2020年9月19日土曜日

2020.09.19 早稲田散歩-漱石山房記念館

● 東武線で宇都宮から浅草。浅草から銀座線に乗り,日本橋で東西線に乗換えて,早稲田にやって来た。地下から地表に出ると,まず目に入ってくるのが穴八幡宮。なかなかに由緒のある神社らしい。
 自分の記憶に誤りがなければ,早稲田に来たのはこれが3度目。1度目は都電荒川線を三ノ輪から早稲田まで乗った。このときは,都内に残る唯一のチンチン電車に乗ることが目的だったから,早稲田に着いて何をすることもなく引き返した。

● 2度目は早稲田大学交響楽団の演奏を聴くために,大隈講堂に来た。高田馬場駅から歩いたのだが,道に迷った。スマホのナビが役に立たなくて腹を立てた。が,今にして思えば,スマホが悪いのではなく,当該ユーザーが地図の見方を知らなかっただけかもしれない。
 ちなみに,帰りも迷ってしまった。方向音痴という言葉は自分のためにあると思っている。

● 3度目の今日は,ここ早稲田で開催されるコンサートを聴くために来たんだけど,やはりいったんはとんでもない方向に歩きだした。地図で現在地を確認して歩きだしたのに,アサッテの方向に行ってしまう。せめてもの慰めは,これはおかしいと早めに気づいたことだ。
 「Waaaaay」というアプリを入れている。目的地を入れると,だいたいこっちの方向だよと教えてくれるアプリだ。最短距離で行ける保障はないが,おおよその方向がわかるというのは,すごい安心感をもたらしてくれる。方向音痴には必須のアプリだと思ってますよ。


漱石山房通り
● そのコンサートを無事に聴くことができて,さて,次は何をしようか。今回は決めてきている。夏目漱石の記念館がこのあたりにある。行ってみようと思う。漱石はここで作品を書いたのかと感慨に浸ってみたい。
 漱石の小説はぼくも一応は読んでいる。中学生になるときに「坊っちゃん」を読んだ。以後,高校と大学ではほぼ読んでいないが,社会人になってから「明暗」まで読んだ。講談社学術文庫が発刊されたとき,「私の個人主義」や「文芸の哲学的基礎」も出された。たしか読んだ記憶がある。内容は忘れているが。
 今はあらかた青空文庫に入っていて,タダで読めるようになっていると思う。読み返す機会があるはずだと,今のところは思っている。


● 漱石山房通りと名づけられた通りはかなり狭い。軽自動車だってすれ違えないくらいの狭さ。この通り以外にも,昔ながらの狭い通りが残っている。
 ともかく,この通りを歩いていくと,迷うことなく漱石山房記念館に出るわけだ。建物の隣は漱石公園。庭に公園という名を付けたのか。
 漱石生誕の地もこの近くにある。漱石は早稲田で生まれて早稲田で亡くなったのだね。


● 入場料は300円だが,無料で使えるエリアもある。館内のカフェだ。カフェスペース,けっこう広いのだが,ほぼ満席。
 スタバ代わりにしている人もいるっぽかった。パソコンを持ち込んで何かをしている人とかね。区立の施設ゆえ,ドリンク代も安いのじゃないかな。
 けれども,多いのは本を読んでいる人だ。外国人もいる。漱石が住んでいたこの場所で文庫本を開くのは,ファンにとっては気分のいいものなのだろう。
 この人たちの中には常連さんもいそうだ。ここを常用できるところに住んでいるとは羨ましい。

● 見どころは書斎を復元した部屋。座布団に座って,小さな文机で執筆してたんですねぇ。椅子は使っていなかった。和風スタイル。
 漱石の蔵書は東北大学の図書館に疎開して戦災を免れた。「洋書約1650冊,和漢書約1200冊」というから,量的にはさほどのものではない。今の読書家ならこれに数倍する蔵書を有しているだろう。雑書が大半だというだけの話だ。
 本など持たないという人だって,ネットでけっこうな量の活字を読んでいるだろう。ひょっとしたら,多くの現代人が読む量は漱石を凌ぐかもしれない。どうでもいいニュースやゴシップ記事しか読んでいないというだけだ。


● ということを感じたのは,漱石の書が展示されていたからだ。ぼくにはまったく読めない。見事に読めない。
 楷書に翻訳(?)した銘板が添えられているので,それを見てこういうことが書かれているのかとわかるのだが,明治の文人はこうした筆文字が読めたのかと感心する。それがどうした,とも,ついでに思う。
 ま,でも,これは書ですよね。ひとつの技芸だ。漱石は相当な使い手だったに違いない。


● 漱石の名言を紹介しているプレートもある。そのいくつかから,不遜にも,漱石にも青いところがあったんだなぁと思ってしまったんですけど,ごめんなさいです。申しわけありませんでした。
 この意気込みは時代の然らしめるところでしょうかね。明治という時代の。青年客気の気風に満ちていた時代の。国を開いて,成長期にさしかかった日本という国の。


● 記念館を後にして,早稲田駅に戻り,諏訪通りを上ってくと,学習院女子大学のキャンパスがある。中高校も併設されている。生徒たちが「ごきげんよう」と別れの挨拶をしていた。「ごきげんよう」なんて言葉,聞くのはずいぶん久しぶりだ。
 が,前回聞いたのはどこだったのか思いだせない。映画かTVドラマで見たのをリアルと混同しちゃっているのかもしれない。


● 念のために申せば,この言葉を使う階層に対する憧れや臆する気分は皆無だ。彼女たちも大人になれば,使わなくなるだろう。
 どこかに “ままごと” の気配も感じるしね。「ごきげんよう」を言う私を演じる遊びをしているという気配。
 しかし,このこの言葉を使う階層には残ってもらいたいものだ。時代がかっているとか,浮世離れしているとか,そういうのは残さなくてはいけない。
 本当に真ん中だけになってしまったら,この上なくつまらない社会になるだろう。いや,「ごきげんよう」は浮世離れはしていないんだけど。


● 諏訪町から高田馬場駅まで歩いて,東西線に乗った。東京はほんと坂でできているなぁと思う。
 この界隈は早稲田大学の城下町だが,学習院女子大学もあり,都立戸山高校があり,他にも中学校,小学校,専門学校,予備校(今は使わない言葉なのか)がわんさかある文京地区だ。かつては神田だったけれども,今はここが学生街の筆頭ですかねぇ。


● 日本はすっかり老人国になったから,若者が蝟集する街は貴重だ。時々はここにやって来て,若い人たちから気力をもらうのがいいかもしれんよ。といって,只今現在は学内閉鎖中なんでしょうけどね。
 学生街ゆえ,学生向けの安いお店も多い感じ。そういうところへロートルが入ってもいいものか。いいに決まっている。というわけで,早稲田は下町の雰囲気だ。気安い街だと思った。

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