかな括りはできるかもしれない。ただ,それをも明確に示す能力は自分にはない。
● 今回,アキレタト○エが付き合ってくれた。ありがたいこってす。二次会までつきあってもらった。どうして一緒に飲んでくれるのか本人に訊いてみたいものだが,訊いたことはない。
大した話をするわけでもないが,自分の中で何らかの組み替えが起こっているはずだと思う。効果は一時的だとしても,組み替えが起こることが事の本質で,それがあるのとないのとでは,水が流れているか一箇所に留まっているかくらいの差ができる。
一箇所に留まっている水は腐る。ボーフラが湧いてくる。
● ゆえに,年に2,3回,一緒に飲んでくれる若い女性の友人を持っていると,生活が固着しなくてすむのではないか。
可能なら,そういう友人が数人いると天下無敵の爺になれるだろう。つまり,一緒に飲んでくれる若い女性の友人1人は,同年代の同性の友人百人に匹敵するかそれ以上だからだ。
● そういうことだから,費用は当然こちら持ち。あたりまえの話だが(ただし,アキレタには奢られ下手なところがある)。
仕事を完全引退して年金生活になると,それが難しくなるかもしれない。その場合,金の切れ目が縁の切れ目になるだろう。むしろ,そうでなければならない。
そうならないために,つまり金の切れ目を作らないために,打てる手がないか,目下考え中。
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