● 大学を卒業したときは,大学の4年間があっという間だったとは思わなかった。けっこう長かったと思った。
が,社会人になって4年目が過ぎるのはあっという間だった。自分にとって重い出来事があったのは,社会人になってからの4年間の方だ。にもかかわらず,あるいはそれゆえにこそ,あっという間。
● 若い人にとって,これからの3年なり5年なりは半永久と映るんだろうか。若いときの自分はどうだったのだろう。思いだせない。
しかし,過ぎてしまった3年や5年は,必ずあっという間だ。そして,ここが大事なところなのだが,“あっという間”はいくら加えても“あっという間”なのだ。つまり,人生は“あっという間”。
30年しか生きなかったとしても“あっという間”だし,100年生きても(たぶん)“あっという間”なのだ。ということは,人生の長さにおいては,30年でも100年でも大差はないということになりそうだ。
● 換言すれば,長く生きてきたというそれ自体には,じつは何ほどの意味もないということになりそうだ。辛いことが多かったろうから,ご苦労さんでしたとは言ってやりたいが,それ以上のことはない。
ゆえに,年長者が年長者であることをアドバンテージにするのは,だいたいはミットモナイものだ。というか,嫌われる素だ。
● 自分は年長者なんだから若い者は自分の言うことに従うべきだ。自分は意見を言うから若い者は梃子になって動くべきだ。自分は年長者なんだから多少は大目に見てもらって当然だ。
そういう態度を見せる爺が時に散見されるけれども,それをやると自分の居場所がなくなることを自覚しなくてはならない。
敬老の日というのがあるけれども,敬に値する老人など滅多にいるものではない。自分も若い頃はそう思っていたではないか。その認識は正しいのだから,老いた自分にもまたその認識で臨まなければならない。
● ということになると,人生百年と言われるようになった昨今とはいえ,100年も生きるつもりならば,それ相応の覚悟が求められるのではないか(アンチエイジングなどという愚かなことに血道をあげているようでは,その覚悟を引き受けているとはとても言えない)。
60歳で定年を迎えてからさらに40年も生きることになるのだ。楽しいことばかりの40年のはずがない。健康の問題だけではない。老いたのち,この憂き世で40年も生きるのだぞ。よく考えることだ。
長寿を長「寿」と書いていいのは,長寿が珍しかった時代に限られる。本当に人生百年時代になるのなら,長「呪」とでも書いた方がシックリ来るかもしれない。
● ともあれ。時間の経過に“あっという間”を感じなかった22歳までが,ぼくの人生のすべてだったのではないかと錯覚しそうだ。いや,ひょっとすると,実際にそうなのかもしれないと思ったりも。
かといって,あの頃に戻りたいとはさらさら思わないけどね。もう一度やり直したところでもっとうまくできるかといえば疑問だし,そもそも,もう一度やり直すなんてウンザリだからだ。
2019年2月28日木曜日
2019年2月24日日曜日
2019.02.24 人形町のラーメン屋で驚く
ホテルに着いたとき,先に来ていた相方が出て行くのが見えた。カードキーを彼女が持っているので,慌てて追いかけた。郵便局に行こうとしていたらしい。何で郵便局に用があるのかは訊ねなかったが。
ともあれ,カードキーを受け取って,1610号室に入る。
● 戻ってきた相方とラウンジへ。カクテルタイムが始まっていたので,明るいうちから飲み始める。日が延びたね。
料理はいつものごとし。で,いつもの肴でハイボールを3杯飲んだよ。
● 外は,暮れそうで暮れない黄昏時。南沙織を懐かしむのは,老化のしからしめるところか。
いやじゃ,いやじゃ。年を取らずにすむなら,それに越したことはない。が,取らないわけにはいかない。なら,上手に取ることを考えないと。アンチエイジングなどと,バカ丸出しのことを言っていないで。
● 人形町を歩いてみる。東京ならではの土曜夜の活気を味わえる。新橋や浜松町だともっと濃厚に感じることだが,人形町には人形町特有の何かがあるような気がする。
横浜家系の看板を出すラーメン屋に入ってみた。相方がお客が入っている店が安心できるからというので,ここにしたのだ。つまり,お客は入っていたのだ。
ラーメンが730円。他に,セルフサービスのご飯があって,いくら食べてもいいことになっている。
が,ラーメンは率直に言ってクソ不味かったぞ。これでお金を取っちゃいけないだろうというレベル。麺がくっついてしまっている。どれだけお湯を節約すれば気がすむのだ? 氏家に「登竜」や「みやこ家」があるのが,つくづくありがたい。
逆にいうと,これでやっていけるというのがすごい。お客が入っているのが不思議だ。東京は上にも下にもお客の振幅が大きいということか。
● ハイボールで酔ったところにラーメンを詰めこんだせいか,ホテルに帰着後はそのまま横になる。21時ころだったか。
0時頃に意識が戻って,いったん起きて歯を磨いた。で,また寝た。申しわけないほど自堕落だ。これができるのがホテルのいいところなのだが。
● ラウンジでの朝食。小さい子供連れが何組か。ホテル側が営業方針を変えたわけではあるまい。子供も無料で使えるものと思って,連れてきたのだろう。
ホテルの最大のアクセサリーは何かといえば,お客だ。高級感あふれるテーブルとか,全面ガラス張りの壁(?)とか,スタッフの洗練された身のこなしとか,そうしたものも大切なアクセサリーではあるのだが,第1にはお客。
家族連れが1組でもいたら,ラウンジがファミレスになってしまう。アクセサリーとしてのお客はそれほど影響力を発揮する。では,自分はアクセサリーとしていかがなものであるかというと,小さな子供と大差はないかもしれない。アクセサリーとしての自覚もさほどない。
● ロイヤルパークですごいと思うことは,1階のレストラン「シンフォニー」とカフェ&バー「フォンテーヌ」がお客で埋まっていることだ。
これほどの盛況は,舞浜のシェラトングランデ「グランカフェ」くらいしか,ぼくは知らない。が,舞浜のホテルは別枠に置かないといけないだろう。
ま,ぼくが知らないだけで,他にもあるには違いない。ぼくはまだ足を踏み入れたことはないんだけども,帝国ホテルなんかはけっこう賑わってそうな気がする。
● ホテルの快適さを担保するものは何か。ひっきょう,次の2つに収斂すると思っている。
ひとつは,守られている感だ。ここにいれば安全だという。台風が来ようが,大雪が降ろうが,ここにいれば絶対的に安全だという安心感。
もうひとつは,客室に余計なモノがないということ。必要なモノは必要な場所にあるけれども,それ以外のものはきっぱりとない。整理整頓の究極。
スマホは使う人は使っている。自分のスマホ以外は,たとえ同一機種であったとしても,とても使えないだろう。
スマホを持たない人は,こういうものはあっても使うまい。となると,これは要らないモノで快適性を損なう。ぼくはない方がいいと思う。
● ラウンジでチェックアウト。娑婆に戻る。
右はホテルの広報誌の表紙。“あなた”と“街”と30年。そういうことだ。ホテルは単体でホテルなのではない。所在する街とセットだ。ホテル対ホテルの勝負ではない。“ホテル+街”の連合軍で勝負することになる。この点でロイヤルパークにはアドバンテージがあると思う。
● といって,行きたいところには行ってしまった感があるな。これからもこのホテルに泊まるのだろうが,次はどこを歩こうか。七福神めぐりでもしてみるか。日本橋のソチコチを歩いてみるか。小伝馬町~馬喰町あたりを皮切りに。
結局,ここを拠点にして,東京全体を視野に入れることになる。日本橋に限らず,地下鉄に乗って,いろんなところに出かけることになりそうだ。
となると,「街とセット」という前言を撤回しなければならなくなるか。
2019.02.24 東京散歩 隅田川
● 宿泊しているホテルから,隅田川は至近距離。少し歩けば隅田川大橋に至る。そこから隅田川に降りて,川沿いほ遊歩道を下流に向かって歩いてみることにした。
歩くのは右岸側。つまり,中央区日本橋の方。
● まず出くわすのはジョギングをしている人たちだ。けっこうな数いる。ジョギングは健在なのだ。
事の性格上,当然かもしれないが,一人で走っている人が多い。女性も一人で走っている。ティーンエイジャーとおぼしき乙女はいないけれども,若い娘さんから中年のオバサンまで,いろんな人が一人で走っている。
彼ら彼女らを見ると,自分も自転車に復帰しなきゃなぁと思う。昨年5月に事故って,以後,自転車に乗ってないのだ。奥様のお許しがでない。で,ずっと乗らないでいると,乗りたい欲も減少するのだ。
でも,身体を動かす何かを持っていた方がいい。ぼくが現役の自転車乗りなら,ジョギングしている彼ら彼女らとも何かの話はできると思うのだ。が,現時点では,ぼくは彼ら彼女らを見送るだけの存在だ。
● この“隅田川+遊歩道”がそっくり大規模公園だ。東京名所のひとつに数えていいのではないか。こういうところを散歩できる東京人が羨ましい。
河畔にタワーマンションが何棟も建っている。眺めはいいに違いない。部屋からこの光景を毎日眺めることができる。では,ここに住みたいか。とりあえず,お金のことは考えないことにして。すんなりイエスとはならないのが,妙なところ。ここに住んでいれば毎日この光景を愛でるかといえば,そういうことにはならないだろう。
● どんどん歩いて奥まったところに来ると,とても静かだ。まちがいなく東京の景観なのだが,音がない。
左の写真の正面は佃大橋。佃大橋を見やりながら,都市という山中の奥に彷徨いこんだような感じを味わった。
● 京都に行って鴨川べりを歩いたことは,もちろんある。学生時代から京都には何度も行った。
が,京都は人を選ぶ。京都に呼ばれる人と呼ばれない人がいる。ぼくはついに呼ばれなかったし,これからも呼ばれることはないだろう。
が,それを悔しく思う気持ちは皆無だ。隅田川のこの光景(人工の手が幾重にも入ったものだ)の方に惹かれるから。
● ぼくは京都よりも東京の方が相性がいいらしい。かといって,東京に住み着くことはできなかった中途半端な人間だ。
歩くのは右岸側。つまり,中央区日本橋の方。
● まず出くわすのはジョギングをしている人たちだ。けっこうな数いる。ジョギングは健在なのだ。
事の性格上,当然かもしれないが,一人で走っている人が多い。女性も一人で走っている。ティーンエイジャーとおぼしき乙女はいないけれども,若い娘さんから中年のオバサンまで,いろんな人が一人で走っている。
彼ら彼女らを見ると,自分も自転車に復帰しなきゃなぁと思う。昨年5月に事故って,以後,自転車に乗ってないのだ。奥様のお許しがでない。で,ずっと乗らないでいると,乗りたい欲も減少するのだ。
でも,身体を動かす何かを持っていた方がいい。ぼくが現役の自転車乗りなら,ジョギングしている彼ら彼女らとも何かの話はできると思うのだ。が,現時点では,ぼくは彼ら彼女らを見送るだけの存在だ。
![]() |
中央大橋 |
河畔にタワーマンションが何棟も建っている。眺めはいいに違いない。部屋からこの光景を毎日眺めることができる。では,ここに住みたいか。とりあえず,お金のことは考えないことにして。すんなりイエスとはならないのが,妙なところ。ここに住んでいれば毎日この光景を愛でるかといえば,そういうことにはならないだろう。
● どんどん歩いて奥まったところに来ると,とても静かだ。まちがいなく東京の景観なのだが,音がない。
左の写真の正面は佃大橋。佃大橋を見やりながら,都市という山中の奥に彷徨いこんだような感じを味わった。
● 京都に行って鴨川べりを歩いたことは,もちろんある。学生時代から京都には何度も行った。
が,京都は人を選ぶ。京都に呼ばれる人と呼ばれない人がいる。ぼくはついに呼ばれなかったし,これからも呼ばれることはないだろう。
が,それを悔しく思う気持ちは皆無だ。隅田川のこの光景(人工の手が幾重にも入ったものだ)の方に惹かれるから。
● ぼくは京都よりも東京の方が相性がいいらしい。かといって,東京に住み着くことはできなかった中途半端な人間だ。
田舎に生まれ育ち,若い時期に都会暮らしを味わったことがないために,都会に自分を同化させることができないのだと思う。
2019.02.24 大学の都心回帰
● 右の写真は今日の日経新聞に載っていた,中央大学の広告。
同大学が八王子に移転したのは40年前。進学率の上昇,したがって受験生の増加が見込める時期だった。
だから,愚にもつかない遊びを本気で遊ぶことができた。が,その時期が長くは続かないことは,当時からわかっていたはずだ。
3手先を読める大学人はいなかったってこと? いや,いるにはいたんだろうけどねぇ。大勢を制するには至らなかったんだね。
● あの頃は,アメリカのハーバードとかエールとか,広大なキャンパスを有する大学が目指すべきモデルになっていたかもしれない。歩きながら思索できるのが大学のキャンパスだ的な。
日本の大学は狭すぎる。狭いところに建物が建てこんでいて,これでは大学の態をなしていない的な。
それで郊外(主に多摩地区)に広い土地を求めて出て行ったという側面もあるのだろう。
● アメリカの大学のキャンパスは,アメリカ人にはいいかもしれないが,日本人には受け入れられない。ひょっとすると,アメリカ人も持てあましているかもしれない。
アメリカの広い家を標準にして,大方の日本人が住む家を“うさぎ小屋”と言ったのは,たぶん,アメリカのあまり頭の良くない知識人かマスコミ人だったろう。
それに飛びついたのは,もっと頭の悪い日本のマスコミ人で,肝心の日本人の多くもそれを信じてしまった。うさぎ小屋を恥じる気持ちを持ってしまった。
● 快適に住もうとすれば,適度な狭さが絶対条件だ。日本人の縮み志向などというのも,あまり頭の良くない人が言いだしたことに違いないが,志向に還元できるものではない。
物理的に狭い方が快適なのだ。おそらく欧米にも通じる普遍性を持っているはずだ。“大きいことはいいことだ”とは,発展途上の人間が考えることだ。
● ともかく,都心を棄てて多摩に出たのは失敗だった。移転して10年後には結果が出ていたはずだ。広い狭いの問題だけではない。
大学に限らず,ホテルもそうだけれども,大学やホテルは単体で大学やホテルとして勝負できるわけではない。場の力を必要とする。そこにあるからこそ,という側面がある。
● 東大が天下の東大でいられるのは,設備や教授陣の質云々以前に,東大のある場所が本郷だからだ。帝国ホテルが帝国ホテルであり続けられるのは,日比谷にあるからこそだ。
逆に,帝国ホテルが日比谷にある限り,外資系がいくらやってきても,帝国ホテルに取って代わるのはかなりの確度で難しい。
● ともあれ,都心回帰はけっこうなことだと思う。狭いところで密度を濃くして,快適な勉学環境を学生に提供すればいい。
思索のための散歩道などはアウトソーシングするのがよい。そのアウトソーシングを地域との共生というのだ。
● 何でもかんでも大学が抱え込もうとするな。大学生協などという時代遅れのものも不要だ。教科書は市中の本屋で買えばいい。食事も市中の食堂で摂ればいい。
そのためにも大学は市中にあるべきなのだ。人里はなれた山の上にある大学などというのは,やむを得ない仕儀によってそうなったのであって,もって範とすべきものではない。
同大学が八王子に移転したのは40年前。進学率の上昇,したがって受験生の増加が見込める時期だった。
だから,愚にもつかない遊びを本気で遊ぶことができた。が,その時期が長くは続かないことは,当時からわかっていたはずだ。
3手先を読める大学人はいなかったってこと? いや,いるにはいたんだろうけどねぇ。大勢を制するには至らなかったんだね。
● あの頃は,アメリカのハーバードとかエールとか,広大なキャンパスを有する大学が目指すべきモデルになっていたかもしれない。歩きながら思索できるのが大学のキャンパスだ的な。
日本の大学は狭すぎる。狭いところに建物が建てこんでいて,これでは大学の態をなしていない的な。
それで郊外(主に多摩地区)に広い土地を求めて出て行ったという側面もあるのだろう。
● アメリカの大学のキャンパスは,アメリカ人にはいいかもしれないが,日本人には受け入れられない。ひょっとすると,アメリカ人も持てあましているかもしれない。
アメリカの広い家を標準にして,大方の日本人が住む家を“うさぎ小屋”と言ったのは,たぶん,アメリカのあまり頭の良くない知識人かマスコミ人だったろう。
それに飛びついたのは,もっと頭の悪い日本のマスコミ人で,肝心の日本人の多くもそれを信じてしまった。うさぎ小屋を恥じる気持ちを持ってしまった。
● 快適に住もうとすれば,適度な狭さが絶対条件だ。日本人の縮み志向などというのも,あまり頭の良くない人が言いだしたことに違いないが,志向に還元できるものではない。
物理的に狭い方が快適なのだ。おそらく欧米にも通じる普遍性を持っているはずだ。“大きいことはいいことだ”とは,発展途上の人間が考えることだ。
● ともかく,都心を棄てて多摩に出たのは失敗だった。移転して10年後には結果が出ていたはずだ。広い狭いの問題だけではない。
大学に限らず,ホテルもそうだけれども,大学やホテルは単体で大学やホテルとして勝負できるわけではない。場の力を必要とする。そこにあるからこそ,という側面がある。
● 東大が天下の東大でいられるのは,設備や教授陣の質云々以前に,東大のある場所が本郷だからだ。帝国ホテルが帝国ホテルであり続けられるのは,日比谷にあるからこそだ。
逆に,帝国ホテルが日比谷にある限り,外資系がいくらやってきても,帝国ホテルに取って代わるのはかなりの確度で難しい。
● ともあれ,都心回帰はけっこうなことだと思う。狭いところで密度を濃くして,快適な勉学環境を学生に提供すればいい。
思索のための散歩道などはアウトソーシングするのがよい。そのアウトソーシングを地域との共生というのだ。
● 何でもかんでも大学が抱え込もうとするな。大学生協などという時代遅れのものも不要だ。教科書は市中の本屋で買えばいい。食事も市中の食堂で摂ればいい。
そのためにも大学は市中にあるべきなのだ。人里はなれた山の上にある大学などというのは,やむを得ない仕儀によってそうなったのであって,もって範とすべきものではない。
2019年2月18日月曜日
2019.02.18 Amazonプライムビデオの吸引力 2
● Amazonプライムビデオ,今夜も1本見た。綾瀬はるか主演の「万能鑑定士Q モナリザの瞳」。
どんどん軽量級の娯楽モノに流れている。ロッキーやゴッドファーザーも見たいし,いわゆる往年の名画というのもある。のだが。現代の軽量級に流れている。
ダラダラとテレビを見ているのと何が違うのかという気もするが,映画にはCMが入らない。愚にもつかないコメンテーターも出てこない。
● 娯楽の定義にもよるが,すべての映画が娯楽要素を持っているはずで,これはこれで良いのだとも思っている。飽きるまでこの路線で行こうと思う。
っていうか,こういうところで意思の力を使おうとするのは,場違いというものだろうと思えるのだ。
● 今夜の1本が,プライム会員になった1月22日以来,ちょうど50本目になった。このペースで行けば年間600本の映画を見ることになる。
たぶん,スタート・スパートがかかっている状態。つまり,この状態がずっと継続することはないと思う。にしても。相当な数を見ることになるだろう。
● 人生は暇つぶしと見つけたり。仕事で暇をつぶす人もいるだろうし,恋愛や勉強や読書でつぶす人もいるだろう。
暇つぶしの方法は色々だ。タダ同然で見られる映画で暇をつぶすのも悪くはないと思っている。
● 目下はお試し期間中なのでタダだけれども,当然,年額会員になるつもりでいる。年会費は3,900円だったか。1日11円。このコストパフォーマンスはすごい。
ちなみに,1月22日以降,Amazonで買い物をしたことは一度もない。っていうか,プライムビデオ以外のサービスを利用したことがない。
が,プライムビデオだけでも元が取れるどころの話ではない。HuluやNetflixを併用している人もいるようだけども,ここはAmazonだけで充分以上だと思う。
● それまでの履歴から次に見るものをお勧めしてくる。主演俳優が同じもの,ジャンルが同じもの,監督が同じもの。
が,そのお勧めがなくても,当分の間は見るものに困ることはない。
● これほどのサービスを受けていいものだろうか。もっと早くプライム会員になっておけばよかったとは思わないが,Amazonプライムビデオと図書館(本よりもCDやDVDのお世話になることが多いだろう)があれば,他には何もなくても困ることはなさそうだ。
となると,お金は要らない。自分が所有する必要があるのはパソコンとスマホ,それからモバイルルータがあればいい。
あとは,最低限の食費と衣類があれば,浦島太郎の暮らしができる。面白おかしく日々を送れる。そのままポックリ死ぬことができれば,じつにこれ天国というものだ。
● が,何かを得れば何かを失う。ぼくの場合だと本を読まなくなった。読書量はゼロ水準に落ちこんでいる。
それと,確実に目に来ている。今夜も目がショボショボした。
どんどん軽量級の娯楽モノに流れている。ロッキーやゴッドファーザーも見たいし,いわゆる往年の名画というのもある。のだが。現代の軽量級に流れている。
ダラダラとテレビを見ているのと何が違うのかという気もするが,映画にはCMが入らない。愚にもつかないコメンテーターも出てこない。
● 娯楽の定義にもよるが,すべての映画が娯楽要素を持っているはずで,これはこれで良いのだとも思っている。飽きるまでこの路線で行こうと思う。
っていうか,こういうところで意思の力を使おうとするのは,場違いというものだろうと思えるのだ。
● 今夜の1本が,プライム会員になった1月22日以来,ちょうど50本目になった。このペースで行けば年間600本の映画を見ることになる。
たぶん,スタート・スパートがかかっている状態。つまり,この状態がずっと継続することはないと思う。にしても。相当な数を見ることになるだろう。
● 人生は暇つぶしと見つけたり。仕事で暇をつぶす人もいるだろうし,恋愛や勉強や読書でつぶす人もいるだろう。
暇つぶしの方法は色々だ。タダ同然で見られる映画で暇をつぶすのも悪くはないと思っている。
● 目下はお試し期間中なのでタダだけれども,当然,年額会員になるつもりでいる。年会費は3,900円だったか。1日11円。このコストパフォーマンスはすごい。
ちなみに,1月22日以降,Amazonで買い物をしたことは一度もない。っていうか,プライムビデオ以外のサービスを利用したことがない。
が,プライムビデオだけでも元が取れるどころの話ではない。HuluやNetflixを併用している人もいるようだけども,ここはAmazonだけで充分以上だと思う。
● それまでの履歴から次に見るものをお勧めしてくる。主演俳優が同じもの,ジャンルが同じもの,監督が同じもの。
が,そのお勧めがなくても,当分の間は見るものに困ることはない。
● これほどのサービスを受けていいものだろうか。もっと早くプライム会員になっておけばよかったとは思わないが,Amazonプライムビデオと図書館(本よりもCDやDVDのお世話になることが多いだろう)があれば,他には何もなくても困ることはなさそうだ。
となると,お金は要らない。自分が所有する必要があるのはパソコンとスマホ,それからモバイルルータがあればいい。
あとは,最低限の食費と衣類があれば,浦島太郎の暮らしができる。面白おかしく日々を送れる。そのままポックリ死ぬことができれば,じつにこれ天国というものだ。
● が,何かを得れば何かを失う。ぼくの場合だと本を読まなくなった。読書量はゼロ水準に落ちこんでいる。
それと,確実に目に来ている。今夜も目がショボショボした。
2019年2月17日日曜日
2019.02.17 ロイヤルパークに投宿
● 昨日は荻窪に用事があった。荻窪から地下鉄丸の内線。大手町で半門線に乗り換えて,水天宮前。
そのままロイヤルパークに投宿。1618号室。
● シェラトン都から軸足がこちらに移動した。「マスカレードホテル」の影響ではない。それ以前からだから。
ひとつには,白金台より人形町の方が,歩くには面白いこと。人形町にあることが,ロイヤルパークの強みのひとつだろう。もっとハイソなエリアは港区や千代田区にいくつもある。が,人形町や日本橋の風情というのは独特であって,他では代替できないように思える。
● もうひとつ,北関東からのアクセスがいいこと。ホテルに直行するなら,栗橋か久喜で東武線に乗り換えれば,ホテルに直行できる。
東武線,半蔵門線,東急田園都市線の3つの区間を1本の電車が串刺しにして走ってくれるのは本当に便利だ。ターミナル駅での乗換えを減らし,駅の混雑を緩和する効果もあるのだろうけど,乗換えがないというのは,とりわけ田舎者にはありがたいのだ。
加えて,このホテルは地下鉄駅に直結。地上に雨が降っていようが風が吹いていようが,一切無関係でホテルに入れる。
● さらに,これが最も大きいのだが,財布に優しい。コスパが高い。コスパを気にしているようではダメだという意見もあるに違いないが,コスパを気にしないで消費できる階層に属する人はそうそういないものだろう。
いや,富裕層はコスパに敏感なはずだ。パッと使っちまえというのは,貧乏人がタマにやることだ。そんなことをしているから,いつまでも貧乏のままなのだ。おまえが言うなという話だけれど。
● 相方はすでに着いていたので,ラウンジで落ち合う。で,そのまま飲み始める,と。
つまみはずっと変わらない。カナッペ2種,チーズ各種,ナッツ,チョコレート,野菜スティック,オニオンフライ,フライドポテト,ポテトチップス。
原価を抑えているのだろうが,ウィスキーのハイボールを飲むには,これで充分すぎる。
ちなみに,日本酒(純米大吟醸)も置いてあるんだけど,日本酒の肴になりそうなものを探すのは困難だ。
● Amazonプライムビデオで邦画を見ていると,登場頻度が最も高いのが,東京の隅田川河畔の風景。頷ける話だ。ウォーターフロントはよほどのことがない限り絵になるものだ。
その隅田川も,ここロイヤルパークからは目と鼻の先。隅田川を渡れば,深川,門前仲町。酔いざましを兼ねて,そっち方面を歩いてみることにした。
● ホテルの隣に箱崎エアシティターミナルがある。自分には用のないところだから,今までは素通りしていたのだけど,今回,始めて中に入ってみた。相方と一緒でなければ,択ることのなかった行動だ。
百円ショップ(Can★Do)が入っている。セブンイレブンもあり,マックもある。要するに,大衆性が溢れている。旅行者のメインは大衆であることがわかる。海外に行くのは一部のお金持ちだけという時代は30年前までに完全に終わっている。
LCCの登場でこの傾向に拍車がかかる。レガシーキャリアも殿様商売はできなくなった。
● コンビニに関していうと,このエリアはファミマが多い。そのひとつで,あんまんを買って食べた。これまた相方が一緒でなければなかったはずの購買行動だ。
あんまんのごま餡はなかなかいいと思っているんだけど,食後,激しく胸やけがした。飲んだあとに,こういうものを食べてはいけない。
● 門前仲町を目指していたんだけど,途中で引き返す。人通りもあまりなかった。が,ぼくの地元とは別次元の風景なのは言うまでもない。隅田川沿いの夜景には心惹かれるものがあった。
が.二度三度と見に行くかというと,それはそういうものでもない。
● ロイヤルパークの近くに別のホテルがある。ビジネスホテルっぽい。が,泊まることはないだろう。宿泊料金はラウンジが使えるロイヤルパークとさほどに違わないと思えるからだ。
ビジネスホテルでもこの場所で5千円台ということはあり得ない。7~8千円だろう。だったら,ロイヤルパークに泊まるのが圧倒的に正解(だと思う)。
● カーテンを閉めないで寝てしまった。都会の夜景が田舎暮らしの自分には貴重なものだからで,夜景を見ながら眠りましょ,と。
で,だいぶ日が昇ってから目が覚めた。前夜もやや寝不足のはずなのだけど,どうもうまく眠れない。カーテンを開けっ放しにしたからではないと思う。寝るのだけは自宅がいい。
● ロイヤルパークのラウンジでの朝食。柚子蕪の旨さに圧倒されるがいい。ホテルメイドだとは考えにくい。どこかで仕入れてくるのだろう。訊けば教えてくれそうな気がする。
が,同じものを買って帰って家で食べても,ここまで旨いかどうかはわからない。どこで食べるかも味を決める要因の1つだからだ。
でも,和食が出るのは土日のみらしい。メインは洋食の方で,スペース的にも和食のコーナーは隅っこの方にひっそりとある。
● ノートとペンを持ってロビーへ。ソファに座ってノートを広げてみたが,長くは書いていられない。ひとつにはテーブルの高さの問題。コーヒーを置くのに適した高さであって,ノートを使うには低すぎる。
が,それ以上に長居しづらい雰囲気があるからだ。誰に文句を言われるわけでもないのだけれども,何となく居づらいのだ。
ロビー階にホテルで最も大きいレストランとバー・カフェがあるせいか,そこに行く人たちのためのオープンスペースといった趣を勝手に感じているだけなのかもしれないのだが。
● 昼風呂にゆっくり浸かってから,ラウンジでチェックアウト。休養を補給し,補給する必要のないアルコールまで補給した。
百パーセント寛げないのは,処理しないまま放ってある,処理すべきものがいくつかあるからだが,生きている以上,これをゼロにすることはできまい。百パーセント寛ぎたいなら,死ぬより他はない。
2019.02.17 スマホの買換えは認めないぞ,俺よ
● スマホは楽天モバイルで運用中。当然,SIMフリー。SIMフリーの便利さは海外に行ったときに痛感する。将来的にはSIM自体が時代遅れのシロモノになるのかもしれないが,現時点では端末がSIMフリーであることは前提中の前提だ。
だから,購入後にSIMロック解除などという面倒なことをしなければならない3大キャリアの端末など買う気にもならない。
● その楽天モバイルに移ったのは2017年の7月。あと5ヶ月で2年になる。こういうブロバイダ-(?)はどこでも大差はないと思うので,引き続き楽天モバイルでいいかと思っている。
端末はASUSのZenFone3Max。RAMが2GB,内部ストレージが16GBという貧弱スペック。
● とはいえ,それで何か問題があるかといえば,特に何もない。Twitterをやる程度ならこれで充分だし,内部メモリの16GBにもまだ余裕がある。
音楽はWALKMANで聴いているんだし,AmazonプライムビデオはChromebook Flip C100PA を専用端末にして見ている。だから,スマホの性能は現状で足りる。
● にもかかわらず,ヤフオクでスマホの出物を何回もチェックしている。何でこんなことをしているのだろう。docomo端末でSIMロック解除済みのものをヤフオクで見るのはどういう理由によるものだ? ZenFone5Zの価格をチェックしているのはなぜなのだ?
メインにThinkPadのXキーが反応しないことがあるようになった。カット&ペーストに支障がでる。ので,替えるとすればThinkPadの方だ。
スマホなんか次の次でいい。まだまだスマホの買換えは認めないぞ,俺よ。
だから,購入後にSIMロック解除などという面倒なことをしなければならない3大キャリアの端末など買う気にもならない。
● その楽天モバイルに移ったのは2017年の7月。あと5ヶ月で2年になる。こういうブロバイダ-(?)はどこでも大差はないと思うので,引き続き楽天モバイルでいいかと思っている。
端末はASUSのZenFone3Max。RAMが2GB,内部ストレージが16GBという貧弱スペック。
● とはいえ,それで何か問題があるかといえば,特に何もない。Twitterをやる程度ならこれで充分だし,内部メモリの16GBにもまだ余裕がある。
音楽はWALKMANで聴いているんだし,AmazonプライムビデオはChromebook Flip C100PA を専用端末にして見ている。だから,スマホの性能は現状で足りる。
● にもかかわらず,ヤフオクでスマホの出物を何回もチェックしている。何でこんなことをしているのだろう。docomo端末でSIMロック解除済みのものをヤフオクで見るのはどういう理由によるものだ? ZenFone5Zの価格をチェックしているのはなぜなのだ?
メインにThinkPadのXキーが反応しないことがあるようになった。カット&ペーストに支障がでる。ので,替えるとすればThinkPadの方だ。
スマホなんか次の次でいい。まだまだスマホの買換えは認めないぞ,俺よ。
2019年2月6日水曜日
2019.02.06 Amazonプライムビデオの吸引力
● 先月の22日からAmazonプライムビデオを見られるようになって2週間。27本の映画を見た。
見ていくほどに次々に見たい映画が出てくる。無数に近い映画を,自宅に居ながらにして,パソコンのみで見ることができる。見終えた後に一切のブツが残らず,後始末の必要が何もない。
じつにどうも素晴らしい。VHSで見ていた時代は何だったのかという気分。
● タダ同然で内外の映画がいくらでも好きなだけ見ることができる。大変な時代になったものだ。
といっても,ビデオのレンタルショップで200円とか300円で借りられるようになったのはずいぶん前のことで,すでにその頃から,ほぼ今と変わらない状況になってはいたのだ。
が,その200円や300円も要らなくなった。レンタルショップまで出かけていく手間も不要になった。ビバ! インターネット。
● じつに今は映画館かレンタルショップに住んでいるようなものだ。いずれは漫画喫茶に住んでるような状態にもなるだろう(いや,もうなっているのか)。
端末のスピーカーもどんどん良くなって,コンサート会場に住んでいるようなものだと思えるようにもなるかもしれない。
● プライムビデオを見る端末はChromebookのC100PAで固定。C100PAはそのためにしか使っていないんだけど,メインのThinkPadより使っている時間は長い。
C100PAの画面でまったく不満はない。映画を見るために,ThinkPadの次のメインマシンはデスクトップにしようかとも考えるんだけど,当面はこれで良し。
● 休日に外に出なくなった。かつては1日家にいると,けっこう鬱々としてきたものだけども,それがまったくない。次々に見ていくうちに夜になっている。
外に出るなど時間のムダだと思えてきた。外に出ないんだからお金も使わない。電車賃もかからない。
● それから,YouTubeも見なくなった。時間は限られている。その限られた資源をAmazonプライムに注いでいるわけだから,それ以外のものに使う時間は当然なくなる。
自分のブログやTwitterのPV数もどうでもよくなった。チェックすることもなくなった。スマホのアプリもつい最近まで,(Twitterを別にすれば)Googleのアプリしか使っていなかったと言っていい状態だったのに,今はAmazonアプリしか立ちあげない。
● 自治体が主催する名画鑑賞会的なものにはできるだけ出かけるようにしていた。映画は個室で一人で見るものではなく,大きなスクリーンに映して大勢で見るものだという,20世紀の常識を良しとしていた。
が,こうなってみると,そういうものに出かけていくのも時間のムダと思うようになった。コロッと変わる。わざわざ出かけていって1本見る間に,Amazonプライムを見続けていれば,3本は見ることができるんだもんなぁ。
● 今のところ,Amazonプライムの吸引力に引き込まれている。抵抗する理由もない。できれば毎日,家にいて,朝から晩までAmazonプライムの映画を見ていたい。
いいことばかりのように思われるんだが,はたしてどうなのか。視力はこの2週間で少し落ちたような気がするんだが。
見ていくほどに次々に見たい映画が出てくる。無数に近い映画を,自宅に居ながらにして,パソコンのみで見ることができる。見終えた後に一切のブツが残らず,後始末の必要が何もない。
じつにどうも素晴らしい。VHSで見ていた時代は何だったのかという気分。
● タダ同然で内外の映画がいくらでも好きなだけ見ることができる。大変な時代になったものだ。
といっても,ビデオのレンタルショップで200円とか300円で借りられるようになったのはずいぶん前のことで,すでにその頃から,ほぼ今と変わらない状況になってはいたのだ。
が,その200円や300円も要らなくなった。レンタルショップまで出かけていく手間も不要になった。ビバ! インターネット。
● じつに今は映画館かレンタルショップに住んでいるようなものだ。いずれは漫画喫茶に住んでるような状態にもなるだろう(いや,もうなっているのか)。
端末のスピーカーもどんどん良くなって,コンサート会場に住んでいるようなものだと思えるようにもなるかもしれない。
● プライムビデオを見る端末はChromebookのC100PAで固定。C100PAはそのためにしか使っていないんだけど,メインのThinkPadより使っている時間は長い。
C100PAの画面でまったく不満はない。映画を見るために,ThinkPadの次のメインマシンはデスクトップにしようかとも考えるんだけど,当面はこれで良し。
● 休日に外に出なくなった。かつては1日家にいると,けっこう鬱々としてきたものだけども,それがまったくない。次々に見ていくうちに夜になっている。
外に出るなど時間のムダだと思えてきた。外に出ないんだからお金も使わない。電車賃もかからない。
● それから,YouTubeも見なくなった。時間は限られている。その限られた資源をAmazonプライムに注いでいるわけだから,それ以外のものに使う時間は当然なくなる。
自分のブログやTwitterのPV数もどうでもよくなった。チェックすることもなくなった。スマホのアプリもつい最近まで,(Twitterを別にすれば)Googleのアプリしか使っていなかったと言っていい状態だったのに,今はAmazonアプリしか立ちあげない。
● 自治体が主催する名画鑑賞会的なものにはできるだけ出かけるようにしていた。映画は個室で一人で見るものではなく,大きなスクリーンに映して大勢で見るものだという,20世紀の常識を良しとしていた。
が,こうなってみると,そういうものに出かけていくのも時間のムダと思うようになった。コロッと変わる。わざわざ出かけていって1本見る間に,Amazonプライムを見続けていれば,3本は見ることができるんだもんなぁ。
● 今のところ,Amazonプライムの吸引力に引き込まれている。抵抗する理由もない。できれば毎日,家にいて,朝から晩までAmazonプライムの映画を見ていたい。
いいことばかりのように思われるんだが,はたしてどうなのか。視力はこの2週間で少し落ちたような気がするんだが。
2019年2月4日月曜日
2019.02.04 ロイヤルパーク礼賛
● 今月はあと2回,ロイヤルパークに泊まる予定。16日と23日に1泊ずつ。すべて相方が手配しているので,彼女からそう言われている。
でも,ぼくも楽しみにしている。昨年までほとんど定宿にしていたシェラトン都と比較してしまうのだけども,ロビーの居心地はシェラトン都がずっといい。それあればこそ,シェラトン都は“別荘”になり得たのだと思っている。
が,その前,インターコンチネンタルやウェスティンに泊まっていた頃は,そもそもロビーに出ることがなかったような気がする。ロイヤルパークはそれらと同じなのだ。
● では,ロイヤルパークの魅力は何かというと3つある。
ひとつは,ラウンジの使い勝手の良さ。これはさらに2つに分けることができる。第1は食の水準の高さだ。
インターコンのラウンジが途中から質の低下を来した。結局,ラウンジには貧乏人が集まってしまうので(当然,自分たちも含まれる),そうならざるを得ないのかもしれない。
シェラトン都はよくそれを免れているが,ロイヤルパークは品数を制限することによって質を維持しているように思える。でもって,その質の高さは群を抜く。もちろん,原価を抑える工夫もしているのだが(ジャガイモを多用する)。
● 第2に,子供がいないこと。未就学児は無料にするところがけっこうある(増えてきたように思う)。これをやると,それこそ子連れがラウンジを席巻することになる。
だいぶ前だが,某ホテルで最も混む時間帯(カクテルタイム)に子供2人と両親の4人がラウンジでトランプ遊びをしているのを目撃したことがある。飲み食いするところで埃を立てる。長く席を占拠すると他のお客さんに迷惑をかける。そういう基本的なことに思いが及ばない。ホテルのラウンジと自宅の居間の区別もできないバカが現実に存在するのだ。
ロイヤルパークは未就学児でもラウンジ利用料を取る。ゆえに,そうしたバカが近寄らない。目先の利用客を増やすのに,未就学児を無料にするのは即効性がある。飛びつきがちな方策だと思うが(シェラトン都もそうなった),結果はどうかというと,ラウンジがラウンジであることをやめて貧乏長屋になるだけだ。
● もっとも,かつてのビジネスセンターと同じで,ラウンジなるものを維持する必要があるのかどうかは考えどころだろう。宿泊料金にわずかなお金を加えるだけでラウンジが利用できるのだから,ホテル内のレストランやバーの利用は減る。経営的にもどうなのか。
なので,ラウンジの廃止,あるいはコーヒーサーバーを置くだけにするとか,ラウンジの縮小に動いているホテルもある。
ホテルスタッフには,ラウンジのお客さんっていうのは,子連れであるか否かを問わず,ひとしなみに育ちのあまり良ろしくない連中という映り方をしているかもしれない。そういうスペースをホテル内に抱えておく必要があるのかどうか。
● ふたつめは,宿泊費が安いことだ。っていうか,安い宿泊プランが出たときにしかぼくらは泊まらないってことなんだが。
そうではあっても,2人で泊まって2万円台というのは,この立地を考えるとあり得ない気がする。上野のカプセルホテルでも(大晦日だったが)7千円だったのだ。
● みっつめが,その立地だ。日本橋蛎殻町にある。すぐそばを隅田川が流れている。その隅田川を渡れば深川であり門前仲町だ。逆の方向をたどれば,人形町から日本橋室町に至る。いろんな街の表情に接するのに,絶好な場所にある(蛎殻町じたいは下町の風情が濃い)。
加えて,地下鉄駅に直結。その利便性はバカにできない。田舎者にありがちなJR中心主義をようやく脱しつつあるのも,乗換えアプリのおかげもあるけれども,このホテルにしばしば泊まるようになったからだ。
さらに回数を重ねることで見えてくるものがあるかもしれない。今月のあと2回,楽しみだ。
● ホテルはツインなりダブルなりで,2人がユニットになっているから,どちらかが死んだあとは,自然に行かなくなるだろう。行けるうちに行っておく,でいいのだと思う。
もしぼくが1人になったら(あまり考えたくもないが),泊まるにしてもビジネスホテルかカプセルホテルにしてしまうだろう。根っからのケチ根性を全開にするはずだ。
それがわかりきっているだけに,ホテルを楽しむ,ホテルで過ごす,ができるのはそんなに長くはないかもしれない。やはり,行けるうちに行っておけ,となる。
でも,ぼくも楽しみにしている。昨年までほとんど定宿にしていたシェラトン都と比較してしまうのだけども,ロビーの居心地はシェラトン都がずっといい。それあればこそ,シェラトン都は“別荘”になり得たのだと思っている。
が,その前,インターコンチネンタルやウェスティンに泊まっていた頃は,そもそもロビーに出ることがなかったような気がする。ロイヤルパークはそれらと同じなのだ。
● では,ロイヤルパークの魅力は何かというと3つある。
ひとつは,ラウンジの使い勝手の良さ。これはさらに2つに分けることができる。第1は食の水準の高さだ。
インターコンのラウンジが途中から質の低下を来した。結局,ラウンジには貧乏人が集まってしまうので(当然,自分たちも含まれる),そうならざるを得ないのかもしれない。
シェラトン都はよくそれを免れているが,ロイヤルパークは品数を制限することによって質を維持しているように思える。でもって,その質の高さは群を抜く。もちろん,原価を抑える工夫もしているのだが(ジャガイモを多用する)。
● 第2に,子供がいないこと。未就学児は無料にするところがけっこうある(増えてきたように思う)。これをやると,それこそ子連れがラウンジを席巻することになる。
だいぶ前だが,某ホテルで最も混む時間帯(カクテルタイム)に子供2人と両親の4人がラウンジでトランプ遊びをしているのを目撃したことがある。飲み食いするところで埃を立てる。長く席を占拠すると他のお客さんに迷惑をかける。そういう基本的なことに思いが及ばない。ホテルのラウンジと自宅の居間の区別もできないバカが現実に存在するのだ。
ロイヤルパークは未就学児でもラウンジ利用料を取る。ゆえに,そうしたバカが近寄らない。目先の利用客を増やすのに,未就学児を無料にするのは即効性がある。飛びつきがちな方策だと思うが(シェラトン都もそうなった),結果はどうかというと,ラウンジがラウンジであることをやめて貧乏長屋になるだけだ。
● もっとも,かつてのビジネスセンターと同じで,ラウンジなるものを維持する必要があるのかどうかは考えどころだろう。宿泊料金にわずかなお金を加えるだけでラウンジが利用できるのだから,ホテル内のレストランやバーの利用は減る。経営的にもどうなのか。
なので,ラウンジの廃止,あるいはコーヒーサーバーを置くだけにするとか,ラウンジの縮小に動いているホテルもある。
ホテルスタッフには,ラウンジのお客さんっていうのは,子連れであるか否かを問わず,ひとしなみに育ちのあまり良ろしくない連中という映り方をしているかもしれない。そういうスペースをホテル内に抱えておく必要があるのかどうか。
● ふたつめは,宿泊費が安いことだ。っていうか,安い宿泊プランが出たときにしかぼくらは泊まらないってことなんだが。
そうではあっても,2人で泊まって2万円台というのは,この立地を考えるとあり得ない気がする。上野のカプセルホテルでも(大晦日だったが)7千円だったのだ。
● みっつめが,その立地だ。日本橋蛎殻町にある。すぐそばを隅田川が流れている。その隅田川を渡れば深川であり門前仲町だ。逆の方向をたどれば,人形町から日本橋室町に至る。いろんな街の表情に接するのに,絶好な場所にある(蛎殻町じたいは下町の風情が濃い)。
加えて,地下鉄駅に直結。その利便性はバカにできない。田舎者にありがちなJR中心主義をようやく脱しつつあるのも,乗換えアプリのおかげもあるけれども,このホテルにしばしば泊まるようになったからだ。
さらに回数を重ねることで見えてくるものがあるかもしれない。今月のあと2回,楽しみだ。
● ホテルはツインなりダブルなりで,2人がユニットになっているから,どちらかが死んだあとは,自然に行かなくなるだろう。行けるうちに行っておく,でいいのだと思う。
もしぼくが1人になったら(あまり考えたくもないが),泊まるにしてもビジネスホテルかカプセルホテルにしてしまうだろう。根っからのケチ根性を全開にするはずだ。
それがわかりきっているだけに,ホテルを楽しむ,ホテルで過ごす,ができるのはそんなに長くはないかもしれない。やはり,行けるうちに行っておけ,となる。
2019年2月3日日曜日
2019.02.03 宇都宮散歩
が,今日は宇都宮駅まで歩いてみることにした。いつだったか,駅の案内地図を見て,意外に近いんじゃないかと思ったことがあった。実際にはどうなのか。歩いてみればわかる。
平成通りをしばらく行くと,ビジネスホテルが現れた。ここで営業が成り立つんだろうか。ぼくは単純にビジネスホテルは立地がすべてだと思っていた。ここはあまり向いていないんじゃなかろうか。
● 横断歩道橋にこんな名前を付けて恥ずかしくないのか。愛の歩道橋? 何だ,それ。女の子の名前に愛を使うのはわかるんだけどね。皇室にもいらっしゃるわけだし。
しかし,歩道橋に使っちゃダメだろ。愛とか絆とか,使うのを憚られる言葉はいくつもある。そういうものは憚り続けた方がよいと思う。
● 宇都宮城址。この中途半端な復元については,市民の間にも賛否両論があった。ぼくはけっこういいんじゃないかと思っている。
かつてここに宇都宮城があったのだということが誰にでもわかる。しかも,思いっきり中途半端だから,これがかつての城の姿なのだと誤解される心配がない。
さらに,開発の波から城址を守ることができる。もっとも,そんな波がこのあたりに押し寄せるかどうかは別である(たぶん,来ないだろう)。
宇都宮は門前町であり城下町であり宿場町でもあった。二荒山神社の門前と宇都宮城の近くには,花街というか歓楽街というか,その手の集積があったに違いないのだ。
JR駅があるのは,市内から見ると田川の向う,川向うだった。川向うにも色々あったのだろうが,それは主に明治以後の話になるだろう。
当時,すでに飲み屋街としては泉町が全盛だったし(宮園町は盛りを過ぎていた),江野町の風俗街も成立していた。
が,泉町や江野町だけだったのかどうか。残り火のようなものが釜川縁にあったのではないかと思う。
● 平成通りはしかし,歩くのには向いていない。たしかに大した距離でもなく,散歩にはちょうどいいかもしれないが,一度やれば気がすむ。
排気ガスや埃もけっこう吸い込むかも。喉がドロドロした。210円払ってバスに乗るのが正解だ。
2019.02.03 ロイヤルパークに宿泊
● 2日,ロイヤルパークに1泊した。「マスカレードホテル」を見て,また泊まってみたくなった。というわけでもないんだけど,安い宿泊プランがあったので。
ホテルには17時前に着いた。相方はすでに到着していて,ラウンジで落ち合った。すでにカクテルタイムが始まっていて,さっそく飲み始めることができた。
● けっこう空いている。「マスカレードホテル」人気は映画だけにとどまっている。っていうか,客室のシーンはこのホテルで撮影されたってことは,普通知らないもんね。エンドロールで紹介はされてるんだけど,その前に席を立つお客さんも多いだろうし。
ま,空いているから安い宿泊プランが出たのだろう。来週は3連休になる。この期間は安いプランは出ていない。混むのかもしれない。
● ハイボール3杯で,そろそろやめておけと,身体がサインを出してきた。したがっておいた方が良さそうだ。
18時半には部屋に戻った。ら,もう動けない。ベッドに転がった。寝たつもりはないんだけども,寝てしまったのだろう。気がついたときには2時間が経過していたから。
この微睡みが効いたんだろうか,夜はうまく眠ることができなかった。
● ところで。ロビーにお相撲さんが大勢いた。お相撲さんの宴会だか会合だかがあったらしい。こういうときっていうのは,どんな料理がどれだけ出るんだろうかな。
彼らの話を聞くともなく聞いていたんだけど,今どきの普通の若者という感じがした。話題も,サラリーマンの若手が話しているのと変わらない。あたりまえだな。世界から隔離されているわけではないんだから。
● 1階のショップで「マスカレードホテル」の記念グッズを販売中。買うとすればボールペンくらいだろうが,980円する。文具店で買えば150円程度の商品だと思う。
なるほど,これは美味しい。一度知ったらやめられまい。一番巧くやっているのがTDR。しかし,売れるんだから値付けは適正なのだろう。
当然,ぼくは買わない。そんなのを買うくらいだったら,もう一度,映画を見た方がいい。
● グッズ販売というと,AKB48のコンサートでいい年こいたバカが買いまくるものというイメージがある。霊感商法もそうだろうが,場を異様に盛りあげることができるかどうか。その場を作れれば勝負ありだ。
そういう場に乗ってしまったら,たぶんぼくも千円のモノを1万円で買うだろう。大事なことは,だから,相手の土俵に乗らないこと。
● 翌朝(今朝),ラウンジで朝食。いつもの和食に食後のコーヒー。
前回,この朝食にかすかに飽きを感じたのだが,今回はそれがなかった。前回は同じものを2日連続で食べたからか。2週間の間を置くと,飽きは吹っ飛ぶらしい。
品数だけでいえば,家でもできそうだ。品数だけでいえば。保存食が多いんだし。が,まぁ,無理でしょうな。
● 相方もそうなんだけど,女性客を見ていると,料理の取り方に秩序というものがない。パン,サラダ,ソーセージ,卵料理を取ってきて,そこに味噌汁とお新香を加える。何だ,そりゃ。
でもって,サラダの皿を左手で持って,箸で食べる。無手勝流だ。
● それはやはりカオスという印象になってしまう。しかし,それがカオスに見えてしまう方に問題があるのだろうとも思う。
彼女たちは自分の欲望に忠実なだけなのだ。自分が食べたいと思った料理を取ってきて,テーブルに並べたらこうなったというにすぎない。
ルールだとか分類だとか,どこの誰が作ったのかわからないようなものに囚われていないだけなのだ。彼女たちのやり方が正解なのだろう。勉強になった。
ホテルには17時前に着いた。相方はすでに到着していて,ラウンジで落ち合った。すでにカクテルタイムが始まっていて,さっそく飲み始めることができた。
● けっこう空いている。「マスカレードホテル」人気は映画だけにとどまっている。っていうか,客室のシーンはこのホテルで撮影されたってことは,普通知らないもんね。エンドロールで紹介はされてるんだけど,その前に席を立つお客さんも多いだろうし。
ま,空いているから安い宿泊プランが出たのだろう。来週は3連休になる。この期間は安いプランは出ていない。混むのかもしれない。
● ハイボール3杯で,そろそろやめておけと,身体がサインを出してきた。したがっておいた方が良さそうだ。
18時半には部屋に戻った。ら,もう動けない。ベッドに転がった。寝たつもりはないんだけども,寝てしまったのだろう。気がついたときには2時間が経過していたから。
この微睡みが効いたんだろうか,夜はうまく眠ることができなかった。
● ところで。ロビーにお相撲さんが大勢いた。お相撲さんの宴会だか会合だかがあったらしい。こういうときっていうのは,どんな料理がどれだけ出るんだろうかな。
彼らの話を聞くともなく聞いていたんだけど,今どきの普通の若者という感じがした。話題も,サラリーマンの若手が話しているのと変わらない。あたりまえだな。世界から隔離されているわけではないんだから。
● 1階のショップで「マスカレードホテル」の記念グッズを販売中。買うとすればボールペンくらいだろうが,980円する。文具店で買えば150円程度の商品だと思う。
なるほど,これは美味しい。一度知ったらやめられまい。一番巧くやっているのがTDR。しかし,売れるんだから値付けは適正なのだろう。
当然,ぼくは買わない。そんなのを買うくらいだったら,もう一度,映画を見た方がいい。
● グッズ販売というと,AKB48のコンサートでいい年こいたバカが買いまくるものというイメージがある。霊感商法もそうだろうが,場を異様に盛りあげることができるかどうか。その場を作れれば勝負ありだ。
そういう場に乗ってしまったら,たぶんぼくも千円のモノを1万円で買うだろう。大事なことは,だから,相手の土俵に乗らないこと。
● 翌朝(今朝),ラウンジで朝食。いつもの和食に食後のコーヒー。
前回,この朝食にかすかに飽きを感じたのだが,今回はそれがなかった。前回は同じものを2日連続で食べたからか。2週間の間を置くと,飽きは吹っ飛ぶらしい。
品数だけでいえば,家でもできそうだ。品数だけでいえば。保存食が多いんだし。が,まぁ,無理でしょうな。
● 相方もそうなんだけど,女性客を見ていると,料理の取り方に秩序というものがない。パン,サラダ,ソーセージ,卵料理を取ってきて,そこに味噌汁とお新香を加える。何だ,そりゃ。
でもって,サラダの皿を左手で持って,箸で食べる。無手勝流だ。
● それはやはりカオスという印象になってしまう。しかし,それがカオスに見えてしまう方に問題があるのだろうとも思う。
彼女たちは自分の欲望に忠実なだけなのだ。自分が食べたいと思った料理を取ってきて,テーブルに並べたらこうなったというにすぎない。
ルールだとか分類だとか,どこの誰が作ったのかわからないようなものに囚われていないだけなのだ。彼女たちのやり方が正解なのだろう。勉強になった。
2019年2月2日土曜日
2019.02.02 東京散歩 中野
● 昭和の御代に舞い戻ったかのような中野に到着。ゴミゴミした下町の雰囲気。ロマンチックだ。こういう感じは大好きだ。懐メロを好む感覚と同じものか。
中野駅で降りるのは今回が初めてではない。が,駅前の風情が昭和チックであることに気づいたのは,今日が初めてだ。以前は風情を味わう余裕がなかったのかも。
● 昭和の風情は地方の田舎町に残っていると思われがちだ。実際,それはそうなのだと思うんだけど,東京のような大都市にもある。
大都市には再開発された21世紀的都市景観がいたるところにある。ぼくは行ったことがないけれども,六本木ヒルズとか東京ミッドタウンとか。
中野も隣は新宿なのだ。新宿からさほど離れていないところにこういう景観が残っていると,インパクトが大きい。実際以上に誇張されて映る。
● 昭和的景観の形成に大きく貢献しているのが,駅前にある立食いそば屋。そのそば屋に入ってみた。390円のちくわ天そばを食す。
そちこちのJR駅の構内にある「いろり庵きらく」もいいし,「富士そば」にもお世話になっている。が,こういう独立系の立ち食いそば屋は特に応援しないとね。孤高の抵抗勢力。
政治における抵抗勢力はたいていの場合,碌でもないものだけれども,市中のこういう店舗は応援して残さないと。生きている文化財だ。
● いくら応援しても,人の命に限りがある以上,消えるときには消えるものだけれど,そうとわかったうえで,応援すべし。
ぼくも中野に来る回数を増やさないといけないかなぁ。
● なかのZEROの裏手にある公園(公園の裏手になかのZEROがあるのかもしれないが)。小春日和で,いろんな人が公園を利用している。
ダンスの練習をしている若者男女のグループ。ラジコンカーを操作している男の子とその父親。お喋り中の婆ちゃんたち。平和な光景。平和というか,のどかというか。
● こういう光景を見ていると,何だかんだ言っても日本はいい国ではないかと思えてくる。しかし,たぶん,戦後の焼け野原にも同じような光景は展開されていたのだろうと思う。
これなくして人は生きられない。国を問わず時代を問わず,いついかなる場所にもこの光景はあったはずだし,これからもあり続ける。
● 実際は,この人たちも人には言えないアレやコレを抱えているに決まっている。人生は苦という釈迦の見切りは圧倒的に正しい。生まれ変わるなんてとんでもないと,ぼくなんぞも思っている。人生は一回こっきりでたくさんだ。
であればこそ,面白おかしく生きたいものだ。できる範囲でそうしたいものだ。この平和でのどかな光景を作っているひとり一人の人たちもまた,同じ思いでいるのかもしれない。
● 帰りは中野から地下鉄東西線に乗った。普通,JR駅と地下鉄駅は別々になっている。当然,改札も違う。四谷駅しかり,新橋駅しかり。
だものだから,すべてがそうなのだと思っていたんだけど,中野駅は違った。駅舎も一緒,改札口も一緒。JRの改札口しかなくて,メトロの切符もここを通すんでした。ホームも共用。メトロは3,4番線を使用している。
● 考えてみれば(考えてみるまでもなく),この方が便利だ。中野で乗り換える限り,東西線はJRの一路線として扱うことができる。
で,この東西線,魅力的なエリアを通っている。中野から西船橋までだけれども,途中に早稲田があり,神楽坂があり,九段下があり,南砂町がある。
地下鉄の24時間乗車券を買って,1日かけて東西線の旅をやってみるのもありかもしれない。
中野駅で降りるのは今回が初めてではない。が,駅前の風情が昭和チックであることに気づいたのは,今日が初めてだ。以前は風情を味わう余裕がなかったのかも。
● 昭和の風情は地方の田舎町に残っていると思われがちだ。実際,それはそうなのだと思うんだけど,東京のような大都市にもある。
大都市には再開発された21世紀的都市景観がいたるところにある。ぼくは行ったことがないけれども,六本木ヒルズとか東京ミッドタウンとか。
中野も隣は新宿なのだ。新宿からさほど離れていないところにこういう景観が残っていると,インパクトが大きい。実際以上に誇張されて映る。
● 昭和的景観の形成に大きく貢献しているのが,駅前にある立食いそば屋。そのそば屋に入ってみた。390円のちくわ天そばを食す。
そちこちのJR駅の構内にある「いろり庵きらく」もいいし,「富士そば」にもお世話になっている。が,こういう独立系の立ち食いそば屋は特に応援しないとね。孤高の抵抗勢力。
政治における抵抗勢力はたいていの場合,碌でもないものだけれども,市中のこういう店舗は応援して残さないと。生きている文化財だ。
● いくら応援しても,人の命に限りがある以上,消えるときには消えるものだけれど,そうとわかったうえで,応援すべし。
ぼくも中野に来る回数を増やさないといけないかなぁ。
ダンスの練習をしている若者男女のグループ。ラジコンカーを操作している男の子とその父親。お喋り中の婆ちゃんたち。平和な光景。平和というか,のどかというか。
● こういう光景を見ていると,何だかんだ言っても日本はいい国ではないかと思えてくる。しかし,たぶん,戦後の焼け野原にも同じような光景は展開されていたのだろうと思う。
これなくして人は生きられない。国を問わず時代を問わず,いついかなる場所にもこの光景はあったはずだし,これからもあり続ける。
● 実際は,この人たちも人には言えないアレやコレを抱えているに決まっている。人生は苦という釈迦の見切りは圧倒的に正しい。生まれ変わるなんてとんでもないと,ぼくなんぞも思っている。人生は一回こっきりでたくさんだ。
であればこそ,面白おかしく生きたいものだ。できる範囲でそうしたいものだ。この平和でのどかな光景を作っているひとり一人の人たちもまた,同じ思いでいるのかもしれない。
● 帰りは中野から地下鉄東西線に乗った。普通,JR駅と地下鉄駅は別々になっている。当然,改札も違う。四谷駅しかり,新橋駅しかり。
だものだから,すべてがそうなのだと思っていたんだけど,中野駅は違った。駅舎も一緒,改札口も一緒。JRの改札口しかなくて,メトロの切符もここを通すんでした。ホームも共用。メトロは3,4番線を使用している。
● 考えてみれば(考えてみるまでもなく),この方が便利だ。中野で乗り換える限り,東西線はJRの一路線として扱うことができる。
で,この東西線,魅力的なエリアを通っている。中野から西船橋までだけれども,途中に早稲田があり,神楽坂があり,九段下があり,南砂町がある。
地下鉄の24時間乗車券を買って,1日かけて東西線の旅をやってみるのもありかもしれない。
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