2020年9月22日火曜日

2020.09.22 コロナで大学が窮地にあること

● 右は今日(9月22日)の日経新聞の記事。
 小中高は通学しているのに,大学はなぜ同じようにできないのかというのは,ぼくにはわからない。飛沫防止の衝立を立てたり,消毒を徹底するのが間に合わないからだろうか。とりあえず,マスク着用を徹底させればそれ以上の対策は不要かと思うんだが。

● 大学側もオンライン授業という対応はしているわけだ。しかし,いつまでもこの状態だと大学は存在意義を問われることになる。
 要するに,学生が支払う学費に見合ったサービスを提供していないわけだから。通信制大学並みの授業料しか取ってはいけないという話になる。

● ぼく一個は医大や音大,美大,実験を伴う工学系は別として,大学なんか通信制だけあればいいと思っている。そもそも,文系学部なんて要らないだろう。
 昔と違って今はインターネットがある。独学の方がよほど効率的だ。その程度の独学もできないやつに対面で授業をしても仕方がない。まぁ,自分のことは棚にあげて言っているのだが。


● 学士の価値も地に落ちている。落ちたものをわざわざ拾うこともないだろう。
 現在の大学は学士配給機関にすぎないのだけども,その学士が無価値になっているのだから,さて(特に文系の)大学の価値って何だろう。これが価値です,というものが思いあたらない。


● ぼくは,大学時代の “仲間” とは卒業と同時に縁が切れた。そんなものだろう。
 しかし,だから大学時代の仲間に価値がないとまで言うつもりはない。後に残るか残らないかよりも,大学に在籍した4年間をどう彩れるかが重要だからだ。
 仲間にあまり情緒的なものを求めない方がいいだろうけれども,とはいっても,20歳前後のよくいえば多感な数年間を,利害関係の介入がない話をするために使えるのだ。その話し相手がいるというのは,それ自体が恵まれた状況だ。
 その恵まれた状況を買うために大学に学費を払っているのだと考えてもいい。授業料ではなく。


● だから今の状況は学生からすれば,大学には何もしてもらっていないということになる。学費を払っているのに,これはどうしたことか,と。
 大学が所定のサービスを提供しなくていいという話にはならない。オンライン授業をやっていますというのは,やるべきことの一部を代替しているに過ぎない。抗弁としては弱すぎる。

● オンライン授業ならどこにいても視聴できるわけで,どこにいても視聴できるものは独学の範疇(独学で用いる教材のひとつ)とも言える。授業の聴講においても,友人と情報交換できるというのが大学の持ち味だ。
 それができないのなら,たいていの大学のオンライン授業よりは放送大学の放送授業の方が練れたものになっているはずだから,やはり放送大学の授業料以上の額を徴収しているなら返還しろという話になる。

● とはいえ,このコロナだ。大学単独で動ける余地は少ないのかもしれない。この状況なら通常授業を始めてしまえばいいと思うが,それは部外者だから言えること。
 もう来年の入試の準備が本格化しているだろう。大学側も困っているだろうね。この状態がこれからも続くとなると,潰れる大学がけっこう出てくるんじゃないのか。その方がいいとも思うんだが。愚にもつかない文系学部のバカ教員がいなくなってくれるんだからさ。

● 今年の新入生に言いたいことは,ここで短気を起こすなということ。大学に入ってしまったのなら,基本,卒業して,地に落ちたとはいえ学士をもらって社会に出ればいい。
 なぜなら,その流れに乗った方が楽だからだ。よほどの才能か能力があるのなら,ここでの方向転換もありなのだろうが,大学に行くという選択をした時点で,おそらくそうした才能や能力はないという証拠になる。
 まったく運が悪かったというより他はない。必要以上にバタバタしてエネルギーを消耗しないことが肝要かと思う。

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