● 京都は人を選ぶ。東国の人間は高校の修学旅行で初めて京都に行ったという人が多かったのではないかと思うが(ぼくもそうだった),それで京都を好きになって,大学は京都にしようと決める人がいる。こういうのは,彼(彼女)が京都を選んだのではなくて,京都が彼(彼女)を選んだのではないかと思えるのだ。
京都の大学には行かずとも,その後も京都に足繁く通う人がいる。それもまた,京都に選ばれたからだろう。
● そう感じるのは京都だけだ。沖縄や北海道に移住した人がいたとしても,沖縄が彼を選んだとか,北海道が彼女を選んだという発想にはならない。
京都が特別。長年にわたって日本の首都であり続けてきたゆえかもしれない。あるいは,ぼくが京都にちょっと臆しているのかもしれない。
● 何度か京都には行っている。けれども,京都に感応しない。自分が京都に選ばれていないからだと思ってしまう。
世間でも評判の美人の前に立った10代前半の少年のごとくだ。美人は得体の知れないもので,少年は内向して屈折するしかないのだ。
● では,東京はどうか。東京は人を選ばない。東京は来る人に対して開けっぴろげだ。人が東京を好いたり嫌ったりしているだけだ。
千年の古都に対して,まだ首都になってから150年しか経っていないからか。いや,150年は充分に長い。明治,大正,昭和,平成,令和と五代を閲しているのだ。
● で,ぼくは歳を重ねるごとに東京贔屓になってきた。ニューヨークにもロンドンにもベルリンにもローマにもイスタンブールにもモスクワにもケープタウンにもカイロにもカルカッタにもマニラにもバンコクにもジャカルタにも上海にもウランバートルにもリオデジャネイロにもブエノスアイレスにも行ったことはないけれど,もう行かなくてもいいやと思っている。
国内も同様で,また行ってみたいと思うようなところは,正直,ない。東京だけでいい。
東京の何が楽しいのかと言うと,まず歩いていて面白い。銀座には銀座の,日本橋には日本橋の,上野には上野の,山谷には山谷の,それぞれ面白さがある。そこを具体的に言ってみろと言われるとうろたえてしまうのだが,身体が楽しいと言っている。
名所旧跡や神社仏閣,大小の美術館や博物館,建物など,見るべきものも東京に集中している感がある。ひと通り見るだけでも,全部はとても無理だ。
● ホテルのサービス水準が高い。同じ系列のホテルでも東京と地方ではまるで別だと認識しておく必要がある。ルームキーピングも接客も,競争が厳しいゆえだろうか,東京のホテルは洗練されている。
何もしない充実をリゾートと呼ぶのであれば,最善のリゾートは東京のホテルで過ごすことだろう。当然,そこにはホテルで働く人たちへの,大げさに言うなら感謝というものが生じることになる。
目下,コロナ感染の拡大が報じられているが,普通の防御態勢を整えておけば,感染者が増えた減ったは,基本,どうでもいいことだと思っている。東京のホテルで働いている人たちを応援する。宿泊することによって。
よほど切羽詰まる事態になれば,ホテルも自ら閉鎖して従業員を守るといった対応を取らなければならないかもしれないが,もしそんなことになれば,ほぼこの世の終わりといっていいだろう。
● ついでに申せば,美人も東京に集中している。ように,ぼくには見える。だから,地下鉄に乗るのだって楽しい。眼福に与れる可能性が高いからだ。しばしば与れるからだ。書店に行くのだって楽しい。知的美人に遭遇できる可能性が地方より高いから。
というわけだ。元気は東京にある。
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