● 今週末も東武電車で東京に行く。わが町にはJR線しか走っていないので,勢い,JR宇都宮駅に着く。東京に行くんだったら,そのままJRに乗り換えるのが簡便だし,所要時間も短くてすむ。
ところが,東武駅まで移動して東武線に乗るのは,第一にぼくが暇人だからだ。隠居生活なので時間だけはある。第二に,時間はあってもお金はあまりないからだ。節約できるところは節約したい。
● ビジネス書や自己啓発書には,時間をお金で買えるなら躊躇わずに買え,と説くものがある。タクシーで移動すれば車内で仕事ができる。時間より貴重なものはないのだから,当然そうすべきだ,といったような。
ところが,時間があってお金はないとなると,時間でお金を買うという行動パターンになる。時間がかかるのを厭わなければ,東武なら宇都宮から東京まで800円で行ける(金券ショップで東武株主優待券というのを買っているわけね。それが1枚800円)。JRの半額以下になるのだから,どうしたって,では東武で,ということになるのだ。
● さらに細かいことを言うと,春頃までは栃木と南栗橋で乗り継ぐ必要があったのが,ダイヤ改正で南栗橋で乗り換えればすむようになった。心理的にはこれがけっこう大きい。
南栗橋で乗り換えれば,あとは押上から半蔵門線に乗り入れて,日本橋,大手町,九段下,表参道を経て渋谷まで一本なのだから,利便性はJRを上回る。
● 東武で東京に向かうと,5本の川を渡る。細かく数えればもっと多いが。
壬生を過ぎたところで思川。静和を過ぎて渡良瀬川。栗橋の前で利根川。北千住の前で荒川。浅草の前で隅田川。
何を言いたいのかといえば,鉄橋で川を渡るのは楽しい。レールから伝わってくる音も変わる。
● 最近は,曳舟で浅草行きに乗り換えて,浅草に出ることが多くなった。その理由はいたって単純で,かつては半蔵門線の水天宮前のホテルに泊まることが多かったのに対して,コロナ以後は日本橋か銀座に泊まるようになった。特に銀座が多くなった。今夜も銀座のホテルに泊まる。
銀座に出るのだったら,三越前で半蔵門線から銀座線に乗り換えるよりも,浅草から銀座線に乗ってしまった方が早い。
● 浅草駅前の富士そば。かつ丼セット,740円。富士そばって,下手な街の蕎麦屋より旨くないですか。いやいや,もっと旨い蕎麦屋がわが地元の栃木県にもたくさんあるけれども,富士そばより不味い蕎麦屋っていうのもなくはないようなね。
その蕎麦屋のかつ丼でありますよ。少し,ご飯が固かった。難しいのだが,これくらい固い方がいいという人もいるのかね。
● さて,今日はホテルに入る前に行くところがある。荻窪に用事があるのだ。荻窪に行くならJRの中央線。それしか頭に浮かばないのが田舎民で,ぼくもずっとそうだった。
そうじゃなくなったのは最近のことで,特に東武で東京に出るようになってからのことだ。否応なくメトロでの移動を考えるようになる。それを手助けしてくれるものが2つあって,ひとつはスマホの乗換案内アプリ。もうひとつは,メトロの24時間券だ。
● メトロの24時間券は,購入時から24時間,600円でメトロに乗り放題という切符。1日乗車券はほとんどの交通機関で販売しているが,それは購入日の終電までというわけだから,せいぜい半日券だ。メトロは24時間というのがミソ。
24時間券があることは知っていたが,それを使うほどには移動しないから自分には関係ないと思っていた。せいぜいが200円区間を往復するくらいのものだったから。
● それがコロナのせいで状況が変わった。3月までは東京に泊まると,クラシック音楽の演奏会を見つけて,それを聴きに行くのがセットになっていた。ホテルでまったりするのと音楽を聴きに行くのと,この2つで時間は埋められるので,都内を観光するという発想はあまりなかった(とはいっても,トータルすればけっこう観光もしている。東京は歩くのにはお誂え向きの街だから)。
6月から東京詣でを再開したものの,コロナは演奏会も封じてしまったから,ホテルを根城にして都内を移動することが増えた。となると,メトロの24時間券が力強い味方になる。
● 今は演奏会もだいぶ復活してきた。今日,荻窪に行くのもそのためだ(目的地は杉並公会堂)。荻窪なら浅草から銀座線に乗って,赤坂見附で丸ノ内線に乗り換えるのがもっとも簡便。
のだが,遮断のロープが張られていた。これより先は進入禁止。すでに暗くなっていて,神様も本日の営業を終了されたらしい。荻窪鎮守の神様であらせられる。
● 白山神社は全国にある。それぞれに勧請由来があるに違いないが,その多くは後から捏造されたものではないか。もっというと,白山神社とか熊野神社とか八幡宮とか天満宮とか,神社のブランド名はいくつもあるが,多くの神社では名前は後から付けられたものではないかと思っている。
要するに,名前に必然性はない。なぜこの地に白山神社が,などと考えても仕方がない。熊野神社になっていたかもしれないのだ。その程度に考えておくのがよいと思う。
● 帰りは飲み屋街を歩いてみたんだけど,賑わっている店もあるにはあるが,お客の戻りは総じて鈍い印象。賑わっている店は居酒屋系。当然ながら店によってバラつきがある。
黒服の客引きも立っている。閑古鳥が鳴いているのだろう。コロナによって壊滅的な打撃を受けたのは,サブカル的なというか,アングラ的なというか,裏街道的なというか,日陰者的なというか,そうした業種だ。コロナは日陰を淘汰する。
酒場でいえば,外から見られてもなんら支障のない居酒屋はどうにか持ちこたえているけれども,見られるのをよしとしない,キャバクラやクラブは大打撃を受けた。
● が,人間は日陰なしでは生きられない。裏も必要だ。コロナが収束すれはもちろんだけれども,収束しなくてもこれらの業種がどういう形でか復活することは間違いないだろう。
人間は群生動物だ。群生の仕方はひと色ではないけれども,人間もしょせんは動物の一環であって,そうそう高尚にはできていないはずだ。
しかし,そうした業種に厚い内部留保があるとは考えづらい。持ちこたえられるかどうか。
● ぼく一個に関していえば,6月から週末の東京来訪を再開しているし,中止しないでやる演奏会があると聞けば,できるだけ出かけるようにしているくらいだから,コロナはコロナ,オレはオレ,という感じだ。
が,それでもなお,屋内に数人が集まって,至近距離でマスクなしで談笑をする図にはやや抵抗がある。飛沫が飛び交うところに身を置くのはイヤだなと思っている。そうじゃないところなら,満員電車の中であってもノーマスクでいてもらってかまわないのだが。
けど,そんなことをやってる人は他にいない。少し周囲を気にして,小さくなりながら,350mlの缶ハイボールを飲んだ。
● で,今週火曜日までいた銀座の別荘に辿り着いた。ミレニアム三井ガーデンホテル東京。馴染み感のある1007号室。税込みで9千円ちょっと。18時イン10時アウトのショートステイだけど。
この時期だからこそのこの値段。泊まれるときに泊まっておけ。貯金の減少は気にするな。通常価格になれば,ぼくには縁のないホテルに戻るのだから。
ギュウギュウに密度を高めて,狭さを極めるというのも鬱陶しいけれども,スイートルームのゆとりがくつろぎにつながり,つまりはそれがカンファタブルというものだとは思わなくなった。ゆとりは少しでいい。
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