それがそうでもなくて,若宮正子さんのロングインタビュー記事があったんですよ。“世界最高齢のアプリ開発者”と騒がれた人ね。
● その若宮さんがこう仰っている。
よく,『70歳になったら人生を振り返って自分史を書こう』などといわれますが,70歳で自分史を書くのはまだ早いと思います。むしろ,自分のコンテンツをいかに増やすかに時間と労力を使ったほうがいい。大切なのは自分史よりコンテンツ作りです。それに,ブログやフェイスブックに今日あったことを書いていけば,それが蓄積されて結果的に自分史になるので,あたらまって人生を振り返る必要なんてないのです。● 自分史を書くだの,終活だの,アホかいな。コンテンツを増やすとは,守りに入らない,戦線の縮小を考えない,ということか。整理なんかしないでもっと散らかせ,ということか。
たしかにね,終わりに向かって着陸しようとするよりも,ワシャワシャやってたら突然パタッと終わりが来た,っていう方がいいかもしれないね。
● 84歳になってこう語れる人がいるという事実に励まされる。いるだけで社会を賦活できる人って,最も良質な社会貢献をしているといえるだろう。
真の人間国宝とはこういう人。つまり,存在しているだけで,何事かを社会に放射できる人だ。
● ぼくもね,戦線縮小を考えているわけですよ。現役時代にはやっていて60歳になってやめたことのひとつは,年賀状を出すことだ。60歳になったことだけが理由ではないのだが,年賀状のやりとりはやめることにした。
来ても返さない。返してしまうと次の年にまた来てしまうからだ。自分も出さないし,誰からも来ないというのがいい。まだ,そうなっていないが,あと1年か2年でそうなるだろう。
しかし,これはそのままでいい。SNSがここまで普及すれば年賀状のやり取りなど何の意味もない。
● あとは何だ? 同窓会に出なくなったことか。それもそのままでいい。戦線縮小とは別の話だ。
あとは? う~ん,あまり変わってないか。変わるとすれば仕事を完全引退する来年4月以降ということか。どう変わるかちょっと楽しみだが,仕事の有無ごときで大きく影響されてたまるか,とも思っていてね。影響されるんだけどさ。
● やりたいことがあるなら,現役世代のときからできる範囲でやっているのでなければいけない。
定年になったら,退職したら,隠居したら,というのは,つまりはやりたいことは特にないということなのだ。その時点で勝負はついている。悪いけれども,先はない。
● なので,ぼくも仕事以外に,あるいは仕事中に仕事をサボってやっていることを,おおっぴらにやりたいと思っているけれども,そうはいっても制約要因がある。
ひとつは経済的なもの。給料がなくなって年金に変わる。可処分所得は確実に減る。自分がこれまでやってきたことのあらかたはさほどにお金のかからないものだが,中にはかかるものもある。
東京のホテルに泊まってアーバンリゾートを満喫するとか,東京にコンサートを聴きに行くというのは,したくてもできなくなるだろう。年に数回,外で酒を飲むことがあったが,それも厳しくなるかもしれない。
● ふたつめは,家事見習いを始めなければならないことだ。ぼくの場合は奥様は引き続き仕事をなさるので,ぼくが主に家事をやることになる。
家事なんてのは,頭を使えば,どんなにかかっても1日2時間で終わるはずだが,家事を楽しむということになるとその限りでない。
自分がどうなるか。少々楽しみでもあるのだが,使える時間は多少制限されることになる。
● しかし,制約といってもその程度のものだ。仕事がなくなるので,他が変わらなければそれだけで戦線は縮小することになるが,それを埋める手立ては一応,準備できてるつもり。
どうなるか,4月以降が楽しみだね。
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