2019年7月10日水曜日

2019.07.10 パソコン今昔

● 昔は宇都宮にT-ZONEがあった。パソコンランド21があった。その頃はパソコンショップに行くのが楽しかった。パソコンショップに行くことが娯楽でもあった。秋葉原のラオックスにもしばしば出かけたものだ。
 パソコン関連の書籍もあって,しばしば買ってしまったものだ。Macintoshのカタログを集めるのも好きだった。

● そういう時代だったのだな。スペックは右肩上がり。しかも,急激に。スペックの向上はパソコンでできることが増えることにつながると思うことができた。
 できることがどんどん増えそうで,そうなったら自分の生活はどんなに便利になるだろうと夢を見ることができた。その夢を語る書籍があるとつい買ってしまうというわけだった。

● が,今のパソコンやスマホがそんな夢を見させてくれることはない。でも,気がついてみれば,パソコンやスマホによって(というか,インターネットによって)生活はとんでもなく便利になっていたのだった。
 パソコンやスマホからいろんな情報を取りだすことができる。ニュースはもちろん,音楽も聴けるし映画も見れる。ひと昔前では考えられなかったような映像も見れる。サントリーの過去のCM,外国の風景や名所旧跡。新しい家電やパソコンのセットアップの仕方も動画で知ることができる。

● 何より他とのコミュニケーションが簡単にできるようになった。自分も意見表明も。本当にそういうことが簡単にできるようになった。TwitterでもFBでも。
 そうなったら個人の発信など誰も気に留めなくなるという指摘もあるけれども,ともかくそういうことができるようになったのは,昔にはなかった大きな変化だ。

● これだけのことができるようになるとは,パソコンに夢を見ることができた時代には考えもしなかった。パソコンに夢を見れなくなったのは,夢の多くが実現されてしまったからかもしれない。
 夢を見れた頃のパソコンは,情報を処理するための機械だった。電子計算機の延長だった。ワープロソフトによって文書作成がしやすくなる。表計算ソフトによって手計算が不要になり,しかも検算が要らなくなる。データベースソフトによってリストをデジタル化し,自在に検索できるようになる。
 夢を見れた頃のパソコンソフトの代表はOfficeだった。生産性や効率に資するものだった。プライベートよりは仕事に親しいものだった。

● 今のパソコンは,0と1の計算をしているには違いないが,コミュニケーターであり,映像受信機であり,ライフアシスタントになった。スマホは一層そうだ。
 もはやそれなしの生活は考えづらくなっている。それゆえ,それ以上の夢は見れなくなったということか。

● こういうこともあるかもしれない。夢を見れた頃のパソコンはまだ一部の人が使うものだった。アップルがMacintoshの発売に際して"The Computer for the Rest of Us"と言ったけれども,Rest の背後にもっとずっと多数の非ユーザーがいたはずだ。
 つまり,当時のパソコンは選民意識を刺激してくれるものだったかもしれない。自分はパソコンを味方にしてもっと高みに登る人間だといったような。パソコンが自分の能力を何倍にも高めてくれるという高揚感とともに。

● しかし,今は誰でも使うものになった。行き渡った。今パソコンを使っていない人は(超高齢者を除いて)何らかの信念によって使うことを拒否している人だろう。
 パソコンは大衆化してしまった。大衆化してしまったものに夢は見れない。自動車に夢を見れないのと同じことだ。そういうこともあるかもしれない。

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