2021年10月28日木曜日

2021.10.28 氏家の「魚べい」

● 久しぶりだった。「魚べい」がというより,回転寿司が。イカとマグロから入って,真鯛,サンマ,軍艦ものを2つ。
 サンマのみ154円で,あとは110円。サンマは生で食べるより塩焼きの方が旨いですかねぇ。

● 回転寿司は鮨にあらずという意見があって,それはそうなのかもしれないのだが,回らない鮨屋には何年も行っていないので,何とも発言が難しい。
 回転寿司のおかげで,寿司と名の付くものを食べられるようになったクチなので,「魚べい」はありがたい存在だ。それは間違いない。

● 生命力の多寡は何で測れるか。食に対するこだわりはモノサシになるかもしれないと思うことがある。こだわる人は生命力が多い。何やら活動的だし,長生きしそうな気がする。
 堀江貴文さんなんかは和牛を仕事の1つにしていることもあってか,自ら肉磨きのパフォーマンスを披露している。

● ぼくなんかは衣食住に対する訴求点はあまり高くない(と自分では思っている)。粗衣粗食でけっこうだ。何だっていいと思っている。
 普段,食べているものもよく言えば質素,普通に言えばおざなりだ。一汁一菜で何の問題もなし。一菜は毎日同じものでもいい。栄養学的には問題だらけなのだろうが,人は栄養学で生きているわけではない。

● 衣食住の訴求点が低いというのは,よく言えば欲がないということであり,普通に言えば向上心がないということでもある。
 ということは,衣食住にとどまらず,人生万般にわたって “どうでもいい” が支配する恐れなしとしない。恐れなしとしないどころか,60有余年 “どうでもいい” でやってきたような気がする。もう治るまい。

● 鮨の鑑賞能力も上がらない。鮨飯のうえにネタが載ってれば,それがすなわち鮨だと思っている。そういう人間に食べさせるのでは,作る方も作りがいがなかろう。
 そういうこともわかるので,回らない鮨屋は敷居が高い。自分にとっての鮨屋は回転寿司店だと思っている。回転寿司は鮨とは言えないとしても。

● その回転寿司店にも足が遠のくようになった。たまにご馳走を食べに行くところになった。

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