● コロナ感染者が増加してGoToキャンペーンの対象から外された東京で,この4連休を過ごしているくらいだから,ぼく一個は新規感染者(ではなく,PCR検査で陽性と出た人)の数字自体は基本的にどうでもいいものだと見ている。
ネットでコロナへの対処法に関する意見を見ていくと,PCR検査信頼派=外出自粛派,っていう構図になってるように見える。この期に及んでPCR検査(の結果)を行動の前提に置くってのは,頭脳を持っていない人のように思えるけれども,ひょっとすると彼らが正しくて,ぼくが間違っているのかもしれない。
● しかし,自分が間違っていたとしても,それを認めるまでの過程において,ぼくは色々と抵抗するはずだ。PCR検査信頼派もまた同じだ。っていうか,彼らに何を言っても通じないだろう。
最初に接した情報でコロナとはこういうものというイメージを持ってしまうと,そこから抜け出すことはできないのが人間なのかもしれないね。だから問題は,最初にどんな情報に接するかという偶然。
その偶然の前では,理性は無力。議論や討論は無意味。そんなもので誰かの考えや行動が変わることはない。
● また,人には好みの鋳型があって,それにハマらないものはエビデンスの有無にかかわらず採用しないもののように見える。正誤ではなく,好き嫌いを優先する。好きなものしか見ない。都合の悪いものは見る前に遠ざける。
遠ざける以上,その前に見ているはずだというのは浅薄な見方であって,気配を感知してそこには近づかないのだと考えるほかはない。
したがって,議論というのはいよいよ空疎なものになる。テレビの討論番組でイヤというほど痛感している人が多いだろう。それなのに,正義は勝つとか正しさは通るとか思っているのは,かなりおめでたい人だと言われても仕方がないだろう。
● やんぬるかなと思うだろうか。しかし,それはチャンスでもある。エビデンスに照らして自分の意見を修正できる人は,その他大勢(大衆)を差し置いてグングンと伸びていける。上がりがガラッと変わる。
必要な努力はエビデンスを集めることと,集めた情報に目を通すことだけだ。こんな簡単なことでいいのだ。
● ちなみに,ぼくの辞書の「大衆」には次のような評釈が書かれている。わかっていながら自分自身が大衆を脱することができないのを,返すがえすも遺憾とする。
【大衆】 民主主義の名で,他人の富を簒奪することを自らの権利だと思いこんでいる人々のこと。しかし,多くの場合,搾取され続けて一生を終わる。勉強嫌いが特徴。全人口の99.7%を占める。
0 件のコメント:
コメントを投稿