2019年2月24日日曜日

2019.02.24 大学の都心回帰

● 右の写真は今日の日経新聞に載っていた,中央大学の広告。
 同大学が八王子に移転したのは40年前。進学率の上昇,したがって受験生の増加が見込める時期だった。
 だから,愚にもつかない遊びを本気で遊ぶことができた。が,その時期が長くは続かないことは,当時からわかっていたはずだ。
 3手先を読める大学人はいなかったってこと? いや,いるにはいたんだろうけどねぇ。大勢を制するには至らなかったんだね。

● あの頃は,アメリカのハーバードとかエールとか,広大なキャンパスを有する大学が目指すべきモデルになっていたかもしれない。歩きながら思索できるのが大学のキャンパスだ的な。
 日本の大学は狭すぎる。狭いところに建物が建てこんでいて,これでは大学の態をなしていない的な。
 それで郊外(主に多摩地区)に広い土地を求めて出て行ったという側面もあるのだろう。

● アメリカの大学のキャンパスは,アメリカ人にはいいかもしれないが,日本人には受け入れられない。ひょっとすると,アメリカ人も持てあましているかもしれない。
 アメリカの広い家を標準にして,大方の日本人が住む家を“うさぎ小屋”と言ったのは,たぶん,アメリカのあまり頭の良くない知識人かマスコミ人だったろう。
 それに飛びついたのは,もっと頭の悪い日本のマスコミ人で,肝心の日本人の多くもそれを信じてしまった。うさぎ小屋を恥じる気持ちを持ってしまった。

● 快適に住もうとすれば,適度な狭さが絶対条件だ。日本人の縮み志向などというのも,あまり頭の良くない人が言いだしたことに違いないが,志向に還元できるものではない。
 物理的に狭い方が快適なのだ。おそらく欧米にも通じる普遍性を持っているはずだ。“大きいことはいいことだ”とは,発展途上の人間が考えることだ。

● ともかく,都心を棄てて多摩に出たのは失敗だった。移転して10年後には結果が出ていたはずだ。広い狭いの問題だけではない。
 大学に限らず,ホテルもそうだけれども,大学やホテルは単体で大学やホテルとして勝負できるわけではない。場の力を必要とする。そこにあるからこそ,という側面がある。

● 東大が天下の東大でいられるのは,設備や教授陣の質云々以前に,東大のある場所が本郷だからだ。帝国ホテルが帝国ホテルであり続けられるのは,日比谷にあるからこそだ。
 逆に,帝国ホテルが日比谷にある限り,外資系がいくらやってきても,帝国ホテルに取って代わるのはかなりの確度で難しい。

● ともあれ,都心回帰はけっこうなことだと思う。狭いところで密度を濃くして,快適な勉学環境を学生に提供すればいい。
 思索のための散歩道などはアウトソーシングするのがよい。そのアウトソーシングを地域との共生というのだ。

● 何でもかんでも大学が抱え込もうとするな。大学生協などという時代遅れのものも不要だ。教科書は市中の本屋で買えばいい。食事も市中の食堂で摂ればいい。
 そのためにも大学は市中にあるべきなのだ。人里はなれた山の上にある大学などというのは,やむを得ない仕儀によってそうなったのであって,もって範とすべきものではない。

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