2020年12月29日火曜日

2020.12.29 川崎大師

● 川崎にいるんだけど,何をしていいのかわからない。とりあえず,川崎大師に行ってみることにした。こういう発想しか出てこない自分が情けないぞ。
 が,京急の大師線に乗ったら,川崎大師はどうでもよくなった。というか,途中の川崎大師駅で降
りたくなくなった。京急大師線に乗ることが,この先あるかどうかわからない。なら,ちゃんと終点の小島新田まで乗っておくことにしよう。

● その小島新田は普通に住宅街で,降りたところで特に何があるというわけではなかった。とはいえ,そのまま引き返すのも何なんので,多摩川まで歩いてみる。
 けれど,多摩川に特に面白いことが落ちてるわけでもない。多摩川まで歩いたら気がすんだから,引返すことにする。

● 途中にあったお寺と神社。隣り合っている。元は一体だったに違いない。明治初期の廃仏毀釈で切り離されたものか。もしそうだとすると,こんなところのお寺までやられたわけだから,相当に徹底的にやったのだな。住民の鬱憤を買うようなことを,お寺はしていたのかね。
 ぼくらは元日に初詣に行き,夏には盆会,秋にはハロウィン,冬にはクリスマスと,何でも来いなのだ。宗教を分類しないし,教義も要らないのだ。エンタメ性とご利益があれば,それで充分だ。

● 小島新田駅から川崎大師まで歩くことにした。1.6㎞。
 こんな張り紙を何度も見かけた。道路の新ルートに反対するもの。最初は,どうせ団塊の爺ちゃんたちが反対しているのだろうと思った。が,どうも共産党系のビラのようだ。共産党のシンパも高齢化しているのだろうけど。

● 川崎大師に向かっているわけだが,行く途中に地元密着の稲荷神社がある。社を取払ってブランコでも置けば,ちょうどいい児童公園になるが,そんなことはするはずもない。どこまで行っても,神社は聖なるもの。聖なるものとはフィクションだけれども,だからといってそれを外してしまうわけにはいかないものだ。
 付近の住人にとっては,川崎大師より大切な空間だろう。

● 川崎大師が近づいてきた。ケバブにだってご利益があるのだぞ。門前町とはこうでなければいかんよ。
 仲見世通り。どれだけの人が川崎大師で食べているのか。川崎大師って凄いねぇ。浅草はあの身動きできないほどの人出が常態化しているが,川崎大師はそこまでではない。そ
こまでではないけれど,それにしたってこの様子は只事ではない。

● いや,これほどのものを,いったんは「どうでもよくなった」なんて言ってしまって,申しわけない。
 見る人が見れば,社会学(宗教学ではなく)の論文を10本は書けるのじゃないか。たぶん,誰も読まない論文になるだろうけど,論文とはそういうものだから。








● これからがかきいれ時だ。テントの設営など,商売の準備の真っ最中だ。たこ焼き,天津甘栗,焼きそば,などなど。
 彼らには境内のどこでも喫煙していい特権を与えられているらしい。そちこちに煙草を吸う人がいる。しっかりお稼ぎや,と声をかけたくなった。

● 弘法大師の真言宗でも聖徳太子堂があるんですなぁ。このお堂には何が収められているんだろう。
 聖徳太子の人気はまことに絶大。聖徳太子の事績とされていることを厩戸皇子がやったのか。聖徳太子には蘇我馬子が投影されているのではないか。そういうことはぼくらが知るところではないけれども,今に生きているのは後世,長い時間をかけて作られ,伝えられてきた聖徳太子伝説の方だ。
 いい悪いの問題ではない。今も昔も,大衆が求めてきたのは聖人伝説なのだ。この国には昔,聖徳太子という完全無欠の人がいたのだぞという拠り所に寄りかかって安心したいのだ。

● さて,これくらいでいいだろう。もう帰ることにしよう。
 佐野の厄除け大師にはまだ行ったことがないのに,川崎大師の方に先に来ることになった。ま,大師様も,ぼくに来られたって嬉しくもないだろうが。

● ここから川崎大師駅までは表参道を歩くことになる。原宿だけが表参道ではない。仲見世通りほどの密度ではないが,表参道にも土産物屋や食堂が並んでいる。
 せき止め飴と久寿餅というのが,川崎大師の名物らしい。これは交際費だと思って買ってみた。まだ食べていないけどね。相方が喘息持ちで咳がひどいときがあるのだが,この飴が効いてくれるといいなぁ(効かないだろうけど)。

● 川崎大師駅。これ以上歩く気力は残っていない。
 鈴木町という駅がある。佃煮にしてもなお余るほどに,世に鈴木さんはいるんだろうけど(妄言多謝),駅名にもなっ
ているとは知らなかったよ。どういう由来だろうかね。

● 京急川崎駅に戻ってきた。この先,京急大師線に乗ることはないと思う。
 駅構内の立食いそば屋でヤンニョムチ
キンそば,500円。甘辛い鶏の唐揚げが載っている。まぁ,自分には立食いそばがよく似合う。いろんな意味でさ。富士にとっての月見草のごとくだ。

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