歩くのは右岸側。つまり,中央区日本橋の方。
● まず出くわすのはジョギングをしている人たちだ。けっこうな数いる。ジョギングは健在なのだ。
事の性格上,当然かもしれないが,一人で走っている人が多い。女性も一人で走っている。ティーンエイジャーとおぼしき乙女はいないけれども,若い娘さんから中年のオバサンまで,いろんな人が一人で走っている。
彼ら彼女らを見ると,自分も自転車に復帰しなきゃなぁと思う。昨年5月に事故って,以後,自転車に乗ってないのだ。奥様のお許しがでない。で,ずっと乗らないでいると,乗りたい欲も減少するのだ。
でも,身体を動かす何かを持っていた方がいい。ぼくが現役の自転車乗りなら,ジョギングしている彼ら彼女らとも何かの話はできると思うのだ。が,現時点では,ぼくは彼ら彼女らを見送るだけの存在だ。
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中央大橋 |
河畔にタワーマンションが何棟も建っている。眺めはいいに違いない。部屋からこの光景を毎日眺めることができる。では,ここに住みたいか。とりあえず,お金のことは考えないことにして。すんなりイエスとはならないのが,妙なところ。ここに住んでいれば毎日この光景を愛でるかといえば,そういうことにはならないだろう。
● どんどん歩いて奥まったところに来ると,とても静かだ。まちがいなく東京の景観なのだが,音がない。
左の写真の正面は佃大橋。佃大橋を見やりながら,都市という山中の奥に彷徨いこんだような感じを味わった。
● 京都に行って鴨川べりを歩いたことは,もちろんある。学生時代から京都には何度も行った。
が,京都は人を選ぶ。京都に呼ばれる人と呼ばれない人がいる。ぼくはついに呼ばれなかったし,これからも呼ばれることはないだろう。
が,それを悔しく思う気持ちは皆無だ。隅田川のこの光景(人工の手が幾重にも入ったものだ)の方に惹かれるから。
● ぼくは京都よりも東京の方が相性がいいらしい。かといって,東京に住み着くことはできなかった中途半端な人間だ。
田舎に生まれ育ち,若い時期に都会暮らしを味わったことがないために,都会に自分を同化させることができないのだと思う。
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