2019年2月3日日曜日

2019.02.03 宇都宮散歩

● 宇都宮市文化会館に用事があった。その用事がすんだ。バスに乗って帰るのがいつものこと。たまに鶴田駅まで歩いて電車に乗る。
 が,今日は宇都宮駅まで歩いてみることにした。いつだったか,駅の案内地図を見て,意外に近いんじゃないかと思ったことがあった。実際にはどうなのか。歩いてみればわかる。

● 主には平成通りを歩くことになる。菊水町,花園町,京町,一条,と歩いて,市役所から先は平成通りを離れて,中央,二番町と辿って,めでたく宇都宮駅に到着する。
 平成通りをしばらく行くと,ビジネスホテルが現れた。ここで営業が成り立つんだろうか。ぼくは単純にビジネスホテルは立地がすべてだと思っていた。ここはあまり向いていないんじゃなかろうか。

● 横断歩道橋にこんな名前を付けて恥ずかしくないのか。愛の歩道橋? 何だ,それ。女の子の名前に愛を使うのはわかるんだけどね。皇室にもいらっしゃるわけだし。
 しかし,歩道橋に使っちゃダメだろ。愛とか絆とか,使うのを憚られる言葉はいくつもある。そういうものは憚り続けた方がよいと思う。

● 宇都宮城址。この中途半端な復元については,市民の間にも賛否両論があった。ぼくはけっこういいんじゃないかと思っている。
 かつてここに宇都宮城があったのだということが誰にでもわかる。しかも,思いっきり中途半端だから,これがかつての城の姿なのだと誤解される心配がない。
 さらに,開発の波から城址を守ることができる。もっとも,そんな波がこのあたりに押し寄せるかどうかは別である(たぶん,来ないだろう)。

● 曰くありげな路地もある。玉ノ井や人形町の路地を歩いた後なものだから,色々と想像を逞しくしてしまう。しかし,残っているのは路地だけだ。
 宇都宮は門前町であり城下町であり宿場町でもあった。二荒山神社の門前と宇都宮城の近くには,花街というか歓楽街というか,その手の集積があったに違いないのだ。
 JR駅があるのは,市内から見ると田川の向う,川向うだった。川向うにも色々あったのだろうが,それは主に明治以後の話になるだろう。

● それから釜川の両岸にも注目だ。このあたり,何もなかったわけがないと思う。さほど遠くない昔,たとえば半世紀前には,どんな有様だったのだろう。
 当時,すでに飲み屋街としては泉町が全盛だったし(宮園町は盛りを過ぎていた),江野町の風俗街も成立していた。
 が,泉町や江野町だけだったのかどうか。残り火のようなものが釜川縁にあったのではないかと思う。
 
● 平成通りはしかし,歩くのには向いていない。たしかに大した距離でもなく,散歩にはちょうどいいかもしれないが,一度やれば気がすむ。
 排気ガスや埃もけっこう吸い込むかも。喉がドロドロした。210円払ってバスに乗るのが正解だ。

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