この時刻に出ないと間に合わないのかい? 7時10分には宇都宮駅に着いてるんだが,そこからバスに乗って・・・・・・。高校生やってくのも楽じゃないなぁ。
● ぼくはと言えば,「青春18きっぷ」があと1回分残っているので,これから新潟に行こうと思う。ので,黒磯行きの車中の人になった。
こちら下り列車も高校生けっこう混んでる。こんなもんだったか。もっとも,こちらは4両編成なんだけどね。
● 黒磯から新白河行きに乗り換える人,黒磯駅から新白河行きに乗る人,多数。ここでも高校生が多い。黒磯から白河の高校に通う生徒がいると聞いたことがあるので,それかと思ったのだが,高校生のほぼ全員が黒田原で降りて行った。
黒磯の先が即,福島県ではなかったんでした。那須町があった。で,那須町にも高校があったのだった。
● 福島で最も変貌したのは,新白河駅周辺でしょうなぁ。西郷駅の頃は,久田野とか白坂と同じ光景だった。
今は駅前に東横インが建っている。新幹線の駅ができて,4階級特進くらいの感じなんだけど,この東横イン,採算取れているだろうか。
● この列車に乗ってきた人は,次の白河まで行きたい人が多いのじゃないか。すぐに郡山行きに接続するのでそれに乗ればいいわけなんだけども,白河まで行ってくれればありがたいと思う人はけっこういそうだ。
が,そうなると郡山からの列車も白河までとなって,あとひとつ先まで行ってくれれば新幹線に乗換えられるのにってことになりますか。
● 郡山駅。在来線のホームにあった立ち食いそばのスタンドは撤去されたっぽい。ので,磐越西線発着ホーム(1番線)のキヨスク売店で焼きそばパンを買って,車内で朝食。
会津若松行きの磐越西線の車中を眺めると,ぼくと同じ “青春18” 爺がけっこう乗っている。若者もいるんだけど,爺の方が多い。高齢化が進むと,爺や婆の行動様式も変わってくる?
若者は “青春18” で動くものというのが,たんなる思いこみになってきてるんだろうかな。
● 郡山を発車すると,まもなく磐梯熱海。磐梯熱海の次が中山宿。下の方に旧中山宿駅が見える。昔はスイッチバックだったのだろうな。
そうしてどんどん勾配を稼ぎ,何度もトンネルを抜ける。すると,広大な平地が広がる。会津盆地が忽然と現れる。会津の奇跡と言いたくなるような,伸びやかな光景に一変する。
● 会津若松駅で新潟行き「快速あがの」に乗換え。会津若松は,磐越西線,只見線,会津鉄道が集まる,古の大都でありますな。
車を運転して来たのは二度しかないが(うち,一度は仕事だった),鉄道では何度も来ている。来ざるを得ない。ここはそういうところだ。
● 郡山から新津まで直行する磐越西線の列車はない。すべて会津若松で乗り換えることになる。
しかも,会津若松で進行方向が変わる。別の路線になるというのが乗っていての自然な気持ち。郡山から乗ってくると,会津若松から只見線に入ってくれた方が,同じ路線に乗っているという気持ちになる。
● 新潟から会津に向かったのは二,三度あったと思う。会津から新潟に向かうのは,今回が初めて。ここからは阿賀野川に添って,新潟平野まで下って行くことになる。
その阿賀野川,かなり上流のはずなのに,ほとんど流れていないのではないかと思わせるほど勾配が緩やかな箇所がある。湖か沼に見えなくもない。不思議な光景にも映る。すでにして大河の趣あり。
津川駅で上下線の待ち合わせ停車。撮り鉄の爺さんがやっぱり目立つ。絶対数は少ないんだが。
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津川駅 |
が,運行状況を見るとターミナルではなく通過駅。秋田方面への特急列車は新潟から白新線を通って,新発田で羽越本線に合流する。羽越本線の新津~新発田間は盲腸線的な扱いになっている。内陸の新津はお呼びじゃない感じ。
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新津駅 |
あの頃から今に至るまで,あまり変わっていない。何のために電車に乗るのと問われれば,乗るために乗っているというのが答えになる。
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新潟駅 |
● 日本海側第一の都市は金沢ではなく新潟。日本海側で唯一の政令指定都市なのだし,新潟大学の学部数は金沢大学のそれを上回っていたのではなかったか(金沢大学では学部を廃止して学域に分けている)。
明治維新時の人口は江戸より多かったと聞く。農業が基幹産業だった時代が長く続いたが,その間,新潟は最も多い人口を養い得る土地だったのだ。
上越新幹線の開通が北陸新幹線よりずっと早かったのは,田中角栄は関係ない。理の当然というやつだ。
● 指原莉乃が “新潟へようこそ” と迎えてくれる。指原莉乃と新潟と何の関係が,と思うんだけど,とにかく指原莉乃が迎えてくれるのだ。
● ともあれ,先に述べたような次第で,新潟の街を歩くのは初体験になる。新潟といえば万代橋でしょ。行ってみることにする。
万代橋のだいぶ手前に,こういうモニュメントがある。以前の信濃川は今よりずっと幅広で,ここが万代橋の東詰だったということか。
● そこからしばらく行くと,現在の万代橋がある。川に架けられた橋でこれほど長いのは初めてお目にかかる。東京湾にかかるレインボーブリッジや横浜ベイブリッジは別格だ。東京湾は川じゃねーし。
すぐそこが日本海だ。河口も河口,信濃川の最も広い部分なのだが,いや立派なものですな。川は気持ちを清々とさせてくれる。
太宰治のひそみに倣って言うが,新潟は凡庸な街ではない。
● 新潟駅構内の立ち食い店でラーメン。大盛りで590円。そば・うどんがメインゆえ,ラーメンの汁もそば汁をベースに,ちょっとアレンジしてるっぽい。
ぼくが新潟で使ったお金は,この590円だけでした。
すまんす。たぶんないと思うんだけど,もし機会があれば,お金をタップリと持参して,新潟で飲んでみたいものだ。新潟市内は冬でも温暖で降雪は少ないと聞く。そんな冬に静かに飲んでみたいものだよ。
シチュエーションとしては1人がよろしいかな。もの静かな美人が隣にいればなおのことよろしいのだが,さすがにそのシチュエーションはないと思うのでね。
● ともあれ遅めの昼食も食べられて,長岡行きの列車に乗りこんだ。恙なく長岡着。新潟第二の街に敬意を表して,街を歩いてみるべきかと思うのだが,この駅で降りたことはない。今回もまた。
ここから上越線に入ることになる。水上行きは2両編成だった。そこに下校の高校生がたくさんいるので,この道中最も混雑した区間となった。
● ところで。新潟を歩いていて,ン?と思ったことがあった。ぼくの記憶によれば,新潟は秋田,青森に次いで,全国で3番目の美人の産地なのだ。
が,新潟では自分の記憶は自分が勝手に作ってしまったものだろうかと思ったのだ。要するに,・・・・・・何というか・・・・・・普通じゃん,って。
しかし。長岡で自分の記憶は正しかったことを確信した。車中の女子高校生の美人比率がだいぶ高かったので。新潟美人の産地は長岡だったのだ。長岡っていうか,長岡を中心とした雪国エリアだ。
● 小千谷で高校生の3分の1が降りて,それ以上の高校生が乗ってきた。飯山線が分岐する越後川口でも,只見線が分岐する小出でも,新幹線が停まる浦佐でも,あまり乗降はない。
北越急行が出る六日町でかなり減ったが,まだ立っている高校生がいる。高校生がいなくなったのは越後湯沢だった。越後湯沢から長岡まで通っている高校生もいるのだ。けっこうな遠距離通学だろう。
● この区間の圧巻はやはり清水トンネルでしょう。ループありの,トンネル内の駅ありの。しかし,それらよりもゴーッという音とともにずっとこのままなんじゃないかと不安にさせるほどの長い暗闇。
この区間に定期券で乗っている人がいるのかどうかは知らないけれど,いるとすれば,彼にとってはそれも馴染みの数分間なんでしょうねぇ。
チラッと見える湯檜曽駅には雨が打ちつけていた。けっこうな降りのようだ。が,水上に着くと雨はなし。
● ここまで来れば,今回の日帰り旅は終わったようなもの。高崎行きに乗って,新前橋で両毛線に乗換え,小山から宇都宮線に乗るだけだ。もう飲んでもよかろうと思って,小山駅で缶ハイボールとツマミを買って,車中で飲んだ。
今回乗った列車はすべて時刻表のとおりに運行されていて,スケジュールのとおりに動くことができた。したがって,今日中に帰宅できる。これほどパンクチュアリティな鉄道は日本だけか。
● 今回は “青春18” で回ったからアレだけれども,ぼくは移動に交通費をかけるくらいなら東京で宿泊や食事にお金を遣いたいと考えて,そのようにしてきたし,今もそうしている。遠くへ行くばかりが旅ではないという言い方もある。
しかし,物理的な移動距離の大きさがもたらす面白さというのもある。時間をかけて遠くに行くほど日常から離れられる。そのことがもたらしてくれる快感がある。
● 宇都宮駅の電光掲示板が吾妻線と上越線(の一部区間)が大雨のため運休しており,現時点で復旧のメドは立っていないと報じていた。
そうなる前に通過できた。けっこうラッキーだったのかもしれない。
● 会津から新潟に入り,前橋経由で帰ってきた。これだけ乗って2,410円ですからね。“青春18” の威力はすごい。
春にはほとんど利用者がいなかったと思われるが,この夏はそれなりに売れたのじゃないか。ぼくを含めて爺が多かったかもしれないが。
この切符がいつからあるかといえば1984年だ(1982年まで遡ってもいいかもしれないが)。そのとき18歳だった人は,今年で54歳になる。利用者が高齢化してもおかしくないというわけだ。
この切符は老後の友になり得る。乗り鉄にとってこんないいものはない。あとしばらくは元気でいて,“青春18” のお世話になりたいものだ。
しかし。長岡で自分の記憶は正しかったことを確信した。車中の女子高校生の美人比率がだいぶ高かったので。新潟美人の産地は長岡だったのだ。長岡っていうか,長岡を中心とした雪国エリアだ。
● 小千谷で高校生の3分の1が降りて,それ以上の高校生が乗ってきた。飯山線が分岐する越後川口でも,只見線が分岐する小出でも,新幹線が停まる浦佐でも,あまり乗降はない。
北越急行が出る六日町でかなり減ったが,まだ立っている高校生がいる。高校生がいなくなったのは越後湯沢だった。越後湯沢から長岡まで通っている高校生もいるのだ。けっこうな遠距離通学だろう。
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水上駅 |
この区間に定期券で乗っている人がいるのかどうかは知らないけれど,いるとすれば,彼にとってはそれも馴染みの数分間なんでしょうねぇ。
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新前橋駅 |
● ここまで来れば,今回の日帰り旅は終わったようなもの。高崎行きに乗って,新前橋で両毛線に乗換え,小山から宇都宮線に乗るだけだ。もう飲んでもよかろうと思って,小山駅で缶ハイボールとツマミを買って,車中で飲んだ。
今回乗った列車はすべて時刻表のとおりに運行されていて,スケジュールのとおりに動くことができた。したがって,今日中に帰宅できる。これほどパンクチュアリティな鉄道は日本だけか。
● 今回は “青春18” で回ったからアレだけれども,ぼくは移動に交通費をかけるくらいなら東京で宿泊や食事にお金を遣いたいと考えて,そのようにしてきたし,今もそうしている。遠くへ行くばかりが旅ではないという言い方もある。
しかし,物理的な移動距離の大きさがもたらす面白さというのもある。時間をかけて遠くに行くほど日常から離れられる。そのことがもたらしてくれる快感がある。
● 宇都宮駅の電光掲示板が吾妻線と上越線(の一部区間)が大雨のため運休しており,現時点で復旧のメドは立っていないと報じていた。
そうなる前に通過できた。けっこうラッキーだったのかもしれない。

春にはほとんど利用者がいなかったと思われるが,この夏はそれなりに売れたのじゃないか。ぼくを含めて爺が多かったかもしれないが。
この切符がいつからあるかといえば1984年だ(1982年まで遡ってもいいかもしれないが)。そのとき18歳だった人は,今年で54歳になる。利用者が高齢化してもおかしくないというわけだ。
この切符は老後の友になり得る。乗り鉄にとってこんないいものはない。あとしばらくは元気でいて,“青春18” のお世話になりたいものだ。
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